第40話 お茶会会議
最近、立夏さんは小食になったなー、なんて思っている。
以前は僕二人分くらいの肉料理をぺろっと食べてたのに、近頃はぼくよりちょっと少ないくらいしか食べられなくなっている。
聞いてみたら、今までの食事の半分以上は、この黒い粒の維持にかかっていたらしい。
彼らが活性化して自前でカロリーを補給するようになったので、立夏さん本来の燃費で済む様になったとのこと。
ほうほう。
ちなみに立夏さんの体内にも、肉体と同化したあの黒い粒が存在していて、その力を使えるから、生身で並みのシェイプシフターを凌駕する運動能力を誇るらしい。
これは遅れてやってきた紅鮭談。
紅鮭のやつめ、嵐華さんを前にしたら、急に真面目くさり出した。
「嵐華さん、お付き合いされている男性はいるんですか」
直球だなあ。
「恥ずかしながら、この歳になるまでございません」
正直だなあ。
「では俺と付き合ってみませんか」
「まあ」
なんだなんだ、何が始まったんだ。
とかやっていると、立夏さんがお茶を入れて持ってきた。
お茶請けはざらめせんべいである。
とりあえずみんなで食べますかって事になって茶をすする。
「うわ、濃いなあ」
「渋いなあ」
「立夏、あなたどれだけ茶葉を入れたのですか?」
立夏さんは大体、計量ということをしない。
目分量で適当である。
なので、彼女が淹れるお茶は渋いか薄い。この両極端だ。
料理における塩コショウの量も、常に目分量。しょっぱいか薄い。
幸いお菓子は作れないらしいのでホッとしている。
不味くは無いのだ、不味くは。彼女の料理はご飯が進むし。
「真崎さんはいつもこれでいいと言ってくれます」
「まあ、綿貫先生。甘やかすばかりでは夫婦生活は上手くいきませんよ」
まずい、小姑だ。
なんかめんどくさい事を言って来そうな雰囲気になってきたぞ。
僕が紅鮭に助けを求める視線を送ると、我が親友は嵐華さんを熱の篭った目で見つめている。
こいつ、本気だ。この男が女性相手に本気になる姿を初めて見た。
そうか、こいつの好みは大和撫子でなおかつ知的な雰囲気で清楚でしかも長身の女性なんだな。
そりゃ世の中にはいないはずである。
明らかに彼女と頭一つ分以上身長差があるだろうに。
「おっしゃいますがお姉さま、恋愛経験では私の方がお姉さまよりも上です。即ち夫婦生活のいろはなら、私の方が実地で知っているので助言は頂戴しなくてもいいのです」
「まあ、なんという事を言うの。先人が本に残した知識とは偉大なものよ。自らの経験のみに奢る事なく、様々な書籍から知識を仕入れてこそ夫婦生活は上手くいくものだわ」
「机上の空論です、お姉さまの安楽椅子恋愛評論家」
「嘆かわしい、立夏は経験史上主義者になってしまったのですね」
この姉妹面白いなあ。
言い争いのようなのだが、お茶を飲み、お煎餅を齧りながら淡々と言い合いが進む。どちらも決して声を荒げたりしない。
退屈になったらしい黒い粒が、アシダカグモの形になって、部屋の隅で何やら茶色いシャカシャカ走るものとレースしている。
僕は目の端でそれを追っていたが、アシダカ粒が茶色いのを追い越して一撃で分解したのを確認して、また二人の口げんかに耳を澄ました。
「大体お姉さまは八年ばかり先に生まれたというだけで私にガミガミ言い過ぎなのです。蔵の中でお過ごしの時期が長かったのですから、人生経験だってもしかすると私の方が上かもしれませんよ」
「何故分からないのですか。本を読むという事はそれだけで先人の人生を追体験するという事です。私は閉じられた世界の中にいながら幾人もの人々の人生を追体験していたのですよ」
立夏さんは偉そうな事を言っているが、やっぱり趣味は読書だし、恋愛に関しても僕のこの間ラブホテルでキスした以降、全く何の進展も無い。キスもしてない。
嵐華さんに偉そうな事は言えないぞう。
