第12話 化人たち
翌朝、僕はトーストなど齧りながらニュースを見た。
昨日の蛇騒ぎは放送されていなかった。
動物園へ搬送されていた蛇が逃げ出した。そういう話になっていたはずだが、それさえも話題にはならないのか。
不思議さを覚えた。
PCを立ち上げてみる。
『喫茶店 蛇』と検索する。
何件かヒットするが、どれもこれも昨日体験した事とは違う。
いわく、蛇を飼ってる喫茶店だとか、蛇の名前の喫茶店だとか。
トーカーという、短文章を投稿するSNSがあるが、これも同様に、検索しても事件が出てこない。昨日あれだけ、スマホでパシャパシャやっている人たちがいたはずだ。
不思議なくらいに何も無い。さすがにこれはおかしい。
僕は食べかけのトーストに、山ほどマーガリンを塗りつけると、大口をあけてかぶりついた。トランス脂肪酸とかなんとか、僕はそういうのをあまり気にしない。
PCとにらめっこしながら唸っていると、こんな朝っぱらからドアのチャイムが鳴った。
僕には、こうやって尋ねてくるようなタイプの友人はいない。
あえて言うなら山本氏だろうか。いや、山本氏は昼過ぎまで出てこない。あのぬぼーっとした人物はどちらかというと夜行性なのだ。職業病かもしれない。
だとすれば何かの勧誘とか、望まぬ集金かもしれない。冗談じゃない、僕はあのチャンネルは見ていない。
僕は注意深く、足音を立てないように玄関に向かった。
僕の住まいは1DKのマンションである。一人で住む分には十分すぎる広さだ。
慎重に歩いていくと、玄関到着までに思わぬ時間がかかる。
無論、その間もチャイムは鳴らされっぱなしだ。遠慮と言うものが無い。一体なにものか。
僕はそっと覗き窓に目をやった。
「うわあ」
あちらからも同時に覗き込まれた。
こ、これはなんだ。まさか、昨日の事態の目撃者を消しにやってきたというのか!
「先生ー、綿貫せんせー」
緊張感の無い声が僕の警戒心を生まれる前に霧散させた。
駒胞女史がビニール袋をぶら下げて、外に立っている。
僕は扉を開けた。
彼女からは、ふんわりと良い香りがする。
「あ、いい匂い」
「でしょお」
駒胞女史は得意満面。
「お肉買ってきたんです。一緒に食べましょう」
彼女が持ち上げたビニール袋からは、確かに焼けた肉の良い香りがする。ちがう、いい匂いはそっちじゃない。確かにいいにおいだけど。
「入れてください」
彼女は僕が半開きにした扉をこじ開けにかかった。
未だ僕が住み着いてよりウン年の間、女性の侵入を許していない鉄壁の扉である。
僕の中で果たして入れるべきか入れざるべきか、煩悩とちょっと待たないかという気分がぶつかりあった。
「お邪魔しまーす。おー、どこもかしこも先生の匂いがしますねー」
「あっ」
侵入を許してしまっていた。
小柄な彼女は、僕の腕の間から体を滑り込ませるようにして、女性未踏の我が家へと、見事に入り込んでしまったのだ。
考えてみれば、彼女は僕の担当になるわけだから遅かれ早かれ我が家に入ってくることになっていた気もする。
それに、彼女には聞きたいこともいろいろあったのだ。向こうからやって来てくれた事は好都合と言えるのではないか。
こうなれば話は早い。
昨日の事件や、何年前かに起こったあの事についても詳しく聞いてみよう。
「あの、駒胞さ…」
「先生は朝はトーストだけなんですか?それだけって良くないと思います!お肉を食べないと力が出なくなりますよ。それともダイエットしてるんです?太ってないのにダイエットするのは良くないと思います!さあ食べましょ食べましょ、たくさんお肉買って来ましたから!」
話しかけようとしたらその十倍くらい喋られたぞ。
駒胞女史が袋を開けると、中からはフライドチキンやから揚げ多種、フランクフルトにフライドポテトが姿を現す。
「あ、これは野菜です」
「フライドポテトが!?」
近くのコンビニで買い込んで来たようだ。朝方のホットスナックは作りたてなことが多い。みんな美味しそうに湯気を立てていた。
だが、見ているだけで胸焼けする光景でもある。
「ちょ、ちょっとだけいただくよ」
僕は一番小さいから揚げスティックを頂戴した。
「昨日も思ったけど、先生、小食ですよね」
