第5話 旧友①
あれから3ヶ月が経った。細々とした事件は起きながらもブルーにとってはあの日以来の衝撃は未だに訪れていなかった。
あの日から稽古はかかさず、イエローが不在であっても筋力トレーニングをしたり、武器の素振りをしたりしていた。
ある日のことである。
「おぉっ?!」
イエローの持っていた木刀が弾かれた。ブルーは剣先をイエローの眉間に向けた。
「勝った……」
ニヤリと笑ってブルーは木刀を振りかぶった。がら空きになった腹にイエローが前蹴りを入れる。
うめき声をあげてブルーは後ずさる。
「卑怯だ!」
ブルーは指をさして抗議した。
「詰めが甘いんだよ。勝てると思って油断しやがって」
「もういっちょ!」
「今日はもう終わりだ」
「えー」
「これ以上は殺し合いになっちまう」
ブルーはまだ満足していない表情であったが、イエローは彼の成長に手応えを感じていた。
「買出し行ってきました」
大荷物をリビングのテーブルの上に置いた後で、買ってきた卵が割れていないかブルーは確認した。
「決行は明後日」
ブラックがコタニと話している。全員神妙な面持ちでコタニを見ていた。
「ブルー、君にはまだ話していなかったね」
コタニはブルーの方を見た。
「われわれがずっと追いかけていた目標」
「グレイ」
「そのアジトがようやくわかった」
「グレイ?」
ブルーは全員に向かって問いかけた。新参者ではあるが、自分だけ除け者にされているような気がして少し哀しくなった。
「日本最大の麻薬密売組織」
「素性は一切不明だが、各所で噂は耳にしていた」
「ヤツらは普段この平和に見える社会に溶け込み、なかなか姿を現さなかった」
「ヤツらを潰せれば、日本の麻薬密売に大きなダメージを与えられる」
「なぜここにきてアジトが分かったんです?」
「ヤツらの一味と思しき服役囚がようやくゲロった」
「まぁそいつもシャブ中でラリっちまってたから、信ぴょう性はイマイチらしいが」
「しかし、仮にその情報が本当だとするならば、もう既に警察が動き出しているのでは?」
「動けねぇのさ」
イエローはソファーから立ち上がった。
「どうやらヤツらの裏にはもっと巨大な組織が絡んでるらしい」
「アジトをバラされたところで、痛くも痒くもないってことだ」
「ならわれわれがそこを叩いても意味がないのでは?」
「それは違う」
コタニはひとつ咳をした。
「われわれの目標はその巨大な組織。そこにたどり着くためならばなんだってやるのだよ」
「俺達だけで、やれるんですか?」
ブルーの言葉はあまりに重く、しばしの沈黙が流れた。
「敵の大将を討つしかない」
ブラックは沈黙を無理やりやぶるために言った。
「みんな死にたいの?」
パープルが割って入る。
「どう考えても勝ち目がないでしょ? もう人生終わりにしましょうみたいな顔しちゃってさ」
「男は負けると分かっててもやんなきゃなんねー時があるんだよ」
「ほら、もう負けるって言っちゃってる。アタシ達が負けたらこの世はどうなんの? 今この瞬間だって麻薬を始めてるヤツらがたくさんいるのよ。そいつらを止めるのはアタシ達しかいないのよ? アタシ達は負けられないの」
パープルの言葉は全員の胸に痛烈に突き刺さった。
「グレイはどれぐらいの規模なんですか?」
「末端を含まずに、本部の構成員だけだとしても数百人は相手にしなければならないだろう」
「数百……」
「ひとつ、ひとつだけ方法がある」
イエローが口を開いた。
「レッドに頼む」
「レッド……」
コタニとブラックは同時につぶやいた。
「誰ですか? レッドって?」
「旧いダチだよ」
「その人は今何をされてるんですか?」
「麻薬には手を出してねぇとは思うけど……ギャングだ」
「アイツの話はもうやめろ」
ブラックが珍しく声を荒げたことで、グリーン以外は目が点になった。
「彼は最も純粋な子だった……」
コタニが口を開いた。
「蒸しパンちょうだい」
20年前、日本は国連の常任理事国入りを果たし、東京でのオリンピック開催、反重力エレクトロニクスによる好景気に湧いていた。そんな中で、近くの中学校の生徒を相手にコタニは駄菓子屋を営んでいた。
「今日は部活サボったのか?」
「あんなの毎日やってたら壊れちまうよ」
「試合近いんだろう?」
「明日は行く」
時期としてはまだ早いヒグラシが鳴いている。
「うーっす、おじちゃんソーダ」
少年がまた1人やってきた。
「お前達の将来が心配だよ」
コタニはベンチに座る2人を眺めながら微笑んだ。
「こんにちは」
また1人、少年が現れた。制服のボタンを全て締めている。
