第7話 五十年まえのひみつ

 五十年まえの、その八月のある午後、わたしははやり残しの宿題を放りだして、弟と二人で陽炎が立ち昇る道に出だ。近所に住んでいるシンちゃんをさそってちび公園に行くことにした。ちび公園に行くとちゅうには駄菓子屋があって、そこで十円のちびっこコーラを飲むことも決めていた。

 シンちゃんの住んでいる家はわたしの家よりも大きくて、わたしの家にはない階段があって、その階段をあがると二階にシンちゃんの部屋がある。シンちゃんの部屋はわたしと弟とお父さんとお母さんがいっしょに寝ている部屋とおなじくらい広くて本もたくさんある。シンちゃんの本棚には、本屋で表紙が見えるように並んでいる「小学二年生」があって、シンちゃんがその本をいつも楽しそうに読んでいたので、わたしもそれを読みたくてシンちゃんの部屋に行っていた。

 シンちゃんの家には秘密の道を歩いて行った。よその家の庭先や家と家の隙間を通り抜けてシンちゃんの家まで行ける道で、その道はわたしがようやく見つけた道だった。犬がいる庭を通るときにはその犬が舌を出して眠っているのを確かめてから静かに通らなくちゃいけないし、両側の家の軒がくっつきそうになっている細長いじめじめしたところでは、地面に生えている緑色の苔の上にうっかり乗るとゴム草履がすべる。だから、後ろからついてくる弟には眠っている犬の近くではゴム草履が鳴らないように静かに歩く方法や苔の上でも滑らない歩き方を教えてやった。

「探検みたいだったね」

 シンちゃんの家の玄関の前に着くと弟はまっかな顔で言った。

「この秘密の道、誰にも言うなよ」

 秘密の道で滑って地面に手をついたとき左手のに爪の間に緑色の苔が入りこんでしまったのでそれを右手の爪でほじくりながらわたしがそう言うと弟は

「うん」

 と言って何度も頷いた。わたしたちはシンちゃんの家の玄関の格子戸の前でシンちゃんの出てくるのを待った。弟はわたしのようにはまだ字をよく読めなかったから、そのときのわたしはシンちゃんの家にあがって本を読ませてもらおうとはしなかった。それよりも外で遊びたかった。学校に通う道とはちがう道をたくさん歩いてみたかった。

「どうしたの」

 シンちゃんが格子戸を開けて玄関から出てきた。目元がぼんやり腫れていて昼寝から起きたばかりの顔だった。

「遊びに行こう」

 わたしがそう言うと

「ちょっと待ってて」

 と引っ込んだ。開けっ放しの玄関から覗くと家のなかはまっくらだった。そのまっくらのどこかで

「あの子、また来たの?」

 というシンちゃんのお母さんの声がした。

「もうあの子と遊んじゃダメって言ったでしょ」

 シンちゃんはお母さんに叱られているようだった。わたしは弟の手をつかんで玄関から少し離れた。シンちゃんの部屋で本を読んでいるときにはシンちゃんのお母さんはわたしにそんなことを言ったことはなかったから、わたしはふしぎな気持ちになった。

「どこに行くの?」

 玄関から出てきたシンちゃんは夏なのに靴下を履いておまけに運動靴も履いて出てきた。

「防空壕に入っちゃダメだよ」

 まっくらな家のなかからシンちゃんのお母さんの声がした。

「どこに行くの?」

 シンちゃんは運動靴のつま先を地面にトントンつつきながら言った。わたしは駄菓子屋でちびっこコーラを買ってちび公園に行くのを決めていたけれど、シンちゃんのお母さんが聞き耳を立てているかもしれないので

「まだわからない」

 と言った。すると、また

「防空壕には入っちゃダメだよ」

 とまっくらな家のなかからシンちゃんのお母さんの声がした。わたしは何も言わずに弟の手をつかんで商店街の方に歩きはじめた。わたしが何も言わないで突然歩きはじめたのでシンちゃんもびっくりしてついて来た。

 

