第13話 革命宣言

 駒胞女史の衝撃的な告白から一ヶ月が過ぎた。

 僕はというと、それ以前と何も変わらない、まったりとした日々を過ごしている。

 考えても見て欲しい。


「実は、世界は君が知らない間に変わってしまっていた!」


 的なことを知ったとして、今までその変わってしまった世界で普通に生活していたわけだから、知る前と知った後で何か暮らしぶりが変わるだろうか。いや変わるまい。

 変わる人もいるのだろうが、僕は変わる人ではなかった。

 それはそれ、これはこれという考え方だ。

 僕が駒胞女史の言葉に、「ほーん」という反応を見せても、彼女は別に気分を害したりなどしていなかった。

 彼女自身が、世界のありようが僕の認識と大きく異なっていることそのものを、大して気にしていないようだったのだ。

 なので、駒胞女史は山本氏からの担当引継ぎを粛々と終え、僕の担当となっていた。

 編集部で一番若い女性が担当ということで、たまに会う作家仲間からはえらく羨ましがられた。

 実際、若い女性が一人身近にいるだけで、やる気と言うものがちょっと変わってくるものである。

 男のDNAというのは悲しいもので、本能的に女性にいいところを見せたくなるものらしい。

 具体的には、僕の仕事の速度が早くなり、積極的に取材に出かけるようになった。

 僕の入稿が早くなったことを編集部は喜び、駒胞女史の評価はちょっぴり上がった。

 どういう訳か彼女は僕以外を担当しておらず、他は広告代理店とのやりとりくらいだった。


「先生、私お腹すいちゃいました」

「あ、もう?」


 今日も取材先にて旅館泊まりである。

 経費節約なのか、それとも彼女の策謀の結果か、あろうことか同室である。

 年頃の女性が男と一緒の部屋に……! とむらむら来ないこともないというか来るのだが、それはそうとして仕事をせねばならない。

 早めにチェックインした僕たちは荷物を旅館に置き、その地方の旨いものめぐり……ではなく、微妙なものめぐりをしていた。

 僕のエッセイのネタはこれである。

 観光地に行き、わざとその地でしか食べられない微妙なものを食べて回る。

 そして、店と食べ物、地域に関しての、毒にも薬にもならない文章をたらたらと書き散らすのである。

 不思議とこの仕事が、僕の本分である小説よりも人気があって、癪(しゃく)だ。

 僕と駒胞女史は、一切海産物を使わないもずくのようなものをぼそぼそ食べ、曖昧な感想を交し合いつつ店の外に出たところだった。

 僕としては微妙なものでお腹と言うか、胸がいっぱいで胸焼けすらするのだが、若い女の子の食欲と言うものは侮れない。

 早速、女史が所望されるお肉をたくさん食べられる店に入った。

 昼間から焼肉である。


「お肉盛り合わせにしましょう! さあ食べるぞー」


 彼女はトングを片手に勇む。

 定額食べ放題である。

 この子はいつもこんなで、エンゲル係数が心配になる。

 鳥、豚、牛、ホルモン、成型肉、なんでもかんでも取ってきて、別のお皿にキャベツとジャガイモ山盛りである。

 本当に食べきれるの? と言う疑問がわいてくるが、彼女は食べきるのだ。

 この小さな体のどこにこれだけの量が収まるというのだろう。


「ほら、先生も食べないと損ですよ。食べて食べて」

「あ、あ、そんなにたくさんいらないってば」


 焼きあがった端から、僕と自分のお皿に肉を取り分けてくる。

 一応、僕の皿には脂身が少ない肉を入れているだけ考えてくれているようだが。

 これは夜がもたれそうだ。旅館の夕食楽しみにしてたんだけどなあ。

 結局、僕は途中からベジタリアンに宗旨替えして、まったりと野菜を食んだ。

 目の前で美味しそうに大量の肉を消化していく駒胞女史を見るだけで、お腹が膨らんでいくようだ。

 僕は途中でギブアップし、お茶など飲みながら、肉食系女子の食事風景をまじまじと見つめた。

 ショートカットの、ともすれば女子高生くらいに見える女の子が、スーツでびしっと決めて、汗をかきかき一心不乱に肉を食べている。

 駒胞女史はコンパクトな見た目ながら、全体的に引き締まった印象。

 胸元はちょっと薄いが、腰から太ももにかけてのラインはなかなか見事だ。

 柔らかさと同時に、肉食動物の精悍さを併せ持っているように思う。


「ごちそうさまでした!」


 食事が終わったらしい。

