第5話 本当の力

 動画配信の作業に興味を持ったのは、爪葺しのんと水守楓、それと以外にも、玖珂彩音の三名。女子ばかりでは心配だというので、黒羽涼が監視にやってきた。

 しかし、現場に女性が三名はいると、賑やかな事この上ない。

 マークはいつもと調子の違う撮影作業を終えると、編集に入った。

 ひどく疲れた気がする。

 まだ手伝う、と元気いっぱいのしのんと楓には丁重にお帰りいただき、彼女たちを送って涼も去っていった。

 残ったのは彩音である。

 これは、事情を知る相手として、マークから残ってもらうよう頼んだ形だ。

 彩音は動画編集に関しては完全な素人だったが、教えれば教えるだけ、作業のやり方を飲み込んでいく。

 頭の回転が速い、と思う。


「なあ、普段は何をやってるんだ?」

「別に……普通に、学校通ったり、バイトしたり」


 仲間がいなくなると、彩音のしゃべり方も崩れる。

 あの場にいたシェイプシフターたちの中で、リーダーのような役割を勤めているようで、今の彩音の口調は年相応の少女のものに思えた。

 まだ彼らの変身を見ていないマークとしては、本当にこの少女がシェイプシフターなのかと疑いを抱いてしまうほど、彼女は普通だった。


「それって、やっぱり仲間が通ってる学校なのか?」

「普通の学校だよ。私は別に、頻繁に変身したりしないから」


 そもそも、シェイプシフターの変身は、どういうものなのだろう。マークは常々疑問を感じる。

 死んだ男から採取した皮膚組織は、培養液の中で生き続けている。当の本人が死んでしまっているというのに、細胞一つ一つはそれに構うことなく、生命活動を続けているのだ。

 シェイプシフターの細胞は、電気的な刺激を与えると変異した。

 人間の皮膚としか思えなかったものが、みるみるうちに獣毛を宿した獣のそれに変化する。

 再び電気刺激を与えると、また人間の皮膚に戻る。

 幾つもの刺激を試してみて、マークはシェイプシフターの変身を促す電気刺激の強さを見つけ出していた。

 彼の友人である研究者とともに、この研究は行われていた。

 分かったことは幾つか。


1、シェイプシフターの変身は、細胞そのものが別の細胞へ擬態することで発生する。これによって擬態した後の細胞は、変身した動物のものに酷似している。

2、一定の強さの電気刺激によって、変身を促すことができる。ただし、生きている状態のシェイプシフターが、何を以って変身を行っているのかは不明。

3、人間の状態の細胞さえ、人間に擬態している状態のものと思われる。


 彼らはつまり、変身する人間ではない。

 人間に擬態した何かなのだ。

 だが、演技なのかどうなのか、玖珂彩音はその精神までも、普通の少女に見える。

 彼女を構成する細胞が人間ではないのだとしても、その心が人間であれば、それは人間ではないのか。

 おかしい、とマークは思う。

 彼が出会ったシェイプシフターは、まだ六名ほどに過ぎないが、そのどれもが人間とは違う力を持ちながら、その力を誇っている様子は無かった。

 彼らは皆、己の存在が発覚することを恐れている。

 おそらくは彼らの間に取り決めがあるのだろう。その存在を、人間社会の元に詳らかにしない、などといった。

 シェイプシフターは、その掟に縛られているのではあるまいか。

 力あるものたちは、精神的に去勢させられていた。

 まずはその、心の枷を取り払わねばならない、とマークは感じる。

 そうでなければ、面白くはならない。

 マークは作業をしながら、最新の動画の再生回数をチェック。着実にカウントが刻まれていることを確認しつつ、コメントを流し読みした。

