第30話 里山の秘密
紅鮭は昼近くになってからようやく目を覚ました。
この研究室はシャワールームがついていたので、それまでの間に、僕も立夏さんもさっぱりしてテレビなど見ていた。
紅鮭は何かうごごごご、と唸りながらおにぎりとお茶を胃袋に収めると、ふらふらとコーヒーメーカーに近寄っていった。
奴は毎朝、濃いコーヒーを淹れてミルクと砂糖たっぷりで飲むのである。
僕と立夏さんの分も淹れて貰い、僕のはミルク多めで、立夏さんのは薄めて砂糖多目にした。
朝に掃除機から開放した黒い奴……霧というには粒が大きすぎるのでそう呼ぶことにした……の話をすると、紅鮭はいたく興味を惹かれた様子だった。
少し出すだけなら立夏さんの言うことを聞くというので、一粒だけ出して調べてみることにした。
こいつら、どうやら普段は透明になって立夏さんの周りに浮いているらしい。
何らかの理由で活性化すると、あの恐ろしい分解能力を発生するのだそうだ。
黒い粒を薬品に漬けたり、試験紙を載せたり、顕微鏡で覗いたりしていた紅鮭だったが、むうーと唸ってシャーレに入った粒を返却してきた。
「どうした」
「いやな、驚きだよ。こいつは生物なんだが、無生物でもある。有機物でもあり無機物でもあるんだ」
「わからん」
「何らかの理由で、無色透明な無機物状態と、黒い有機物状態になることが出来るってことだ。あとは詳しいことはわからんなあ。同化現象じみたことを引き起こすから、狼男どもの組織に近い物質だってことは確かなんだが……」
そして、こいつは細胞ではない、と言った。
だとしたら何なのだろう。立夏さんを見る。
きょとんとしてこっちを見返してきた。僕もずっと見てると、立夏さんは首まで真っ赤になってまたそっぽを向く。
うーむ。
「小さい頃から、私、の周りに、いたので」
かすれかすれにそれだけ言った。
うーん、これはこれで可愛いんだけど、立夏さんらしくないなあ。
「まあ、ゆっくり時間をかけて付き合ってけ、綿貫。そのうち慣れてくるだろ」
どういうことなのか。
「しかし参ったな。こいつは一体なんなんだ? 俺が診てきた狼男の組織に似た反応を示すかと思えば、次の瞬間にはガラリと変わりやがる。まるで変身してるみたいだ」
「シェイプシフターだからなあ。みんな変身するんだし、珍しくもないんじゃないか」
「みんな変身、なあ。………待てよ、なんでそのシェイプシフターはみんなでこぞって里に住んでたんだ?」
「昔からの住まいだからじゃないの?」
「いや、何かそういう、なんとなくじゃない理由があるものなんじゃないか。なあ、あんた。ええと、駒胞さん?」
「あ、はい」
紅鮭に対しては、いつもの立夏さんだった。
「あの土地は、私たち化人の祖先が降り立った場所だと言われています。世界には幾つもそういうところがあって、決まってその国の化人が集まる場所になっているんです」
「言い伝え、伝説か……」
「今はもう、焼けちゃってはげ山だぞ。うだうだ悩むなら行ってみればいいだろう」
僕が言うと、紅鮭はもっともだ、という風にうなずいた。
「それもそうだな。行くか」
午後の予定が決まった。
紅鮭のクライアントの伝手で、なにやら国の方から協力がやってくることになった。
正確にはクライアントを飛び越えて、そこと繋がっている国家の保安部署から人が派遣されてきたらしい。
