第31話 一時別居と大異変

 あの後、立夏さんが家に戻る、という話になって、ちょっと忙しかった。

 思えば立夏さんの様子もちょっと情緒不安定だったし、マリッジブルーというやつだろうか。

 まだ結婚してないが。

 用紙はいつでも提出できる状態になっているので、大切に保管しておいて、僕は彼女に少しのんびりしてくるように言った。

 驚くべきことに、立夏さんは山本氏の家に下宿していたらしい。

 山本氏の奥方やお嬢さんとは仲がいいらしく、里から出てきたばかりで都会女子の常識を知らぬ彼女に、奥方とお嬢さんは女子力なるものを教え込んだらしい。

 それがあの男らしい料理に帰結するのか。


「一人でご飯食べれます? 好きなものばっかり食べると、栄養が偏りますからね。お洗濯は溜めないようにしてください。週に一度はお掃除してくださいね」


 非常に心配されている。

 悪い気分では無いのだが、そういえばその辺のお世話は立夏さんに結構お任せしてたなあ、なんて思うのだ。

 ということで、彼女いわく、あくまで短期間だけお休みをもらうと言うことで、大きな荷物は僕の部屋に置いたまま、最低限の衣類と愛読書だけ持って去っていった。

 久々に一人になると、部屋はガランとして……はいないな。うん。

 立夏さんの荷物が残っているので、やや手狭な感じは変わっていない。

 彼女が戻ってきたら、そろそろもう少し広い……2LDKくらいには引っ越したほうがいいかなあ。

 それとも、子供が出来ることも考えてもう少し広いほうが……。

 とか思ってキーボードを叩いていたら今月の分の原稿が出来たので、メールで送った。

 立夏さんは半月くらい休むようで、僕の担当は別の人になっていた。


 なんだかんだ言って仕事が忙しくなり、そのうち、僕の書いていたエッセイがカルトな人気があるということで、とあるウェブサイトに取り上げられた。

 その頃はエッセイの単行本を出したばかりだったから、思ったよりも売れて、印税が入ってきた。

 そうしたら、このエッセイをドラマ仕立てにして、深夜帯で5分くらいの寸劇を放送すると言うので、僕は原作者として関わらざるをえなくなり、以前のように気楽に日々をすごすわけには行かなくなっていった。

 立夏さんがいなくなったら寂しくなるなあ、なんて思いつつ、二ヶ月くらいはばたばたしたまま通り過ぎていった。

 無事収録が終わり、いざ番組の打ち上げが始まると、出演者一同僕を先生先生と呼ぶ。

 僕は人付き合いが極めて苦手なので、こういう持ち上げられ方をすると非常に居心地が悪い。

 引きつった笑顔を浮かべつつ、飲めないお酒を受けてぐでぐでになっていた。


「綿貫先生、お隣いいですー?」


 声をかけられて顔を上げると、猫っぽい印象の女性がいた。

 確かこの番組のスポンサー企業の人だったような……。


「この度はおめでとーございまーす」


 乾杯を要求してくるので、僕もふらつく手でグラスを掲げたら、ぽしゃっと落ちて僕の服に全部かかってしまった。


「あっ」

「あー! 大変! 汚れちゃいましたねえ。すみませーん、店員さーん! 拭くもの持ってきてー」


 店員が布巾を持ってきて、それで彼女は僕の服を拭いてくれるのだが、そうしながら何やら他愛も無いことをくちゃくちゃ喋って来る。

 最近のテレビの話とか、どこどこのスイーツが美味しいとか、最近行った旅行がどうだとか。

 僕はそういう話も非常に苦手なので、うんうん頷くだけだった。

 なれないアルコールが回って大変に眠い。


「あ、先生おねむですねー。すみません、なんか先生眠いらしいんで、連れて帰りますねー」


 僕は朦朧としてくる意識の中、腕を取って立ち上がらせられた気がする。

 そのまま、タクシーを呼ばれて車の中に詰め込まれた。

 どこかへ運ばれていき、ハッと気が付くと胸がむかむかしてどうしようもない。

 これはやばい、と思って手近にあった容器にげーっと戻した。

 一通り胃の中のものを吐き出すと楽になった。

 口元をぬぐいながら周囲を見回すと、そこは真っ白な部屋で、パイプ椅子とテーブル、容器以外は何も無い。


「なんだこれ」


 そう呟いた。

 

「尋問室だなあ」


 返答が返って来る。二ヶ月ぶりである。紅鮭が青い顔をして椅子に座っていた。


「どういうことだ?」

「悪い、酒の勢いでこの間のこと、クライアントにちょっと漏らしちまったらこの有様だ」

「怖いなあ」

「連中、あの里のUFOを狙ってるんだ。お前がSS粒子に言うことを聞かせられるのも知ってる」


 だが、あの空間へはどうやっても到達できない。

 それはそうだ、あそこに行くには、粒子のカードを使わないといけないのだ。

 粒子のカードを作れる人間そのものが極めて限られている。

 だから僕を拉致してきたということらしい。


「じゃあ、僕にやらせようって言うのか。でも、肝心の粒子がないだろう」

「それがあるんだとよ」


 紅鮭はいやに饒舌だった。

 多分、自白剤みたいなものを打たれているんだろう。

 僕との会話の中でどんどん情報を口にしていく。

 この聞かれてるんだろうなあ、とは思う。

 そして、紅鮭のクライアントが誰なのか、薄々分かってきた。


「これは当てずっぽうなんだが、お前のクライアントってマークか?」

「その通りだ。3年以上前から組んでいろいろやってる」


 この言葉の直後、扉が開いて僕を連れ込んだ猫っぽい女性が現れた。


「紅鮭さん困りますよー、そんなところまで喋っちゃってえ。あ、ほら、綿貫先生、彼今正気じゃないんで、あはははは」


 そう言うと、彼女は抵抗するそぶりの無い紅鮭を後ろから抱えて、ずるずる引き摺っていった。

 僕は後を追おうとしたのだが、どうやら僕の足には床に繋がった錠が付いていたらしい。

 ガチャンとなって、ちょっとした距離しか動けなかった。

 そんな僕の視界の端で、げーっと戻した容器から、ふわふわと見覚えのある奴が出てきた。

 あの粒である。

 黒い粒がふわーっと持ち上がると、僕のほうにふわふわやってきた。

 こいつ、もしかしてずっと僕のおなかの中にいたのだろうか。

 道理で最近、胃もたれとかが全くなくなっていたはずだ。

 ドラマ関連の打ち合わせやら何やらで結構な暴飲暴食をしていた気がするが、体重は増えていなかったし体調もいい。

 余計なものをこいつが分解してくれていたのだなあ。


「と、そんな場合じゃない。お前、助けを呼びに行ってくれ。このままだと僕もだけど、紅鮭が危ない。あと、里山も危ない」


 黒い粒は僕の言葉が終わるまでふらふらしていたが、指示を理解したらしく、突然凄い速度でびゅっと加速した。

 そして、紅鮭のポケットに収まると、一緒に外に出て行く。

 やれやれ、これでどうにかなるといいんだが。

 僕は部屋を見回し、トイレが一応あることを確認すると、とりあえず一眠りすることにした。

 最近、襲われたり死に掛かったり……実際ほぼ死んでいたらしいが……恐ろしい粒子と戦ったり、起伏の乏しかった僕の人生が突然アップダウンに満ちたエキサイティングな事になっている。

 慣れてしまったというか、だからこそなのか、この場もどうにかなる。そんな予感が僕の中にはあった。


 願わくば。

 僕が思い浮かべるのは、一人の少女の顔だ。

 ……彼女に届くといい。

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