第43話 UFO上の乱戦
金に物を言わせてかき集めた装備である。
爪葺しのんは手勢を率いながら考える。
既に、イヌガミの媛は絶対不可侵の魔物などではない。あの黒い霧のシステムも、紅鮭によって解析されている。
文明の利器を用いれば、その攻略も難しくは無かった。
体にフィットするボディスーツに、髪と肌を特殊なポリマーを含んだローションでコートしている。口や鼻の穴と言った隙間は、蒸散するローションの効果で短時間ならあれの侵入を防ぐ事ができるだろう。
顔に密着させた視覚補助装置は多数の仲間の視界を共有でき、目と耳を外界から隔絶する。
これらの器具は特別せいで、シェイプシフターが変身をした後も、その肉体を隙間無く覆う事ができる。
この異様な集団が、UFOが作り出した道を走っていく。
しのんの脳裏にあるのは、復讐である。
これからようやく、面白くなると思ったのに。
マークの力を使って、自分が世界の表舞台に立って、歴史を動かせると思ったのに。
ビッグになれると思ったのに。
しのんは面白い事を好む。
何もかも、判断基準は面白いかどうかだ。
そして、自己愛がとても強い。
マークか自分かと問われたら、躊躇無く自分を選ぶ。
彩音のことを、正直理解できなかった。
人間の子を孕む楓の事も、見下している部分がある。
これから面白くなるっていうのに、自分から動けなくなってどうするのよ。
だから、マークが怒りに任せて発信したあの動画は、ただ一人自由に動けるしのんが、これから起こる全てのイニシアティブを握るための重要なステップとなるはずだった。
「それを、あの作家……!!」
大恥を掻かされた。
五桁の人数を動員し、それを一蹴された。
その光景をリアルタイムで動画で流してしまった。
彼らを煽ったあたしは道化だ。
あたしは恥をかかされた。もう表舞台に顔なんか出せない。人を笑わせるならいいが、人に笑われるのは我慢できない。
だから、殺す。
殺すしかない。
しのんの目に宿るのは、冷徹な猫科の肉食動物の光だ。
ただ、肉食動物は戯れに殺す事はあっても、殺すために殺さない。
しのんの決意はいかにも人間的であった。
彼女には従う手駒が数多くいる。
活動的で、派手な彼女には、若いシェイプシフターたちがよく着いて来た。
彼女に心酔しているとも言える。
だから、しのんは彼らを手駒として、尖兵として使い潰す。
敵はイヌガミの媛。
万全の対策をしたとしても、容易に倒せるわけが無い相手だ。
個人戦力としても、嵐華に次ぎ、並ぶ者は無いだろう。
「…………ッ!!」
だから、彼女が目の前に見えた時、しのんは激昂した。
己の美学を捨て、勝つためだけに装備を整え、殺すためだけに意識を先鋭化させたしのんの前に、イヌガミの媛は。
あろうことか、クリーム色のキャミソールを纏って立ち塞がった。
丈の短いスポーティなパンツの下には素足がむき出しになり、スニーカーを履いている。
「お前は、いつも……そうやって、あたし達を馬鹿にしてッ……!!」
漏れ出たのは憎悪の叫びだった。
しのんは命じる。
彼らが装着した補助装置が信号を発する。
イヌガミの媛を殺せ、と。
本来の目標である、綿貫という作家など既に眼中には無い。
目の前にいる気に入らないあいつを消さなければ、精神の均衡を保つ事ができない。
一斉にシェイプシフターたちが襲い掛かった。
既に、薬品を投与され、イヌガミの媛への恐怖は麻痺している。
何より、今の立夏はかつての姿とは違う。表情に人間らしさがあり、姿かたちはその辺りを歩いている少女と同じ。
威圧感など感じない。
だから、第一陣は変身することなく攻撃を開始した。
銃弾が、ナイフが立夏に迫る。
実に甘い見通しだったといわざるを得ない。
姿かたちがただの少女でしかなくても、それは化人の里不可侵の存在、イヌガミの媛の一人である。
銃弾が穿った地面には既に彼女の姿は無く、ナイフを持った一人が腕を捕られて地面に叩きつけられる。ねじれた腕が折れる音を立て、ナイフを取り落とした。
刃は立夏の手に移る。
一閃して、一人の喉笛を掻き切った。仰け反り倒れそうなそいつの胸倉を掴んで固定し、銃弾の盾にする。
さすがに薬物で麻痺した頭も、瞬時に二名を無力化されて僅かにクールダウン。弾も切れて攻撃に間隙が生じる。
その隙を見逃さない。
立夏は盾を離しながら壁面を蹴る。
ゼロからいきなりのトップスピードである。勢いのままに壁、天井を駆けて頭上から銃撃部隊を強襲、飛び降りざまに一人の脳天をナイフで貫いた。
着地しながら倒れ行くそいつの銃を周囲に向けて、その指ごと引き金を引く。