 ……あった。

 三人の支持者らしき者からのメッセージがある。


『マークは虚像を殺す。虚ろな支配はマークを縛れない』

「そうか、次に俺がやることは」


 書き込みが謳う異様さなど気にならない。これが彼にとっての岐路であることが明らかになったのだ。

 それでは、どうやって虚像を破壊するか。

 力を持つものが、それを振るうべきではないなど、ナンセンスだ。

 マークは思う。

 だからこそ、自らが持つ力の大きさを自覚させ、それを振るうことの喜びを理解させる。

 そのためには……部屋にこもっていては事件など無い。外に出なければならない。


「玖珂さん、外に行かないか? ちょっとおれは小腹が減った」

「ご飯食べるの? あまり遅く食べると、太るんだけど……」


 マークの誘いに、不承不承といった雰囲気で彩音が乗ってきた。

 ともに外へ出る。さて、ここからどうやって、彼女が変身する切欠を作るか、だ。

 何か会話で流れを作って、通行人でも襲わせるか? いや、それは現実的ではあるまい。

 この玖珂彩音という少女は、そういうところがひどく生真面目に見える。

 まずは連れ出した大義名分であるところの食事へ向かった。

 24時間営業の和食ファストフード店に入る。

 席に座って注文した後、彩音が口を開いた。


「……意外。あんたもこういう店入るんだ……。もっといい店でいっつも食事しているのかと思ってたわ」

「おれはジャンクフードも別に嫌いじゃないからな。手軽でいいじゃないか。それにこの時間じゃほとんどの店はやってないぜ」

「まあそうだけど」


 もっといい店に連れてってくれると思ったんだけどな、と口の中でもごもご言っている。

 全くもって普通の人間だ。マークは一瞬、友人が出したシェイプシフターの研究結果が間違っているのではないかと錯覚する。もしくは、玖珂彩音は人間なのではないか。

 思考がぐるぐると渦を巻き、味が分からないまま丼を平らげた。彩音も同じものを小盛りで食べている。

 深夜だけあって、店の中に人影はあまりない。

 店員も奥に引っ込んだまま出てこないようだ。

 ……と、入り口から客が入店してきた。

 きょろきょろと辺りを見回し、挙動不審である。

 マークはそれがどういうタイプの人種であるか、当たりをつける。

 入店してきたのはひょろりとした体格の男で、ポケットに手を突っ込んでいた。

 案内をするために店員が出てくる。

 マークはそれとなく席を立つ。

 食事を終えるところだった彩音が目線を上げる。


「か、金を出せ」


 恫喝の声が響いた。

 声色は震えているが、男が店員に刃物を突きつけている。

 ナイフだ。

 実に、好都合。

 パニックに陥る店員に、男は興奮し、口角から泡を飛ばしつつまくしたてる。

 店内は騒然とした。

 幾つものスマホが男に向けられる。

 マークはそれらを確認すると、悠然と男に差し向かった。


「おい、何をしているんだ! 馬鹿なことはやめろ!」

「な、なんだお前!?」


 突然現れたマークに、男はギョッとした様子で叫んだ。

 この状況に割り込んでくるお節介がいるとは想像もしていなかったようだ。

 そう言えば、どこかの掲示板では、とあるチェーン店が夜間に強盗をしやすい、だとか物騒な情報が飛び交っていた。


「さあ、そのナイフをよこせ」


 歩み寄るマーク。

 彩音を横目に見ると、口元を押さえ、真っ青になっている。

 おいおい、どれだけ人間になりきっているんだ。それとも本当に人間なのか?