 駄菓子屋は、夕方にお母さんといっしょに買い物に行く商店街のもっと先にある。わたしの家の近くにはふつうの家しかなくて駄菓子屋やブランコとか滑り台とかがある公園はなかった。遊ぶところは埃っぽい道だけで、だからわたしはちび公園に行ってブランコや滑り台で遊びたかった。商店街はなだらかな坂道の両側にお店が何件も立ち並んで長く伸びていて、夕方になるとにぎやかになるのだけど、わたしたちが歩いていた頃はまだ誰もいなかった。いつも納豆を買うお店のなかもくらくてよく見えなかった。誰もいない商店街を過ぎてしばらくすると道に土埃が舞い上がった。駄菓子屋はもう少し歩いた先にあるからわたしたちは早足になった。そのわたしたちの歩いている道のうえに前に緑色の紐が風に煽られて動いているのが見えた。近くまで行くと、風に煽られているように見えていたその緑色の紐は蛇だった。蛇はしっぽから黒っぽい血を流して道の右側にあるU字溝に向かって地面のうえをすべっていた。

「あ、蛇だ」

 わたしのうしろにいた弟が叫んだ。その弟の声にかぶさるように

「また出やがった」

 と塩辛声が左の方から聞こえてきた。

「また出やがったよう。憎たらしい」

 土埃の舞い上がる道に叫びながら飛び出してきたのはいつも駄菓子屋の店番をしている腰の曲がった見慣れたお婆さんだった。わたしたちは駄菓子屋に着いていないのに駄菓子屋のお婆さんがいきなり道に出てきたからびっくりした。

「いつもいつもうちの玉子を盗みやがって、憎たらしいったりゃ、ありゃしない」

 蛇のしっぽからは血がたくさん流れ出していて、道についた蛇の這ったあとにその血が黒くなっていた。蛇はテレビで見るよりもゆっくり動いて、道の右端のU字溝に逃げ込もうとしていた。

「殺して」

 駄菓子屋のお婆さんはわたしの目をぎろっと覗き込んだ。わたしは駄菓子屋のお婆さんがどうしてここにいるのかわからなかった。駄菓子屋はもう少しさきにあるはずだった。

「殺して。その蛇を殺しておくれ」

 そう言ってからわたしに木の棒を握らせた。お婆さんの目はなんだか黄色くなっていた。

「お店はもうやっていないの?」

 わたしははお婆さんに聞いた。蛇はU字溝に逃げ込んだ。

「これであいつの頭を潰しておくれ。蛇はしつこいんだよ。頭を潰さないと死なないんだよ」

「わたし、ちびっこコーラを買って、ちび公園に行きたいんだ」

「そのまえにコイツの頭を潰しておくれ」

「だって、生きているんでしょ」

「あたりまえだ。だから殺すんだよ」

「だけど、わたし、ちびっこコーラを飲みたいんだ」

「コイツの頭を潰したらただで飲ませてやるよ」

 わたしが握ったその棒は握るところがすべすべしていて艶があった。お婆さんはわたしに棒を握らせたと思ったら、よちよち歩き出して地面にかがみこむと、U字溝に手を突っ込んで蛇をひきずり出した。その蛇はわたしの足元に投げつけられた。お婆さんの手には蛇の血がついていた。

「今だよ。頭を潰してやりな」蛇はわたしの足元で短くなったり長くなったりしていた。

 


夕方、わたしはたくさんのゲップをした。お母さんがふしぎそうにわたしを見ていたけど、わたしはゲップの出る理由を話す気にはなれなかった。ゲップは駄菓子屋のお婆さんがくれたちびっこコーラのせいだった。お婆さんは首にかけていたタオルで自分の手についた蛇の血を拭いた。それから動かなくなった蛇をそのままにして駄菓子屋にわたしたちを連れて行って冷蔵庫からちびっこコーラを三本出した。ちびっこコーラをわたしたちのまえに置いて、駄菓子屋と住んでいる家はちがうと言った。

「いま栓を抜いてやるから」

 お婆さんはしずかに言って、三本のちびっこコーラの栓を抜いた。お婆さんはさっき蛇が出てきた家に住んでいると言った。お婆さんは、蛇の血がついた手は洗わずにそのままで、ちびっこコーラの栓を抜いた。瓶の口元から茶色い泡があふれてきた。

