第29話 いかにして彼女は恋に落ちたのか~総集編的サムシング~

 意外にも、一番に目覚めたのは僕だった。

 あの後、僕たちは紅鮭の職場に泊まった。帰らなかった理由は簡単、疲れたからだ。

 昨晩ここに帰ってくると、紅鮭がダンボールを床に敷き始めた。寝袋は無いのかと問うたが、


「ないぜ」


 とか答えてきたので仕方なくそこで寝た。

 ダンボールだけはたくさんあったので、割と暖かくゆっくり寝た気がする。

 山本氏は一番最初に寝入った。ダンボールを筒状に作って中に納まっている。

 ……やはりこの男はうなぎなのではないだろうか。

 僕は幅広めのダンボールをもらい、立夏さんとの寝床にした。

 立夏さんは僕の上着を上から羽織っているが、サイズがさすがに違うからぶかぶかだ。

 最低限の下着だけはコンビニで買ってきたが、なかなか女性用の下着を僕のような妙齢の男性が手にするのは気恥ずかしい。

 彼女は僕に抱きついて来たはいいが、その後ちょっと放心状態になり、紅鮭の職場に戻ってきて初めて人心地がついたようだ。


「…………」


 気が付くとじーっと僕を見ているのだが、目が合うとぷいっと目を逸らしてしまう。

 ……なんだなんだ!? こんな反応は初めてだぞ。

 僕の隣から動こうとはしないから、嫌われたのでは無いと思うのだが。

 それを見て、紅鮭はにやにやしていた。

 立夏さんは耳を真っ赤にして、ずっと僕の横で俯いていたのだが、すぐに船を漕ぎ出した。

 今日は大暴れしたし、疲れていたのだろう。僕が彼女を横たえてあげると、すぐに寝息を立て始める。


「なーるほどなあ。良かったじゃねえか、綿貫」

「?? どういうことだってばよ」


 紅鮭は顎を撫でながらにやける。

 こいつは人相は悪くは無いというか、整えれば美男子に入る部類なのだが、容姿の手入れが雑な上に性格はエキセントリック、そして仕草が一見して粗暴なので、こうしてシングルでいるのだ。

 それなりに恋愛経験は積んできているそうなので、僕と立夏さんの関係に何か思うことがあるのかもしれない。

 ちなみにこの男、女より研究、というタイプなので、必ず仕事のせいで破局する。こいつから告白することは絶対無いので、こいつは破局しても一切引き摺らないのだ。


「いやな。お前がここに運ばれてきた時、最初はこの娘、お前の姪か何かだと思ったんだが様子が尋常じゃねえ。後でうなぎに聞いたら嫁だって言うじゃねえか。そりゃねえだろって思ったんだよ」

「なにぃ」

「だってそうだろ? 話を聞いてると関係がまるでおままごとだぜ? 大方この娘も男を知らない、恋に恋するようなのじゃねえのか? まあ、お前は言うまでも無いだろうけどな」

「うむ、僕は生まれてこの方、清い体だぞ」

「おう。そう言うことはっきり言う辺り、お前かっこいいよな」


 僕と紅鮭は妙に気が合う。

 お互いに対する変てこなリスペクトがあるのである。

 付き合いは大学時代からだから、もう20年にもなるか。

 なんだかんだで、僕と彼の付き合いは続いてきたのである。そんな、僕を一番良く知っている……恐らくは僕の両親よりも……男が言う言葉には必ず意味がある。


「まあそうかもなあ。いきなり僕のことを気に入ったって、おかしいなあとは思ったし」


 一応お約束としてほっぺたをつねってみたが、痛いだけだったので夢ではなかった。

 大体、今までの感じは立夏さんがずっとイニシアティブを握っていた気がする。

 それでもなんとなく、このゆるい関係はいつまでも続きはしないだろうなあ、なんて、非希望的な観測をしていたのだ。


「どういう風な関係なんだ、お前ら? ちょっと話してみろよ。タンポポコーヒー淹れてやるからさ」

「お前タンポポコーヒー飲んでるのか」

「寝る前にな。カフェインが無いからいいぞ」


 さて、どこから話そうか。

 僕は紅鮭が淹れてくれたコーヒーに口を付けつつ、記憶をめぐらせた。

 ちょうど、何年か前……僕があの作品を上梓した頃だから、3年前か。

 彼女との馴れ初めから話し出した。




 そんなに長い話にはならなかった。

 僕と彼女が過ごした時間はせいぜい一ヶ月とちょっと。

 思い返せば大した長さではない。彼女との間に絆と言えるものが出来るとは思えないなあ、なんて考えていた。


「なるほどなあ。3年前の出来事で、とりあえず切っ掛けにはなってるわけだ。この娘は狼だからな。お前のにおいを覚えたんだろうさ。で、3年間だ。お前にとっちゃあっという間だったかもしれないが、十代の3年間は長いぜえ」

