第19話 想定内の裏切り

 後日、作戦は決行された。

 公安は作家、綿貫氏を使用した陽動を選択したのである。

 無論、綿貫氏は善良なる日本国国民。

 堂島が自ら彼に接触し、作戦への協力を願った。

 マークは今でも、これは堂島のスタンドプレーだったのではないかと考えている。

 何の権力も持たない綿貫を利用したところで、堂島の上に立つ者たちには、一切痛痒など無いだろうからである。

 綿貫氏はこの危険極まりない任務を、驚くことに快諾した。

 やはりこの男はおかしい、とマークは思う。


 選ばれた場所は、土曜日の昼日中、繁華街。

 ある程度の一般市民の犠牲も想定されている作戦である。

 これの決行により、守旧派シェイプシフターをパブリックエネミーとして世間に周知させ、革新派の求心力を高める。

 そうすることで、古くから巣食っていた勢力の一掃に拍車を掛けるのだ。

 だが……。


「信用できるものではないな」


 涼の言葉にマークは頷く。

 同感だった。彼らが自分たちを立てるメリットが小さい。

 同じシェイプシフターとして処理してしまえば簡単だろう。


「おー、作家先生、うろうろしてる。やっぱ挙動不審だよねーあのひとー」


 しのんが双眼鏡を覗きつつはしゃぐ。

 お祭り前のハイテンション、といった様相である。

 今回、綿貫の周囲にイヌガミの媛の姿は無い。堂島の説得の末、離れた場所で監視を受けながら待機しているということらしいが。


「正直、信用しかねるわ。彼女はそんな、他人の理屈で動くものじゃない」

「おな……じく……。きっと……何も……かも……ぶちこわしに来る……」


 仲間たちと会話を重ねる中、視界の中では、ふらふらと綿貫氏が商店街をうろついていた。

 そこへ向けて、一直線に進んで来るものがいる。


「げっ、大吾だよあれ」

「よりによって、奴か……」


 周囲の人間を憎憎しげに見回しながら、明らかに人並みよりも頭一つ大きな男が綿貫氏に近寄っていく。

 そういえば、彼は守旧派だった。

 大吾が背後から、綿貫氏に手を伸ばし、手を掛けようとした瞬間のことだ。

 飛来した奇妙な弾丸が、大吾の手を穿った。

 貫通力は無い。彼の分厚い皮膚に突き刺さっただけだ。

 だが、それは良く見れば、注射器のように見えた。

 何かが大吾の肌を通し、体内に注ぎ込まれていく。


「マッド PA(パー)……一種の興奮剤のはずだが……」


 マークが手に入れていた資料では、シェイプシフターに対してのみ、それ以上の効果が望めると言うことだった。

 彼に協力する研究者は、手に入れたマッドPAによる実験で、ある結論を導き出している。


「あれを摂取したシェイプシフターに起こるのは、細胞の反乱だ。……行くぞ!」


 マークの言葉に、仲間たちが頷く。手にはスマホ、伸びるイヤホンが耳に。

 映像と音が彼らに暗示をかけていく……。



 ふらふら歩き回っていた中年男性の背後で、大柄な男の体が膨れ上がった。

 そのように、人々の目には映っていた。

 男はふらついて街路樹に寄りかかり、その肉体が徐々に街路樹と一体になっていく。

 街路樹が取り込まれ、男の体が膨れ上がっていくのだ。

 黒い獣毛が全身を覆う。鼻面が伸び、手足は肥大化して鋭い爪を生やす。

 あっという間に、街中に出現したのは、体高3メートルに近い巨大なヒグマである。


 悲鳴が上がった。

 人々の間に発生したパニックが伝播していく。

 フラッシュが光る。この状況でも、ヒグマにスマホを向けて撮影しているものたちが何人もいる。

 ヒグマは咆哮をあげて、前足を振り回した。

 理性を完全に失っている。あれは単なる獣だ。

 ギリギリの距離でスマホを掲げていた若者が、風に巻かれた枯れ草のように、宙に放り上げられた。

 再び悲鳴。

 人が熊になった! 人が死んだ! などとあちこちで叫び声があがる。

 お膳立ては整ったというわけだろうか。

 

