第15話 やっぱり危険な家路
駅はちょっとした混乱状態だった。
僕と駒胞女史は、予定通りの時間に到着していたのだが、そこは平日とは思えないほど人でごった返している。
スーツを着た人々は、いつもの通勤電車に乗り降りしているのだが、その中に明らかに普段着の、大きなキャリーバッグを引き摺った人たちが混じっているのである。
あのバッグはいかにも邪魔そうだ。
サラリーマン諸氏は実に迷惑そうに、キャリーバッグの人々を見やっている。
「やっぱり避難しようという人がいるんだねえ。でも、一体どこに逃げようって言うんだろう」
「海外じゃないですか?」
海外かあ。
僕は思いを馳せる。
日本から出たことないからなあ。
やっぱり海外なら安全なものなんだろうか。日本のほうが治安がいいとよく聞くのだが。
「海外にも私たちの仲間はたくさんいますからねえ」
「えっ、いるの」
「いますよー。私たちの呼び名って英語でしょう。年に一回世界各国の代表者が集まる会議があるんですけど、そこでいつもその年の方針を話し合うんですよ」
ひええ、国際的だ。
なんか闇に潜むけものみたいなイメージを持っていた僕だったが、その話を聞いて彼らの存在に対するイメージが全く変わってしまった。
光の当たる場所に普通に存在している隣人というか。
「あの革命は大変でしょうね。世界中が注目していると思いますよ。どこにだって跳ね返りはいますし、日本を見て真似しようと言う人たちも出てくると思います」
「それって大騒ぎじゃない。これは大変なことになるぞお」
いまいちピンと来ないが、何かとんでもないことが起きようとしている、いや、起きているのは分かる。
この世界の激変の中で、果たして僕はどうなってしまうのか。連載を続けていけるのか。ご飯を食べていけるのか。
人ごみの中で悶々としていたら、手をむぎゅっと掴まれた。
「あっ」
「人が凄くて流されちゃいそうです。私掴まってるんで先生が道を切り開いてください」
駒胞女史はちっちゃいから人ごみだと視界をさえぎられて何も見えまい。だからと言ってそれはくっつきすぎだろう、腕がじんわりと柔らかくてあったかいものに包まれていてなんということだもっとやってください。
だが僕はチキンと言う名の紳士なのでそう言うことは口にしない。しないというかできない。
仕方なく我が家へ向かう路線のホーム目指して、複雑怪奇な駅構内を行くことにした。
のしのしと人を掻き分けるたくましい人を見つけて、その後ろに収まる。こうするとスリップストリームの要領で、人波という名の気流に押し流されることはなくなるのだ。前の人がやられたらだめだけど。
道は半地下へ潜り込み、やや蒸し暑くなってきた中を人がひっきりなしに行き来する。
地下特有のカビっぽさというか、そういう臭いを感じながら、やがて目指す改札へたどり着いた。
ここから私鉄沿線へ乗り換えである。
なんかすれ違ったスーツのお兄さんが、僕と駒胞女史を見てちょっとうらやましそうな顔をしていった。うん、気持ちは分かるぞ。
電車に乗る直前まで、駒胞女史は僕と適当な会話をしながらも、周囲に気を配っていたようだ。
旅館ではハニートラップか何かかと思ってたけど、考えてみると彼女は僕のボディガードだな。
僕程度の二流作家に何でそんなたいそうなものがついてくるのかは分からないけれど。
「危ないところでしたね」
「えっ、あぶなかったの」
席に座るなりいきなり言い出したので、僕は驚愕した。
「あの中に何人かいましたよ。さすがに人ごみが凄すぎて、何もできなかったみたいですけど」
「ひえー、怖いなあ。なんで僕なんて狙うんだろう」
「それはもう、先生が昔、あれをご覧になったからですよ。私の同族殺し」
「あー、あれかあ」
それにしたって、こうもひっきりなしに僕を襲ってくるのはちょっと困る。死んだら小説が書けないではないか。
「本当は先生の疑いはずっと前に晴れてるんですけどね。それを決定したイヌガミ一派が力を落としてしまったから、他の派閥が納得してなくてめいめい勝手に動いてるんです。まあ烏合の衆ですね」
「イヌガミって喫茶店でも聞いた気がするけど、それが駒胞さんの家の名前なの?」
「ですです。今は三つに分かれてますけどね。先生と私が出会った後で色々あって、今まで日本の彼らをまとめていたイヌガミの一派の権威が失墜したんですよ」
誰が聞き耳を立ててるとも分からないからか、駒胞女史はシェイプシフターと言う単語を出さないでいる。
「それじゃ、その派閥の人たちが今回の革命を起こしたわけ?」
「いえ、それはまた別の人たちです。私たちの中の特殊な革新派ですね。会ったことありますけど、リーダーの人、面白い人でしたよ」
「ふーん、結構事情も複雑なんだねえ」