「さあ、飲んでいいんだよ、さあ」

 お婆さんは何だか怒ったように言った。わたしたちは何も言わずにその瓶をつかんだ。冷蔵庫から出してきたのにちびっこコーラの瓶は冷えてはいなかった。瓶の口からは茶色い泡があふれていたけれど、それもしばらくするとやんで、わたしの手には茶色い泡がかかってべとべとになった。

「どうしたんだい、ちびっこコーラを飲みたかったんじゃないのかい?」

 わたしは瓶の口に唇をつけた。その瓶はぬるかった。わたしはちびっこコーラを飲んだ。だけど、その味はわたしが飲みたかったちびっこコーラの味じゃなかった。そのちびっこコーラはいままで飲んだことのないおかしな味がした。わたしはすぐに飲み干してから、お母さんからもらった十円でもう一本ちびっこコーラを飲んだ。でも、それもわたしの知っているちびっこコーラの味はしなかった。だから、家にいて、ゲップが続けて出るとおかしな味が口のなかにひろがった。


 その日の夕方、お父さんはいつもより早く帰ってきた。慌てて夕飯の支度をしようとして石油コンロに火を入れたお母さんの背中に向かってお父さんが

「四時すぎに急に頭が痛くなったから帰ってきた」と言った。

 わたしはそれを黙って聞いていた。

「四時すぎに急に頭が痛くなった。こんなの、はじめてだ」

 カラの弁当箱をお母さんに渡しながら、お父さんはそう言った。お母さんは弁当箱を持ちながら

「じゃあ、薬、飲む?」

 と聞いたけれど、お父さんは

「いや」

 と薬は飲まなかった。しばらくすると卓袱台の上には焼いた鯵の開きと鰹節をかけた豆腐がのせられた。わたしはじぶんのお茶碗のごはんに「すきやき」味のふりかけをかけた。弟の茶碗のごはんにもそのふりかけをかけてやった。背中が暑くなってきたので振りかえると、玄関から赤くて濃い夕陽が入ってきてわたしの背中にあたっていた。ゲップがまだ出た。わたしは動かなくなった蛇を思い出した。蛇の血がついたお婆さんの手を思い出した。お婆さんから手渡された持つところがすべすべになった棒の感触を思い出した。

「まだ頭が痛いな」

「じゃあ痩せ我慢しないで薬飲んだら。まだ残っているから」

 お母さんがそう言ったけど

「薬じゃ治らないよ」

 とわたしは言った。

「薬じゃ治らないんだ。わたしは知っているんだ」

「何を知ってるって?」

「だってわたしのせいなんだ。」

 わたしはちび公園に行こうとして途中で蛇にした事をお父さんとお母さんに話した。話している最中にもゲップが出た。

「だからわたしのせいなんだ」

 弟はわたしが何を話しているのかわからないようだった。するといきなりお母さんは立ち上がってわたしたちがいつも寝ている隣の六畳間へ行って何かを握って戻ってきた。それはお線香の束だった。

「今から行ってこのお線香、あげてきな」

 お母さんは顔から汗をたくさんかいていた。

「今からお線香を上げてくるんだよ。二人で行って」

「どうして?」

「おまえ、蛇を殺したんだろう」

「駄菓子屋のお婆さんに言われたんだよ」

「でも。殺したんだろう」

「うん」

「祟るから。蛇は祟るから。だからお線香、あげておいで」

「お線香あげれば祟らないの?」

「そうだよ。だから、お線香、あげておいで」

「シンちゃんもいたんだよ」

「じゃあ、シンちゃんも誘ってあげな」

「うん」

「おまえ、マッチは擦れるかい?」

「お風呂の薪を燃やすときにやったことがある」

「じゃあ、このマッチ、持って行きな」

 わたしはゴム草履をつっかけた。秘密の道はもうくらくなって何も見えないから電信柱の裸電球が灯っている道を走った。

 シンちゃんの家の格子戸からなかを覗くと中学生のお兄さんもいてみんなで夕飯を食べていた。家のなかにむかって声をかけるとシンちゃんのおばさんが出てきて、わたしたち二人をじろじろと見た。

