第2話 コタニディテクティブ
美智夫は秀才であった。両親が医者でいつもひとりぼっちだった。いつも寂しそうにしていた。「お父さんのような立派なお医者さんになりたい」という彼の言葉もブルーには強がりにしか聞こえなかった。
どこか影のある2人はすぐに仲良くなった。2人はよく話をした。好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きな先生、好きな教科……。
ある日、美智夫はブルーにこう言った。
「友達ってなんだと思う?」
ブルーはしばらく考えた。美智夫の家のフカフカのカーペットを撫でながら考えた。美智夫は答えを待った。ブルーの伏せた目を覗き込みながら待った。
「家族より大切なものかな」
美智夫はにっこりと笑った。ブルーもそれにつられて笑った。
「美智夫は俺の友達だ」
ブルーは美智夫と握手をした。美智夫になら全てを話せる。楽しかったことも辛かったことも泣いたことも……。
「ねぇ、あんた」
紫色の女はブルーに話しかけた。かれこれ5分も公園のベンチから動かない。
「ここ、あの家からそんなに遠くないから危険なんだけど」
ブルーは紫色の髪の女を見た。今初めて出会ったように感じた。
「はぁ……名前は?」
「え?」
「あ・ん・た・の・な・ま・え」
「あぁ、……ブルー」
「それ本名? じゃないよね? 青い服着てるからブルー?」
「いや、まぁ……。君は?」
「まぁアタシも言えた義理じゃないけど。パープル」
「本名?」
「そんなわけないでしょ、紫が好きなだけ」
彼女を顔を見て、ブルーは記憶を取り戻した。「ミスミ・ガード」に捕まりそうになり、パープルに助けられ公園に逃げたこと。そして、美智夫のことも……。
「とりあえず、アタシ達のアジトに行きたいんだけど」
「アジト?」
「来れば分かるわ、入れてあげられるかはわからないけど」
パープルは立ち上がり、尻を手で払った。ブルーに向かって顎をしゃくり、ついてこいと合図した。
トーキョーでは10年以上前に大規模な地下下水道システムを建設していたが、ミスミ・トーキョーグループ主導の上水システムが後追いで計画され先に完成したため、莫大な施工費の損失と地下空間が生まれてしまった。その地下空間は反社会組織やホームレスに利用されながら、今日も生き残っている。
下町の高架下まで来たところで、パープルは怪しげな階段を降りていった。
階段を降りるとアジア系の外国人が共同で住む6畳ほどの空間に出た。赤ん坊を含め10人以上がひしめく空間に、ブルーはひるんだ。オレンジ色の間接照明に照らされた日本人より少し黒ずんだ肌。壁にはカラフルなボロボロの布がかかっている。最奥には金色に輝く虎の像が見える。20以上の眼がブルーに向く。ブルーは視線を避けるためにうつむいた。
階段のすぐ近くの床に取っ手がついている。パープルが取っ手を思いきり引き上げると、深い闇とハシゴが現れた。パープルは慣れた様子でさらに地下へと降りていった。
ブルーも後に続こうとした時、赤ん坊を抱えた老婆と目が合ってしまった。ブルーは一礼してハシゴを降りていった。
ハシゴを降りた先には下水管が張り巡らされた地下貯水施設があった。明かりは金網で作られた通路に取り付けられた豆電球のみであり、貯水施設の底は見ることができない。
サングラスでほとんど視界を奪われているブルーは、明かりを増やそうと携帯電話を取り出した。緑色のランプが点滅している。仕事場からの不在着信だった。
パープルは彼の携帯電話を取り上げると深い深い暗がりに投げ落とした。
「なにすんだよ」
ブルーは声を荒げた。闇に声が響き渡る。
「GPSで居場所がバレるかもしれないでしょ」
パープルはそう言うと長い髪を片手で払って先を急いだ。
どれだけ進んだのか、ブルーにはわからなかった。暗闇の中で右に曲がり左に曲がり、階段を降り階段を上がり、自分の所在が分からなくなってしまった。
突然パープルが立ち止まる。いかにも重そうな鉄の扉を2度強くノックした。反応がないのでもう一度強くノックすると、鉄の扉につけられた細長い小窓が開き、瞳がひとつ現れた。
