第32話 王妃の策謀

 その書き込みに気付いたのは、彼とともに行動するようになってしばらくしてからだった。

 彼が配信した動画は常に非常に多くの再生数を叩き出し、たくさんの支持のコメント、あるいは熱心なアンチコメントが付いていた。

 それらの中に、時折異質な書き込みが混じっている。

 彼らはいわゆる固定ハンドルネーム、コテハンであり、遡れば、最初期の頃の動画からコメントを残す存在。

 動画の内容に具体的に触れる書き込みはなく、抽象的な賞賛と、謎めいた予言のようなものが書き記されていた。

 少し前に、『マークは頂点に立つ人』という書き込みがあり、確かにそれ以降、マークは飛ぶ鳥を落とす勢いで彼が望む夢を掌中に収めていった。

 だが、彩音は知っている。

 自分が削除してしまった書き込みがあるのだ。

『散文を書き散らすもの。媛を娶り、その子は王となる』

 訳が分からない。

 だが、マークが頂点という予言があるのに、それとは何の関係も無い者の子供が王になるという記述、これが気になった。

 不吉な文言に思えて、マークから管理者権限を委ねられていた彩音は、このコメントを削除してしまった。

 やがて、イヌガミの媛を従えたあの作家と出会ったとき、コメントに対する疑心は確信に変わった。

 鰯の頭も信心からと言うが、どんな不吉な要素も彼の行く道から取り除いてやりたい。

 その思いがあるからこその彼女の独断である。


 都内のあるビル。

 これは先月にマークが丸ごと買い取った、幾つかの建物の一つ。

 窓が無く、扉も一つしかない一室を、彩音は改造させて己が使う部屋とした。

 今、その場所に件の作家を閉じ込めてある。


「随分落ち着いているわね……」


 取り乱さない作家の様子が珍しかった。

 今までマークに協力していた紅鮭という研究者と知り合いだと知った時は驚いたものだが、こうしてマークの足元から、彼を危地に追いやる要素が生まれていくのだと実感できた。

 故に、紅鮭からは情報のみを引き出し、再び幽閉する。

 既にシェイプシフターに関する情報収集を彼に委ねる必要性は無い。

 狗牙の一族の末裔たる自分が、マークには付いているからだ。

 イヌガミの媛が作家と距離をとったと聞き、チャンスだと感じた。

 今は、あの男を洗脳するなりし、嵐華から取り出したSS粒子をカードなりにして、里山の地下へと赴くべきであろう。

 マークへの報告はまだしていない。

 集積した情報をまとめている段階だった。

 確証はあっても、利用するための算段が立っていない情報を、今のマークに報告することは出来ない、と彩音は考えている。

 彼は今、国家を運営する官僚組織に入り込んでいた。

 堂島の持っていた伝手を利用し、自らのイエスマン足りうる男を担当として引きずり出したのである。

 さらに、シェイプシフターを用い、世界の裏側に広がるネットワークを駆使して、金銭面からも各省庁に食い込んでいく。

 さながら、マークが手を伸ばすのは日本の影の王であった。


 シェイプシフターによる革命は成功している。

 革命の第一段階として、マークは全ての地上波テレビ局、新聞など各社を掌握した。

 最初は力による掌握だったが、それによって情報を操作することが可能となった。

 化人たちへのヘイトを適度に散らしつつ、ゆっくりと、隣にシェイプシフターがいる世界を当然に変えていく。

 情報の浸透、広報戦略に関して、マークはプロフェッショナルである。

 自らが配信していた動画の手法を拡大し、洗練し、情報操作に用いていく。


「せっかくここまで来たのだから……彼の支配を磐石としておかねばならないの」

「はい」


 彩音に従う、若きシェイプシフター達の姿がある。

 夜が明ければ、彼らが綿貫という作家を連れ、里山に赴く予定だ。

 今宵は十六夜。

 月の力が強く、夜間の外出は車を用いるには危険である。

 車内で獣に変じてしまえば、運転などとても出来ない。

 シェイプシフター達の変身は、暗示によって行われるが、その暗示の大本となるイメージは月である。

 彼らはより満月に近い月を見ることで、その変態を半ば強制的に発生する。


「いやあ、大変だったよう。月を見ないように、光を浴びないようにって、ビルの陰を来たからさあ。でも彩音ほんとにいいわけ? マークに伝えといたほうがいいと思うよ」


 綿貫をさらってきた、しのんが言う。


「まだ伝えられる状態じゃないわ。私たちだけでも、ちゃんと彼の助けになるっていうことを示していかないといけない」

「背負い込みすぎだとおもうけどなあ」


 しのんの言葉に、彩音が険しい視線を向けてきたので、彼女は慌ててその場から退散した。

 最初のメンバーの一人として、革新派の中では破格の裁量権を持っているしのんだったが、言わばマークの側近中の側近である彩音に睨まれては、どんなことになるか分かったものではない。


「あの子真面目だからねえ。思いつめちゃうと一直線でむしろ危なっかしいのよね。癪だけど、旦那様に一報いれとくか」





 一仕事を終え、それなりにカチッとした格好でレストランを出てきたマークは、スマホにメールが入っていることに気付いた。

 アドレスに見覚えは無いが、この名前の法則性は誰なのか分かる。

 しのんだろう。プリペイド携帯を使って連絡を送ってきた。どうやら、仲間には知られたくない報告と見える。


「どう……したの……?」


 彼の秘書として付いてきていた楓が首をかしげる。

 マークたちのアジトからは少々離れた地方都市である。

 これから二人で、滞在先のホテルに帰るつもりだった。無論、部屋は同室、今夜はお楽しみ予定である。


「いや、しのんからだ。これは何かあったな」


 メールの文章は、頭を抱えたくなるようなばかばかしい暗号になっていた。

 ヒントはたぬきだそうだ。

 苦笑しながら読みつつ、マークの目つきが真剣になっていく。


「彩音が暴走してるってことか。相変わらず言葉足らずでよく理解できないが……戻ったらあいつに言って聞かせないといけないようだな」

「今すぐ……帰る……? こ、今夜は……?」

「いや、明日も会食があるからな。それにここで集めたい情報もある。自分の足で歩くことも大事だからな」

「う……ん。今夜……も、大事。とっても……大事」

「わかったわかった」


 笑いながら、マークは楓の肩を抱き、タクシーに乗り込む。


「さて、しのんに何とか連絡をつけないといかんな……」


 しのんが回りくどい方法を使って連絡してきたと言うことは、状況にある程度の深刻性があるのだろう。

 他のシェイプシフターを使う手などを考えつつ、マークは楓の香りの中に没入していく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る