第2話 「第四王女」

サリミレ国の会議場——というよりは、会議室というにふさわしい厳重で狭いこの場所では、今まさに会議が開かれていた。


「リティアの国から婚姻の承諾があった。リタはどこにある」

リティアの王ゼノイトから届いた直筆の書簡に目を通したサリミレの王は、第四王女であるリタの姿を探した。


「リタ王女ならここにおりません。おそらく東の森でございましょう」

発言したのは第二王女のヤサ。頭を下げた彼女のカラスの濡羽ぬればのような美しい黒髪が、頬にかかり表情は見えない。


「急ぎ、リタをこれへ」

「かしこまりました。私の配下に探させましょう」


彼女は会議室を出ると、顔を上げて不敵に笑う。

「ヌイ、いますか」

「これに」

黒い装束しょうぞくに身を包んだ男がどこからともなくヤサ王女の前に現れ、ひざまずいた。目深にかぶったフードから覗く癖っ毛の柔らかな茶髪とその従順さは、ヤサに犬を連想させる。


「ヌイ、お前リタを探してここに連れておいで。王がお呼びです」

「はっ」

「それと、リタがリティアの王に嫁ぐことになります。その時はお前もついて行って、リタについて報告なさい」

従者のヌイはその言葉に、能面のような無表情を崩して驚いた。国外の情報収集を主な仕事としていたヌイは、第四王女がその他の王族から煙たがられていることを知らない。


「リティアに嫁ぐ?この国を目の敵にしているあのリティアにリタ様が?」

困惑する従者に、ヤサは微笑む。

「そう。これで心配事がひとつ減ります」

「しかしそんなことをしては、リタ様のお命に関わるのでは」

「リタが死んでも差し支えありません。むしろ都合がよい。あなたは他国での諜報ちょうほうの仕事ばかりで、この国の内情にはいささか疎いようですね」

「申し訳ありません」

「いえ」


ヤサはあおい瞳を、足元でかしこまるヌイに向けた。

「都合がよい」





この国の首都、ロウェルの北部には、その名の通り白い花のように美しい城、白花城はくかじょうがそびえ立っている。城下町は活気に溢れ、国花であり国名であるサリミレの花の絵や装飾が様々な場所を彩る、美しい所だ。

その城下町を少し離れた、東の森を少し行った場所に、甘い香りを放つ天然のサリミレの花畑があった。


サリミレの花は環境の変化に弱く、一定の条件が揃わなければすぐに枯れてしまうため、こうやってたくさんのサリミレの花が見れる場所というのは大変希少だ。


白い花畑の中心に、寝転がる人の影があった。すうすうと幸せそうに寝息を立てるその人物こそ、サリミレ国の第四王女リタ・コルール・ウェル・サリミレその人である。

白花城を抜け出したこの姫を探しにやってきた近衛騎士このえきしのロズが、リタのかたわらに膝をつき優しく揺すっても、起きる気配はない。


「まったく、誰かさんのせいで今や国中大騒ぎだってのに」

ロズは愚痴をこぼしながら彼女の柔らかい頬を容赦なくつねりあげた。天使のような安らかな寝顔は一変して、はしたなく口を開け、ぎゃっと品のない悲鳴をあげながら飛び起きた。


「ロズ……お姫様を起こすのに、頬をつねるとは斬新な発想ね」

涙の溜まった目でロズを睨みあげ、リタは赤くなった頬をかばう。そんな王女を見てもロズは動じない。


「おとぎ話の王子様を真似て、口付けが良かったですか」

「そんなマネしたら即刻打ち首だけど、私を起こすのに命をかける心意気だけは評価してあげるわ」

王女と近衛騎士の会話としてはずいぶん砕けているようだが、これがリタとその周りの常であった。

リタは王族であるにも関わらず身分の壁を感じさせないため、周りの者はこの姫に気さくに接していたし、彼女自身もそれを望んでいた。


「姫様、陛下がお呼びだそうです。白花城へお戻り下さい」

そう言って差し出されたロズの手を取ると、いつもてきぱきとしているリタは珍しく、緩慢な動作で立ち上がった。まるで、ここにいる時間を惜しむように。


「次はいつここに来られるかな」

「リタ姫様……」

ロズはその大きな手で、彼女の手を包み込んだ。主人としてではなく、一人の友人として彼女の身を案じていた彼は、眉根を寄せて彼女を見た。小さい頃から面倒を見ていた少女は、いつにも増して大人びて見える。