「いらっしゃい、赤木君」
「赤木、暑苦しいからボタン外せよ」
「横田君、部活は?」
「俺には練習なんかいらねぇの」
「確かに横田は運動神経がいいからな」
「黒峯君はどこ受験するの?」
「俺は海皇高校、赤木は?」
「僕も海皇、ライバルだね」
「どっちも受かるだろ、天才なんだからよ」
「そういう横田は?」
「俺はその辺の公立だよ、中卒でもいいぐらいだ」
「横田君ならいいところからスポーツ推薦もらえるんじゃない?」
「どの部にも所属しないで助っ人やってるだけだし、俺1人で勝てるところなんざたかが知れてる。2回戦まで行ければ御の字だよ。スカウトなんて来ない」
「やってみなきゃわからんだろう」
コタニが若者の会話に口をはさむ。
「おじさんはずっとここに住んでるの?」
赤木がコタニに問う。
「……昔はいろいろ旅をしてたよ。世界中を」
「へー。すげぇ。金持ちなんだ」
「はは、普通に働いてお金を貯めたのさ」
コタニは昔を思い出して遠い目をした。
「まて! こら! まて!」
近くで怒号が響いた。1人の若者を、警察官と見紛う格好をした「ミスミ・ガード」の集団が追いかけていた。裏路地を抜け、コタニの店の前を走り去ろうとしたところで、赤木、黒峯、横田の3人が若者を取り押さえた。
「ありがとう。君達の協力に感謝する」
「ミスミ・ガード」のリーダーと思われる髭面の男が頭を下げた。3人は誇らしげに彼らを見送った。
「感謝状でももらえんのかと思ったぜ」
「言葉のお礼が一番だよ」
「最近あんな光景よく見かけるよな」
黒峯が言う。
「なんか警察とミスミが協力してトーキョーの警備してんだろ? 平和な世の中でいいじゃない」
「ミスミの悪口言っただけで捕まるらしいぞ」
「んなバカな」
「真偽のほどはわからないけど、検挙数は上がってるらしいね」
「街の監視カメラとかも増えてきてんだっけ? 女の裸とかも見放題だな」
「青少年保護育成条例も強化されるし、俺らもこんなとこにいたら捕まるのかね」
コタニは彼らの発言の内容が気になっていた。確かに昨今検挙される人間が増えてきていると感じた。近年の「ミスミ・グループ」の躍動は著しいがその陰で、街が大きく変わっていっているような気がしていた。
「ごめん、そろそろ塾だ」
「俺もそろそろ帰るかな」
「なんだお前ら忙しいな、じゃあ俺も」
おっちゃん、バイバイと3人は手を振って去っていった。どこか寂しげな表情でコタニはそれらの背中を見送った。
夕飯の支度を済ませ、仏壇の供え物を新たにする。そして今は亡き最愛の女性のいつまでも若い笑顔に手を合わせる。コタニの毎日の日課であり、習慣である。
「こんにちは、コタニさん」
店先でコタニを呼ぶ声がする。
まただ、とコタニはため息をついた。
「ご無沙汰してます」
ニコニコとした表情を決して崩さない小太りの若者が店先に立っていた。
「昨日も来たじゃないか」
「一晩でもご無沙汰ですよ」
ニコニコと笑う男。
「この土地は譲れん」
「いやあ、いきなりそんなこと言わないでくださいよ。お、これ懐かしい。ソーダ1本ください」
「君らには何も売ってやらん。土地も譲らん」
「はぁ、まいったなぁ」
男は眉毛を8時20分の角度にすると大げさにため息をついた。
「僕、会社クビになっちゃいますよぉ」
「そんな会社辞めてしまえ」
「3日やったら辞められない、天下のミスミ・グループですから」
「とにかくもう遅いから帰ってくれ」
「また明日も来ていいですか?」
男はまたニコニコと笑い始めた。
「ダメだ、何度言われても譲らん」
「でもコタニさん、この土地を今の価格の4倍で買い取ると言ってるんですよ。ご近所さんみんな喜んで売ってくださいましたよ」
「近くの中学校の生徒が困る」
「今時駄菓子屋なんてなくてもいくらでも遊ぶところあるんですから大丈夫ですよ」
「君には分からないだろうが、老いぼれにとっては若者と触れ合えるのが唯一の楽しみなんだ」
男はまた大げさにため息をつくと、表情を一変させた。
「……そうかい、そうかい、そうかい」
ただならぬ雰囲気にコタニは身構えた。
「今に見てろよ。じじい。こっちは老いぼれ1人殺すぐらい何とも思わねぇからな」
「今度は脅しか。天下のミスミ・グループが聞いて呆れる」
「譲るなら今だぞ。明日じゃ遅すぎる」
「譲らん。それだけだ」
男はコタニを一度にらみつけ、その場を去っていった。やれやれ、とコタニは家の中へ戻っていった。
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