病弱な学生に頼られた不運な男
あと二週間ぐらいで後期の期末試験が始まる。
普段はヘラヘラしてる連中も、落とすわけにいかない必須単位の勉強はそれなりにやるみたいで、図書館はいつもよりにぎわってる。
といってもおれも別に図書館の常連になるような文学青年じゃないけどさ。
とにかく、レポートの準備とテスト勉強で、ここ最近は大学にいる間は図書館にいることが多い。
もうちょっとレポートの資料がそろったら今度はパソコンルームに入り浸りになるだろうけど。
「幸治、まだやるのか?」
ゼミ仲間が小声で話しかけてくる。
「あともうちょっとでキリのいいところなんだよ。次は授業ないし、もうちょっとやっとく」
「そっか。すげー頑張るなぁ」
「おれら次あるから、お先ー」
軽く手を振って連中が行ってしまうと、おれはまた目の前の資料に視線を戻した。
頑張る、か。
別に勉強好きになったわけでもないんだけどな。
夏に沙希って女の
あれ以来、時々霊が見えて、いろんなことに巻き込まれる。
それも、最初はうっすらと見えてた霊が、だんだん生きてる人と変わらないぐらいに見えるようになってきた。
なんとかならないものなのかなぁ。
「……あのぉ……」
考え事をしてたら、いつの間にか隣に男が立っていた。見覚えのないヤツだ。
「おれ? なに?」
「小林先生の心理学、取ってますよね? すみませんが、ノート見せていただけないでしょうか」
確かに、それは受講してる。けどなんでおれ?
「自分のゼミの人とかは?」
「それが……、貸してもらえなくて」
ボッチってやつか。見ず知らずのおれに頼るってことは、ゼミ連中となんかあったのかな。気弱そうな感じだから彼から問題起こすようには見えないけど、そういう面が却ってトラブルになるってことも、あるのかもしれないな。
「おれも勉強するのに使うから貸すってわけにはいかないけど、コピーしようか?」
「あ、いえ……、ざっと見せていただければ、それでいいので……」
速読術とかか? でもあれって速く読みつつ内容が判るんであって、一度読んだからって覚えられるわけじゃないよな。速読プラス神暗記力とか?
まぁいいや、本人がそう言うなら。
「んじゃ、明日持ってくるわ。明日の今の時間でいいかな?」
「はい。よろしくお願いします」
そいつはぺこぺこと頭を下げながら離れて行った。
あんなヤツ、講義で見たことないな。
大講義室だし全員覚えてるわけじゃないし、そもそも授業来ないからノートに困ってるんだろうけど、なんか違和感あるなぁ。
次の日の同じ時間に、同じ場所でレポートの下書きしてたら、昨日のあいつがすっとやってきた。
「あ、はい、これ」
「ありがとうございます」
図書館の隅っこの長テーブルに並んで腰かけて、そいつはおれの差し出したノートを熱心に見ているようだ。
そんなに真面目なのにどうしてノート見せてもらうようなことになったんだろう。
ちらっと横顔を見てみる。
生真面目そうな人だ。昨日は気弱そうだと感じたけど、こうやってノートを凝視してる顔は逆に意志が強そうに見える。
けど、
昨日の違和感ってそのあたりなのかな。
「えっと、なにか……?」
おれの視線に気づいたようで、隣の男は驚き顔でこっちを見た。ちらっとのつもりが結構じっと見てたらしい。
「あー、いや、熱心だなって」
なのにサボってたのか? とはさすがに言えなかったけど、雰囲気から言いたいことを察したんだろうか、そいつは苦笑いした。
「ぼく、ちょっと病気がちで最近あまり出れてなくて。でもあとこの講義の単位が取れたら、必要な単位が揃うんですよ。だからできるだけ頑張ろうと思って」
へぇ。おれは選択で取っただけだけど、心理学が必要ってことは心理士とかカウンセラー目指してるのかな。
「そっか。邪魔して悪い」
おれはまた自分のレポートに戻った。
どれぐらい経ったのか、隣の男が遠慮がちに声をかけてきた。
「ありがとうございました。これでテスト大丈夫です」
「それはよかった。おれもそろそろテスト勉強本格的にやらないとなぁ」
「これだけしっかりノートを取っていたら大丈夫ですよ。本当にありがとうございました。えーっと、荒川くん」
……あれ? ノートかどっかに名前書いてたっけ?
「あ、ごめんなさい勝手に。僕は山田健太です」
自分だけ相手の名前を知ったのが不公平だとか思ったのかな。律義だ。
「それじゃ、失礼します」
ヤマダケンタと名乗った彼は、席を立ってぺこぺこっと頭を下げて、離れて行った。
さて、試験期間がやってきた。
レポート提出の期限も重なるから学生が一番忙しい時期とも言える。
今日は、しょっぱなに心理学のテストか。ノート持ち込みが許可されてるから気楽な方だ。試験場の講義室を見回しても、それほど必死になって勉強してるヤツはいない。せいぜい、どこに何が書いてあるか、ノートに貼り付けた付箋をチェックしているぐらいだ。
そう言えばあいつ、ヤマダ、って来てるのかな。あの時おれのノート見ただけで、本当に大丈夫なんだろうか。
おれは一番後ろから三番目の席――そこがおれの学籍番号の席だった――に座って講義室を見回した。
「こんにちは、荒川くん」
後ろから声がかかってびっくりした。
振り返ると、ヤマダが座ってる。彼の手元にはノートらしきものがある。準備できたんだ。
……ん? 確かおれがこの列の一番後ろだったんじゃ……?