色気の無い話をしながら、何駅かを過ぎる。
下り電車はさすがにこの時間、あまり人がたくさん乗ってこない。
ゆったりとした車内でまったりしながら、僕と駒胞女史は我が家の最寄駅へと到着した。
駅を抜けると、いつもと変わらぬ商店街。
例え世界が変わってしまっても、個々だけは変わらないのではないか、なんて思うのだ。
現実は、郊外にできたショッピングセンターに客足を奪われて、ちょっと衰退してきている。
特に親しい店があるわけでもないが、創作の構想を練るためにぶらつくには最適だ。
「駒胞さん、もうここまででいいよ」
「いーえ、家に帰り着くまでが取材旅行です」
遠足じゃないんだから。
と思いつつも、そういえば僕は命を狙われているのである。一人になったところを襲われてはひとたまりもない。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
今後の買い物とかどうするんだろうなあ。外出がやりにくくなるのはいやだなあ、なんて思いつつ、帰途を急ぐ。
途中、スーパーに寄って肉やら野菜やらを買い込んだ。
「先生、その組み合わせは」
「ぬっふっふ、カレーだよ」
「カレーですって」
駒胞女史の目が爛々と輝き始めた。
この子食べていくつもりだ。
「じゃあご馳走するよ」
「ありがとうございます。それじゃあ、明日の朝食は私が用意しますね」
「え、ほんと? 嬉しいなあ……って、明日もくるの?」
「来るというか、住み込みます」
「えっ」
なんだか凄いことになってきてるぞ。
僕が家に到着すると、どうやら荷物が届いていたらしい。不在者通知が入っていた。
「私の荷物ですね」
「いやいやいや、まずいよ駒胞さん。幾らなんでも」
「ご迷惑でしたか」
駒胞女史がちょっとしゅんとして見える。
「あいや、そういう事じゃなくて、男女が同じ屋根の下っていうのは、こう教育上よくない……じゃない、間違いがあってはいけないし」
「いやではないのならいいじゃないですか。先生の身をお守りしますよ。原稿もすぐ回収できるし」
「ええー」
確かにそう考えるととても合理的なんだけれども、僕はこう見えても男であるわけだし、日々のあれやらそれやら……。
悶々としつつ家の扉を開けようとしたら、駒胞さんが僕を遮った。
彼女がドアレバーを握り、ごく普通の勢いで開いていく。
僕は愕然とした。
家の中が荒らされている。
泥棒が家捜しをしたあとみたいに、ぐちゃぐちゃになってしまっている。
そして、その犯人と思しき連中が……そう、複数だ。3人家の中にいた。
みな、中年くらいの男たちだ。
彼らは身構えていたのだが、駒胞女史が姿を見せると、一様に一瞬目を瞬かせ、彼女が何者なのかを認識した後、激しく狼狽した。
「な、なぜあなたがここに……」
掠れた声がした。
「あら、今日からここは私の家です。あなた達は私の家で何をなさっておいでなのかしら」
いつもと変わらない駒胞女史の声。だけど、口調はやけに丁寧だった。
男たちの全身に緊張が走るのが、僕にも分かる。
「上の言いつけなのだったら、私が直接挨拶に伺いますね」
「も、申し訳ございません!」
中年たちの一人が土下座せんばかりの勢いで頭を下げたとき、端にいた男が動いた。ポケットから何か取り出す。拳銃?
男が黒い塊を取り出す寸前、駒胞女史は僕を軽く外へ突き飛ばして、扉を閉めた。
立て続けに男たちの叫び声がする。
ガラスの破れる音。
わずか10秒にも満たない時間だ。
僕はそのまま固まってしまって、ずっと扉の前に立っていた。
だから、向こうから扉が開いたときはびくっとした。
足っていたのは駒胞女史だ。汗一つかいていない。いつもの笑顔で、
「終わりましたよ、先生。当分大丈夫です」
そう言った。
相手側が、僕と一緒に駒胞女史がいることを認識したから、だそうだ。
一歩踏み入った部屋の中は、床のあちこちに黒ずんだ跡がある。血ではないだろうか……。
血だとすれば、その中に落ちている割り箸がいかにもシュールである。
確か駒胞女史が、電車の中で駅弁を食べ終えた後、二膳をカバンにしまっていたのを覚えている。
あれで撃退したのか。
落ちている数は全部で四本、一本は先が折れていて、どれもが先端を黒っぽく染めている。
「片しちゃいますね。先生、お料理しててもらえますか。その間にきれいにできますから。あと、宅配便にも電話しないと」
「うーむ」
怖いなあとは思うが、反面この子すげえなあ、とも思う。
どちらにせよ、いいネタができた気がする。このことはそのうち書こう。きっと書こう。
心に強く誓いながら、僕はビーフカレーを作り始めた。
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