第17話 接触

「それじゃあ、まずどこに行こう?」

「お洋服を買いに行きましょう!」


 そういうことになった。

 僕と駒胞女史は、幸い昨夜を何事も無くやりすごし、駒胞女史の作ったダブルエッグ・ウィズ・ベーコンサンドイッチというなかなかヘヴィな朝食を平らげると、準備をしてから街に繰り出したのである。

 年頃の女子の準備は長いというが、駒胞女史の準備は意外にも短い。

 年齢も年齢だから、その辺はあっさりでもカバーできるのかもしれない。

 事実、ネットサーフィンしながら待っていた僕は、準備完了になった彼女を見ても、どこが変わったのかよくわからなかった。

 ちょっと唇の血色がよくなってつやつやしてる気がする。


「シェイプシフターは外見の老化が起こりづらいんです」

「えっ、そうなの。うらやましいなあ」

「先生も若返りたいんです? 私たちの体は、元の姿を維持しようと無意識に働き続けてるらしいんです。だから、何百年も生きていないと、お年寄りっていう外見にはなりません」

「へえ、本格的に人間とは違うんだなあ」


 しみじみ言ってから、あ、悪いこと言っちゃったかなと気になったが、駒胞女史は「そーなんです」とニコニコ。


「でも、きちんと人間との間に子供は残せるんですよ。むしろ、変身する動物が違うとシェイプシフター同士でも子供が出来づらかったりします」


 深いなあ。

 なんか狙われてる気がびんびんするけど、気付かないふりをして僕は外へ出た。

 駒胞女史はなんか妙に大きいカバンをひょいっと肩から提げて僕の後に続く。

 二人並んで朝の街を歩いているわけだが、駒胞女史、昨日までのよそ行きの格好ではない。

 カジュアルなシャツにパンツ、ヒールの低いパンプス。活動的な印象の姿は、なるほど、一昨日聞いた彼女の年齢を納得させるものだ。

 娘がいたらこんな感じなのだろうなあ、とも思うが、よくよく考えるとこんなに大きい娘はいようはずもないので、だとするとこの子は僕的にはどういう位置づけになるのだろうと、どうでもいいことに悩む。


「ふふふ、先生気付いてますか」

「何をですかね」

「ふふふ、これはデートなのです」


 頭をハンマーでガツンとやられた気分になった。

 そういう見方もあるのか……!

 するとこれは僕の初デートと言うことになるのか!? というかそう言うことを始まったばかり辺りで言っちゃうものなのか?

 僕の手を、小さな手が掴む。

 彼女は少し早足になると、


「ほら先生、早く行かないと電車が来ちゃう」


 と、僕を引っ張って行った。



 さて、街中である。

 僕の地元の商店街ではない。

 ビルやショッピングセンターが立ち並ぶ街中である。


「さて……お洋服はどこで買うものなんでしょうか。私、街中に服を買いに来るの初めてなんです」

「僕は大抵、量販店で買っちゃうなあ」

「じゃあそこにしましょう」


 ということで、色気も何も無い感じで、僕と駒胞さんは普段僕が通う、服飾の量販店に向かった。

 駒胞女史は左肩にバッグを下げていて、右手で僕の左手を握っている。

 こう、女性と手をつなぐのはなんとも気恥ずかしいものだが、何やらこういうぬくもりを感じているとホッとするのも確かだった。

 こういう話を書いたりしたことが無いではないが、自分で体験してみるとなるほど、いろいろ違う。


 エスカレーターに乗ったとき、駒胞女史がカバンの中に手を突っ込んでいたと思ったが、次の瞬間には彼女の手は外にあった。

 その直後、「ぐえっ」とか「ぎゃっ」とか叫び声が聞こえて、階下がひと時騒然とした。

 まあ多分、振り向きもせずに彼女が追っ手を撃退したのだろう。

 怖いなーとは思うが、駒胞女史といると何やら安全なのだ。


「昨日の今日でもう襲ってきた」

「違う派閥の人たちかもしれませんね。私のことをよく知らない人たちもいますし、そういう人は私の見た目で侮ってかかってきますから」


 確かに、この小柄な女の子がとても強いなんて、見た目からでは全く分からない。

 初見の印象で高をくくってしまう人がいても責められないな、とは思うのだ。

 それから、今日持ってきてたカバン、もしかして武器とか入ってる?