敵集団の中に降り立てば、回り全てか肉の壁となる。
立夏に攻撃を集める事が出来ない。
薬でハイになった頭で、シェイプシフターたちが同士討ちを始める。
立夏に攻撃が当たらなければ、攻撃は外れるか、圧倒的に数が多い仲間に命中する。
そして倒れた仲間からナイフや銃が抜き取られ、立夏の武器となってさらにシェイプシフターたちを殺戮する。
ナイフは使い捨てだ。
一人の鼠頚付近に付き立て、動きが鈍ったところで武器を奪う。
その武器で手近な相手の、もっとも柔らかな部分を攻撃する。内腿や首筋、脇の下、膝裏などである。
当座の戦闘力さえ奪えば、後で幾らでも止めをさせるし、肉の盾になる。
集団戦は、イヌガミの媛を相手取るには愚作であった。
「何してるの! 変身して襲え!! 殺せ!!」
しのんのヒステリックな叫びに応えて、何人かが端末を使って暗示を使用する。
だが、この隙すら立夏は利用する。
一瞬動きが止まれば、ナイフなり、銃弾が飛んでくる。
これで三人が殺された。
変身できたのは二名。
ともに猫科の肉食獣となり、指先には強化された金属の爪。当たれば立夏の肉体は一撃でバラバラになってしまうだろう。
彼らは銃弾をかわすように、壁を蹴り、床を低く走り、標的へ向かって襲い来る。
立夏が掲げた肉の盾を容易に肉塊に変え、返す爪で少女を引き裂こうとした。
数ミリの余裕を持って、立夏がかわす。既にその手には、黒いカードが挟まれている。
狗咆が残した武器の一つ。SS粒子を使った武器であり、立夏の纏う黒い霧によって活性化、変形する。
カードがナイフになる。その性質は単分子ナイフと等しい。
鋭さと速さだけで、振るわれたナイフが肉食獣の前腕を切断する。
ナイフを振り上げる動きに立夏の全身が追随し、飛び上がり、空中で反転、切り下ろす動きは必殺。
そのシェイプシフターが、真っ向から前頭部を切り飛ばされて前のめりに倒れた。
動きが速い、という次元ではない。変身したシェイプシフターと速度が変わらない。
同じ速さなら、より洗練されて迷いが無い方が勝つ。
壁を蹴って飛び掛ったシェイプシフターは、自明の理によって迎撃される。
既に反応していた立夏が、シェイプシフターの下を低く、低く体勢を変えて駆け抜ける。駆け抜けざまに剥き出しの腹をナイフで一文字に切り裂いていく。
切断された臓物を地面にぶちまけながら、獣が地面に着地し、そのまま崩れ落ちる。
ここまで30秒ほど。
既にしのんに手勢はいない。
「化け物めっ……!!」
心のそこから、しのんは思った。
甘かった。
既にあれを畏れるまでもない、などという考えそのものが傲慢だったのだ。
あれは、黒い霧の力など借りる必要も無く強い。
いや、かつて里にいた時以上にその力は磨き上げられている。
故に、しのんは奥の手を使う。
仕込んであったカプセルを口に運び、噛み潰す。
濃縮された、マッドPA-EX。マッドPAの効果をいじり、より先鋭化させたものだ。
シェイプシフターが獣化した際に発生する細胞組織と、人間の時の組織を滅茶苦茶に混ぜ合わせる。
獣と人間、双方の利点を得て、短時間のみ爆発的な戦闘力を発揮する。しかし、副作用は甚大。
場合によっては死に至る。
立夏が目を見張るのが分かる。
しのんの外見は一回り膨れ上がり、まるで人と獣の中間のような形になっている。
目立つのは、その尻から伸びた尻尾。
長く長く伸びた尾が、先端からすーっと二つに割れた。
薬物の過剰投与で遺伝子が混乱を起こし、しのんの肉体が先祖還りしたのだが、それを知る者はこの場にいない。
それは、既に爪葺しのんではなかった。
イヌガミの媛に匹敵する、化け物である。
咄嗟に立夏は黒い霧を呼び出した、
意思を持つSS粒子の雨がしのんに降り注ぐ。
だが、現代装備によって万全の防備を固めた彼女に、分解の力は効果を発揮しない。
立夏は霧の力を切り替える。
綿貫が行っていた、相手をそぎ落とすやすりのような使い方である。
即座に回転を始めた霧の中で、しのんは両手を広げる。その指先が不自然に膨らみ、先端を突き破ってナイフのように長く鋭い爪が生えた。
爪が霧を一閃する。
黒い回転が切り裂かれ、霧散していく。
立夏は信じられないものを見るように、目を見開いていた。
霧の浸食を防ぐための装備はあれど、生身の肉体で霧を撃退できるものなど、もう一人のイヌガミの媛、嵐華以外にはいない。
つまり、目の前の相手は嵐華に匹敵するということか。
しのんは既に、爪葺しのんとして思考していない。
