第18話 接触~幕間~

 イヌガミの媛と作家先生が立ち去った後、マークは深々とソファにもたれた。

 ほんの数分間の邂逅ではあったが、ひどく疲れた気がする。

 イヌガミの媛が発するプレッシャーはかなりものだったが、もう一人、身内にいる媛になれた身としては、耐えられないものではない。

 参ったのは綿貫というペンネームの作家だ。

 あの男、何を考えているのかが分かりやすいのに、その思考や感情を誘導できない。

 会話のツボが、明らかにマークがこれまで接してきた人間や、それ以外の者たちとずれている。


「まともな人間が、自分を死地に追いやるような提案に軽々しく賛成するか?」


 あいつは馬鹿なのか、それとも頭がおかしいのか。

 いわゆる天然ってやつなんだろうが、どうも話していて、奴のペースが掴めない。

 こんなことは初めてだった。


「マーク、大丈夫? あの化け物の気に当てられたの……?」


 背後に立っていた彩音が気遣う言葉を掛けてくる。

 3年間、常にマークの隣で補佐をし続けてきた彼女は、既に公私共に重要なパートナーとなっている。

 彩音はサングラスを外しながら、やや充血した目を伏せた。


「以前よりも、ずっと柔らかい印象になっているんだけど……明らかに圧力は増してたわ。3年前よりもずっと、性質の悪い化け物になってる……」

「嵐華に慣れたお前が言うんだから、そいつはよっぽどだな……」


 シェイプシフターならではの感覚と言う奴だろうか。

 彩音や、向こうで横になっている楓には、イヌガミの媛のプレッシャーが相当堪えたらしい。


「ふし……ぎ……。あの作家……なんで、あれと……一緒にいて平気……なの」

「どうやら先生は、イヌガミの媛が押しかけ女房みたいな感じで住み着いたらしいぞ」

「ひぃ…」


 ぞっとしない話だ。

 守旧派の連中が綿貫の家を荒らしたらしい。目的は間違いなく、マークが秘匿しているシェイプシフターの死体だろう。

 あれが狗裂の家の男だったとは以外だったが、守旧派はこれを隠したのが綿貫だと未だに考えているらしい。

 イヌガミの姫を失った狗牙と狗裂は力を失い、他の派閥に飲まれつつあるという。


 もとより、人間と言う生き物を恐れながらも見下す化人の里は、同族の死体を隠したと見られる綿貫の命を偏執的に狙っている。

 理屈などどうでもいい。これは既に連中のプライドと意地の問題だろう。

 だから、綿貫の家に潜り込むような無茶をやってしまった。

 この三年間、里に残ったイヌガミの媛が連中を牽制していたはずだ。


 彼女が消えた今、自由に動けるとでも思ったのだろうか。

 忍び込んだ先で出会ったのが、よりにもよってそのイヌガミの媛と来たものだ。

 奴らは変身する暇も無く、一人は片目を潰され、もう一人は耳を貫かれ、もう一人は鼻を半分引きちぎられたということだ。

 何より、狗咆の媛は、綿貫との接触が確認された一ヶ月前から、一度も変身していない。

 その状態で、里の刺客を全て退けている。

 綿貫には指一本触れさせないままで、だ。


 人のままのシェイプシフターの膂力は、変身後のそれに大きく劣る。あくまで人間並みか、それプラスアルファ程度の力しかないのだ。

 だが、それでなお、彼女は変身したシェイプシフター……守旧派の実力者である狗頭という男を撃退している。

 イヌガミの亜流でああるが、その血を引く強力な化人だ。


 これまでの彼女の戦いのパターンを見ていくと、その全てが初撃で相手の戦闘力を大きく削ぎ落としていることがわかる。

 彼女が攻撃を加えようとしている時点で、相手にとっては致命的な状況に誘い込まれているというわけだ。

 一ヶ月前に綿貫を襲った最初の刺客……楓の従兄弟だという話だが……は、完全に止めを刺されている。

 場の状況から見るに、鉢植えとフォーク。これだけで、周囲の有機物を取り込み、体重200キロに及ぶアナコンダに化ける怪物を軽々仕留めているのだ。

 恐らく……いや、間違いなく綿貫は、イヌガミの媛と一緒にいる場所が世界で最も安全な場所となるだろう。


「近いうちに倒さねばならない相手だが……今は手を借りる時だろうな」


 マークは一人ごちる。

 彼の頭を胸に抱いていた彩音が、うなずいた。


「こちらには私たちと、嵐華もいる。あなたは勝つわ。絶対に」


 マークは手を伸ばし、彩音の頬に指を這わせた。


「おれはまだまだ、上に行くんだ。こんなところで立ち止まっていられないさ」


 目線が合う。

 二人の顔がゆっくりと近づき……というところで、ノック。

 楓が向こうで、


「間の悪い男」


 と呟いた。