「それに立夏、あなたはまさか、お料理の塩加減もいい加減なのではありませんか? それはいけません。綿貫先生が高血圧で倒れてしまいますよ。あなたは若くして未亡人になるつもりなの」
むっ、立夏さんの顔色が青くなったぞ。
これは勝負有りだな。
「そ、そんな、私の料理で真崎さんが高血圧に……」
ガタガタブルブル震えだす。
それはちょっと大げさなリアクションなのではないだろうか。
嵐華さんは優しい口調で、
「いいですか、立夏。ほどよい塩加減というものは、先人が書に記しています。今からでも遅くはありません。愛する人の健康のために、お料理の本を読むのです」
「はい、お姉さま」
姉妹は和解した。
美しき姉妹愛。うんうん、眼福である。
紅鮭も、ほうっとため息をついてるんじゃない。
「それじゃあ、落ち着いたところで、嵐華さんに聞きたい事があるんだけど、答えてもらえるかな」
「はい。私には自らの思う儘に動く事ができる権限が与えられています」
マークの統率する革新派において、唯一組織に組み込まれない存在。それが彼女というわけだ。彼女がここで、僕らに秘密をばらしたとしても、それは彼女の権限の範囲ということだ。
「ありがとう。それじゃあ聞くけれど、今回の件を指揮していたのって、マーク本人なのかい」
「はい、それで間違っていません。綿貫先生と立夏が、彼の側近であり恋人であった狗牙彩音を倒したので、マークからの反撃ということになりますね。この状況を作り出し、綿貫先生を追い詰めようとしたのは幹部の一人、爪葺しのんです」
しのんとは、僕を拉致したあの女性らしい。
なんという性格の悪さだ。人の嫌がる事をやってはいけない。
「それで、今後はこういう嫌がらせはまた来そうなのかな? 正直何度もこうやって撃退するのは結構日常生活に差し障りがあるんだけど」
「私どもも、このように綿貫先生が、何の躊躇も無く彼らを撃退するとは考えていませんでした。ですので、次なる作戦に移ると思います。同じ作戦の続行は無理でしょうね」
群集とは臆病なものですから、と嵐華さんは微笑んだ。
とりあえず僕の印象としては、マークは冷静さを欠いているようだった。
こんな世の中に、あからさまにマークの価値観を見せ付けるようなやり方は彼らしくない。もっと影から、民衆の自主性を煽るような形で変化をもたらしていくのが彼らしいやり方だ。
現に、彼があからさまに動く時は、全ての準備が終わった後である場合ばかりだ。
特に顕著なのはシェイプシフター革命だろう。
あれの後、世界は特に大きな変化は起きていない。
当たり前だ。世界は既に変化してしまっていて、あれはその変化が完了しましたという事後確認みたいなものなのだ。
それが今回は、僕という個人を狙ってのこの攻撃。
どうやら狗牙彩音という女性は、彼によって相当に大切な人だったらしいなあ。
「しかし、だとすると防戦一方というのはどうなんだ」
紅鮭が言う。
彼もマークに雇われて研究していたのだが、狗牙彩音に裏切られて、雇用関係を解消したらしい。
今はプーをやっていて、荷物をコンテナに預けてウィークリーマンション暮らしをしている。
「俺は気に入らんぜ。綿貫、やられっぱなしでいいと思うのか」
「まあ、まだ一回しかやられてないけどね」
「一回目を許したら、あとは二回目、三回目とどんどん奴らは切り込んでくるぞ。世の中受身でやっていけるほど甘くねえからな」
もっともである。
僕と立夏さんが安心して、今後夫婦生活を送るためには世の中が安定していなくてはならない。
「よし、それじゃあ独裁者を倒すか」
「やりましょう!」
「やるか!」
「あらあらまあまあ」
そう言うことになった。
この場に、その独裁者の最強の懐刀がいるわけなんだが。
ともあれ、ではどうするか、という段になって、みんなでうーんと考え込んだ。