そのお役人は、わざわざマイクロバスを運転して、僕らを出迎えてくれる。
彼は公安保健部の司上(しがみ)と名乗った。なんと昔から国に仕えるシェイプシフターだと言う。
小太りな体をスーツに包んだ彼は、
「いやいや、綿貫先生と狗咆の姫をお迎えできるなんて光栄ですよ」
なんて言っていた。
怪しい奴だが、よくよく考えればいやにシェイプシフターに詳しい紅鮭も怪しいし、そのシェイプシフターが恐れるお姫様とずっと一緒にいる僕も怪しい。
なら問題ないか、と思って乗り込んだ。
驚くべきことに、マイクロバスには備え付けのお菓子がたっぷり積んであった。
「私のおやつでして」
司上が言った。自由に食べていいらしい。補充も出来るが、きちんと領収証をきって欲しいということだ。
これ、税金で買ってるのか。
だが買ってしまったものは仕様が無い。僕らが有意義に消費せねば。
みんなでスナック菓子をぱく付き、お茶を飲みつつ、マイクロバスが行く。
途中、司上が「カラオケでもどうですか」とマイクを出してきた。
国のバスなのにカラオケついてるのか。
僕はあまり歌を知らないし、紅鮭はカラオケに興味が無い。立夏さんはそもそもカラオケを知らない。
ということで、それは無いことになった。
司上がお気に入りの曲をかけて、それをBGM代わりにまったりバスが行く。
風景が都会から、田舎に変わっていく。
見覚えのある道を走り、向こうに地蔵尊が見えてきた。
「ストップ」
僕は車を止めさせた。
「立夏さん、いい?」
「はい」
許可をもらって、地蔵尊に近づいていく。
ここはこの間、僕と立夏さんが里から脱出した抜け道なのだ。
お地蔵様の後ろをほじくると、持ち上げるタイプの蓋がついていた。
今、よくよく見てみるとなんとも不思議な材質の蓋だ。金属でもプラスチックでも、ましてや木でもない。
「おお……!」
司上が目を丸くしている。
この抜け道のことを知らなかったらしい。
懐中電灯が欲しいなと思ったら、ライト付きヘルメットが出てきた。便利だな国家権力。
僕らは抜け道に入り込み、どんどん進んでいく。
逆側から歩くと、一本道とはいえ、全く印象が違ってくるものである。
ふと、道の形が歪になっているのに気が付いた。
里の側からやってくるとあまり分からないのじゃないか。ツチノコみたいに、この部分だけ脇が膨れている。急に里側で太さが戻るので、出口からやってこないと気づかないと言うわけだ。
その壁際に、スリットのようなものがあった。
「立夏さん、この抜け道って古いの?」
「は、はい! えっと、お爺様が子供の頃にはもうあったそうで」
「うーん……どう見ても、カードキーのスリットに見えるんだよなあ」
僕は立夏さんの言葉を聞いて唸った。
「あの黒い粒で、カードみたいなの作れないかな?」
なんとなく思いついて言ってみた。
黒い奴は立夏さんを包んで、大きな狼みたいなものに変身させていたし、分解するだけでなく、自分たちで何かに変身することもできるはずだ。
そう思ったら、手の中に黒い奴らがやってきて、勝手にカードになった。
「おっ! 立夏さんありがとう」
「いえっ、私、なんにも命令してない……」
「えっ?」
じゃあこいつら、今、僕の言葉を聞いて動いたって事か?