黒板に書かれた学籍番号をチェックしようと思ったら、始業のチャイムがなって試験監督者が講義室に入ってきた。
みんな自分の席についてテストの準備を始めて、ざわついていた室内が、すぅっと静かになって行く。
大講義室の後ろの方から黒板に書かれた小さめの数字を読み取るのは難しい。わざわざ前に出て確認することでもないし、ま、いいか。
問題用紙と解答用紙が列ごとに配られた頃に、小林教授が教室にやってきた。
「みなさん、まぁがんばってね」
小林教授がニコニコ笑いながら言ってる。あの表情、どんなイジワルな問題が出てるんだろう。
問題用紙と解答用紙が回ってきた。
って、あれ、おれので終わり?
「すみませーん。ここ、問題と解答、足りません」
手をあげて試験監督の人に言う。
「あら? ごめんなさい」
試験監督のお姉さんがプリントを持ってきた。が。
「君、持ってるじゃない」
おれの前まで来た事務のお姉さんが怪訝な顔をした。
「いえ、おれじゃなくて、後ろの席のヤマダケンタくんの分が」
「……はい?」
お姉さんが、何言ってんのこの人、みたいな顔をした。
「おい、ヤマダ。おまえもぼーっと座ってないで言えよ」
おれは後ろを見て、自分のことなのに何も主張しないヤマダに文句をつけた。
「え……、ちょっと……」
なんでか、事務のお姉さんがバケモノでも見るような顔にかわったんだけど。
教室も、ざわつき始めた。
「なにあいつ」
「おかしいんじゃね?」
「テスト妨害してんなよ」
そんな声が聞こえてくる。
それっておれのこと?
「幸治、また何か見えてんのか?」
「かもな」
これは聞き覚えのあるゼミ友の声だ。あの、墓場騒ぎの時に一緒にいたヤツらだ。
――ってことは、まさか……。
「あー、はいはい、みなさん静かに。テスト始めていいよ」
少し大きめの声でみんなを制したのは、小林教授だった。先生はゆっくりこっちに歩いてきて、事務員さんに「問題と解答、そこに置いてやって」と言った。
お姉さんは震えながらうなずいて、ヤマダの前にプリントを置いて逃げるように前に戻って行った。
「……がんばってね」
先生は、後ろのヤマダに声をかけた。
もしかしなくても、ヤマダは、霊なのか? 他の人には見えてないんだろうけど、先生には、ヤマダが見えてるのか?
なかなかテストに集中できなかった。
あー、こりゃ、ダメかもしれない。
それから一週間後、テストの結果が返ってきた。
心理学は……、ぎりぎり落第点を免れた。よかったぁ。
解答用紙をざっと見る。一番下に、小林教授からメッセージが書いてあった。
「あの状況でのテストお疲れ様。よかったら研究室に来てくれないかな」
なんだろ。
いや、ヤマダについての話なんじゃないかな、ってのは想像つくけど。
空き時間に、小林教授の研究室に向かった。
「やぁ、君。えぇっと、荒川君だったね」
教授は応接スペースにおれを座らせて、紙コップにコーヒーを淹れてくれた。
先生の授業は結構人気があって、研究室まで質問に行く学生も多い、ってウワサは聞いてたけど、こんなに自然にコーヒー出してくれる先生は、そりゃ人気あるだろうな、とかぼんやりと考えてたら、いきなり本題を切りだされた。
「君、前から山田君を知ってたの?」
「いえ、初めて会ったのはテストの二週間ぐらい前に、図書館で……」
おれはヤマダとの話を教授に話した。
「そうか。僕には見えなかったんだけど、山田君、よっぽど未練だったんだね」
今度は教授が話し始めた。
「山田君は三年前に僕の講義を受講してたんだよ。カウンセラーになりたいって言ってたよ。元気な学生さんだったのに、急に重い病気を発症しちゃってね。後期のテストが振るわなかったから進級できなさそうだし、一年休学してまずは病気の治療に専念することになったんだよ」
教授は懐かしそうに、でも寂しそうに言って、コーヒーをすすり飲んだ。
「去年夏に復学して秋ごろまでは順調だったんだけど、病気が悪化しちゃって、去年の後期テスト前に、亡くなったんだよ」
あぁ、やっぱり……。
「あんなにはっきり見えてたから霊とか全然疑いませんでした。でもそう言われてみればおれのノートちょっと見ただけでテストの準備できるなんておかしいですよね。そもそもあの時、本当におれのノートを見ていたかどうかも、曖昧ですし」
あんなに存在感あったのに、他の人には見えてなかったなんて。んでもっておれ変人扱いだし。
口の中に嫌な感じを覚えて、おれも目の前に置かれたコーヒーを一口含んだ。
「僕は生きている人相手の心理学なんてやってるから、霊の存在とかを信じるって声高には言えないけど、君が見た山田君の姿は嘘じゃないと思うよ。――ほら」
先生が解答用紙を一枚、出してきた。
そこには。
「小林先生、荒川くん、ありがとう」
解答は書かれていなかったけれど、メモ欄のところにうっすらと、そう読める何かが、あった。
「君が彼に気づいたことで、彼が成仏できたんだとしたら……、僕からお礼を言うのも変だけど、ありがとうね。これからもがんばって」
先生はぺこりと頭を下げた。
まぁ、今回も一応、ハッピーエンド、って感じ?
でも、だからと言ってこれからも見えることで何かトラブルに巻き込まれるかもしれないのは御免こうむりたい。
絶対そのうち、すっごい怖い目とかにあいそうな気がするし。
なんとか、霊が見えなくなる方法はないんだろうか。
本気で、真剣に、考えないといけない。じゃないと一生、こんなのが続くなんてイヤすぎる。
どうすればいいんだろう……。
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