「いきましょう、ロズ」

リタは全てを悟って頷き、かたく握られたロズの手を振りほどいて街に向かって歩き出す。その数歩後ろから彼女に付き従う近衛騎士は、大きなくなった姫の背中を悲しげに見つめていた。





城下町ロウェルは数刻前から広まっている第四王女の婚礼の噂で溢れ返っていた。本来なら祝福すべき出来事のはずが、リティアの国に嫁ぐと聞いてみな姫のことを案じている。それほどこの国の第四王女は国民から慕われていたのだ。


「そんな、まさかあの国だなんて」

「リタ姫様は大丈夫だろうか」

ロウェルの町の人間はほとんどが家の外へ出て、かの姫について話していた。仕事や店をそっちのけで、姫のリティア行きがどうにかならないものかと思案する声があちこちから聞こえる。


「でも姫様はリティアびいきだし」

「それとこれとは話が別だよ。リティアの民はサリミレが憎いに決まってるもの」

「それに姫様はもうこの町からいなくなっちゃうんでしょ。僕やだよ」


坂の多いこの町の、東側の階段に、たむろする子供達の姿があった。中でもとりわけ賢そうな黒髪黒目の少年は、ふて腐れたようにそっぽを向いて、子供達の話に入らず空を睨みつけている。


「アル、ちょっとアルってば」

呼ばれてその賢そうな少年——アルは、仏頂面ぶっちょうづらを仲間に向けた。

「なんだよ」

歳の頃は十代そこそこ。しかしどこか子供らしさに欠ける、落ち着いた雰囲気があった。アルはこの首都ロウェルの小学校で主席を争うほど明哲で、一部から神童と噂されるほど頭の良い子供だ。


「アルはリタ姫様が大好きだったろ。心配じゃないの?」

アルの友達である男の子が、少し非難のいろを見せて言う。けれど隣のショートカットの女の子が、微笑をしながら、ほうっておいてあげなよといさめた。


「アルは素直じゃないんだから、こういう時素直に心配なんてできないんだよ」

その子の話は、半分はあたっていて、半分は外れだった。しかし姫様が大好きだと言われたことがしゃくに障ったアルは、眉間のしわを一層深くして反論した。


「ぼくが、心配?まあ確かにあんなじゃじゃ馬で品性に欠けるお姫様じゃ心配だな。いつクーリングオフされることか。のしつけて返品される、にお菓子一年分かけるね」

アルが仏頂面を崩さず賭けの話をしていると、それを聞いていた子供達の視線がアルの背後に向けられた。みんな焦ったようにアルの名前をささやいて、彼の背後を指差している。


「言ったわね、アル。その言葉忘れないでよね」

そのとき初めてアルの仏頂面に焦りが混じった。ぎこちなく背後を振り返って、聞き覚えのある声の主に引きつった笑みを向ける。


「やあ、リタ姫さま……」

「アル君は相変わらず可愛いね。クーリングオフとか返品とか好き勝手言っちゃって。ちょっと顔貸しな、クソガキ」

アルの背後に立って、満面の笑みをしていたのは噂のリタ姫だった。東の森を抜けて城へ向かう途中、この東側の階段を通りがかったのだ。


「い、痛い痛い!ごめんって!」

リタはいつものようにアルのこめかみ辺を拳でぐりぐりとひねりあげ、謝罪の言葉をきいてもしばらくぐりぐりをやめなかった。アルは周囲に救助を求めて視線を巡らせたが、姫様を見つけて駆け寄ってきた人々もなぜか微笑ましそうにして、ぐりぐりを止めようとするものは誰一人いない。


「くっ、子供に暴力ふるってるってのに、なんで周りは止めないどころか笑ってるんだっ」

やっとの思いでリタの手から逃れたアルは、一瞬にして町の人々に取り囲まれ楽しそうに笑っている姫を振り返ってぼやいた。


「お前も懲りないな」

ただ一人、そんなアルを見かねて同情したのは近衛騎士のロズだけで、みなリタを質問攻めにするのが忙しくてアルを振り返りもしない。アルはむすっとした顔をロズに向けて不満を漏らす。