「そうらしいなあ。今まで生きてきた年月と、1年間の比べあいになるんだよな?」

「そう言われてるな。体感年齢じゃ、20歳が人生の折り返し地点だとよ。俺もお前も棺おけに片足突っ込んでるってことだな」


 そう言われると感慨深いなあ。

 僕はタンポポコーヒーをすすった。

 苦味もコクも香りも無いが、優しい味わいが口の中に広がる。


「そんなわけで、この娘は3年間、ずっとお前のことを覚えてたんだろう。それがどういうことか分かるか?」

「分からん」


 即答してみて、待てよ、と考える。

 他にも幾らでも男なんているだろうに、なんで僕みたいな特別に冴えない奴に執着するんだろう。


「いや、そうだな。なんで僕なんだろう」

「そうよ、まさしくお前しかいないんだよ。この娘は他に、恋愛だとかそう言うのを真っ当に出来る環境にはいたことがないんだろうよ」


 立夏さんの押せ押せなパワーを見てると、彼女がずっと好きな人もいなくて生きていた、というのはなるほど考えがたい。

 環境が特殊だったのだろうか。


「まああれだな。お前が助けたのがこの娘にとっては王子様みたいなもんだよな。例え自分でどうにかできたとしてもだ。そういう環境にいた奴が、自分を庇った奴を忘れるってのは無いだろう。で、3年でお前を脳内で美化した」

「美化かあ。じゃあ再開した時げんなりしただろうなあ」

「どうかね。狼にとっちゃ、においってのは特別に重要な情報だ。そいつで色々なことを判断できる。動物だってフェロモンで会話するんだぜ? そんで同じにおいの男がいたら、見た目なんかどうでも良くなるんじゃないか」

「よく分からないなあ。だけど、あの頃の立夏さんはハウトゥ本に従って行動してたな」


 それはつまり、恋愛に関して、どう行動するべきかという知識がないことに拠る。

 彼女にとって恋愛は未知であり、あの本は恋愛の海に漕ぎ出すための唯一の手がかりだったわけだ。


「見限られたりしなかったってことは、僕といて楽しんでもらえたのかもしれないなあ」

「だろうな。一緒にいてみたら思ったよりもフィーリングが合ったんだろうよ。これって大事だぜ」

「そんなもんかね」

「世の中はゼロか1かじゃ計れないこともあるからなあ。なんとなーくウマが合って付き合いが続くって事もある。俺とお前みたいにな」


 最も、付き合った女たちは全滅だったが、と紅鮭はまた笑った。

 さて、思い出話に戻ろう。

 僕と立夏さんは一緒に旅行に行き、僕は彼女に助けられ、一緒に帰宅し、僕は彼女に助けられ、一緒にカレーを食べた。

 一緒に買い物に行って、あのマークという男に出会い、堂島という男に頼まれて囮をして、ひどい目にあい、なんだかんだあってお国の監視下に入った。

 そして、僕と立夏さんは監視下を逃げ出して化人の里に行き、火をつけたりして帰ってきた。

 その後、なんだかんだ言って一ヶ月一緒に暮らして、結婚することにして、昨日色々あって死に掛けて……。


「ていうかお前、あの娘を庇ったのか? どういうこった。あの娘が気付かなかった狙撃に気付いたんだろ?」

「虫の知らせと言うか。僕はなんかそういう直感は大事にしているのだよ」

「ありえねえだろ。まあ、なるほどな、二度目は奇跡ってやつだ」


 なんだそれ?


「奇しくもお前は、あの娘を二回救ったってことだよ。それも、二回目は本当に命を救ったんだ」

「おお、なるほど」


 第三者から説明されるとしっくりくる。よくやったなあ僕よ。

 立夏さんが無事で本当に良かった。


「お前はすげえなあ。自己保身とかそういうのはねえのかよ」

「うーん、極論、別に自己本位じゃないからなあ。自分は大切だけど、そこまで必死に守るものでもないし。死ぬ時は死んでもいいかなーと」

「自己愛が薄いんだな、多分。ま、それはそれよ。そんなお前だから、この娘と合ったのかもな」


 そして話はついさっきまでの事に戻る。

 立夏さんが発揮した本当の力。それはとても恐ろしいものだった。


「俺はあれを見て確信したよ。あんな、触れるものを何もかもバラバラにしてしまう化け物を飼っている、そんな娘に誰が好き好んで構う? ありゃ、ハブられて当然だぜ。しかも、強力すぎて排除することも出来ない」


