第50話 王の終幕

 もはや、信仰などいらない。

 マークは今までに作らせていた装備を身につける。

 戦うための訓練ならしていた。FPSだって人並み以上の腕前である。


「これから先は、おれが切り開いてやる」


 銃を手にとって嘯いた。

 体を覆うボディスーツに、やや重装備なプロテクター。

 UFOにしのんが着用してきたものに似ていたが、より機能性は洗練されている。

 専用エレベーターに乗り込み、一気に一階まで下る。


 自動ドアから外に出ると、そこには怒号が渦巻いていた。

 いや、阿鼻叫喚の地獄になっていた。

 蜘蛛のような腕を生やして、白く大きな狼が、黒いもやのようなものと戦っている。

 嵐華とそしてイヌガミの媛が争っている。

 マークに従う、残りのシェイプシフターたちは、デモに参加する群衆と押し合っていた。


 人の声と、物がぶつかり合う音、喧騒。

 これが一瞬止まった。

 視線がその場に現れた男、マークに向く。

 マークは手にした銃を天に向けて、一射した。

 それは興奮に我を忘れていた群衆に、冷や水をかける効果があったようだ。

 じわり、とシェイプシフターたちに押されていく。

 もともと、戦うために集まった人間たちではない。数で劣っても、シェイプシフターたちはデモの群れを周囲から一斉に攻撃する。

 

