第3話 野望の王国

 喧騒とアルコール、それとタバコのにおいが辺りを包み込んでいる。

 俗世とは違った熱気のようなものがそこにはあった。

 いわゆる、居酒屋である。

 大きな広間を貸しきって、一見するとあまり共通点の無い人々の集まりがあった。

 髪が白くなった男性、まだ学生としか見えぬ若い女性、外見から年齢を想像も出来ないのっぺりとした人、見上げるような巨漢、インバネスコートに丸いサングラスの怪人物。

 彼らすべてに共通するのはただひとつ。

 その態度から垣間見える、不敵ともとれるような強い自信だった。

 ここに集まる人々全てが、何らかの形で自分に自信を抱いている。


「CEOさんはさすがですよね。あの再生回数は本当に伝説ですよ。根強いファンを持っているとやっぱり違うなあ」

「いえー、ぼくのファンはほら、中学高校生の女子たちですから。流行りもすごい速度で変わっていきますし、ついていくだけで精一杯ですよ。あきらさんこそ、音声なし、出演なしのスタイルであそこまで支持を受けるっていうのは真似できません!」

「マークさんの実況はやっぱり別物ですよね。昨日も某SNSはその話題で持ちきりでしたよ」


 互いを褒め合う会話は、どこか空々しい。

 口にする彼ら自信が、自分が誰よりも上だと自負しているからだ。

 空虚な会話を繰り返しながら、相手を値踏みし、マウンティングしあう。

 それは、動画配信者たちの集まりだった。


「皆さん、ともにご好調の様子で何よりです」


 サングラスをした青年が、口を開いた。

 朗々とした声は、居酒屋の喧騒の中でもよく通る。

 この場に集まった配信者たちの目が、青年に集まった。

 マークと呼ばれていた人物である。

 ここにいるどの配信者も、一筋縄ではいかぬ人物。強い自我と自信を持ち、その態度、は驕りに満ちている。

 だが、そんな彼らをもってしても、このマークと言う青年を無視することは出来なかった。

 彼にはそういうカリスマのような魅力が備わっていた。


「ところで、このオフ会を開催したのは、いつも通りの交流会という以外に理由があるんです」


 マークは傍らに置いてあったカバンを探る。

 人々の目が、そこから何が出てくるのかと集中したのを見計らい、小瓶につめられたそれを取り出した。

 一見すると、黒い毛の固まりに見える。


「なんだねそれは」


 白髪の男性が目を細めた。


「なんか、キモチワルイ」


 女子大生のような見た目の女性が感想を述べる。

 みな、口々に意見を述べていく。

 だが、マークが望む答えはなかなか得られなかった。

 マークは目を凝らす。彼は人の反応を見て、その人物が嘘をついているのか否か、ある程度は見極めることができた。


(誰も嘘はついていない、か……)


 まさか、この毛の持ち主と同類である者はいなくても、こういうものの存在を知る人間がいるかと期待したのだが……。

 考えても見れば、自我と自負心の塊のような彼らである。このような特殊な情報をつかんで放っておくわけがない。


(おれとしたことが、焦り過ぎたか)


 ビンの中、ゼリー状の溶液に浸されたそれは、まるで生きているかのように見えた。

 僅かに、ビンを封じる蓋をゆるめてみる。

 すると、マークは己を突き刺すように見つめる何者かの気配を察知した。

 それは殺気というよりは、強い驚きをはらんだ視線である。

 目の端に瞳をやると、たくさんの飲み物を盆に載せて運ぶ店員と目が合った。まだ若い女性の店員である。

 彼女はマークに気付かれたことを理解したのか、慌てて歩みを速め、視界からいなくなってしまった。

 マークは周囲に気付かれないよう、ほくそ笑む。

 獲物が網にかかった。

 あとは向こうが接触しやすいよう、お膳立てをしてやるだけだ。

 ビンの蓋をあけるまで、注目は感じなかった。配信者たちの奇異の視線だけである。それが、ビンの封を解いた瞬間、強烈な意識がこちらに注がれた。

 明らかに相手は、目ではなく、もっと他の感覚でこれのことを察知したのである。

 ……嗅覚か。

 あの時の男も、狼から人間になっていった。これはどうやら、同類が釣れたらしい。

 マークは配信者のご同輩と、歓談をそこそこに切り上げると店を後にした。

 記念撮影をするというので、それだけは面倒に思いながらも付き合った。

 おそらく近いうち、誰かのブログにアップされることだろう。

 居酒屋を出ると、何本かの通りを無造作に曲がり、人通りが少ない方へ歩いていく。

 そう寂れた街ではないから、この夜半にさしかかろうという時間においても、完全に人の流れが途絶したところは少なかった。

 だが、


「ついて来る……」


 マークが出立してから少しして、居酒屋にいた女が外に出てきていた。

 制服から普段着になって、印象がずいぶん変わっている。

 髪型もまとめていたのを下ろして、ラフな印象だ。

 これは、注意していなければ気付かなかったかもしれない。

 マークは一瞬、ショーウィンドウに写った女の姿を見てそう思った。

 やがて、もう一本角を曲がれば、人気が全く無くなる。

 物音すらしない。

 来るか、と思う。

 背後から、すでに隠すつもりも無い足音が近づいてきた。ヒールの低い靴を履いている。

 マークは一瞬考え、


(ここは対面すべきだな)