「その辺はまた今度考えよう。今日はお茶を飲んで終了ってことで」
みんなが同意し、そこで今日はお開きとなった。
立夏さんがお代わりのお茶を淹れてくれたが、今度は真剣な目をして計量している。
濃さもちょうどよい濃さだった。
やれば出来る子なのだ、うちの嫁は。
しばらくして、まったりする事に満足した嵐華さんが帰っていった。
紅鮭とメアドを交換していたっぽいが、彼女も携帯を持っていたのか。
この二人は一体どんなメール交換をするんだろう。今度頼んで見せてもらおう。小説のネタになるかもしれない。
嵐華さんが去ってしばらくしても戻ってこないのを確認し、紅鮭が口を開いた。
「さて、本題だが、シェイプシフターの天敵みたいなもんなら、心当たりがある」
「ほう」
僕は驚いた。
紅鮭め、恋愛と個人的な復讐は別腹ということだな。
しかし、シェイプシフターなんていっても、半分は人間みたいなもので人間の強化系なわけだ。
連中の天敵なら人間の天敵にもなるんじゃないだろうか。
そういう思いをぶつけてみる。
「そこは問題ない。もっとも、シェイプシフターに対する効能は確認していないんだが……」
荷物はコンテナの中で保冷剤に包まれて保管してあるらしい。
「レトロウィルスの一種なんだ。人間に感染しても、インフルエンザの軽いの程度なんだが、動物に感染すると途端に変異する。一気に致死性の猛毒を発するモンスターに変わるんだよ。もし連中が、これに感染したまま獣に変身したらどうなる?」
なるほどなるほど。
だが、感染力とかどうなんだ。
下手をするとあらゆる動物が感染してしまうんじゃないか?
「粘膜による接触がなければ感染はしないよ。ないしは、相手が口をつけた食べ物を食う、とかだな。感染力が弱いが、なんとでもやりようがあるだろう」
「つまり、こいつでシェイプシフターを攻撃しようという事か」
「まあな。現状でシェイプシフターへの対抗手段は、マッドPAという、獣時の理性を失わせる薬なんだが、こいつにあやかってPERSとでも名付けようかと思っているぜ」
「ほほー」
感染力が弱いながらも流感しそうな名前だ。
ちなみに、立夏さんや嵐華さんレベルの超シェイプシフターとでも言うべき存在の場合、罹患しても全く問題ないだろうということだ。
彼女達の変化の度合いは、獣とかそういう次元ではないし、体組織もそもそも異なるらしい。
「彼女たちの場合、先祖還りとでも呼ぶべきかもしれないな」
「先祖と言うと……UFOの中のあれか」
「あの後調べてみたんだがな、UFOの組織自体がそこの黒い粒によく似ているんだ。つまりあれは、UFOに擬態した粒なんだよ。そしてこの粒がシェイプシフターの細胞の祖先と考えられるから、つまりはあのUFOはそのものがシェイプシフターってことだ」
「なんたる」
壮大になってきた。
「つまり、このウィルスは、退化して地球に適応したシェイプシフターの細胞のみに影響を与える。感染はするだろうが、伝染力も弱いし、上手くやれば一代でウィルスは死に絶えるかもしれんな。変異したらその限りじゃないが」
「変異の事を考えるとリスキーだなあ」
「まあ、ノーリスクとはいかんだろうなあ。インフルエンザ様の症状で死ぬ人間も出るだろうし。ミドルリスク・ハイリターンってとこだな」
「ふーむ、それしかないかあ」
僕らの話し合いを、立夏さんは横でにこにこしながら眺めている。
割と洒落にならない話をしているのだが、うちの嫁は犠牲は犠牲として割り切る性格だから、そういう物分りの良いところは大変助かる。
さて、それではどうしようか。
「UFOに行って見るか」
僕が呟くと、立夏さんも紅鮭も、賛同の意を示した。
さあ、いよいよ直接対決だ。
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