まあいいや。すぐに思い付きを試せるなら好都合だ。
僕は、黒い奴を見て引きつる司上や、興味深そうに僕と立夏さんと黒いのを見る紅鮭を横目に、カードをスリットに通した。
すると、ただの壁にしか見えないところが、まるでLEDが仕込まれているかのように緑色に丸く点灯した。
点灯している部分をなぞってみる。
指が触れると、そこが亀裂になった。
すっと裂け目が広がり、人が一人通れるほどの楕円になる。
これは、入り口だ。
「おいおいおい、これはこいつは、もしかして」
紅鮭がにやにやしている。
司上はぽかんと口を開けて、
「そんな、まさか。こんな突拍子も無い……!」
とか言っている。無視して進むことにした。
中に一歩踏み出すと、明かりが灯った。
背伸びすれば届くくらいの場所に、赤、青、緑のカラフルな照明である。だと言うのに、屋内を照らす光は白かった。
僕は立夏さんの手を取って、中へと誘う。
「あ……なんだかここ、懐かしい気持ちがする……」
立夏さんの表情が和らいだ。
彼女は何かに導かれるように、みんなを先導して歩いていく。
通路は下っていたが、道は緩やかなスロープだった。足元が動いている気もする。
やがて、大きな空間にやってきた。
光に満たされたそこは、足元がガラス張りのようになっている。
透明な床を通した下には、黒と白に明滅を繰り返す、あの黒い粒のようなものたちがひしめいていた。
「こいつは……UFOだ……!」
僕が言うと、紅鮭は力強く頷いた。
「なんてこった、狼男どもの里は、UFOの上に出来てやがったのか! じゃあ、あいつらの出鱈目な細胞構造だって合点が行くぜ!」
「シェイプシフターは宇宙人だったんだよ!」
「な、なんだってえ!!」
司上が叫んだ。
まだ若いのに分かってるし、乗りがいいなあ。なんか素で叫んだようにも見えたけど。
司上と並んで、立夏さんも呆然としている。
「宇宙人……それじゃあ、子供を作れない……」
不安げにちらちら僕を見る。
「いや、シェイプシフターっていう連中は、体質的にはもう人間と大差無いからな。今までだって交配して子孫を残してきたんだから、問題なかろう」
「??」
首をかしげる立夏さんに、紅鮭はちょっと屈んで目線をあわせ、
「ちゃんと子供作れるって言ってるんだよ」
「良かった……!」
うーむ、立夏さん情緒不安定だなあ。以前の「それがどうした」的な感じが無くなっている。
「僕は立夏さんが宇宙人でも全然ウェルカムだぞ」
そう言ったら嬉しそうな顔をした。
彼女の感情に合わせてか、黒い粒たちが現れては消えて、点滅して見える。
君たちは物騒だからあまりちょこちょこ出てきて欲しくないなあ。
「あなたが撃たれて、その、私がパニックになって、ずっと眠っていたこの子たちが活発になってしまったみたいです」
なるほど、今までは単純に不活性化していたんだな。
すると足元が微かに振動していることに気付く。
見下ろすと、ガラスの床に阻まれた地下で、白黒に明滅する粒が立夏さんを取り巻く黒い粒に反応しているではないか。
「これはもしかすると同じ奴なのかもしれないな。どうしてここにあるものと、立夏さんが同じものを引き連れてるかは分からないけど」
「我々よりも先に、ここで研究を行っていた形跡がありますよ。つまりはそういうことではないかと」
司上が手に、一冊のノートを持って現れた。
この空間の中を歩き回っていたらしい。
紅鮭がノートを開いてみると、複雑な公式や、殴り書きでこの粒に関する推論、実験結果などが記されていた。
「あちらにありましたよ。どうやら里にも進歩的考えを持った方がおられたようだ」
司上が遠い目をした。
彼なりにこのノートの主にシンパシーを感じているらしい。
ノート内容は、この粒の解析に大部分が割り振られている。これらが持つ能力は、分解と再構成、そして同化。これらは無機物であり、状況に応じて有機物へと変化する。どうやら、意思らしきものを持っている、など。
仮に、粒はSS粒子と名づけられている。
SS粒子は意思を持ち、同時に人の意思に反応する。
心を読む、というレベルではないが、空気を読む程度には反応するのだ。
さっき黒い粒……SS粒子が僕の考えを読み取ってカードになったのも、いわば空気を読んでそうなったらしい。