僕のプライベートルームにやってきた彼女は、そう言いつつきょろきょろと部屋の中を見回している。
くんくんと鼻を動かして、満足そうにうなずいて、
「それじゃあ、ちょっといただいちゃいますね」
一番大きなフライドチキンを手に取ると、大胆にかぶりついた。
ようやくちょっと静かになった。
さて、僕には、彼女に聞きたいことが色々とある。まさかこの期に及んで人違いと言うことはないだろうが、駒胞女史があの夜僕が出会った狼少女であろうから、きっと今現在の事情について詳しいのではなかろうか。
僕はから揚げスティックを口に押し込めて、急いで咀嚼した。
僕と駒胞女史二人分の麦茶を入れ、僕の分はすぐに飲み込む。
「駒胞さん、ちょっといいかな」
まだ絶賛食事中の彼女だったが、僕は切り出した。
彼女はお肉を口に含みつつうなずき、しっかりよく噛んで、飲み込んでから口を開いた。
「はい、なんでしょう」
「昨日の蛇男のことなんだけど……詳しく聞いてもいいですか?」
「分かる範囲でしたらお答えしますよ」
駒胞女史は八重歯を見せて微笑んだ。さて、どこまで信じられるものか。
「まず、昨日のあれはなに?」
「化人(けにん)です。化ける人、と書きます」
「化人……みんな変身するの?例えば、狼とか」
狼、という言葉に、駒胞女史は満足そうにうなずいた。
「覚えてたんですね、うれしい。狼になるものもいれば、昨日のように蛇になるものもいます。それと、化人というのは昔からのこの国での名前で、今は国際的にこういう名前で広まってます」
一拍あけて、
「シェイプシフター」
あっさりと。
実にあっさりと、彼らが何なのかを知ることができた。どこまでが本当か分からないけれど、実際に人が人ではないものに変わるのを見てきた身としては、疑う理由が無い。
「その、昨日、駒胞さんがやっつけたあいつは、駒胞さんもそのシェイプシフターだとすると、なんでそうなったの。つまり、仲間とかじゃないわけ?」
「変身するものによって、派閥みたいなのが違うんです」
またもあっさり言う。
いくら派閥が違うからといって、あんなふうに簡単に殺してしまうものだろうか。
「それは、彼が綿貫先生を狙ったからですよ」
彼女はあまり、克明には答えない。僕が質問したことについて答えて、少しだけそこに補足を加える感じだ。
それら返答の断片を拾い集めていくと、昨日の事件はこういうことだというのが分かった。
どうやら数年前に駒胞女史が殺した狼男は、その後、死体が消えてしまったらしい。最後に死体と接触したのが僕だということで、どうやら化人たちは僕を疑ったらしい。だが、その疑いも様々な調査を経て、シロという判定になったそうなのだ。
だが、そう簡単に事は収まらない。シェイプシフター全体が下した裁定に異を唱えるものの一派があの蛇男だったのだ。
だったら、もっと簡単な方法でこんな面倒ごとはおきなくなるではないか、と僕は思った。
わざわざ仲間の間に確執を作ってまで、僕を調べるようなら、疑わしきを罰してしまえばいい。
昨日の出来事が事件として報道されていないのは、つまりは彼ら化人たちが起こすアクシデントが、表ざたにならないようになっている、現代はそういう世の中だということだ。
僕を消してしまっても、きっと騒ぎにならないに違いない。
「だめですよ、それはできません」
駒胞女史が身を乗り出してきた。
「だって、先生は私のお気に入りですから」
生かされている、ということだろうか。
背筋が薄ら寒くなってくるような話だ。
つまり、シェイプシフターはこの世界に幾らでも潜んでいて、それも人間の生殺与奪権を持っているようなものなのだ。
「でも、そんな大したものではないですよ。特権階級だとか、そういうものでもない。じゃないと、私たちがずっと正体を隠すわけがないでしょう」
そこで、話は終わりになった。
駒胞女史は持ってきた肉類を平らげると、フライドポテトを口直しにしつつ、我が家の麦茶を飲み干して行った。
昼ごろから山本氏がやってきたから、そこからはまたファミレスに会場を移し、いつも通りの打ち合わせとなったのである。
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