 彼女は口の周りを紙ナプキンで拭き拭き、


「あれ、先生どうなさったんですか、私のことじっと見て」

「いや、美味しそうに食べるなと思って」


 彼女は「ほーん」という顔をした。

 まあ、女性が美味しそうに食事する風景を見ようとして、視線を尻にやる者はおるまい。

 僕はこの話題を無理やり打ち切り、お会計を済ませた。

 外が何やらざわざわ騒がしい気がする。


「なんですかね」

「さあねえ」

「何かのお祭りでしょうかね」

「今日は平日だよ」


 適当な会話を交わしつつ、僕たちは旅館へ戻った。

 旅館に到着しても、何やら周囲がばたついている気がする。

 気にはなったが、僕はお腹が苦しいのと、外を歩いて肌が汗でべたつくのが気になったので、とりあえず周りのことは後回しにした。

 ゆっくり休むか、温泉に入るか……。

 部屋に戻ってお茶を飲む。

 さすがにここまで来ると、周囲も騒がしくは無い。

 一体何なのだろう。


「先生、温泉行きましょう、温泉。私、汗でべたべたしちゃってるんで、夕飯の前にさっぱりしたいんですよね」

「そうだなあ。っていうか、駒胞さんもう夕飯のこと考えてるの」

「旅先で一番の楽しみは食事ですよ先生!」


 このコンパクトな体の中に、どうやって食べ物が収まっていっているのだろう。

 じっと見ていると、主に体の一部分に視線がいってしまう。

 すると、僕が凝視していた部分を隠す布地がはらりと落ちた。


「えっ」


 思わず目をこする。

 駒胞女史が浴衣を広げて、着替えようとしているのだ。


「ちょっちょっちょ、ちょっと待って駒胞さん、ここで着替えるの!?」

「ここでも何も、部屋はここしかないんですから」

「浴室とか」

「ここの浴室狭いんですもん。浴衣着て温泉行きたいじゃないですか。先生だって、じっと見てていいんですよ? 私、先生に見られてても構いませんから」

「ひぇー」


 変な声が出た。


「ぼ、僕も着替えてくるよ!」


 僕は浴衣を抱えて、慌てて浴室に飛び込んだ。

 この旅館はそれぞれの部屋にも内風呂が用意してある。出てくるお湯は温泉らしいので、これはこれで他人と湯船に浸かりたくない人にはいいのかもしれない。

 しかし、どうしたことだろう、あの駒胞女史の積極性は。

 近頃の若い女の子が考えることは全く分からない。

 そもそも僕は女の子と付き合ったことなど無いので、若くない女性の考えることもさっぱり分からない気もする。

 これは、いわゆるあれか。ハニートラップというやつか。

 編集部は僕に原稿を書かせようとして、駒胞女史をお色気要員として送り込んできたのだろうか。

 いや、それはおかしい。僕はそもそも、若くきれいな女性である駒胞女史が一緒にいるだけでテンションが上がって自動的に仕事をする。ハニートラップなど必要ない。

 僕は唸り声を上げて考え込みながら、浴衣に着替えた。帯の締め方がいい加減だがまあいいだろう。


「先生、帯が変です」

「あ、そう?」


 早速駄目だしされてしまった。

 浴衣に着替えた駒胞女史は実にキュートである。

 硬い印象のスーツ姿もかっこいいが、こうしてゆったりとした浴衣に身を包むと雰囲気も変わって、大和なでしこといった印象である。

 女史に帯をむぎゅむぎゅ直してもらった後、僕たちは温泉へと向かった。

 温泉入り口の前で、お互い健闘を祈りつつ別れた。

 さて、待望の温泉である。

 弱アルカリ線でなんちゃらかんちゃら、うんちゃらなんちゃらと効能が書いてある。

 そうかそうか、と僕は適当に読み流しながら浴衣を脱ぐと、手ぬぐい一つ肩にかけて風呂場へ向かった。

 何を隠すことがあろうか。

 果たして、風呂場は広々として……思ったよりも人はいなかった。

 早い時間にやって来たせいであろうか。

 お湯を体に引っ掛けて、早速温泉に浸かる。

 唸り声が出た。

 これはたまらない。

 すぐ近くで、熊のように大きな人も唸り声を出していた。


「いい湯ですなあ」

「全く」


 少しだけ会話をかわすと、また僕は唸り声をあげながら肩まで沈んだ。

 珍しく、この温泉はそう熱くない。程よい気がする。

 お湯から手を上げると、わずかにぬるぬるする気がして楽しかった。

 ぼーっと湯船に浸かって、外で体を洗ってからまた湯船に浸かった。

