第24話 思惑

「奴らの思惑は分からないが、面白いことになりそうだぞ」


 マークが弾んだ声で言うのを聞き、傍らにいた彩音は首をかしげた。

 衣擦れの音をたて、マークが立ち上がる。


「何があったの?」


 至福のひと時を邪魔され、ややご機嫌斜めな様子だ。

 一人寝台に半身を起こしたままでマークを見上げる。


「連中、イヌガミの媛に突っかけたそうだ。上の暴走だな。たかがシェイプシフター一匹だと思ったんだろう」


 一匹という表現に、彩音がちょっと顔をしかめたが、マークが口にする言葉の衝撃は簡単には耳に入ってこない。


「どういう……? イヌガミの媛って、嵐華のこと?」

「その妹さ。馬鹿どもが暗殺しようとしたらしい。しかも失敗して、相方の作家先生を殺してしまったそうだ」


 さっきまで体を包んでいた、行為の気だるい余韻が吹き飛んでしまった。

 彩音の顔が青ざめる。


「……なんてことを……」


 その顔にあるのは、恐怖と憐憫。

 元来、彩音は優しい心根をしている。彼らがイヌガミの媛の怒りを買った事への恐怖と、巻き添えになって命を落としたあの作家への感情がごちゃまぜになっていた。


「気の毒に」

「こうしちゃいられないぞ。彩音、悪いけど着替えてくれ。今からみんなを集めなくちゃならない。お前の力も必要になる」


 マークが彩音に手を伸ばした。

 彩音が迷うことは無い。彼についていくと決めたのだ。その手を取る。


 着替えた二人が扉を開くと、しのんが既に待機していた。

 彩音にジト目で見られて、へへへ、と頭を掻く。


「でも、お陰で事情は把握したよ! 楓と涼と大吾にも連絡しといたから!」

「ありがとう、助かる」


 マークに頭をぽんぽんされて、にやけるしのんだ。

 部屋大吾は、あの事件のあとしばらく寝込み、目覚めた時には里が壊滅していた。

 彼は事の顛末と、自分が直情径行ゆえにはめられた事などを、涼からこんこんと聞かされて心変わりしたらしい。


 さほど時を待たず、5人のシェイプシフターが集まった。

 その場所は、マークが特別にあつらえさせたホームバーで、それなりの規模がある。

 カウンターには大吾が立ち、全員用の飲み物を作っている。どうやら彼はバーテンダーのバイトをしていたようで、カクテルを造る腕もなかなかのもの。意外な特技である。

 席の中央にはマーク。左右を挟んで、彩音としのん。しのんの横に楓がいて、ひっきりなしに、しのんに席を替わるようせっついている。

 涼は離れたところに寄りかかって立っていた。


「お待ちどう」


 爽やかな香りがする、ビアカクテルが人数分差し出される。


「あたし甘いのがいいのにー」


 ぶーたれるしのんに、大吾は、


「夜中に甘いもん飲むと太るぞ?」


 しのんが無言でビアカクテルを傾ける。ちょっと飲んで、うええ、という顔をした。

 ふ、と勝ち誇ったように楓が唇の端を吊り上げる。


「お子様……舌……」

「なにさーえらそうにー!」


 しのんと楓が肘で小突きあう。

 マークは彼女たちを尻目に、カクテルを軽く煽ると、一息ついた。


「聞いてくれ」


 その一言で場が静まる。


「奴らが、イヌガミの媛に攻撃を仕掛けた。この事自体はもう伝わっていると思う」


 シェイプシフターたちはじっとマークを見つめ、次の言葉を待つ。


「問題となるのは、彼らがイヌガミの媛の暗殺に失敗し、完全に敵対してしまったことだ。世の中のシェイプシフターに対する偏見は強い。イヌガミの媛とおれ達を同一視し、攻撃を仕掛けてくることも充分に考えられる」

