第33話 黒い粒の冒険
黒い粒は主の命を受け、勇ましく旅立った。
主は、あらゆる生命の天敵である自分、黒い粒を正面から打ち破った勇者である。
黒い粒は主を畏れ、同時に尊敬していた。
彼が守っていた媛が、主の下に行くようにと命令を出した時、黒い粒は武者震いを感じたものである。
そして黒い粒は主の胃の中に鎮座し、時に食べ過ぎた脂や肉類を分解し、時に不要なアルコールを排出する手助けをし、胃に腸に、獅子奮迅の働きをしてきた。
内助の功という奴である。
黒い粒は己の仕事に誇りを持っていたし、こんなにも激しい食生活に晒される主の暮らしを憂えていた。
(媛さえともにおれば、主の健康状態は良好であっただろう)
だが、媛は主と距離を置くことを選んだ。
そういう年頃なのだろうと黒い粒は思う。
その黒い粒が、主から直々に命を受けた。
主に危機迫ると感じ、自ら嘔吐の流れに身を委ね、外界に出現した後である。
主は突然現れた自分に少しも動じず、媛に伝えよと命を下したのだ。
将の器であると黒い粒は思う。
黒い粒は主の友人であった男の白衣に紛れ、外へ出た。
主の友人を引きずり出した女が化人であることには気付いている。
彼らが内包している、弱いSS粒子反応を感じるからである。
黒い粒は慎重に、脱出の機会を待つ。
もう一人女がいて、その他大勢がいて、何やら会話を始めた。
黒い粒は影に隠れるようにして、すばやく主の友人を引きずり出した女の尻ポケットに忍び込んだ。
誰もまだ気付いてはいない。
さて、どうやって媛のもとへ行ったものか。
女が外へ出た。
黒い粒はここに至るまでのルートを把握する。
(さてはこの城、主を幽閉するためにあるのか)
黒い粒は女にくっついたまま建物の周囲を理解すると、そのまま風に乗って尻ポケットから脱出した。
ふわふわ漂ううちに、ビル風に打たれてふわっと舞い上がる。
やや高いところまで舞った辺りで、周囲の光景を把握した。
(なるほど、わからん)
黒い粒が思案にふけっていると、すぐ近くを何かワケノカワラナイモノが飛んでいく。
いわゆる無線操縦の超小型飛行機、ドローンという奴なのだが、黒い粒にとってそいつは大変に好都合だった。
黒い粒は形を変化させて流線型になり、風の中をドローンめがけて突き進む、
やがて、ドローンの腹にぺったりくっついた。
ドローンは黒い粒が出てきたビルの周りをぐるぐる周回すると、どこかへ向けて飛行を開始する。
夜のビルの合間を抜けて飛び、すぐに下降に入った。
駐車場がある。そこそこの広さの路地が面していた。
黒い粒はこの路地に覚えがある。
(媛と駆け抜けた道である)
ならば、ここを逆に辿ればいいのだと思いつく。
黒い粒はふわりとドローンから外れると、また風に乗った。
今度は、向こうでこちらを伺う者がいる。
野良猫である。
黒い粒は野良猫にターゲットを絞り、風向きの中を、すこしずつ近づいていく。
一見するとほこりにしか見えないから、野良猫の注目を集めない。
あわや、野良猫がドローンに興味を失い、立ち去るかという瞬間、黒い粒はその毛に取り付くことに成功した。
(間一髪であった)
野良猫が走り出す。
黒い粒は野良猫の体をよじ登り、その思考を少々操らせてもらうことにした。
もとより、黒い粒はシェイプシフターの細胞に近い働きをすることができる。
野良猫の組織に同化することもできるし、それが脳細胞であれば、思考の方向性も少しは操作できるのだ。
それなりに時間をかけて、黒い粒は野良猫の目から脳へ侵入を果たした。
涙の液に化けて侵入し、角膜から細胞に同化しながら、少しずつ変化を繰り返して眼球の中へ。
今度は眼球を満たすゲル状の液、硝子体と同化し、視神経へ到達。視神経の細胞に変身して、隣り合う細胞に高速で変身を続けながら、細胞と置き換わることで進んで行き……。
ようやく脳に達した。
猫の走る方角がくるっと変わる。
(さあゆくのだ、猫よ)
夜道の端っこを猫が走る。ひた走る。
やがて見えてきたのは主と媛が一泊したビルである。
ここまでやってきて、黒い粒は己が猫と完全に同化しそうになってきたので、慌てて元に戻る。
また複雑なルートを通って耳から脱出した。
猫はしばらく、なんでこんなとこに来たんだ、的な表情で首をかしげていたが、まもなく走り去ってしまった。
再び黒い粒は一人、風に舞う。
今度は、鼻歌交じりで自転車を漕ぐおじいさんが通りかかった。
(天の助け!)
黒い粒はすばやく、回転する車輪にへばりつく。
ひどく回って気持ち悪いが、これは速い。圧倒的に速い。
あっという間に、見覚えのある鰻屋までやって来た。
この時、黒い粒に電撃走る!
(媛の気配である!)
そこには、ぬぼーっとした印象の男性がいた。
手にはお土産らしい焼き鳥なんかの包みを持っている。
黒い粒は彼にも覚えがあった。
主や媛と行動していた男である。
てっきりシェイプシフターかと思っていたが、SS粒子の反応は無い。
シェイプシフターに非常に近いただの人間なのだろう。
黒い粒は素早く、彼が手にした包みにくっついた。
しばしの間、黒い粒は休息する。
(これほど濃厚な媛の気配をまとわり付かせているなら、やがて媛に到達するであろう)
全くその通り。
男はやや古びた一軒屋に辿り着いた。
「ただいまー」
と声を発すると、なんと現れたのは媛自身ではないか。
「おかえりなさい。あら」
黒い粒は思わず包みを離れ、媛に駆け寄った、いや飛び寄った。
(媛ー! 事件でござる!!)
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