第7話 化人裁判

 マークとシェイプシフターの若者たちの活動が活発になってくると、自然に一族を支配する者たちの耳にもこのことは伝わってくる。

 動画配信者としてのマークの評判は上がっていたが、まだ社会に大きな影響をもたらせるほどではなかった。

 その日、マークは出先から戻る際、見知らぬ男女に周囲を囲まれた。

 不意に人の気配がしなくなる。なんらかの手段で人払いがされているのだろう。

 囲んだ人々の目にはこれといった感情は無く、ごく事務的な様子である。


 ……こういうことを何度もやってきたのだろう。


 逆らう気は無い。

 マークは彼らに促されるまま、ワンボックスカーへと詰め込まれた。

 目隠しをされ、どれだけの距離を走ったものか。

 目隠しを外されると、そこは閑静な林の中。ケータイで時間を確認すると、1時間ほどが経過していた。電波は通じていない。

 やがて車が到着したのは、古びた大きな屋敷である。

 周囲には点々と家屋が存在し、集落のような印象を受けた。

 家々から、そして木々の合間から視線を感じる。

 ここはシェイプシフターの集まりなのだ。一体どれほどの彼らが潜んでいるのだろう。

 マークは内心恐怖を感じた。

 不意に、マークの眼前にイメージが浮かぶ。

 古く、固く絡まりあった荒縄を切り裂く刃のイメージ。

 やるべきはここだ。ここしかない。

 そう決意し、屋敷の中へ足を運んだ。

 前後を集落の者に挟まれ、どこかへ連行される。誰も一言も口を利かない。

 渡り廊下を歩いていると、少し遠くに離れが見えた。構造はまるで牢獄のように堅固で、窓らしきものには鉄格子がはめられている。

 そちらへ意識を向けていると歩みが遅くなっているのか、背中を押された。

 やがて到着したのは、大きな扉だ。

 一見して和風の屋敷の中に、洋風作りの扉が鎮座している様子は奇妙に思えた。

 扉を開けると、中は広々としたスペースになっている。

 