「補足させてもらう」


 涼が続けた。

 状況の一部始終を情報として収集したのが涼である。

 彼の部下であるオオトリの一族には夜目の利く者もおり、夜間に街を飛び回って情報収集することも多かった。


「彼らの子飼いであろう部隊が、イヌガミの媛によって殲滅されている。生存者はゼロ。イヌガミの媛からも、彼らに宣戦布告をした形だ」

「ありがとう。聞いての通り、状況は緊迫している。すぐさまおれ達の仲間へと連絡を取り、イヌガミの媛との接触を絶ってくれ。それから、人間と関わる場合も可能な限り複数で。個人行動は慎み、何かがある度に連絡をすること」


 すぐさま、状況の変化と今後の行動方針は革新派シェイプシフター達に伝えられた。

 一夜にして、街が孕む緊迫感が増す。


「おれはお役所に確認を取ろう。こいつが国の総意なら、役人どもはとんだ馬鹿者揃いだってことになる。もっとも、おれはその方が面白いがね」


 夜半も過ぎた時間である。

 しかし、状況が状況だ。おそらくイヌガミの媛を襲わせた部署は不夜城状態で動いているだろう。

 マークは彩音を付き添わせ、アジトを発った。


 車は夜道を走る。

 街はまるで息を潜めているようで、不自然なほど静かに見えた。

 運転席に収まったマークは、油断無く周囲を観察する。

 助手席には彩音。街を覆う只ならぬ気配に、やや青ざめている。


「マーク……。一台も車が来ない……」


 対向車線はがら空きだった。というよりも、車の姿が無い。

 街灯が点々と灯っているだけに、片側車線ががらんとした風景は不気味だった。


「この先にいるな」


 マークは唇を湿らせる。

 音楽はかけない。

 余計な不純物があれば、恐らく気付くことができなくなる。

 あれは、自分たちと同じ場所を目指しているのではないか。そう思った。


「車が……!」


 ようやくいた。対向車線に車の姿。赤い軽自動車がガードレールに半身をめり込ませて止まっている。

 消防車や救急車、警察車両の類が到着した気配は無い。


「やれやれ、これはとんでもないことになってるぞ」


 通り過ぎた瞬間に見えた社内は、エアバッグが展開してはいたものの、誰も乗ってはいなかった。

 窓が半分開いたまま、扉はしっかりと閉まっている。

 道を進めば、同じような車が次々と姿を現す。

 中には警察、消防の車両が混じっている。

 やがて対向車線の車も途絶えた時、マークの前を走っていた白い軽トラックが、突然スピンした。


「いやがった!」


 マークはハンドルを切る。対向車線に逃れると、そのまま速度を緩めつつ、歩道に乗り上げて近隣商店のスペースに車体を止めた。

 彩音の目は、ほんの数十メートル先にいる、赤い目をした狼の姿を捉えていた。


「目が合ったわ。マーク、まずい。まずいまずいまずい」

「分かってる!」


 バックを開始する。

 商店の持ち主には悪いが、敷地内で看板などをひしゃげさせつつUターン。対向車線を走り出す。

 すぐさま別の路地に逃げると、


「大回りして行くぞ。だが、連中が持つかどうか」


 判断してアクセルを踏んだ。


「ねえ、マーク気付いた?」

「何をだ?」

「街路樹、一本もなくなってた」

「……シェイプシフターの同化現象か……?」


 目的地に向かって駆けながら、ふとバックミラーに目をやった時、洒落にならないものが映った。


「追ってきてる!」


 彩音が悲鳴にも似た声を漏らす。

 マークはスマホを彩音に投げる。


「嵐華を呼んでくれ!」


 それ以外に、逃れる術は無いかもしれない。

 速度は車が優っているが、メインストリートから外れた裏道である。

 狭く、建物の距離が密接していて思うようにスピードを出すことは出来ない。

 狼は長時間を一定の速度で走ることが出来る。それにあの体躯だ。この路地の狭さなど何の障害にもなるまい。

 彩音は震える手で嵐華のアドレスを探し出すと、連絡を開始した。


「運がよければ……ここで!」


 マークの車とすれ違うように、煙を吹く弾頭が通り過ぎていった。

 背後で爆発が起きる。


「街中でRPGを使うのかよ……! まるで紛争地帯じゃないか」


 だが、狙い通りだとマークはほくそ笑んだ。

 連中が放った次の部隊が到着している。

