第35話 綿貫先生奪還作戦

 彩音がしのんの内通に気付いたのはつい先刻である。

 後をつけた部下が、彼女がプリペイド携帯を購入し、何がしかの操作をしている姿を確認している。

 しのんが連絡する相手と言えば一人、マークしかおるまい。

 ああ見えて、人心の細やかなコントロールなどは乗りに任せてやってしまう大雑把なタイプだから、しのんが送ったであろう支離滅裂なメールではなかなかマークは動くまい。

 それでもマークに状況の動きがあることが露見してしまっている。

 動かねばならない。


 予定は大幅に前倒しにされ、車が用意された。

 運転役には、特殊なグラスをつけたシェイプシフターが当たる。

 彩音はマーク以外の人間を信用しない。

 いつ、あの堂島のように、シェイプシフターを利用しながらも切り捨てようとする者が現れるか分からないからだ。

 この特殊グラスは紅鮭の研究成果を応用したもので、マークが傘下にした下町の工場が生産した試作品だ。

 月の光だけを捻じ曲げ、装着者に月と認識させなくするためのもの。

 ひどく大きくて重いから、実用性は非常に低い。

 だが、これを使わねばやっていられないのだ。


 特殊ワゴンが走り出す。

 窓ガラスにはシェードがかかっており、中を覗くことはできない。

 綿貫という作家と彩音、信頼できる部下が数名乗り込んでいる。

 この男を使い、里山の力をものにしたなら、置いてきた紅鮭は殺そうと彩音は考えていた。

 むしろ、綿貫すら、この力を複製できるものならば必要は無い。あとはこの作家に執着するイヌガミの媛さえ始末すれば、マークの地位を脅かすものは消えるだろう。

 深夜の街をワゴンが疾走する。

 このまま明け方前には、全ての事が終わるはずだった。


「おっ」


 急に、綿貫が声をあげた。


「……黙っていなさい」


 彩音は彼を睨みつける。

 手錠以外に拘束はしていない。このワゴンの外に音は漏れないようになっているし、シェイプシフターに囲まれて万が一にも逃げ延びることなど出来ないからだ。

 ただ、喋られるのが耳障りだった。

 故に、黙らせようとした時、


「彩音様!」


 助手席にいた部下が、動揺した声を漏らした。


「どうしたの?」

「車を追ってくるものがいます……!」


 カメラ映像。

 不鮮明だが、そこに映されているのは一台の自転車。マウンテンバイクである。

 それだけなら特筆すべきことでもない。

 問題は、マウンテンバイクを黒い霧のようなものが取り巻いていることだ。

 闇に紛れて見えないが、黒い霧はあたかも、ローマ時代のチャリオットにも似た、グロテスクなシルエットを形作る。


「イヌガミの媛……! どこで嗅ぎつけたというの……!? でも問題は無いわ。この車は密閉されているし、通機構もフィルターで粒子の出入りはありえない。それに、どんなに加速してもあれで車に追いつけるはずが無いわ」


 彩音は自ら窓をあけて身を乗り出すと、背後から迫るマウンテンバイクめがけ、拳銃を構えた。

 装てんされているのは銀をコーティングした弾丸である。

 SS粒子自体も、有機物の状態では銀に弱い特性を持つ。

 発砲。

 対象は大きい。狙いをつけずに撃っても、当たりやすいと言うものだ。

 チャリオットの一角が削れ、バランスを崩す。

 イヌガミの媛が何か叫びながら、失速していく。


「もう一発……!」


 狙いをつけようとしたときだ。減速していたチャリオットに、背後から登場する爆音が並んだ。

 ハーレーである。排気量1000ccを軽く凌駕するバイクが、深夜の静寂を破る轟音とともに走ってくる。

 霧が収まり、イヌガミの媛が何事か叫んだ。

 そのまま、マウンテンバイクが乗り捨てられ、イヌガミの媛がバイクに飛び移った。

 バイクに乗っているのは、どうみても堅気の人間とは思えない、巨躯の男性である。

 

「どういう……!?」


 あれもシェイプシフターなのか!? 彩音の思考は混乱した。

 イヌガミの媛に味方する勢力! あんな化け物に加担する者がいるのか!


「速度を上げなさい! 全速力で!」


 運転席に叫ぶ。

 強い焦りを覚えながら席に戻ると、綿貫がにこにこしていた。


「来てくれたなあ、立夏さん。やっぱり愛だなあ」


 ふざけるな、という気分になる。

 思わず綿貫の頬を張ろうとして、次の瞬間、ワゴンが大きく跳ねた。


「なに!? 何事!?」

「イヌガミの媛の攻撃です! く、黒い霧を丸めて……投げてきてます!!」

「でたらめ過ぎる!!」


 あの霧はイヌガミの媛が飼う魔物であり、彼女を守る鎧でもある。それをわが身から離して攻撃に転用するほど、彼女はこの作家を求めていると言うことか? 理解できない。

 だが、彩音も彼を手放すわけにはいかないのだ。

 もはや、伸ばせば霧が届く範囲に入っている。

 今この窓を開けるわけには行かない。

 そして、多くの人間が乗ったワゴンでは、あのバイクに速度で勝つことが難しい。

 ……ならば……!