 僕らがやらかしたことで、ざわざわとするショッピングセンターの中を、悠然と歩く。

 エレベーターを上りきったところで、そのフロアそのものが服飾量販店だ。

 僕は駒胞女史を引き連れて、普段は決して行かない女性コーナーへ向かった。

 うわっ、下着だ!

 なんとなく罪悪感を覚える。

 目が泳ぐ。


「おおー! お洋服がたくさんあります!」

「あ、喜んでもらえた? それなら嬉しいよ」

「では先生選んでください」

「なんですって」


 僕はたじろいだ。

 女性の好きそうな服なんて分からないぞ。


「先生の思うがままに選ぶと良いのです。ふふふ、先生のセンスが問われますね」

「むぎぎ、駒胞さん、何故僕に試練を与えるんだ」

「先生、そのことですが」

「なんだい」

「そろそろ私を名前で呼んでくださっても良いのでは」

「いや、その、それは」


 駒胞女史の攻勢が止まらない。

 僕はやられっぱなしだ。

 とりあえず話題を逸らそうと、僕は駒胞女史に似合う服を探すことにした。

 僕はあまり悩むのは得意ではないので、直感的にこれだ、と思ったクリーム色のキャミソールをおすすめした。


「なるほど、では試着してみましょう」


 駒胞女史は僕を引き連れて試着コーナーへ行く。


「お嬢様ですか? お父様からのプレゼントなんですね」

「いえ、違います。恋人です」

「いえ、違います、作家と編集者です」


 店員さんの言葉に、反論する駒胞女史の言葉に僕がさらに被せた。

 ぶー、と不満げな駒胞女史を試着ルームへ押し込む。

 ふう、と一息。

 落ち着いて辺りを見回すと、なるほど、女性かカップル、夫婦しかいない。

 今日は平日なので、その数もさほど多くは無い。

 僕には無縁な場所だなあ、などと考えていると、さっきまでジーンズを選ぶそぶりをしていた女性がこちらに近づいてきた。

 店員さんではない。

 何だろう、と思っていると、


「綿貫先生ですね」


 と声をかけてきた。

 ファンの人であろうか。

 僕は数年に一度、サイン会などもやったりはするから、その時に顔を覚えられたのかもしれない。


「はい、僕ですが」


 相手の女性は、黒い髪を長く伸ばしていて、メガネの下の知的さを感じさせる切れ長な瞳が印象的だった。

 すらりと背は高く、やや撫で肩で、胸元を押し上げるボリュームはかなりのものだ。


「水守楓と申します。先生方がお探しになっておられる者の、使いとして参りました」


 そう告げた。

 水守と名乗った女性のこめかみから、一筋汗が伝っている。

 彼女のメガネのレンズに、僕の背後のカーテンから覗く駒胞女史の目が映っていた。

 うひょお。


「イヌガミの媛、私に交戦の意思はありません。お収めください」


 微かに震える声で彼女は言う。

 果たして、僕の背後から姿を現した駒胞女史は、いつもと変わらぬ目で水守さんを見つめた。

 キャミソール姿になっている。

 うん、これは可愛い。やはり女の子は胸ではないな。


「私たちのリーダーが会いたいと言っています。後ほどご案内します」


 そう言って、彼女はこちらを見たまま、ゆっくりと下がっていった。

 もっと話したいことがあるようだったが、無言で彼女を見つめる駒胞女史の前で、雄弁に語ることは難しそうだ。

 駒胞女史はこっちを見上げると、


「浮気はいけません、先生」

「そんなことしないよ!? っていうか浮気ってなに」

「先生は彼女の胸を凝視していました」

「人聞きが悪いこと言わないで」


 確かに視線を奪われはしたけれど……。


「駒胞さんのキャミソール姿が可愛くてそっちの方に目を奪われたよ」

「なんですって、本当ですか」


 この子の反応って、ちょっとおかしいんじゃないか。そこは喜ぶところではないのか。