 扉は開いており、スーツにメガネの男がわざとらしくノックをしたのだ。


「堂島さん、人が悪い」


 マークが苦虫を噛み潰したような顔をすると、男、堂島八景は唇の片側を吊り上げて笑った。


「こちらも仕事なんでね。就業時間中はサボっているわけにも行かない。税金からお給料を頂戴している身だ」


 三年前の事件以後、マークたちに接触してきた日本国のエージェントである。

 彼は、日本国に根付く古いシェイプシフター達と、それと癒着した政府内外組織の一掃を目的としていた。

 詳しい部署名は教えてはくれなかったが、公安の、とだけ名乗った。


 まず、シェイプシフターたちは無国籍の民ではない。

 彼らはれっきとした、日本国籍を持つ日本人である。

 彼らの家系は遡る事が出来、明治以前、江戸のころから連綿と家柄が続いてきている。

 だが、守旧派は第二次大戦後の混乱に乗じ、国内にその勢力を張り巡らせることになった。

 日本国内外の勢力と結びつき、権力を得たのだ。

 彼らの意思に、この国は縛られていた。

 では、革命とは何か。


「どうやらお話が纏まった様子だ。決行について話し合おう」


 全ての会話は盗聴されている。

 堂島はカバンからPCを取り出すと、状況整理を始める。


「我々からも、何人か出そう。綿貫氏を陽動とすれば、大々的に彼の動きを彼らに知らせたほうが良かろう。今までのようにな。イヌガミの媛という個人戦力は当てにしないほうが無難だ。君達とこちらの手持ちの駒で流れをつめていこう」

「撮影の準備をお願いしたいんですがね。また機材をお借りしてもいいですか。戦力面に関しては異論はありませんよ」


 話し合いを始める二人を見て、彩音の心は揺らぐ。

 この国の使いである堂島と言う男、信用は出来ないだろう。

 人間でありながらシェイプシフター達の間に入り込み、その心を掴んだマーク。彼も常人ならざる存在だと言る。だが、この堂島と言う男もまた、彩音が知る人間という枠組みに収まらない何者かだった。

 化人以上に、人間は組織を組むことで化け物になる、と彼女は思う。

 その最たるものが彼らだと考えていた。


 会議が進む。

 公安は革新派を、スケープゴートとしたいのか、それとも守旧派を払うための英雄にしたいのか。

 国民が知るシェイプシフターとは、即ち彼ら革新派のことである。

 まずは守旧派の存在を知らしめなければならない。


「彼らに公の場で暴れてもらおう。そこを君たちに叩いてもらいたい。これが動画配信者殿の輝かしいデビューとなると思うが」

「犠牲が出ますよ」

「多少は仕方ない。こちらで処理する。そうだ、あの綿貫という作家を使ってはどうかな?」

「………」

「危険すぎます!」


 彩音は耐えられず叫んでいた。


「危険、と言うのは」


 堂島が顔をあげる。

 メガネの奥の瞳は、蛍光灯の反射でよく見えない。


「イヌガミの媛を徒に刺激する必要は無いと思います。あれを敵に回して良い事などありません……!」

「なるほど。一見すると可愛らしいお嬢さんにしか見えなかったが……あれはそんなに恐ろしいものかね」


 一考しておこう、とキーボードを打つ堂島。


「一大キャンペーンを打つにはマスコミに言うことを聞かせないといけないと思いますが」

「首根っこは押さえてある。それに、彼らにとって喉から手が出るほど、スキャンダラスな話題は欲しいだろう。守旧派と革新派の対抗軸を打ち出して行こう」


 なるほど、と頷きつつ、マークは、イニシアティブを握られているな、と考える。

 彼らは長年シェイプシフターに入り込まれた組織を見続けてきている。有しているデータ量も桁違いだろう。

 では、どこで自分たちは彼らに優ることが出来るか?

 それは、情報を発信し、浸透させる力だろう。

 彼らの裏を衝き、いかにして革命をおれ達だけのものにするか。

 マークは頭を巡らせる。


 やがて、話し合いは夜半にかかり、堂島が腕時計を確認した。


「いい時間だな。この案件は持ち帰り、詰めさせてもらうとするよ。しかし……この事務所は時計がないというのは不便だな」


 彼の言葉に、マークは笑いながらスマホを掲げて見せた。


「代用になるものがありますからね。そういう時代ですよ」

「時代か」


 堂島もまた笑ってみせる。

 組織の思考とは別に、この男にも思うところはあるらしい。


「では、マーク君。玖珂さん、水守さん、また」


 扉が閉じると同時、楓が、


「出来れば……二度と……会いたくない……」


 と呟いた。

 彩音も同感だった。

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