 彩音が指示した。

 ワゴンはわざと速度を落とし、バイクと並ぶ。

 側面は家々が連なり、コンクリートの塀に囲まれていた。

 塀とワゴンで挟み込むように、バイクを圧迫していく。

 すると、がん、と窓ガラスが鳴った。

 バイクにまたがった男が何か振り回している。


「ヌンチャクだ! 編集長やるう」


 綿貫が解説する。

 でたらめ過ぎる。

 バイクが自分から、ワゴンに体当たりでぶつかってくる。

 その度に窓ガラスが、がんがんと叩かれる。

 防弾加工がされていて割れはしないが、窓ガラスと接続している金属部分がゆがみ始めてきている。


「あああああっ! もうっ……!!」


 彩音は気が狂いそうだった。

 どうしてこう邪魔が入るのか。自分は、マークのように物事を進めていくことが出来ないのか。

 それでも徐々にワゴンと塀の間は詰まっていき、バイクは挟み込まれるようになっていく。

 火花があがり、バイクが速度を落としたのが分かった。

 この隙にワゴンが加速する。


 そして、彩音にとっての救いがやって来た。

 有翼の白い巨狼が降り立ったのである。

 場所は既にハイウェイ。明るく地上を照らしていた十六夜月が雲に隠れた。

 狼はワゴンの上で咆哮をあげると、追走するバイクを見下ろした。

 イヌガミの媛の顔が緊張にこわばるのが分かる。

 圧倒的に足場が不利な状況で、もう一人のイヌガミの媛、嵐華が登場したのだ。

 この状況をひっくり返すことはまずできまい。

 白狼と黒い霧がぶつかり合う。

 だが、霧では白狼を崩すことはできない。

 状況が停滞するかと思われたときだ。


「先に謝っとくよ、ごめんね」


 突然、彩音は胸を揉まれた。

 全体を深く、あたかも味わうように満遍なくだ。

 一瞬頭が真っ白になり、悲鳴を上げる。

 胸を揉んだ綿貫を蹴り飛ばした。

 その勢いで、綿貫は対面にいた部下に頭からぶつかり、部下が昏倒する。

 綿貫は慌てて、その下にあったボタンを押し、窓ガラスを開けた。そして、叫ぶ。


「立夏さああああああん!!」


 イヌガミの媛の表情が変わった。

 バイクもまた、危険を顧みずに加速する。霧と白狼は鍔迫り合いを続けるままだ。


「助けます! 今! ぜったい!!」


 イヌガミの媛も声を張り上げた。

 加速するバイクの上で、運転する男の肩に掴まりながら、立ち上がる。

 すさまじい向かい風が襲ってきているはずだが、それをものともしない。

 白狼がワゴンの上から飛び降り、バイクへ襲い掛かった。

 イヌガミの媛は咄嗟に防御しようと霧を展開……いや、防御ではない。それはまるで網のように白狼を受け止め、速度を殺した。

 その背中にイヌガミの媛が着地して、駆けて行く!

 白狼の尻尾から跳ねると、先ほどまで白狼と押し合いしていた霧の一部が残って、まるでロープのようにバイクとワゴンを繋いでいる。

 彼女はそれを、躊躇無く駆け抜けた。


「このっ、殺してやる……!!」


 彩音が綿貫めがけて銃を構えたのが次の瞬間だ。

 この時には、既に立夏が窓の外にいる。

 窓枠に腕を引っ掛け、無理やり自分を押し込むようにして車内へと飛び込んだ。

 発砲。

 イヌガミの媛が綿貫の上に覆いかぶさり、作家には当たらない。

 媛の肩を僅かに削ったが、大きなダメージにはなるまい。


「させない……!!」


 霧の全てを外に置いてきてなお、イヌガミの媛が放つプレッシャー。

 彩音の部下たちはみな怖気づいた。

 運転を担当していたものが操作を誤り、ハイウェイの壁面めがけてワゴンがスピンする。

 彩音はワゴンの前面へ投げ出されながら、銃を何度も放った。

 綿貫とイヌガミの媛が、ワゴン後方へ転げる。

 イヌガミの媛がポケットからカードを取り出し、それを瞬時に変形させた。鉤爪になったカードがワゴン内面を引き裂き、付きこまれたナイフのカードがその刀身を外へ露出させた。