瞳はパープルを確認し、次に後ろのブルーを確認した。
「その男は?」
男の高い声。
「目標は死んでた。こいつは目標を殺した容疑がかかっている男」
ブルーはパープルの発言に驚いた。自分が殺人犯にされていることはにわかには信じられなかった。ここは牢屋なのだろうか、彼は考えた。
「入れ」
中の男は小窓を閉め扉を開いた。強烈な光が扉の奥から差し込んだ。
ぐしゃぐしゃの金髪頭に痩身の男はパープルとブルーを招き入れるように通路を歩いている。鉄の扉の奥は無機質なコンクリートづくりで、地下という位置の影響もあってか、冷んやりとしている。
通路の先に大広間がある。広さは20畳ほどで、ソファーとテーブル、そして壁一面の大きなモニター。その大きなモニターは16分割されており、さまざまな地区の監視カメラの映像が映し出されている。
この大広間にはパープルとブルーに加え、金髪の男、緑色のニット帽を被った少年、黒いコートをまとった長身の男、そしてひ弱な白髪頭の老人がいた。
「長谷美智夫は救えなかったか」
緑色のコートをまとった男がパープルに訊いた。
「死んでたわ」
「その男が殺ったのか?」
「まさか、ヤクよ」
ブルーは疑われていなかったことに安堵したが、終始おちょくっているような調子のパープルに怒りがこみ上げていた。
「名前は?」
「ブルーって言ってたわ」
甲高い笑い声が響いた。金髪の男である。
「お似合いだな、ウチのチームに」
ブルーは彼の発言の真意がわからなかった。
「サングラスを外してもらえるか?」
「……嫌です」
「なぜだ?」
「……嫌だから」
「まぁいいじゃないか」
モニターを凝視していた老人がひとつ咳きながら言った。
「ようこそ、コタニディテクティブへ」
老人は大きく手を拡げた。
「私がコタニディテクティブ局長のコタニだ、そっちの黒いコートが副局長のブラック、そこの緑色のニット帽がグリーン、金髪の彼はイエロー、そして紅一点のパープル」
「青色はいなかったからな、お似合いだぜ」
イエローはまた甲高い声で笑った。
「我々はこの地下空間を拠点に、青少年の健全な育成を実現すべく活動しておる」
「つまり、違法薬物の取り締まり、少年犯罪の防止を自主的に行っている自治組織だ」
副局長のブラックが補足した。
「今にして思えば、20年前のあの日、そう、小谷商会として平和な街での暮らしを享受していた私は……」
コタニはまた16分割のモニターに向き直って滔々と語り始めた。
「また始まったよ、おっさん……」
イエローは頭をかきむしった。
「君は、木暮美智夫の家にいたね?」
コタニの話には誰も耳を傾けず、ブラックが話を続けた。
「何をしに行ったんだ?」
「……」
「ほぼ分かってるんだから、話しなさいよ」
パープルが肘でブルーの脇腹を小突いた。
「俺、運び屋やってて、あの家にブツを運べって言われて」
「なぜ、木暮の死体を見てすぐに逃げ出さなかった?」
「小さい頃からの親友なんです」
「ふむ……」
ブラックは顎をさわり、次に話すべきこと考えている。
「親はいるのか?」
「……話したくないです」
「どうしても?」
「……どうしても」
親がミスミ・トーキョーのトップだなどという事実が漏れたら、何をされるか分からない、とブルーは怯えていた。深い地下空間の中にこれだけの人数に囲まれてすっかり精神が疲弊してしまっていた。
「……まぁいいだろう」
ブラックはようやく笑顔を見せた。
「木暮の死因は薬物中毒によるものだ、そしてその死因となっている薬物がこれだ」
ブラックはビニール袋に入った青いカプセルをテーブルの上に置いた。
「PX-02、通称ホウオウ。幻覚作用、依存性ともに今までの薬物にはない強力なレベルのものだ」
「ここ数年で出まわりはじめ、使ってるやつもここ数年で死にまくってる」
「呼吸障害、心臓肥大、筋肉量低下、骨代謝低下、とにかくありとあらゆる体の仕組みがおかしくなる」
「木暮がこのヤクを使ってることがわかってパープルを向かわせたが……遅かった」
イエローはソファーに深く座り、天井を仰いだ。