「さあ!」

「ちちち、近寄るなああああっ!!」


 マークの言葉で平常心を失った男は、手にしたナイフを滅茶苦茶に振り回し始めた。

 大きさからしても、当たったからと言ってたいした傷にはなるまい。だが、荒事を経験してでもいないと、そんなことは分かるまい。

 男は完全に素人だった。力任せにナイフを振り回している。遠からず、疲れ果てて動きも鈍ることだろう。

 それでは困る。

 マークは自らナイフの刃が届く範囲に踏み込む。


「やめろ! そのナイフを渡すんだ!」

「うわあああああっ!!」


 男の叫びが響く。マークは彩音の動きに目を配ることを忘れない。

 彼女の顔に、何か決意したような色があって、手にしたスマホをいじって何かを呼び出した。イヤホンを装着する。

 ほんの一瞬だ。

 彩音の姿が消えた。

 そして直後、マークの鼻先を突風が吹きぬけた。


「うぎゃああああああっ!?」


 男が絶叫を上げる。

 ナイフを持った手首には、犬というには明らかに大柄な、野生的なフォルムの肉食獣が喰らいついている。

 その身に人間の服をまとわりつかせたまま、というのがなんとなくユーモラスに感じるが、喰らいつかれた男はたまったものではない。

 人間一人分の重みを腕に受けて、腕がたまらず下へ落ちた。

 脱力と同時に、獣は一瞬、激しくその身をよじった。回転したようにも見える。

 すると男の腕が軽くなり、今までそこに力を入れていたのだろう、自分の込めた力に振り回されるように、男の体が扉側へ跳ねとんだ。

 噴水のように血しぶきが上がる。

 店内に響いたのは、そこにいる男女区別なしの悲鳴だった。

 獣が男の手首を咥えている。その先に、男の腕は無い。食い千切ったのだ。


「玖珂さん、助かったよ」


 マークは顔のほころびを消しきれぬ様子で呟くと、会計分をレジに置き、扉を開けた。

 客の一人が電話をしているのがわかる。

 警察を呼ぶのだろう。

 まだ、シェイプシフターの存在を公にするわけにはいかない。

 マークは獣……狼にその姿を変えた彩音に目配せし、外に出るよう促した。

 騒然たる店内から、一人と一匹が退出する。

 彩音の息が荒い。興奮しているのだ。

 人気の絶えた駐車場まで来てから、マークは彩音に向き合った。


「玖珂さん、助かった。おかげでおれは無事だし、店は強盗にあわなくて済んだよ」


 口元を血まみれにしながら、彩音はそう言うマークを見上げて……その呼気が徐々に落ち着きを取り戻していく。

 やがて、その姿が縮むように、見る見る変化していった。

 そこには、髪を振り乱し、へたりこむ玖珂彩音の姿が残る。


「……やっちゃった……。私、やっちゃった。ど、どうしよう……」

「玖珂さん……玖珂さん」


 マークは彩音に呼びかける。

 だが、彼女は自分がタブーを侵してしまったショックに、俯きぶつぶつと呟くばかり。青ざめているのではない、むしろ顔は上気していた。


「彩音!」

「!」


 大きな声で彼女の名を叫ぶ。

 びくっとして、彩音はマークに目線を合わせた。


「どうだった? 力を振るってみて」

「……頭の奥が、かーっと熱くなった。まだ、ドキドキしてる……」

「楽しかった?」

「分からない……。でも、なんだかスッキリしてる……」

「武器を手にした人間を、一瞬で無力化だ。大したものだ。少しくらい血が流れたかもしれないけれど、そのおかげでたくさんの人が救われた」

「でも、私、正体を……。スマホで撮られちゃったし」


 マークは笑って見せた。


「誰が信じると思う? 信じたとしても、君のあの動きを捉え切れているとは思えないな。映っている一人がおれだってことは、すぐにばれちゃいそうだけど」


 彩音はじっとマークを見る。

 すがるような視線。


「君は誇れることをした。だから、何も気に病む必要は無い。何かあれば、おれが守ってやる」


 彩音の目が変わった。

 マークを部外者として隔絶する種類の目ではない。秘密を共有する仲間という意識をはらんだ目。あるいは、もっと深い意味を含んでるような……。

 かくして、シェイプシフターの存在があらわとなった。

 店に居合わせた数少ない客の一人が撮った動画だったが、それは一人の少女が一瞬で獣の姿になり、強盗を打ち倒すもの。

 被写体の動きが激しく、しかもピントは奥で強盗と向かい合う男に合っていたものだから、カメラの端で起こったその異常事態は克明には見えない。

 だが、仲間内で共有されたその動画が、ゆっくりと、しかしある種の熱量をもってネットの世界に浸透し始める。

 社会の裏側に隠れていた化人が、表舞台に現れたのである。

 シェイプシフター革命から、ちょうど3年前のこと。

 時代が動き始めた。

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