 霧が入り込む隙間が生まれる。

 即座に霧が流れ込み、硬化してワゴンの傷跡を大きく押し広げた。人が通れるほどに拡大した穴から、転がり落ちるように綿貫が落ちて、後を追ってイヌガミの姫が飛び出す。

 そして、ハイウェイ壁面へワゴンが衝突した。

 壁に亀裂が入る。


「逃がさない……! 絶対に、逃がさない……!!」


 衝突によって、頭から血を流しながら、彩音の戦意は落ちなかった。

 イヌガミの媛が何だと言うのだ。マークの、愛する男の道を切り開くことに比べれば、己の恐怖などどうということはない。

 半壊したワゴンから身を乗り出した彩音は、現れた月に照らされて狼に変わる。

 向かい合うイヌガミの媛の姿もまた、黒い狼に変じていた。


 月光の下、二頭の狼が向かい合う。

 互いに隙を探るように、半円を描いて歩みを進め……。

 ぴしり、という音が響いた瞬間、両者が動く。

 彩音は、己の中に眠っていた力を十全に使いこなしていた。

 狗牙の直系の血である。狼に変じる一族の頂点であり、その血筋ゆえ、才能も並みのシェイプシフターを凌駕する。

 イヌガミの媛を巻こうとする霧の動きが見える。

 それ以上の速度で走り、口に咥えたのは銃のマガジン。

 既に半ばは破壊してある。それを飛び掛りながら大きく振り回すと、内蔵されていた銀コートの弾丸がばら撒かれた。

 銀との接触を嫌がって、黒い霧が隙を作る。

 その中に、彩音は飛び込んだ。黒狼が迎え撃つ。

 体格で言えば、彩音のほうが大きい。

 体重のアドバンテージを生かしながら、押し込むように体当たりをかける。

 黒狼は避けようとしながらも、周囲にばら撒かれた銀コートの弾丸に触れ、かすかに動きが鈍る。そこへ、彩音のぶちかましが決まった。

 アスファルトを削るように、黒狼が地面をすべる。

 体勢を立て直す暇を与えない。

 彩音はさらに追いかけた。

 鼻面を、喉笛を、食い千切ってやる。

 肉食獣の感覚が脳裏を駆け巡る。

 なんと気持ち良いのだろう。自分はこの感覚を忌まわしく感じ、マークと出会うあの時まで抑圧し、押し殺してきた。

 今こうして彼を害する敵と戦える力があること。素晴らしい事だ。

 牙が宙を噛む。

 即座にイヌガミの媛が転がり、距離を離したのだ。

 こちらの体勢が崩れたところに、黒狼が体をねじ込ませてくる。

 牙を引っ掛けるように、相手の体をそぎ落とすやり方だ。

 肉を削がれそうになりながら、彩音はその反射を生かし、皮一枚でやり過ごす。そこに前足を振るって、返礼の爪をくれてやった。

 イヌガミ同士の戦いは、既に霧が介入できる速度ではない。

 噛み、削ぎ、引っ掛けて、当たり、すかし、刹那の暇なく攻防が繰り広げられる。

 この戦いの中で、彩音は不思議と、イヌガミの媛に同調感(シンパシー)を感じた。


 ……お前も。

 ……お前も、守るために戦っているのね。


 イヌガミの媛が化け物では無かったと言う事を、今更ながらに実感する。

 この娘は自分と同じ、人間を好きになってしまったシェイプシフターなのだ。

 彩音の牙が、イヌガミの姫の前足の肉をごっそりと削ぎ落とす。反撃で肩の肉を深く抉られたが、相手の機動力を奪った。

 同情はしない。

 ここで決着をつける。


 彩音は全身に力を溜めた。

 ほんの一瞬だけの停滞。

 そこに、闖入者がいた。

 巨大な黒い霧の塊を引き連れて、綿貫がそこに飛び込んだのだ。

 無論、二人の戦いはその飛び込みが間に合う速さではない。だが、走る綿貫の必死の形相を見て、彩音の意識は戦いのものではなくなった。

 黒狼が跳んだ。

 前足から夥しい血を流しながら、四肢を全開で用いて、その身を打撃の道具とする。

 捨て身の一撃が彩音をその場から跳ね飛ばした。


「こんなっ……!」


 空を飛び、そのまま、ワゴンの側面へと叩きつけられた。

 そのショックで、ぐらり、ワゴンが有り得ない方向へ傾いだ。

 もろくなっていたのか、ハイウェイの壁面が砕けていく。


「ああ」


 声を上げた時、彩音の姿は既に人であった。


「マーク、マーク。あなたは、王になって……」


 雲に隠れた月に手を伸ばす。

 ハイウェイが崩落する。

 ワゴンと、最初にマークを愛した狼の娘が、舞台から退場していく。


 夜が明けようとしていた。

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