「さて……」


 ヒグマの前にマークは立つ。

 サングラスを外し、理性を失ったヒグマの目をじっと睨みつける。


「おい、あれ……」

「マークだ……!」

「なんでここにマークがいるの?」

「危ないよ、やられちゃうんじゃね」


 マークは指先をヒグマに向けた。

 ヒグマが咆哮をあげる。姿勢が前のめりになり、飛び掛ろうというその時。

 マークの脇から飛び出した狼が、ヒグマの鼻面に噛み付いた。

 街路樹から大きな山猫が飛び出し、ヒグマの顔面を引っ掻く。

 突然の反撃に動揺するヒグマの首筋に、するりと長大な蛇の体が巻きついた。


「あれってもしかして……」

「シェイプシフター革命の?」


 まだ一ヶ月も経過していない事件のことである。

 この不自然な動物たちの登場を、革命と結びつけることは容易い。

 人々の注目が集まる。

 ヒグマと戦う獣たち、そしてマークを取り巻くように人の輪が生まれる。


「我々はシェイプシフターの革新派だ」


 マークの声が流れる。

 どこから?

 と見回す者がいる。

 それは、スマホから流れてきていた。

 人々の輪の中に混じった、革新派の若者たち。

 彼らがマークの声を伝えるスピーカーとなり、革命の言葉を高らかに広げる。


「人に仇名すシェイプシフターを討ちに来た」


 芝居がかったせりふも気にならない。

 すぐ目の前で、暴れるヒグマの動きを、獣たちが少しずつそぎ落としていく。

 空から巨大な鴉が舞い降りる。

 ヒグマの後頭部をその鋭い蹴爪で引き裂き、注意を逸らす。

 ゆっくりと、巨大な猛獣はその威力を失っていく。

 時間にして5分ほど。

 絶え間ない攻撃によって全身を切り裂かれたヒグマが、ゆっくりと倒れていった。


 マークは意外に感じていた。

 攻撃を仕掛けてくるなら、この最中だと思っていたのだ。

 公安を名乗る連中が革新派を良く思っていないことは確かだ。

 守旧派と同じ穴のムジナだとばかりに、彼らを信用はしていない。

 故に、革新派の頭であり、唯一の人間であるマークをここで狙ってくるだろうと、彼は考えていたのだ。

 そのための身を守る手段は用意してあったが、どうやら無駄になった、とマークは思った。

 はるか上空、その巨体を羽ばたきながら待機させる、イヌガミの媛を呼ぶ必要は無くなった。


 マークの想像は外れていなかった。

 公安を名乗る彼らの上層部は、マークの暗殺を第一義として作戦を立てていた。

 周囲のビルには狙撃を目的とした人員が配置されており、その存在は誰にも知らされていない……はずだった。

 少しだけ時間が巻き戻る。

 堂島は小さなイヌガミの媛を担当していた部下からの報告を受け取っている。


「……やられました……! 全員倒されています。辛うじて、息だけはありますが……」


 この情報を、堂島は上層へ報告している。


「ご支持の通り、綿貫氏を陽動とし、狗咆立夏を人質とした作戦ですが、大きな誤算が……」


 次に、狙撃手たちが連絡を絶った。

 ヒグマに打ち込んだ、マッドPA弾以降、彼らの動きが全く無い。


「想像以上だな、彼女の力は」


 用意されていたのは三名。

 発見された一人は喉を切り裂かれて死んでおり、もう二名は狙撃されて(・・・・・)死んでいた。

 銃の一丁は見つかっておらず、状況終了直後、へたりこんでいた綿貫氏の前に狗咆立夏が姿を現している。


 事件はタイムラグ無く、動画として配信された。

 報道機関がそれらを加工する暇など無い。

 その場に居合わせた人々の撮影した映像、同時に配信された革新派からの動画。

 一切のプロパガンダ要素はなく、ただ淡々と、人々を襲う悪いシェイプシフターが倒され、人々に味方したシェイプシフターたちが、彼らとの戦いを宣言する。

 それらはまるで、演劇か何かの一幕のようだった。

 世間を包んだ熱狂が塗り変わる。

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