 そろそろ温泉に入るのも飽きてきて、僕は外へ出た。

 また適当に浴衣を帯で留めて外気の涼しさを堪能していると、先に出ていたらしい駒胞女史が寄ってきた。


「なんだか人が少なくなかったです?」

「少なかったねえ。おかげでのんびりできた。お湯がぬるぬるしてて面白かったよ」

「あ、私石鹸買っちゃいました。この旅館オリジナルだそうです」


 僕たちは会話になってないような会話をして、まったりと部屋に戻った。

 また駒胞女史が僕の帯を締めなおす。

 部屋に戻ると、豪勢な夕食が並んでいた。

 仲居さんがやってきて、いろいろ説明しながらご飯を盛ってくれた。

 昼にあれだけ食べたというのに、僕の胃はぐうと鳴る。

 これは食べるほかあるまい。

 仲居さんがビールの栓を抜いてくれたのを駒胞女史が受け取った。


「先生、どうぞどうぞ」

「あ、こりゃどうも」


 僕はグラスで、きんきんに冷えたビールを受ける。

 そんなにビールは好きでは無いが、まあこういうのは雰囲気だ。きっといつもよりも美味しいに違いない。


「じゃあ、駒胞さんもどうぞ」

「私、まだアルコール飲めない年齢なんで」

「あ、そうなの」


 残念、駒胞女史はノンアルコールで乾杯となるようだ。

 …………。


「えっ」

「? どうされました先生」

「く、駒胞さんってまだ未成年なの?」

「あ、はい、17です」

「えっ」


 なんかちっちゃいし童顔だし若々しいなと思っていたら、本当に若かったとは。

 というか編集部、こんな若い子入れていいのか。

 というか下手をすると娘くらいの年齢の女の子と同じ部屋でいいのか。いいのか。


「はい、先生、かんぱーい!」

「かんぱーい」


 釣られて乗せられてしまった。

 ぐいっとビールを一息で飲み干すと、駒胞さんが未成年だとか一緒の部屋だとかは些細なことに思えてくる。

 僕はアルコールに弱い。


「まあ、いっか」

「いただきまーす」


 かくして、僕はビールを一瓶あけてぐでんぐでんになり、駒胞女子は僕の食べ切れなかった分までお料理を平らげてご満悦となった。

 この辺、よくは覚えていないのだが、布団を敷いてもらうことになって、僕はすっかり出来上がっていたので、対応は駒胞女史に任せきりになっていた。

 敷かれた布団に寝転んで、すぐに僕は意識を失った。

 駒胞女史はテレビなど見ながらのんびりしていたようだが。

 アルコールと言うやつはすぐに眠くなってしまっていけない。

 翌朝、僕は頭の重さを感じながら目覚めた。

 普段あまり飲んでいないのに、ここぞとばかりに酒を摂取するものではない。

 すっかり楽しい旅館の夜の記憶がなくなってしまっている。

 布団が一枚しか敷かれておらず、同じ布団の中で駒胞女性がぐうぐう寝ていたのはさすがにたまげた。

 何があったというのだろう。

 寝相で彼女の浴衣ははだけていたが、僕の浴衣の下のパンツはきちんと装備されたままの状態である。

 間違いはなかったらしい。たぶん。

 まだ朝食の時間でもなかったから、僕はごそごそと布団を抜け出した。

 家では滅多につけることのないテレビをつける。

 ニュースが流れていた。

 どうやら昨日、大変なことが起こったようで、スペシャル番組のようになっていた。

 朝っぱらからご苦労なことである。


「んー、ん、先生、おはようございます」


 駒胞君も目覚めたらしい。

 こら、僕の背中にのしかかるのはやめるんだ。いろいろ当たって気持ちいいじゃないか。


「あれ……本当にやっちゃったんだ……」


 駒胞女史がつぶやく。

 ばかな、天地神明に誓ってやってないよ!たぶん。記憶ないけど。

 いや、どうやら彼女のつぶやきの先はそんなことではないらしい。

 僕もテレビ画面に目を向ける。


『議事堂を占拠』

『警備員全てと入れ替わっていた』

『インフラを制圧』

『革命』


 刺激的な言葉が踊る。

 これはバラエティか。

 いや、これは朝っぱらから放送している、お堅いニュースだ。

 それが、こんな現実味の無い内容を語っているのである。


『シェイプシフター革命』

『時代は変わった』


 僕たちの知らぬ間に、世界は変わってしまっていた。

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