それは、ここに新たに降り立った存在、妖怪とか妖物とか言う類の何かである。
故に、そいつはしのんの記憶をさらい、自らを猫又と定義した。
「うーん、いい線行っているけれど、瘴気任せじゃうちはやれないニャ」
しのんとは全く違う声色が、挑発的に言った。
霧を瘴気と呼ぶ。
言葉の合間に、立夏は飛び下がりながら、倒れたシェイプシフターたちから取り上げたナイフを投擲する。それら全ては銀のコーティングがされており、シェイプシフター達の肉体にも効果的なダメージを与えるのだ。
それらを、猫又は一つ一つ視認して、的確に回避した。
スウェーでやり過ごし、足を上げて通過させ、正中線を狙うものは爪で叩き落した。
回避行動をしながら、その肉体が加速する。
瞬時に立夏に肉薄した。
速度は明らかに立夏よりも速い。
立夏は即座に判断し、後方に身を投げた。脚力と全身のバネを使って、間合いを離したのだ。
だが間に合わない。一閃された爪が立夏のキャミソールを切り裂き、胸元に傷跡を刻む。
「うくっ……!!」
血が吹き出した。
だが、着地して立夏は怒りを燃やす。
綿貫からプレゼントされたキャミソールを破かれてしまった。
「このっ……! 真崎さんのくれた服……許さない、絶対許せない!!」
左手に赤いカードが現れる。それはすぐさま鉤爪の形に変わり、猫又を驚かせた。
「何ニャそれ!? 世の中はずいぶん進んだんニャねえ」
しみじみ言いながら、爪に付着した血をぺろりと舐めた。
対する立夏は炎でも吹きそうな目で猫又を睨みつつ、右手のナイフを構える。
それが突然伸びた。
いや、ナイフに仕込まれていたワイヤー様の仕掛けが発動し、立夏の手から飛んだのである。
「ニャニャッ!」
猫又はそれをギリギリでかわしつつ、即座に間合いへ飛び込む。だが、通り過ぎたはずのナイフが背後から来た。
慌てて反転し、ナイフを叩き落す。さらに振り向きざまに立夏へ一撃。
だが、それは赤い鉤爪によって逸らされて空を切った。
体勢が僅かに崩れたところへ、立夏が水月を狙って蹴りを繰り出す。
これを、猫又は足を振り上げてキックによってカウンター。
猫又の足を覆う靴は破れ、そこから突き出した爪が立夏の足を切り裂く。
「っ……!!」
立夏はたたらを踏んだ。
体勢を戻した猫又が飛び上がる。
壁面にぴたりと着地し、そこを足場に跳躍。
立夏はそれをナイフで迎撃しようとした。
猫又の爪はナイフに弾かれ、だが、続いて襲ってきたのは二股の尾。おろし金のようになった獣毛が立夏の腕を削ぐ。
「うあああっ……!」
立夏は気付く。
遊ばれている。
実力では負けていないつもりでも、身体能力では圧倒的に猫又が優っているのだ。
自分も変身しない限り、勝負にはならない。
だが、立夏は暗示による変身が出来ない。
父の方針だった。
月を見ての完全な変身以外、彼女には出来ないのだ。
「でも……行かせない……!! 真崎さんはあなたになんかやらせない……!!」
全身血まみれになっていると分かる。
傷は浅かったが、体力が確実に削られていっている。
それでも立夏の気力は萎えなかった。
絶対に、真崎さんを自分が守るのだと言い聞かせ、立ち塞がる。
「おお、いい心がけニャ。そうやって頑張ってくれた方が、遊び甲斐があるニャア」
文字通り舌なめずりをして、猫又は地面に降り立った。
さて、今度はどうやって料理してやろう。
もう片足をやるか、腕を一本もらうか。
それとも可愛らしい顔を切り裂くか……。
ニヤニヤ笑っていたら、突如、猫又の全身が総毛立った。
「お……おぉ……!?」
立夏の背後に、一人の男が立っている。
それはいかにも頼りなくて、覇気の無い、くたびれた印象の人間の男だった。
かすかに同類のにおいを感じたが、それもほんの香り付けくらい。
何の脅威にもならない、遊び相手にもならないゴミのはず。
だが、猫又はその男から目を離せなくなる。
「何ニャ、お前」
「立夏さん大丈夫!? 怪我してるじゃない。あー、ごめんなさい、僕が遅かったよ」
男は猫又を無視した。
というか、この場の空気を読まなかった。いや、読めなかった。
そう言う男なのだ。
「お、おまっ」
猫又が腹を立てて言い募ろうとした時、
「よし、ここからは僕の出番だ。僕は弱いけど強い奴には負けないぞ」
男が猫又がしゃべってる最中に被せて来た。
苛立ちに、猫又のひげがぴくぴくと痙攣する。
何なのだ、一体何なのだ、この全く自分とリズムが合わない男は。
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