「まだ遊び足りないのかい。もう遅いからダメだよ。まったく」

 わたしはシンちゃんのおばさんに線香の束とマッチを見せて、蛇のことを話した。シンちゃんのおばさんはわたしの話しを聞き終わると家のなかに戻ってシンちゃんに何か話していた。シンちゃんはおばさんに何か聞かれるたびに頷いたり首を横に振ったりしていた。シンちゃんのお父さんやお爺さんやお婆さんは茶碗を持ったままシンちゃんとおばさんを見ていた。中学生のお兄さんは茶碗をシンちゃんのおばさんに差し出したけど「自分でよそいな」と言われていた。シンちゃんのおばさんがまた出てきて

「ウチのシンジは殺してないって言っているよ」

「そうだよ。シンちゃんは何もしなかったよ。弟も何もしなかった。ボークーゴーにも行かなかったんだよ」

「じゃあ、ウチのシンジは関係ないね」

「でも、お父さん、頭が痛いって、いつもより早く帰ってきたんだ」

「それが何か関係あるのかい」

「だって、お父さんの頭が痛くなったのは四時頃なんだよ」

「だからさ、それがどうかしたのかい」

「夕方、蛇が死んだころなんだ。蛇を殺したころなんだ。だからこれからお線香を上げに行くんだ。お線香にマッチも持って来ているんだ。シンちゃんもお線香を上げに誘っていいでしょ」

「お線香を上げるのは誰かに言われたのかい」

「お母さん」

「お母さんがそう言ったのかい」

「そうだよ。お母さんが言ったの」

「お父さんは?」

「何も言わなかったよ」

「そうかい」

「早く。早く。もしかしたらもう蛇はいないかもしれないんだ。誰かが片付けちゃったかもしれないんだ。そしたらもうお線香を上げることができなくなるんだ。お線香を上げられないとお父さんの頭が潰れちゃうかもしれないんだ。だから、早く。早くして」

「なんだか気味が悪いねえ」

「シンちゃんのお父さんは頭痛くないんでしょ」

「そんなこと言っていなかったからねえ」

「だから、行かなくちゃいけないんだ」

「しようがないねえ、シンジ、行ってきな」

 シンちゃんのおばさんはシンちゃんにそう言うと、シンちゃんは口をもぐもぐさせながら靴を履いた。

「すぐに帰ってくるんだよ」

 シンちゃんのおばさんが言い終わらないうちにわたしたちは走り出していた。シンちゃんのおばさんと話しているうちに、もしも蛇があの場所にいなくなっていたらわたしはもう蛇にお線香を上げられなくなるのに気がついた。もしも誰かがあの蛇をどこかにやってしまっていたらわたしはもう二度とあの蛇を見ることができなくなって、もう二度とお線香を上げることができない。蛇にお線香をあげられないとわたしが蛇の頭を潰したようにお父さんの頭も大きい蛇に潰されてしまう。走っているとたくさん汗がでてきたけれどわたしはおしっこがしたくなった。それから蛇を殺せと言った駄菓子屋のお婆さんの塩辛声を思い出した。その蛇を殺せ、その蛇はいつも玉子を盗んで憎らしい、その蛇の頭を潰せ、と言ってあの塩辛声がわたしに棒を渡した。わたしは塩辛声の言うとおりに棒を持って、足元で短くなったり長くなったりしている蛇を見た。塩辛声はわたしに早く蛇の頭を潰せと言った。いつもいつも玉子を盗んで憎らしいから頭を潰してくれとわたしに言った。わたしは塩辛声の言うことが正しいのかどうかはわからなかった。塩辛声の玉子をいつも盗んでいるのが足元の蛇なのかわたしにはわからなかった。わからなかったけれど、足元で短くなったり長くなったりしているその蛇の口は玉子を飲み込めるほど大きくはないように見えた。


 走っているとゴム草履と足の隙間に小石がはさまって足の裏が痛くなった。弟もゴム草履だったからわたしのように小石がはさまっているかもしれなかったけれど、蛇がまだそこにいるかどうか早く見たかったから弟には何も言わなかった。電柱に取り付けられた裸電球の灯りがわたしたち三人の走る影を地面に映していた。電柱を通り過ぎるたびに真っ黒な濃い影が足元にさっと現れて、すぐに薄くなって消えた。商店街の横を通るときにはお母さんといっしょに行って納豆を買うお店が見えて、いつもアメをくれるお店のおばさんが天井の柱から吊るしたザルのなかのお金を数えていた。わたしに気がついて、声をかけてきたけれど、返事をしないでもっと走った。