「助けろよ、おっさん」

「やだね。めんどくさい」

大人気ない返事をしながら、こめかみをさする少年のことをちらりと見下ろすと、アルの目が少し潤んでいるのをロズは見つけてしまった。


「ったく、痛い……」

それはリタにやられた痛みからくるものではないことはわかっていた。ロズは居心地が悪くなって、視線をそらした。


「アル、お前、そんなに心配か」

視線は逸らしたままだったが、アルが顔を上げる気配が伝わってきた。

「ロズさんだって心配してるだろ、そんな顔しちゃってさ」

「そんな顔って、神童ともなるとおっさんの表情まで見分けられるのか。大したもんだな」


ちゃかす年上のおっさんを呆れた顔で見上げつつ、反論するのもバカバカしいとばかりにアルは肩をすくめる。

「リタ姫さまがどこの国よりも政治に特化してるリティアに興味を持ってることは知ってるよ。政治の仕組みが進んでるからこそ、サリミレの王族にとってリティアは煙たくてしょうがないんだ。そんなところへの人選がリタだなんて。もしリティアで上手く立ち回れたとして、煙たいリタとリティアを両方同時に叩きやすくなっただけじゃないか」


さすがに神童と呼ばれるだけはある聡明さだった。しかしロズは、そうやってなんのしがらみにも囚われず思ったことを口にできるアルが羨ましくて仕方ない。


「そうだな。リタ姫は聡明すぎたし、民に好かれすぎた。他の王族にとっては邪魔だろうなァ。でも俺は、その王族に忠誠を誓っちまった近衛騎士だ」

自嘲気味にそう語る騎士は、まだあどけない少年に向かってのみ本音を打ち明けた。


「立場なんて気にするたちじゃないが、一度約束した誓いを曲げることだけは、俺にはできない。だから、リタ姫さまのことを頼んだぞ」

「いつもいい加減なくせに」

「一度誓いを破ったら、次にリタ様に立てる誓いが、嘘になっちまうだろ」


わいわいと背後でリタが人々と雑談している声が、雲のない青空に溶けていく。アルとロズの二人は、ただ空を眺めてその声に耳を傾けた。その時間が長くは続かないことを知っていたからだ。

城の方角から近づいてくる足音が、リタと町の人との会話を終わらせる。


「リタ様、恐縮ですがお城までお急ぎくださいますよう」

あまり見覚えのない顔の若い騎士が迎えに来た。ロズは記憶をたどって、それが第二王女ヤサの従者であることを思い出す。たしか他国で情報収集することを主な仕事としているはずの従者だった。


「リタ姫は城まで、俺が送り届けよう」

割り込んでそう言ったロズの少し威圧的な態度にも、彼は全く動じずに淡々と言葉を返す。

「いえ、近衞騎士師団長でいらっしゃるロズ様のお手を煩わせるわけには。ロズ様は何かとご多忙かと存じますし、リタ様をお連れするよう仰せつかったのは私でございますゆえ、どうぞ後のことはお任せください」


若い従者は物怖じせずに真っ直ぐにロズを見て、一礼した。癖のあるふわふわとした茶髪と、愛らしいどんぐりのようなまなこをした若い従者は犬を連想させたが、可愛い見た目とは裏腹に肝の座った若者だった。


「リタ様、みなさまお待ちです。参りましょう」

リタは素直に第二王女の犬従者の言う通り、彼と連れ立って城に戻っていった。

「そんなに急かすなんて、そんなに私がこの国を出て行くことが待ちきれないのね」と皮肉の一つは言ったかもしれないが。


その背中が、ロズの目には寂しげに映った。

身分のあまり高くない母親を早々に亡くしてから何一つ後ろ盾を持たなかった少女に、ロズは生きるための術を与えた。剣を教え、字を教え、知識を与え、ロズは幼いリタに自分自身を守れるだけの力を与えてやりたいと思った。


その結果が、これだ。彼女はあらゆる方面でその抜きん出た才能を見せ、その能力と人望は他の王族の邪魔となった。ついに今日、彼女がこの国から追い出されることが決まった。

ロズはまだ幼いリタと、青臭かった自分の事を思い出した。


「陛下へ忠誠を誓ったからには、その忠誠を守り抜くさ。じゃないと、俺の信用に関わるからな。陛下が王の座を降りたあと、俺が次に誓う忠誠が、偽りにならないっていう信用に」


ロズは、リタに与えてリタを苦しめた知識や力やそういった諸々の自分のエゴが作り上げた罪悪感に縛られていた。


けれど今、固く錆び付いた忠誠だけを残して、リタは他の国へ行ってしまう。

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