 なんかぶつぶつと、「これは計算外の順調さです。第一段階を超えて第二段階まで来てしまいました。まさか私は想定以上の愛され上手……!」

 とか言っているので、間違いなく昨日見たあの本の内容を鵜呑みにしてる、この子。

 あの本は確か20年前に出版されているので、非常にノスタルジックな内容だと思うのだが。


「この服、買います。ください」

「あ、それくらいだったら買ってあげるよ」


 と、僕が財布を取り出したら、また彼女は衝撃を受けた顔をした。

 面白いなあ。

 包装してもらった包みを手渡すと、彼女はニコニコしながらぎゅっと抱きしめた。

 「私は天才だったのかもしれない」とか呟いているけど、あの本の内容を基準にするのはどうかなーと思う。

 買い物も終わったところで昼食と相成った。

 あっさりしたものが食べたいという僕の意見を聞き入れ、駒胞女史はセンター内レストラン街の蕎麦屋の暖簾をくぐった。

 無論、ここでも駒胞女史が食べるのはガッツリ系である。

 カツ丼と天ぷらそばを一緒に食べている彼女を見て、きつねそばの僕はちょっと胸やけがする思いだ。

 だがまあ、もろもろ含めて、さっきの駒胞女史の笑顔で今日の買い物は来た価値があったと言えるだろう。

 さあ帰ろう。

 ……あれ、何か忘れているような。


「お待ちしていました、綿貫先生、イヌガミの媛」


 ショッピングセンターの出口で、彼女が待ち構えていた。


「さっきから、視線を感じない……。革新派の皆さんの仕業?」

「ええ、私たちの仲間もまた、どこにてもいますから」


 水守さんと駒胞女史が会話している。


「旧守派……、私たちは彼らをそう呼びますが、常に私たちは彼らを監視しています。彼らの動きが、ある一点を中心に変化した。そこにいたのが綿貫先生、あなたです」

「なるほど」

「私たちにはあなたの力が必要です、綿貫先生。こちらへ。案内いたします」


 彼女は率先して歩き出した。

 僕と駒胞女史が続く。

 なるほど、駒胞女史はちょっと不満げな顔をしているが、買ってあげた洋服を抱きしめるのに両手を使っている。

 カバンに手をやれるように、片腕をフリーにしておく必要はないということか。


 僕たちが連れてこられたのは、とある雑居ビルの一室だった。

 まさか、日本に事実上宣戦布告したような、シェイプシフター革新派のアジトがこんな街中のビルにあるとは。

 どこにでもあるような貸事務所の扉をくぐると、水守さんは途端に様子が変わった。


「連れて……来た……。……よそ行きモード……疲れる……、もう……だめ……」


 急に猫背になって、ふらふら歩くと、少し離れた場所にあるソファに倒れこんだ。

 なんか急にだらけたなあ。

 僕たちの目の前にあるのは、応接間のように作られた区域だった。

 安っぽいソファが向かい合っていて、合間にガラスのテーブルがある。

 僕たちが見えるソファには、サングラスをした男が腰掛けていた。


「やあ、綿貫先生。お会いできて光栄です」


 男は立ち上がると、僕に握手を求めてきた。

 僕はこういう、なれなれしいというかリア充的スキンシップをしてくる人が苦手である。


「あ、どうも」


 握手は返すが、なんかやな気分だ。


「狗咆の媛も、お会いできて嬉しいですよ」

「立夏という名があります。駒胞さんと呼んでください」

「これは手厳しい、振られてしまったようだ」


 男が軽くおどけてみせる。

 男の背後には、やはりサングラスをした茶髪の若い女性が立っていて、彼女はその雰囲気からも、緊張しているのが伝わってきていた。

 誰も少しも笑わない。

 男は肩をすくめると、ソファを指し示した。


「お掛けください」


 僕たちは遠慮なく腰掛ける。

 お茶が出てきた。駒胞女史がくんくんにおいを嗅ぎ、ぺろりと舐めてみて大丈夫、と言うので、僕は安心して飲んだ。


