第3話 初任務①

「もういっちょ!」

イエローの叫び声。逮捕術の稽古である。


「うあ!」

イエローを押さえ込もうとするも、ブルーは簡単に投げ飛ばされてしまう。


「だめだ、だめだ! 相手は得物だって持ってるかもしんねぇんだぞ! 素手の相手に勝てないでどうする!」


ブルーがコタニディテクティブに入って1ヶ月が経った。毎日稽古をしているおかげで、華奢だった身体もいくらか太くなってきた。だんだんと力をつけてきたブルーにイエローの稽古も熱が入る。


「ありがとうございました」

礼をして稽古場に使っている地下の貯水場を離れる。汗と血が入り混じった体液が、額から流れていた。


「ちょっとやりすぎじゃない?」

パープルは腕を組んで壁にもたれていた。

「アイツには見込みがある。まだまだ強くなる」

イエローは汗を拭いながら笑った。

「内に秘めた強さっていうのか、なんだかよくわかんねぇけど若い頃のブラックそっくりだよ」

ケラケラと笑うイエローにつられてパープルも笑った。


「そろそろ外に出してもいいかしら?」

パープルは自分の紫色の爪を見ながら言った。

「外? 買出しか?」

「冗談やめてよ、実践のこと」

「まだ早いだろ、まぁヤク中のヤツを押さえ込むぐらいなら出来るけどよ」

「ふーん」

「お前のボディガードとして、買出しぐらいならいいんじゃねぇか」

パープルはまだ爪を眺めている。期待通りの返事がもらえなかった時の彼女なりの不貞腐れである。


「わかったわ、買出しに行ってくる」


1ヶ月ぶりの屋外は、ブルーの体内の感覚を大きく狂わせた。地下でも時計は見ていたが、昼夜が逆転することもあればふと規則正しい生活になったりと、体内時計が機能しなくなった。さらに1ヶ月ぶりの陽光はサングラス越しにもとてもまぶしく、話し声や工事の騒音は耳に突き刺さるようだった。ブルーはすぐに体調を崩し、ベンチに座ってしまった。


「大丈夫?」

パープルがブルーの背中をさする。

「君はなんともないのか?」

「私は毎日外に出てるし」

「ほかの人は?」

「局長とブラックも毎日出てるし、イエローはあんな性格だからどこにいても一緒。まぁグリーンはしばらく外出てないからもうあそこから出られないかもね」

ブルーの吐き気は収まる様子がなかった。


「ねぇ、あれ見て」

パープルが指し示す先に黒とピンクのきらびやかな服装をした女性数人が見えた。彼女達が履いている網タイツには星やハートの装飾が施され、中身が垣間見えるほどにスカートは短い。

「きわどいね」

ブルーは精一杯の冗談を言った。

「アイツらね、最近よく見かけるんだけど、なんていうの? サークル? そういう集団らしくてクラブとか行って踊ってるみたい」

彼女達は掛け声に合わせて振付の確認をしている。

「もしかして、憧れてる?」

ブルーはパープルの顔を覗き込みながら言った。


「い、いや、そうじゃなくて……」

狼狽した彼女の顔は陽の光に照らされてより一層白く透き通った。


「あの子達も下手したらクスリをやってるかも知れないし、そういった物が売買される場所で生活してるのよ」

パープルは立ち上がった。

「あんなにカワイイ子達が、アタシなんかよりずっと女の子なのに……」

彼女の拳が握られ、小刻みに震える。


「彼女達を警備しよう」

ブルーは言った。

「は?」

「彼女達に危険が及ばないように、彼女達が出入りしているクラブを探ろう」


パープルは片方の口角を上げて微笑んだ。

「やましい気持ちがあるんでしょ」


「やましい気持ちは捨てろよ」

ブルーは出かけにイエローから言われた言葉を思い出していた。やましい気持ちなど全くない。もうこれ以上美智生のような犠牲者を出したくない。それだけだった。


足がつかないよう、アジトからなるべく遠いクラブを選んだ。ブルーは下界にくだりいろいろなものを見聞きしてきたので世の中の金持ちほど世間知らずというわけではないが、クラブや風俗には縁のない生活をしていたので内心は緊張で張り裂けそうだった。