「お前は誰の命令でヤクを捌いてんだ?」
イエローは爬虫類のような眼でブルーを睨んだ。その眼の鈍い輝きにブルーは金縛りにあったように身体が強ばった。
「依頼人は分からない、食い物がなくてコンビニのゴミ箱漁ってたら、知らない男にスカウトされて、それで……」
必死に弁明するブルーを見て、イエローはもういい、と言った具合に手を振った。
「まぁヤツらも素性がバレるようなヘマはしねぇよな」
イエローは立ち上がると、ブルーが現れてから一度も隅に置いてあるパソコンから離れないグリーンに近づいていった。
「なんか新しい情報はないの?おチビちゃん」
グリーンはパソコンのモニターをじっとみつめている。応答はない。
「グリーンは警察とミスミ・ガードの無線傍受、監視カメラの映像確認など、うちの営業部を一人でやっている。仕事をとってくる役だ」
ブラックは言った。
「……というわけであるからして、今日の彼らの監視システムには欠陥が、あれ、みんな聞いてる?」
コタニはようやく我に返った。
「まぁいいや、ブルー君、君の素性や前科はどうであれ、我々は歓迎するよ。どうだい? 行くところが無いのであれば手伝ってくれないだろうか」
ブルーは肩に提げたメッセンジャーバッグの中にあるビニール袋の中身を思った。品物を届けられなかった。連絡できる術もない。AMDも持ち逃げしてしまっている。帰る場所はなかった。そしてなにより、犯罪に加担していたことの責任の重さを痛感していた。
「俺に、協力させてください」
ブルーの決意が固まった。この世から、せめて俺が生きるこの世界から薬物を無くす。そう心に決めた。
「よく言ってくれた。イエロー、彼の稽古を頼むよ」
待ってましたと言わんばかりにイエローは手の指をボキボキと鳴らし始めた。
「坊主、俺のトレーニングはキツイぞ、死んでも恨むなよ」
ブルーには四畳半ほどの部屋が割り当てられた。壁には一昔前のグラビアアイドルのポスターが所せましと並んでいる。昔父親の仕事について行ったときに会ったことのある女性も何人かいた。
部屋には簡素なパイプベッドがあり、部屋のほとんどを埋め尽くしている。窓はないが下水処理場の居住空間として利用されるはずだった部屋である。
ノックの音と同時にパープルが入ってきた。手にはコーヒーカップを2つ持っている。
「とんでもないことになったわね」
とんでもないことの原因をつくったのは誰だ、とブルーは言いかけたが、パープルに救われていなければ殺人犯として逮捕されていたことを思い出した。
「イエローのトレーニングは厳しいの?」
ブルーは未だに掴めないこの組織の性格に恐怖していた。
「まぁ、そこそこじゃない? アタシは小さい頃からここにいたから、イエローだけじゃなくてブラックからもいろいろ教えてもらったし、実践でもいろいろ学んだから」
実践という言葉は実戦という意味だろうか、とブルーは考えた。
「やっぱり戦うんだよね?」
「戦うって言えば戦うけど、それは緊急時の話よ、あくまで我々の仕事は青少年を救うこと。アンタみたいな運び屋を追っ払ったり、警察とかに捕まらないように逃げるための手段として戦うだけ」
「俺達は犯罪者なの?」
「ヤクをばらまいてるヤツらが一番悪いけど、だからってアタシ達が関わっていいことかというとそうでもないわね。まぁ、こんな世の中だから、悪も正義もないでしょ。目の前で人々が苦しんでるんだから、見過ごすわけにはいかない」
そのとおりだとブルーは思った。パープルは白い陶器のような肌に紫色の口紅を塗っている。ブルーは、パープルを自分より歳上に見ていたが、落ち着いた性格と少し厚い化粧に惑わされていただけかも知れないと思った。
「君はなんでこの組織に?」
ブルーはパープルに訊いた。
「もっと仲良くなったら話してあげるわ」
「その時にはアンタが何で夜もサングラスを取らないのか、教えてもらうから」
今日は満月に違いない。ブルーは見えぬ夜の帳を一人妄想した。
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