 立ち止まった。

 足音も止まる。


「来てくれて嬉しいよ。君はこいつの仲間なんだろう?」


 ビンを掲げると、


「何が狙いなの。あなたは一体何者?」


 澄んだ声が聞こえた。いい声だ。耳をくすぐる響きに、我知らず笑みが漏れる。

 マークは少々芝居がかった仕草で振り返った。


「おれはただの動画配信者さ。知っているだろ、動画配信サイト・ユアセルフ」


 ユアセルフ。世界的に最も有名な動画配信サイトである。全世界数十カ国でサービスを展開しており、今までコンテンツを受け取る側であった人間たちに、自分の言葉を発信する機会を与えた。

 撮影、録音機材とインターネット環境さえあれば、誰でも情報発信を行えるサービスだった。そして、登録した動画にはスポンサーのサムネイルなどが表示され、動画再生回数に応じ、配信者に料金が支払われる。


「知っているけれど……それがなに?」


 女性は口を尖らせた。動画配信者が自負の拠り所とするものに、なんら価値を感じていない、そんな口調だった。

 それはそうだろう、とマークは思う。

 世界は広い。自分たちが誇り、悦に入っているこのジャンルはまだまだ世界的にはトップメジャーたりえていない。

 それよりも、マークは女性の姿に惹きつけられていた。

 茶色く染めた髪は艶やかで長く、彼女の肩口にかかっている。ややきつめの目元には、印象的な大きな瞳がある。カラコンでもしているのか、瞳も茶色かった。鼻梁のラインが美しい。高からず、低からず。唇はふっくらとして、薄紅色だった。ルージュのせいばかりではあるまい。


「それよりも、あんた。そいつを渡して。そいつは、あんたが持っていていいものじゃないわ。もちろん、渡してもらった後で忘れてもらうけれど」

「へえ、そいつは君の考え? それとも、もっと上の人の考えなの?」

「あんたが知る必要はないわ」


 不愉快そうに眉根を寄せて、彼女は歩みを進める。近づくと、彼女がまだ少女といっていい年齢なのだと知れる。


「そうはいかないさ。配信者としては、知識や情報はあるだけ欲しい。知ることができるなら、なんだって知りたいんだ」

「ばかみたい。たかだか動画サイトの配信してるだけで、自分は特別だなんて思ってない?」


 会話に乗ってきた、とマークは内心ほくそ笑んだ。相手が話の通じるやつで良かった。


「そりゃあ、まだまだそこまで有名じゃないけどね。テレビにだってたまに取り上げられる程度だ。ファン層だって限られてる」


 そこで一旦言葉を区切って彼女を見た。

 少女は怒ったような表情のまま、じっとこちらを見据えている。マークは知らず、胸が苦しくなる気がした。これはなんだろう。


「だけど、全てのジャンルを始めた人間って、みんな最初はそんなもんだったんじゃないか? 新聞はどうだ? テレビはどうだ? 報道って下世話な気持ちが始まりじゃないのか? 誰々のことを知りたい、うわさの真相を知りたい、新しい話題を知りたいってさ。 初めて物語を書いた人間は、人に見せようと思って書いたのか? 初めてエッセイを書いた人間は? あれなんて自己満足みたいな文章じゃないか」

「それは……」


 反論の言葉が来ない。

 少なくとも、彼女はマークの言葉を頭から否定することなく、ある程度理解しようとしている。


「おれは、自分がやってることにプライドを持ってる。だから、君たちの事を知りたい。例えそれがタブーだったとしてもだ」


 彼女の瞳を見つめた。

 少女はたじろいで見えた。この子があの死んだ男の同類だったとしても、内面まで人間離れした代物ではないらしい。少なくとも、マークの言葉に共感する心を持っている。


「だって、死んだら何を知っても仕方ないでしょう」

「殺されるとしても、おれは知りたい! 君たちはいったいなんなんだ?」


 マークの問いかけに、少女は口の中でもごもごとつぶやくと、そっぽを向いて言った。


「場所、移そう。ここで話せる内容じゃないわ」

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