 商店街を過ぎると道は急にくらくなった。道の両側にはブロック塀や垣根をめぐらした家がいくつも続いていて、開けたままにしてある窓からは部屋の灯りが外にもれていた。どこかの窓からいつも見ているテレビ番組の音が聞こえてきた。その家のなかから笑い声も聞こえてきた。あのとき塩辛声が家から出てこなければ今頃は家でテレビを見ていたのに、なんだかさっきよりもますますおしっこがしたくなった。

 わたしたちは蛇の場所に着いた。

 だけど、そこには棒が一本落ちているだけだった。電柱の高いところにとりつけられている裸電球の灯りが地面をぼんやりと丸く照らしている輪の端には、わたしが昼間握った棒が一本落ちているだけで、蛇がしっぽから流していた血の跡も黒く残っていたけれど、蛇はどこにもいなかった。

「蛇、いないね」弟が言った。

「蛇は生きかえったのかなあ」

 シンちゃんがそう言った。だけど、蛇の頭を棒で叩いたとき、蛇は口から白いふわふわしたものを吐いてから急に動かなくなったのを、わたしはまばたきをしないで見ていたから、知っていた。その蛇を見て塩辛声も黙って自分の家に引っ込んだ。塩辛声は一度もわたしを振り向かないで家のなかに引っ込んでいった。塩辛声のうしろ姿を見たあとに、もう一度蛇を見たけれど、蛇はおなじ格好で地面にいた。だから蛇は死んでいるはずだった。裸電球のぼんやりと照らす黄色い光の輪のなかに落ちている棒を拾って、その棒の先を見た。そこには蛇のウロコがついていた。もしかしたら、、もしかしたら蛇はU字溝に逃げ込んだのかもしれない、それとも誰かがU字溝に蛇を捨てたのかもしれないと、U字溝に頭を突っ込んでみた。けれど、ドブの臭いが目にしみただけだった。

「生きかえったんだ」

 わたしは弟とシンちゃんに言った。だけど、蛇が生き返るはずはなかった。それはあの棒を振りおろしたわたしだけが知っていることだ。持つところがつるつるになったあの棒を振りおろしたときに、棒が地面に当たっただけではない感触、何かふわっとした衝撃が、手のなかに伝わってきて、きっとそれが蛇の命が蛇の体から抜け出た瞬間にちがいなかった。だから、蛇が生きかえってどこかに逃げたとは思わなかった。でも、弟とシンちゃんには本当のことは言わないことに決めた。どうしてなのかはわからないけれど、そう決めた。

「生きかえったんだ。さっきの棒があるのに蛇がいないのは変だ。蛇は生きかえって逃げたんだ」

 わたしがそう言うと、二人とも

「そうだよ」と言った。

「じゃあ、このお線香はどうするの」

 弟がお線香の束を差し出した。わたしは決めていた。弟が差し出すお線香の束を塩辛声の出てきた灯りのついていないくらい格子戸に叩きつけた。それから蛇のウロコが先端についたあの棒を拾い上げた。蛇のウロコが裸電球の淡い灯りをうすく反射しているのを見てから、格子戸に向かって投げつけた。その棒を投げると、暗いのに棒の端がとつぜんきらきら光り、塩辛声の格子戸のガラスを割った。あたりにはガラスの割れる大きな音が響いた。すぐに格子戸のなかで灯りがついた。わたしたちはいっせいに走り出した。

「くそ婆あ!」

走りながらわたしは大きな声で叫んだ。

「くそ婆あ!」

「くそ婆あ!」

 弟もシンちゃんも大きな声で叫んだ。わたしはなんだか楽しくなって笑いながら走った。走っているとわたしのポケットのなかでマッチ箱がかさかさ鳴った。それからちびっこコーラのゲップがまた出た。地面を見ると死んだ蛇を探しにきたときとおなじようにわたしたちの影が何度も何度も足元に現れてはすぐに消えていった。



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