 ……まるで裁判所だな。


 そう思えるようなつくりをしていた。

 周囲には人々が立つスペースがあり、既にそれなりの数の人影がある。

 面白いのは、その場所ごとに、似たような特徴を持った人々が集まっているところだ。

 ほっそりとして、目つきの鋭いものたちが集まっている場所。大柄なものたちが集まっている場所。落ちつかなげにうろうろするものたち。

 彼らのスペースの最前列は椅子が用意されており、そこにはいかにも威厳がある老人たちが座っていた。

 ただ一箇所、ひどく目を惹くところがある。

 誰もスペースに立ってはおらず、椅子には一人だけ、明らかに年若い少女と見られるものが座っている。

 大柄なものたちも、気性荒げなものたちも、自分たちのスペースだけではいかにも手狭に見えるのだが、ごく近くにあるそこには決して立ち入らない。

 そしてこれらのスペースの中心に、椅子がひとつだけ据えてあった。

 これが、己を弾劾する場であることをマークは理解した。


 中央の椅子に座らされると、場が一望できる。

 そこここに見知った顔があった。

 いや、分かっていて彼らは呼ばれたのだろう。

 老人たちの背後に、彩音が、しのんが、楓が、涼がいる。大柄なものたちの中に大吾がおり、それ見たことか、という風に笑みを形作っている。宰は……見当たらなかった。


「さて……ここに呼ばれた理由は分かっていような」

「我らが古き理を、徒に破ったがためよ」


 彩音の前に座っている老爺が口を開いた。

 隣り合うスペースに座るのは老婆である。鋭い印象を持つものたちを従えていたが、老爺と老婆の背後のものたちはどこかしら雰囲気が異なっていた。

 彩音は申し訳なさそうに顔を伏せ、今にもうずくまってしまいそうな印象だ。


「化人は知られてはならぬ。そう決まっている。故に、汝は断罪されねばならぬ。報いは……死だ」


 老爺の言葉に、シェイプシフターたちが静かに熱を帯びたのが分かった。

 血を見られる予感に、興奮を覚えているのだ。


「死を」

「死を」

「死」

「死!!」


 熱を帯びた声が漏れ聞こえてくる。やがてそれは合唱となる。

 彩音が何か叫んで飛び出そうとし、周囲の者たちに押さえつけられる。

 しのんは5,6人から拘束されているが、あ、一人蹴り倒した。

 楓は何か物騒なものを取り出そうとして、慌てて蛇に変じた仲間に縛り上げられた。

 涼はじっとこちらを見やっている。その唇が動いた。


 それでおわりなのか。


 まさか。


「何故、化人は知られてはならない?」


 マークが発した声が響いた。

 この大きな部屋の構造上、中央にいるものの声は周囲の喧騒に打ち消されやすい。言葉を封じるための構造なのだ。

 だが、マークは仕込みをしてきていた。彼の襟にマイクがついている。

 楓が持ち込んだのはスピーカーだ。他、涼も小型ながら同じものを持ち込んでいた。


「あなた達には、人間をはるかに上回る力がある。そして人間と同じ知性がある。人間より優れた存在だ。なのに、なぜ知られてはならない?」

「愚かな」


 老爺の声は掠れていた。

 マークの発言に面食らったようだが、すぐに己のペースを取り戻したようだ。


「人の数には勝てぬ。個々に力があれど、すぐに数に押しつぶされよう。化人は滅ぶ」


 言葉には、恐怖と言う感情が刻み込まれていた。シェイプシフターは人を恐れているのだ。

 だが、


「ならば人を支配すればよろしい」


 マークの返答に、場は静まり返った。

 そして、ざわざわというざわめきが広がっていく。


「あなた達は人の間に生き、人の社会を知っている。人と同じく動けるものが、人を超えた力を持っていれば、それを支配できるのも道理だろう!」


 力強く言葉をぶつける。

 場にいるものたちの中、明らかに若いものたちが、マークを見つめる視線、その質を変えた。


「それに、戦う必要などない。彼らの中に入り込み、彼らから支持を得ればいい。幸い、現代にはそういう手段はいくらでもある。

 第一……この情報化された現代で、いつまでも秘密を守り通しておけるとお思いか? いつか支えきれず、漏れてしまう秘密ならば、守るよりはこちらから打って出るべきだ」

「机上の空論に過ぎぬ!」

「試してみなければ、何もかも空論でしょう。人を恐れる必要は無い。時代は変わったんです」


 ざわめきが大きくなる。


「化人裁判を愚弄するか! 殺せ! 殺すのです!」

 