「毒なんて入っていませんよ。それに、我々は綿貫先生の力をお借りしたくて招いたのです」


 男はマークと名乗った。

 その名に聞き覚えはある。以前、カリスマ動画配信者としてネットニュースを騒がせた人物だ。

 最近ではあまり名を聞くことも無くなったが、それでも時折配信される動画は、記録的な再生数を叩き出すという。

 その男が、なぜこんなところにいるのだろう。


「おれが、シェイプシフター革命を起こしたんですよ。彼らはもっと、世界に知られるべきだ。そして、世界は彼らを理解し、彼らの傅くべきなのです」

「にわかには、理解しがたいなあ」

「極論ですしね。おれも別に本気で言ってるわけじゃありません」


 マークは人懐っこい笑顔を浮かべて見せた。

 うーん、こういうイメージと違う印象を与えて好感を持たせそうな仕草は好きじゃないなあ。


「おれ達は世界を変えようとしていますが、それは何もシェイプシフターに支配される世界を作ろうって言うんじゃない。皆平等に隠し事無く暮らせる世界、それが必要だと考えるからです」

「ふむふむ」


 詭弁だなあ、理想論だなあ。と僕は思う。


「そのためには、人々の偏見をなくしていく必要がありますが、このために打つべき手は既に打ってあります。ですから、心配はいらないというわけですよ」


 彼は僕の反応を待つ。

 そして、期待したような反応が無かったので、一瞬鼻白んだようだったが、


「守旧派です。世界の裏側に幅広く入り込んだ彼らが、おれ達の邪魔をしてくるんです。彼らを排除しようにも、至るところに彼らは存在しているから、容易に手を出せない。ゲリラ戦を挑まれているようなもんです」


 その辺はなんとなく分かる。

 僕も昨日から二回、いや、駒胞女史が僕に知られず撃退したのを含めると、三回は狙われている。

 そもそも、こうやって狙われるのが頻繁になったのは、この人たちが革命を宣言してからだっていう気もするんだけど。


「ですけど、奴らが息を潜めるのを止めて姿を現すことがあるんです。それが、綿貫先生、あなたが現れたときです」


 ほうほう。


「つまり……先生を囮にしたいと?」


 駒胞女史、なんか声怖いよ。


「ありていに言えばそうですねえ。我々が安全は守ります。綿貫先生は奴らに対する寄せ餌となって欲しいわけです。それにこれは、そちらにもメリットが無いことじゃない。二度と守旧派に狙われなくなりますよ」


 うーん、どうかなあ。

 いまいち信用できない。


「それよりも、良い考えがあります」


 駒胞女史が口を開いた。


「化人の里を潰しましょう。そうすれば、集まってくるでしょう? そこを一網打尽にします」


 さらりと言ってのけた。

 もとから聞いていた話ではあるけれど、そこは駒胞女史にとっても実家であるわけで。

 だが、彼女の表情には何の感情も見て取れなかった。


「力を貸して欲しいのはこちらもです。先生の身の安全をお守りするには、化人の里に巣食う派閥が邪魔ですから」

「それは……綿貫先生を里に連れて行くって言う話? 無茶じゃないか」

「先生は、私の横が一番安全なんです」

「綿貫先生はそれで構わないんですか? 敵の懐の中に飛び込む形になる。なんの戦う力も無い、あなたが」


 僕はマークにそう言われ、うーん、とちょっと考えた。


「別に構わないよ。駒胞さんは有言実行だしね」


 それに、書き物のネタもできそうだ。

 何より、駒胞女史の提案だったら受けていいかなーなんて思うのだ。

 マークは呆れた顔をして僕らを見ていたが、大きくため息を吐いた。


「わかりました。その方向で協力しましょう。……こちらが考えているよりも、よほど無茶苦茶な作戦だ」


 そういうことになった。

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