 武装した軍人をざっと4ダース片付けてしまう力。

 通りすがった車から何から、片っ端から人間を消してしまえる力。

 人間を超えた力があるシェイプシフターたちが、恐怖する力。


「思い返してみればそうかもしれないなあ」

「ほんと、お前あそこによく突っ込んで行ったよ。全く躊躇しなかっただろ」

「まあ、する理由がないからな。立夏さんが困ってるのに、死ぬのが怖くてうろうろしてるのって違うだろ。それに勝算もあったし」

「勝算って言えるほど上等なもんじゃねえよ。もし外れてれば死んでたぞ」

「おっ、そうだな」


 そう聞くとなんだかぶるぶる震えが来るぞ。


「なんでだ? 何でお前、生き返ってすぐに、あの子を助ける、なんて言ったんだ? 止める、じゃないのか?」

「いやいやいや、お前、あそこは助ける以外無いだろ。立夏さんがあんな顔したり、そんな行動したりするなんておかしいんだから。自分で自分を止められなくなったんだろ?」


 ああ、なるほど。そうだよな。だから立夏さんの中にいた、あの霧みたいな奴との対決に繋がるんだ。

 僕は掃除機を使ってあいつと戦って、勝ったのだ。

 だから立夏さんは元に戻れた。


「そいつで三回目だ。知ってるか? くっせえ言い回しで、『一度目は偶然、二度目は奇跡、三度目は運命』なんていうらしい。三度目が必然で四度目が運命ってのもあるみたいだけどな。あ、これは別れた女の受け売りな」

「ほうほう、なるほどなあ」

「お前ぜんぜん分かってねえだろう!? 本当に作家やってんのか? どんだけお前がすげえ事したか……いや、もうやめとこう。疲れた」

「そうだな、寝るか。コーヒーご馳走さん」

「どういたしまして」


 僕らは寝ることになった。

 寝ている最中、なんだか立夏さんの側の腕が妙に重くなって、寝返りが打ちづらくて四苦八苦した記憶がある。




 僕が半身を起こして頭をぼりぼり掻いていると、外が少しがやがやしてきた。

 どうやら早めのご出勤の方々のようだ。

 ここは紅鮭専用のラボだそうで、その他の研究員諸氏がこの前を通って行っているのだ。


「う……ん……」


 立夏さんの声がした。

 僕の腕を抱き枕みたいにぎゅっと抱きしめている。

 むむう。これはいいものだ。

 しかし、彼女が眠っている限り僕は身動きできないので、ただただ目覚めを待ってボーっとするほか無い。

 やがて、うなぎの寝床から山本氏がにゅるにゅると這い出してきた。


「おはようございます先生。やや、いいですなあ」


 僕の腕に引っ付いた立夏さんを見て山本氏もにやにやする。

 爆睡して目覚める気配の無い紅鮭を見やり、山本氏は、


「この具合だと、紅鮭さんに挨拶はできなさそうですな。私出勤なんで、ちょっとコンビニ行って皆さんの朝ごはん買って来ますよ。それで会社行きますから、紅鮭さんが目覚めたらよろしくお願いしますよ」


 そんな事を言って、きびきび動き始めた。

 僕の腕に引っ付いた立夏さんが寝ぼけ眼で動き始めた頃、朝食を持って帰ってきた。

 思いのほかエネルギッシュな山本氏である。

 サンドイッチとコーヒーで朝食を済ませ、我が元担当氏は職場に旅立っていった。


「立夏さんはなに食べる?」

「……は、ハンバーガーで」


 立夏さんは小さい声で答える。

 研究室に備え付けのレンジでチンして、彼女に手渡す。

 なんか、まだ乗りがおかしいなあ。

 思いながら、おにぎりをぱく付いていると、足元でごそごそ動くものがいる。

 それは掃除機である。

 中に詰め込まれた黒い霧がじたばたしているのだ。

 そういえば一晩中詰め込んだままであった。

 僕は立夏さんのそばまで掃除機を持ってくると、ゴミ入れを開放してやった。

 明るいところで見ると良く分かるのだが、これは霧というか、一ミリくらいの大きさの粒子の集まりなのだ。

 それがゴミ入れからにゅっと出てくると、僕を見てギョッとしたように飛び跳ねた。

 慌てているのか、凄い速さで立夏さんの影に隠れる。

 立夏さんは笑っていた。

 多分、一ヶ月ちょっと一緒にいて、そういう笑顔は見たことが無い。

 でも、その笑顔の方がいいと、僕は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る