ノート内容を読み進める。
SS粒子に意思を伝えるには、その意思に雑念が少ない方が伝わりやすい。
つまり、大人よりも子供、子供よりも赤ん坊であるほうが、直接的に粒子に意思を伝え、彼らの動作をコントロールできるというのだ。
この実験に、ノートの主は自分の子供を使ったらしい。
生まれたばかりの赤子を粒子に漬け、その意思に従うかを調べたらしい。
赤ん坊の欲求は、最も原始的なものだ。
粒は赤ん坊のおしめに変化したり、哺乳瓶になったりしたようだ。だが、食べ物にはなれないらしい。
赤ん坊が成長すると、驚くことにSS粒子と赤ん坊であった子供は同化し始めた。
その子供の中に粒子が住まうようになったのである。
子供はシェイプシフターとしてはありえないような能力を行使できるようになった。
曰く、狼に変身する系統でありながら、周囲の有機物を分解、再構成して狼に有り得ざる器官を作り上げる。
曰く、変身する前の状態でも、自らの肉体を変化させ、その材質や硬度までも変えてしまう。
この研究は里にばれ、危険と判断されて子供は幽閉されてしまったようだ。
実験は次の段階に移る。
ノートの主はもう一人の自分の子供を実験台に使った。
この子供は、どうやらSS粒子とは同化しなかったようだ。
その代わり、この子供はSS粒子との強い共感性を発揮した。
粒子の力を、自分だけではなく他者にも及ぼし、他のシェイプシフターさえも分解してのけたのである。
しかし、再構成は少々苦手のようだった。
破壊に特化した能力と言うことになる。
言うまでも無い。
立夏さんと、彼女が話してくれた姉、嵐華であろう。
そしてノートの主は、狗咆の主だ。
彼のノートは何冊もあり、最後の一冊は半ばほどで途切れている。
そこに気になる言葉があった。
『私は理解した。粒子はこの空間の子供であり、我々もまたこの空間の子供なのだ。空間はかつて遠い過去に飛来し、里山と一つになってここにあった。里山は生きている』
「これもうわかんねえな」
紅鮭が首をかしげた。
立夏さんはというと、自分の力の秘密が明かされて、えらくショックを受けているようだった。
「これは、魔物ではなくて、そんなカガク的なものだったんですね……」
「御伽噺的なものじゃなく、サイエンスフィクションだったねえ」
「そんでどうするんだ? お国としては、こんなもん放っておけまい?」
紅鮭が探るような目線を司上にやった。
司上はフーム、と考えて、
「止めておきましょう。こんな技術、今の世界には必要ない。私としては、里山で発掘したお土産があればそれで上を満足させられるので」
こいつ、自分の考えで動いているのだろうか。
「私もわが身が可愛いんですよ。マークがやってくれた事件で、公的機関内におけるシェイプシフターの肩身は狭くなりましたからね。こんな我々の危険性を煽るような情報を持って帰って、わざわざ自分の首を絞めたくない」
本来、現状維持が一番すきなんです、と司上は言う。
そして、狗咆の主が作ったらしい、幾つかのSS粒子を使ったおもちゃを手にすると、それをカバンに詰め込んだ。
立夏さんはそれに対して、何の感慨も無いようだ。
司上がいそいそ仕事をするのを見つつ、手持ち無沙汰そうに壁に寄りかかった。
僕と紅鮭は、ちょうど残るノートの読破をしようとしていたから、一瞬その反応に気付かなかったのだが。
「あっ」
という立夏さんの言葉に振り向くと、そこには立夏さんが二人いた。
正確には、僕の知る立夏さんと、半透明なガラスみたいな立夏さん。
ガラス立夏さんは本人が驚く姿を見て、楽しそうにくすくす笑った。
そして僕らを見て、手を振ったあと、壁に溶け込むように消えていった。
「待て待て待て、こりゃなんだ」
紅鮭が目を剥く。
「今の奴はこの壁から生まれてきたのか? なんでだ? どういう反応だ?」
だがその後、僕らがどんなに壁を叩いても、なでても、なだめすかしても、何の反応も無かったのである。
僕たちは大量のノートと狗咆の主の研究成果を手に、里山を後にした。
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