第23話 凶弾と目覚め

 僕の友人は変わり者が多く、今回証人印をお願いしようとしていた彼もまた、例に漏れず変わり者だった。

 生物学者なんてものをやっているようなのだが、飲み屋で話半分に聞く限り、どう考えてもマッドサイエンティストの生体実験紛いの仕事ばかりである。

 彼はよく携帯が不通になり、掴まらなくなる。

 どこかへ行っていると言うより、実験などにかまけて携帯を充電しないのだ。

 携帯の種類にも興味が無いから、未だにガラケーである。

 よりにもよって証人印をもらうのが、なんでそいつなのかと言うと、僕と彼は変わり者同士ウマが合うのだ。

 ということで、今回も連絡を入れたのだが、案の定繋がらない。

 彼の職場に押しかけるほかあるまい。

 だがその前に。


「お腹がすきました」


 立夏さんが僕の名前を呼んで、食事の必要性を訴えた。

 もう夕食の時間である。

 瓢箪書房を巡る一大イベントを終えた僕らは、ぶらぶらと街を歩いていた。


「しかし驚きましたわー。二人の仲がそこまで進展してたとは」


 と言うのは、うなぎのシェイプシフター……じゃなくて山本氏。

 久々に会ったので街に繰り出そうぜ、ということで、三人でいろいろな店を冷やかしたりしているところである。

 そういえば、山本氏も大概変わってるな。


「うなぎ食べに行きましょう。私、美味しい店を知ってるんで」


 なに、共食いか。


「うなぎ! 素敵!」


 嫁が諸手を挙げて賛成したので、僕も賛同の意を示しておく。

 この子はきっと、あらゆる動物性たんぱく質を受け入れる度量を持っているに違いない。

 そんな立夏さんを見て、山本氏はしみじみと言った。


「駒胞さん、なんだか先生に似てきましたねえ。前はエキセントリックなところとかミステリアスな雰囲気がありましたけど、すっかり丸くなって、しかも変てこなところとかそっくりですよ」


 失敬な。まるで僕の生態がよろしくないことのようではないか。


「そう言う山本氏は、今日は奥方に電話しなくていいの?」

「うちの奥さん、今子供連れて実家帰ってるんですよ」

「離婚かね」

「違いますよ! 久々に両親が孫の顔が見たいそうなんで、土日を利用して帰省しているんです」


 そうか、今日は土曜日だった。

 山本氏、こんななりでなんと既婚者である。

 さぞかしぬぼーっとしたものを受け入れる心を持った、鷺(さぎ)みたいな人か、うなぎ好きな奥方なのであろう。

 我々は鰻屋の暖簾をくぐりつつ、


「それじゃあ山本氏、奥方にうなぎをおみやげにしないと」

「あれっ、先生なんでうちの奥さんがうなぎ大好きだって知ってるんですか」

「ラブラブですねえ」


 わいわいと騒ぎつつ、みんなで膳の竹を頼んだ。

 たまには奮発するのである。

 注文したうなぎ御膳は、たっぷり脂の乗ったうなぎを目の前で生簀から捕まえて来て、捌いてくれる。

 うなぎはご飯の間にもう一層敷いてある二段重ね。ほどよく、うな重のたれがふりかけられる。山椒はお好みで振るのだ。

 骨せんべいに、うざく、肝吸いにデザートのメロンがつく。

 僕はノンアルビール、山本氏はビール、立夏さんはウーロン茶を注文して、乾杯した。


「我々の勝利に!」

「出版社なめんじゃねえぞ!」

「早く食べたい!」


 口々に適当な口上を言ったので、僕らの乾杯は不協和音になった。

 さて、生簀からうなぎを引き上げて、たっぷり30分以上は待った。

 僕らのお腹はぺこぺこである。

 ほっくり炊かれたたれ付きご飯を、ふんわり焼かれたうなぎを載せて頬張るわけだが、これがたまらない。

 鼻腔からうなぎとたれが交じり合った豊かな香味が抜けていく。

 うーむ、うーむ、うーむ。


「すぐに食べきっちゃうのが勿体無い……」


 いつもはパクパク食べ進める立夏さんが、うなぎの味に浸りながらしみじみ言う。

 うなぎ尽くしの付け合せに肝吸いを堪能し、たっぷり肉厚なメロンでさっぱりした僕たちは、すっかりまったりした気分で店の外に出た。


 立夏さんとの付き合いもそれなりの期間になってきて、元来鈍い僕も少しは鋭くなっていたのかもしれない。

 彼女が僕に似てきた、と言われたのとちょうど同じだ。

 僕はいやな予感を感じて、外に出たばかりの立夏さんを抱き寄せた。


「―――さん?」


 彼女が僕の名前を呼んだ瞬間、背中に熱いものを感じた。

 とにかく、強い衝撃だった。僕は立夏さんごと倒れこんだ。

 一瞬だけ感じた熱さの次には、だんだんと体が冷たくなっていく。

 これは何だろう、と思ったが、頭がうまく働かなかった。

 指先がしびれて行く。体が言うことをきかない。

 瞬きするのがとても億劫で、かすみだした視界には、涙目になった立夏さんがいる。

 彼女がこんなに取り乱した声を出すのを、初めて聞いた。

 でも、泣くのは……よく……ない……。





暗転








「いよう! そろそろ起きろや!」


 バチッという、洒落にならない衝撃を感じて、僕は跳ね起きた。


「いった!? いってえ! いてえええ! なに、なにこれ? なんなの?」

「おお、すげえ。目覚めやがったぜ」


 口の悪い奴が僕を覗き込んでいる。

 髪に幾分か白髪が混じった男で、顔立ちには皺が少なく、それほど年を取っていないとわかる。

 こいつが僕が会おうとしていた友人である。

 名前を紅鮭という。


「ひえええーーーー! 先生! 先生ー!」


 ぬぼーっとしたのがすがり付いてくる。

 重い! 重いよ山本氏!!