 激昂し、老婆が立ち上がる。

 彼女の取り巻きが何名か、己のスペースを飛び出してきた。

 対応するように、マークの仲間たちも身構える。


「ふふ……ふふふふふ……」


 鈴の音のような、柔らかな笑い声が聞こえてきた。

 マークはその瞬間、場を支配した空気を忘れることが出来ない。

 場の空気が凍りついたのである。

 先ほどマークの発言が呼んだ一瞬の静寂ではない。誰も彼もが、恐怖に凍りついたのだ。

 声を発するのは、ただ一人、スペースに設けられた席に身を預けた、年端も行かぬ少女。

 中学生くらいだろうか。


「面白いです。まるで、革命。学校で習いました」

「狗咆(くぼう)の……イヌガミの媛」


 老爺が呻いた。


「狗牙(くが)のおじいさま、狗裂(くさき)のおばあさま、狗咆はこの方を支持します。だって面白そうだもの」


 たった一人の狗咆。

 少女の言葉に、誰も反論の句を告げることができない。

 他の老人たちも同様だった。

 シェイプシフターの中で、この少女の立ち位置は特別らしい。

 老婆の取り巻きたちも、露骨に怯え、助けを求めるように狗裂の老婆を見やった。


「戻りなさい! ええい、忌々しい」


 老婆の声に、彼女の取り巻きはもといたスペースへと戻っていく。

 シェイプシフターたちを統括する幾人かの老人たち。彼らは結論を出すことが出来ず、口々に呻いていた。

 時折目線が、苛立ちと畏怖を合わせながら狗咆の少女へと向けられる。

 イヌガミの媛はニコニコとして、揺るがない。


「……閉じ込めよ」


 そのように相成ったらしい。

 思ったよりも穏便な方向になったな、とマークは思う。

 彼はシェイプシフターの男たちに連れられて、屋敷の半地下にある牢のような場所へとやって来た。

 かび臭いこの空間に、マークを閉じ込めるつもりらしい。

 ここまで歩きながら、マークはあの場にいた若者たちの顔を思い出していた。

 自分に賛同した4名だけではない。他にも、名も知らないシェイプシフターの若者たちが、目を輝かせてマークの言葉に聞き入っていた。


「革命か……」


 高い場所にある大きな窓は鎧戸で、そこから光が漏れ出てくる。

 その輝きを見つめながらマークは笑んだ。


「それも、いいな。……いや、それがいい」

「おい、お前、歩け!」


 後ろからせっつかれた。

 鷹揚に手をあげて反抗の意思が無いことを示す。そうしながら、鎧戸を……いや、天井を見上げた。

 そこにいる、大柄な肉食の獣と目が合う。

 その獣……山猫は、マークにウィンクを返してきた。

 その直後、山猫がマークの前にいたシェイプシフターに踊りかかった。

 変身する暇など与えない。地面に押さえつけると、見る間にその姿がしのんになった。彼女は手にしていたロープで器用に、その男を縛り上げる。

 背後にいた男も倒れていた。

 足元にはほっそりとしながらも、長い体躯を地に侍らせる蛇がいる。その口元から滴るのは、毒か。

 蛇もまた、すぐさま姿を楓へと変えた。


「おいおい……なんて格好だよ」


 マークは呆れながらもちょっとにやけた。

 愛らしい少女たちは、二人とも一糸まとわぬ姿である。

 しのんのスレンダーながらもしなやかさを感じる肢体と、楓の衣服の上からでは窺い知れなかったボリュームとくびれ。


「んもー、マークはにやにやしてる暇無いわよ!」

「すぐ……追っ手が……来る」


 音も無く、鎧戸が外からこじ開けられた。黒い影が飛び込んでくる。

 巨大な鴉に姿を変えた涼だ。

 彼は言葉も無くマークの両肩を掴むと、そのまま羽ばたき、人間一人の重さを軽々と外まで持ち上げていく。

 しのんと楓は二の腕にくくりつけていたスマホからイヤホンを伸ばすと、耳にはめ込み、流れてくる暗示を聞く。

 たちまちの内に二人は獣の姿となり、地下牢を駆け上った。

 外で待機していたのは彩音だ。

 彼女はマークの姿が見えるなり、駆け寄ってきて抱きついた。


「よかった……本当に、ほんとうによかった!」

「思ったより迅速な救出、感謝するぜ。なに泣いてるんだよ」


 マークは彼女の頭を、背中をやさしく撫でてやる。

 その目の前で、仲間たちは人間の姿に戻っていく。あらかじめ涼が着替えを用意していたらしい。茂みから取り出した衣服を見につけていく。


「しかし、まさかあんたがここまで協力的になるとはな」


 涼に向かって投げかけたマークの言葉に、鴉へ変じるシェイプシフターは唇の端を軽く吊り上げて見せた。


「何、俺も堅物なばかりではないところを見せようと思ってな。それに何より、お前がやろうとしていること……前例がない」


 だから面白いのだと、この男は笑った。


「ねえ、マーク、ちゃんと動画は撮ってある?」

「もちろん」


 スマホは取り上げられていたが、彼の衣類のあちこちに、カメラが仕込んである。

 後で編集する用意はばっちりである。

 しのんも、自慢げに自分のスマホで撮影した動画を見せてきた。


「ひとまず、こいつがおれたちの武器だな」


 マークが言うと、やっと落ち着いてきた彩音が口を開いた。


「もうひとつ……。マークの力になれるものがあるよ。マークなら、たぶん……ううん、きっと自分の力にできる」


 彼女の視線は、屋敷の敷地の外れにある離れに向けられていた。

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