「緊張するわね」

パープルも同じ気持ちであったことがブルーには嬉しかったが、緊張のあまり言葉に応える余裕はなかった。


「ミスミ・メトロ」はニュージュク駅に到着した。乗降客数世界一のこの駅を降りると、トーキョー最大の繁華街「ニューカブキ」のネオンが拡がっていた。日本の犯罪件数の半分はここで生まれ、毎日のように店が潰れ、新たな店が立つと言われるほど競争が激しい。


若いカップルが手を繋ぎ、地下へと入っていく。中年の男と高校生ぐらいの少女が怪しげな雑居ビルへ。とても正気とは思えない光景がブルーとパープルを混乱させる。

「帰ろうか?」

ブルーはパープルの手を引いた。

「怖気づいたの?」

「危険すぎる」

「せっかくだから楽しみましょうよ」

「目的を忘れるなよ」

「忘れてないけど、めったにない機会よ」

「そりゃそうだけど……」


2人は裏路地に入った。雑居ビルから流れる室外機の空気が通り一体を支配している。飲食店の生ゴミが水色のバケツから溢れ、道に散乱している。

奥へと進むとようやく目的の店へと続く地下への階段が見つかった。


階段の先にはワインレッドの重厚な扉があった。ドアの横にはカメラ付きのインターホンが設置されている。ブルーはパープルの顔を見て震える指でベルの絵がついたボタンを押した。


「はい?」

客に対してはい? という応答はいかがなものか、とブルーは思ったが、きっと一軒家であると偽装するために必要なことなのだろう。


「あのお電話した山中と申します」

「あぁ、どうぞ」

中で鍵が解除される音がした。


「酒も飲める場所で未成年かどうかの確認もなし、しかも深夜営業なのに。真っ黒ね、この店」

パープルはブルーの背中を押しながら言った。


ドアを開けるとさらにドアがあった。奥のドアを開けるや否や、爆音が振動となって伝わってくる。大きなフロアはきらびやかなレーザー光線に照らされ、一段高い光る床はステージになっている。ステージ上では半裸のような女とスーツ姿、カジュアルな格好の男達で埋め尽くされている。皆、気が狂ったように音楽を貪りながら頭や腰を振っている。ステージの周りには背の高い立ち飲み用のテーブルが何台かあり、入り口のすぐ横にカウンター席とバーがあった。


「お飲み物は?」

ウェイターらしき男が話しかけてきた。ブルーはオレンジジュースと言いかけたところでパープルに制され、結局グラスビールを2つ頼むことになった。ほどなくして、あっけらかんと目の前の光景に圧倒される2人にグラスビールが手渡された。


「アンタ、酒飲んだことあるの?」

パープルが大声で言う。

「ない!」

ブルーも大声になった。


ブルーは生まれて初めてのビールを舐めてみた。あまりの苦さに顔が歪む。大人はこんなものをありがたく飲んでいるのかと哀れな感情を抱いた。


「すっきりしてて美味しい」

パープルのグラスはみるみる空になっていく。この女は何歳なのだろうとブルーは訝しんだ。


「おなじものを」

パープルは先ほど同じウェイターにグラスを渡しておかわりを頼んだ。ブルーはまだ敏感な舌にビールの苦みを慣れさせようと必死にグラスを舐めている。ふと上を見上げると、ステージの奥、DJブースの裏に昇り階段があり、プレハブ小屋のようなものがあることに気付いた。事務所だろうか、と彼は思った。