「いやあ、やりゃあ出来るもんだ。まさか上手くいくとは思わなかったがなあ。おい綿貫」

「なんだよ」


 よく寝たせいか、いやに頭がスッキリしている。

 体力もばっちり回復だ。


「お前死んでたんだぜ。いや、正しくは、脳が死ぬ寸前だったってとこかな」

「は?」

「お前、なんかやべえ奴の恨みでも買ったのか? 背中から撃たれてたぞ? 弾丸が銀製だったから、やわっこくてひでえところまでは達さなかったみたいだが」


 何を言ってるんだこいつは、と思うが、昔からこいつは出鱈目は言わない。

 こいつが口にすることには何かしら理由がある。


「このうなぎみたいな奴と、ちっこい女がお前を運び込んできてな。女がすげえ必死なんだよ。なに、あれ、お前のこれか。これ」

「小指立てるなよ! 一体いつの時代の人間だお前」


 紅鮭は、かっかっか、と笑った。

 こいつは他人への気遣いという奴を母親のお腹に置き忘れてきた男なので、大体いつもこんな感じだ。敬語使ったりするところなんか見たことも無い。


「まあ、俺んとこへ連れ込んだのは正解だわな。このうなぎ、お前んとこの担当だろ? 俺が電話したらこいつが出てな。まあ虫の知らせって奴か。俺が電話なんざするとはなあ」


 紅鮭がなにやら言っているが、僕としてはさっきのこいつの発言が気になる。ちっこい女が、と言った。

 僕は周囲を見回すが、立夏さんの姿は無い。


「おう、俺がなんとか救ってみるわって言ったら、あの女、すげえ顔して外に飛び出して行ったぞ。俺はゾッとしたね。ありゃ人間の目じゃねえ」

「なんで止めなかったんだ!?」

「そしたらお前が死んでたよ。おめえ、ギリギリだったんだぞ。こっちにゃ輸血する血も一種類しか無いんだからな。感謝して欲しいくらいだわ」


 おお、助けられたことに違いは無い。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 深々と礼をやりあった後で、いつもの乗りに戻る。


「つまりどういうことなんだってばよ」

「つまりな、俺はお前に狼男の血を輸血したわけだ。こいつらの細胞や血は独立しててな。きちんと栄養を与え続けるといつまでも生き続ける。しかも、だ。組織を動物に移植すると、その生き物のパーツに擬態しやがる。共生するんだな」

「お前が僕に輸血したってことは……」

「おう、狼男の血が、お前の血に擬態したってことだ。免疫反応すら騙す完全な擬態だぜ。しかも、そいつが持つポテンシャルは狼男のそれだ」


 誰にも話すなよ、と紅鮭は言った。

 それは大スクープじゃないか。そんなものがあったら、医療の常識が覆るぞ。


「まあ、合わない奴もいる。っていうか9割9分合わない。擬態が完了するまでに拒絶反応が起きて死ぬな。っつーことで、死にかけてる奴に死ぬ寸前にぶち込むと成功しやすい」


 こわっ。

 僕はつまり完全に死ぬところだったわけだ。

 紅鮭の言葉を理解する。

 そして、僕を殺しかけた相手に対して、あの立夏さんが抱く感情を思うと、僕はゾッとした。

 あの子、本気になるぞ。


「こりゃまずいぞ……! 立夏さんを助けなきゃ……!」


 止めなくちゃ、じゃない。

 立夏さんは今、悪いものに心を乗っ取られているのだ。

 彼女をそこから助け出さなくてはならない。


「やっぱり、あれがお前の大事な女ってことか。まさかお前に嫁ができるとはなあ」

「なんか大変なことになってますなあ。駒胞さんどこ行ったんでしょうなあ」

「うん、まずは立夏さんを探さないとだな。いろいろ込み入ったことになってきてる。手を貸してくれないか」


 僕は、山本氏と紅鮭に頭を下げた。

 山本氏は僕の肩をぽんぽん叩き、


「私と先生の仲じゃないですか。今日、出版社で先生が飛び込んできたとき、私には神様みたいに見えたんですよ。受けた恩は返すのが人の道ってことです」


 山本氏、うなぎじゃなかった。

 紅鮭はにやにやしながら、


「俺のほうの研究もひと段落ついたところだ。クライアントも最近、ビッグになりすぎて急がしくてな。新しい刺激なら大歓迎だぜ。大いに暴れよう」


 なんだか不穏なことを言った。

 そもそも何故こいつがシェイプシフターの体組織なんて持っているのか疑問があるが、そんなことは後回しだ。

 証人印がそろっても、花嫁がいなければ結婚は成立しないのだ!

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