 マークは目線をめぐらせた。

 何人かが歩み出てくる。

 一番奥まったところで、綿貫がぼんやりした顔で立っていた。

 目線はイヌガミの媛に行っている。

 おれを無視しているのだ、とマークは思った。


「おい、マーク、年貢の納め時だな」


 笑みを含んだ声がした。

 小太りの男がスーツに身を包んで立っている。

 司上だ。

 彼の耳には既にイヤホンが差し込まれており、戦闘を行う気であることがマークにも理解できる。


「司上。お前はやはり信用できない奴だったな」

「お互い様だ。腹黒い同志、同族嫌悪というやつだろうさ」


 その体がみるみる膨れ上がり、周囲の木々を取り込んで大きな猪に変わる。


「やりあうのは得意じゃないが、ただの人間なら相手にならないぜ」


 くぐもった声だったが、しっかりと聞き取れる人間の言葉を発する。

 後足がアスファルトを削るように蹴る。

 来る、と思った。

 マークは横っ飛びに避ける。

 司上の突進は速かった。見て対応できる速度ではない。

 何がやりあいは苦手、だ。マークが見て来た猪神一族の中でも、トップクラスの動きをする。

 しかも、力に任せた無駄な動きが無い。

 突撃で、僅かに軌道をずらしながらビル敷地内の中庭に飛び込み、土を深く蹴って速度を落として停止する。

 そのままターンだ。


「お前、とんだ食わせ物だな……!」


 マークは木々を利用して司上の突進を捌きつつ、銃を撃つ。

 何発かは当たっているのだろうが、例え銀をコートした弾丸でも、あ足る角度が悪ければ皮を削るくらいの事しかできない。

 正面から理想的なフォームで突進してくる猪は、さながら走る弾丸である。

 当てられる面積が小さい。


「能ある鷹は爪を隠すと言うからな」


 言いながらの突撃を、今度は避けずにマークが迎え撃つ。投げはなったのは機械仕掛けのボーラである。

 仕込まれた圧縮ガスを錘部分から噴出して、加速する。


「なんだ、それはっ……!」


 司上は知らない武器の動きに惑わされ、錘をつなぐワイヤーに足を絡め取られて転倒した。


「お前に構ってる暇は無いんでな」


 マークは先を急ぐ。次の相手が迫っていたのだ。

 それは一見するとただの猫だった。

 だが、放つ気配からこれがそう言うものではないことが良く分かる。

 どこか懐かしい香りがした気がした。


「使われるのは不満ニャが、まあ遊んでやるニャ」


 猫が人の言葉を話し、変身を開始する。シェイプシフターは己の質量を無視できないが、この猫にそんな事情は関係ない。

 一抱えほどの猫が、人の大きさの直立した猫又になる。

 そいつは爪を長く伸ばし、うっそりと笑った。


「おれは、現実にも、架空にも敗れない」


 マークは預言を呟く。

 腰に差したナイフを抜き出した。


「命乞いかニャ。そういう相手をいたぶるのも面白いニャ!」


 猫又が一瞬前傾姿勢になったかと思うと、加速した。

 ありえない速度で突っ込んでくる。

 マークは反射的に体を後ろへ投げ出しながら、手にしたナイフを投擲した。

 ナイフは柄から圧縮ガスを噴出して加速、猫又と真正面から激突する。

 音の速さに迫る勢いでなぎ払われた爪が、ナイフを叩き落す。同時に、ナイフは猫又の爪の一本を折った。


「小癪ニャ! 大人しくうちに狩られる……のは面白くニャいから、せいぜい抵抗して狩られるニャ!!」


 瞬時に折れたはずの爪が、動画を逆再生するように戻って行く。

 源シェイプシフターには、通常の武器での攻撃はほぼ効果が無い。

 攻撃をやり過ごしたマークは、


「せいぜい抵抗させてもらうが、お前みたいな化け物にやられるおれでは無いぜ!」

「何ニャ!」


 投げつけたのは缶である。

 猫又はそれを反射的にきりつけて、存外にもろかった缶が真っ二つに割れた。

 噴出すのは催涙ガスである。


「ミギャアアア!!」


 鋭敏な嗅覚を、刺激性のガスが襲う。

 激しくくしゃみを繰り返しながら、猫又が慌てて後ろに下がる。

 マークはその後を追う。襟元からマスクを伸ばして顔に被り、催涙ガスを超えると、手袋に仕込まれたワイヤーを伸ばした。

 そして、猫又の首をワイヤーで固定する。


「ミギャッ!!」


 猫又が爪で掻き切ろうとするが、あまりに細くて伸びた爪では上手く拾う事ができない。

 マークはワイヤーを吐き出す手袋を放り投げ、街路樹の枝を通すと、落下した来たものをキャッチ。

 ブーツの固定機能をオンにすると、靴裏からスパイクが飛び出してマークを固定した。

 そのまま、手袋に内蔵された巻上げ機能を起動する。

 もがきながら、猫又が吊るされていく。

 ワイヤーを近くの柵に引っ掛けて猫又を空中に固定すると、マークを邪魔するものはもはやいなかった。


 イヌガミの媛同士の戦いは伯仲している。

 お互いの手の内を知り尽くしているのだ。

 攻撃力、突破力では嵐華だが、相手は搦め手に長けていた。嵐華の物理的な攻撃を、黒い霧が包み込むように受け止めている。


 綿貫は一人だった。

 紅鮭も近くにいるが、なに、物の数ではないだろう。

 マークは銃を抜き、この騒動の発端たる男に迫る。


「綿貫!」


 声を上げると、ぼーっとした顔がちょっとびっくりした表情になってこちらを見た。


「やあ、マーク。久しいな」


 のんびりとしたその声音も、不敵に思えてくる。


「君を止めに来た」

「やれるものかよ」


 マークは躊躇せずに発砲する。

 すると、綿貫の足元から沸きあがった黒い霧が、彼の体を少し横に押した。綿貫の真横を銃弾が通り過ぎていく。

 マークが使う弾丸を、シェイプシフターが防御する事はできない。

 これは銀を厚くコーティングした弾丸で、表面的には純銀の弾と変わらない。

 シェイプシフターの天敵である。

 ただ、先ほどの猫又のような、発砲を見て回避するレベルの化け物には通じないのだが。


 綿貫真崎を殺すなら、一発あれば充分だろう。

 だが、この作家と向かい合うマークに、余裕の表情は無い。

 司上も猫又も退けてここにいても、恐らくは最弱であろう、この作家を前にして気を抜く事ができない。


「お前は、おれの邪魔になる。お前がいなければ何もかも上手く行ったんだ」


 銃弾が飛ぶ。

 綿貫は霧の力を使って回避するが、それをマークが抜いたナイフが切り裂く。

 銀のナイフである。

 霧の力は及ばず、綿貫の被服の一部が裂けた。


「霧の力を使っても、お前はおれを倒す事はできない。おれは現実に身をおく者にも、架空から這い出た者にも負けないのだから……!」


 突き出したナイフを、綿貫はなんとかかわした。

 霧が目くらましになってくれたお陰だろう。

 切り裂かれた布地の下で、肩から血が流れ出していた。


「君は勘違いをしている」


 綿貫は冷静だった。


「何がだ」

「僕は君のやる事を邪魔したいわけではない。でも、君は僕達のやろうとする事の前に立ちはだかるんだ。君は僕たちにとっても障害なんだよ」

「はっ!」


 マークは笑い飛ばした。

 こんな男が何をやろうと言うのか。

 たかが売れない一作家で、パッとしない、それほど名前も知られていない、裏社会に伝手があるわけでもない。

 そんな男だ。

 そんな男が、イヌガミの媛と出会い、シェイプシフターの秘密を知り、化人の里を滅ぼし、里山を空に浮かせ、そして自分の地位を揺るがす力を持って目の前にいる。


「お前は一体、なんなんだ……!」


 銃を構えた。至近距離。弾丸は銀のコート。避けられる距離ではなく、防ぐ事もできない。


「お前は」

「物書きだよ」


 答えがやってきた。


「いつもありえない空想ばかりしてる。体は冴えないまま現実にいるけれど、僕の心はいつも空想の中だ。マーク、存外、空想の世界と現実とは地続きなものなんだぜ」


 そして、作家はゆるい笑みを浮かべて見せた。

 引き金が引かれる。

 発砲音がした。

 ほぼ同時に何かが跳ね返る音。


「……ぶはっ……!」


 血が口から零れ落ちる。

 マークは信じられないものを見るように、己の腹に穿たれた穴を見る。

 黒い霧と綿貫の間に、金属の箱が浮かんでいた。

 弁当箱だと気付く。

 ご飯の一粒も残さず、平らげられていた。

 底面は弾丸の衝撃で歪んでいたが、カバンの中の圧力から内部の弁当を守る箱は、頑丈であった。

 霧が至近距離の弾丸を角度を変えながら受け止め、それを絶妙な角度で跳弾させた。


「想像力さ」


 綿貫真崎の言葉に、マークの体が揺れた。

 霧を動かし、望む成果を引き寄せた。

 この、立ち位置も曖昧な男に、やられた。

 空想と現実の狭間に立っている、亡羊とした男。

 ……そうか、こいつはその合間に立っているのだ。


 最後の信仰が砕ける。

 マークは膝を衝き、ゆっくりと倒れていく……。


 ふと、その頭上が翳った。

 白く大きなものがマークの肩を掴み、空へと持ち上げていく。

 翼を持つ白い狼が天高く舞い上がっていく。


 薄れ行く視界の中、マークは眼下に見える光景を望み続ける。


 へたりこむ作家と、駆け寄る少女。猫や、小太りの男や、場違いな研究者の男。デモ隊は呆気にとられ、シェイプシフターたちも動きを止めて、こちらを見上げている。


「終わったんだな……」


 声の出ない口で、形だけ呟く。

 すぐ横を、人間ほどもある巨大な鴉が飛んでいる。

 そして彼らは表舞台から消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る