「踊りましょうよ」

パープルは少し酔い始めていた。食事をせずにアルコールを摂取したのも要因だが、もともと酒が強いわけではない。

「あ、あれ」

ブルーは1組の男女を指さした。男がステージ上の肌を露出した女に話しかけ、女は男の手を引いて先ほどの階段を上がり、事務所のような小屋へと入っていった。


「売春か?」

ブルーはパープルに問う。

「有り得るわね」

「あの小屋に入れないかな」

「危険すぎる」

階段から小屋へと直結しているのかブルー達の角度からではよくわからない。階段の先にドアがあり、その前に見張りが立っているのかもしれない。

「とにかく、踊りましょ」

パープルが必死に自分の手を引く姿を見て、遊びではなく探りを入れるためにステージへ上がるのだとブルーはようやく気づいた。


パープルは他の客を真似るように体全体でリズムをとり始めた。

「どうしたの?」

パープルはブルーの耳元で怒鳴った。

「踊れない」

ブルーはステージ上で立ち尽くしている。

「音楽を聞いて、適当に踊ればいいのよ」

「……わかった」

ブルーは目を閉じ、耳を澄ました。メロディやDJのスクラッチ音を無視し、重低音を聞き分ける。リズムをとっているベース音、ドラム音に集中し頭を振り始める。


「どう? 楽しいでしょ?」

楽しいかはわからなかったが、気分が高揚してくるのをブルーは感じていた。これから何かを起こそうとする武者震いにも感じられた。


踊り始めて5分、髪を肩まで伸ばした骨のようにやせ細った男がパープルに話しかけてきた。ブルーは1歩引いてその光景を眺めていた。彼女はしきりに首を振っていた。

何回目かの首振りでようやく男が離れると、ブルーは静かに彼女に近づいた。


「なんだって?」

「クスリ売るよって」

「売人か」

「上で渡されるみたいよ」

パープルは顎でプレハブ小屋を示した。


「次売人が来たらノってみる」

「ノる?」

「クスリを売ってもらうってこと」

「上に行くのか?」

「アンタが行きたがったんでしょうが」

「危険だ」

「あのね、危険なのはアタシだけなの。アタシから離れて、目を離さないで、上に行って5分戻らなかったら警察かみんなを呼んで。分かった?」

「いや、危険だ。やめよう」

「いいから、とにかく離れて!」

彼女の鬼気迫る表情に、それ以上何も言えなかった。ブルーはステージを離れてバーカウンターに行き、オレンジジュースを注文した。


彼女から目をそらさない。ブルーは念仏のようにその言葉を繰り返しながら、彼女を見続けた。もうみんなを呼んでおいた方が良いだろうか。さすがに怪しまれてしまうだろうか。いろいろな想いが頭を駆けめぐる。焦るな、落ち着け、ブルーは自分に言い聞かせた。


ほどなくしてまた同じ男がパープルに近寄ってきた。

「きた……」

ブルーは息を呑んだ。ここで割って入れば事なきを得られるだろうか。ブルーは足を踏み出したが思いとどまった。彼女ならきっと小屋の中を調べて戻ってくる。ブルーはパープルを信じた。オレンジジュースはいつの間にか飲み干していた。


パープルは嫌がる素振りをしていたが、だんだんと迷っているような仕草を見せ、最後に頷いた。男に手を引かれ、階段へと向かっていく。彼女に馴れ馴れしく触るな、ブルーはオレンジジュースが入っていたグラスを強く握った。


彼女が階段を上がりきった。時計を確認する。0時11分。この2つの針が0時16分を指し示した途端、行動する。ブルーは自分の未来を確認した。


0時12分。もう5分経ったかとブルーは思った。落ち着こう。まだ時間はある。ポケットからタバコを取り出して火をつけた。辺りを眺める。入り口までは10秒とかからない。外に出るとしても30秒はかからないだろう。会計を済ませておかなければならないだろうか。いや、必要ない。パープルに何かあったらこの店を潰すまで戦わなくてはならない。金などくれてやる道理はない。ブルーは気を紛らわしながらもフツフツと湧く闘志を抑えられずにいた。時計を確認する。0時14分。ブルーはトイレに向かった。


0時15分。パープルは出てこない。

ブルーは再びトイレに入り、物置から柄の長いモップを取り出した。


0時16分。時は来た。


店内の騒音に負けないぐらいの大声を出しながら、ステージの人混みをかき分け、階段を上がった。


階段の最上部にドアが見える。その手前に太った大柄の男が腕組みをしていた。男はブルーを見て階段を降りてきた。2人が交錯する刹那、ブルーはモップの柄で男を殴り階下へと突き落とした。

勢いよくドアを開けると、目の前には裸の女数人と、裸の男が2人、仲睦まじく淫らに交わっていた。その奥で両手両足を縛られ、目隠しをされたパープルを見つける。殴られたのだろうか。衣服に乱れはないがぐったりとしている。先ほどの見張りのような巨漢3人がパープルの周りにいる。


「なんだ?」

巨漢の男全員がブルーを見た。裸の女は全員脱ぎ捨てた服を拾い上げると甲高い声を上げてドアを出ていった。裸の男2人は口を開けながら後ろに後ずさる。


「パープル!」

ブルーの声にパープルの身体が小さく反応した。まだ息がある、ブルーは安堵した。


巨漢の男達がバタフライナイフを取り出してブルーに近寄ってきた。

ブルーはモップを握りしめた。

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