 彼らにイヌガミの媛を押し付ければ、少しは時間稼ぎになるだろう。

 こちらに駆けてくる、明らかに堅気ではない集団とすれ違う。

 バックミラーから狼の姿が消える。

 彩音はほっと一息を吐いた。


「まだ油断はできないぞ。恐らく、あいつらじゃ大して持たないだろう。所詮常識の範疇な相手と戦うための装備だぞ」

「うん、そうだと思う。けど、これで嵐華が来る時間を稼げるよ」


 彩音は座席にもたれて、汗をぬぐった。

 空調が効いた車内だというのに、びっしょりと衣服は濡れている。

 少し目を閉じて、街灯ではない明るさに気付いて目を見開いた。

 月夜である。

 彩音は慌てて目を閉じた。

 一瞬、耳の先が狼になりかけた。

 月夜が翳り、何か大きな、獣の形をしたものがマークたちを飛び越えていく。



 追跡を受けることなく、マークと彩音は目的地に到着していた。

 自動ドアは機能しており、ビルの窓は煌々と明かりを点している。

 マークは直通のエレベーターに乗り込むと、以前堂島から渡されていたIDカードを通した。

 まだこのIDは通用するようだ。

 マークは彼らにとって、協力者という立場なのだから当然なのだが。

 到着したフロアには人気が無かった。

 しんと静まり返り、空調と自動販売機の音だけが響いている。

 廊下の明かりは消えていて、光が漏れる部屋は一つだけ。

 そこを目指して、マークはまっすぐに歩いていく。

 扉脇にあるIDチェッカーにカードを通すと、鍵が外れる音がした。

 そこにいたのは……。


「やはりあなたでしたか、堂島さん」


 守旧派を陥れるための作戦において、指揮を取っていた堂島八景がそこに立っていた。

 彼はマークに向き直ると、


「君が直接足を運ぶとは珍しいな。てっきり、情報はネットだけで取得するタイプだと思っていたが。私が動画でも君に送りつけた方が良かったかね」

「おれは経験至上主義者でね」


 人がいないがらんとした室内で、マークは彩音をともに歩み寄った。


「これは上の考えたことですか? だとしたら、馬鹿なことを」

「私の一存、という事になっている」


 堂島の目が細くなった。


「国は、突出した存在を求めていないのだよ、マーク。君は少々目立ちすぎている」

「目立ったほうが退屈はしないでしょう。おれは今の生き方を結構気に入っているんですよ」

「君たちはこの国にとっても革新派なのだ。毒が抜けてしまえば、世界のあり方など現状維持でいい」

「水も停滞すれば淀みますよ」


 ふっとどちらともなく笑う。


「犠牲が出過ぎている。これは責任問題になり、棚上げされることになるだろう」

「それが狙いだったんですか?」

「まさか。システムは複雑になりすぎている。どこかで誰かが歯車を動かせば、もう誰にも止めることはできんのだよ。その先に何が待っているか分かっていても、決して止められなくなる。その時には、誰が何をしようとしたのか、歯車を動かしたのが誰なのかも曖昧になっていく」


 堂島は懐に手を差し入れる。

 彩音が窓際に動いた。

 風が吹く。

 マークはこの時初めて、堂島の背後にある窓が開いていることに気付いた。

 煌々たる月が室内からも望める。


「そして、これもまたシステムだ。さあ、エンディングと行こう」


 抜き放たれた銃は火を噴いた。

 マークは咄嗟に床に身を投げ出している。


「彩音!」


 叫んだ。

 既に、彼を守る狼はその身を変じている。

 デスクを蹴散らし、ダークブラウンの突風が吹いた。

 堂島の手首が拳銃ごと宙を舞い、彼は勢いを得た質量に胸を強く打たれて、そのまま窓際に追いやられた。

 勢いが死なない。


「君は自分が死なないとでも思っているのか?」


 妙に明瞭な声で、堂島が言った。

 それが最後の言葉だった。

 大きく開いた窓から半身が乗り出し、そのまま堂島は落ちていく。

 少し合って、地面に叩きつけられる音がした。


『里山が攻めてこない限り、マークに終わりは訪れない』


 支持者たちがつい先ごろ書き込んだコメントを思い出す。


「死なないさ。おれは無敵だ」


 マークは嘯いて笑った。

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