参 ‐サン‐

 管理棟から教室棟へ脱兎だっとごとく走ってきた玲花は、急いで教室の中に入り、自分の席へ向かう。

「おはよう……大丈夫? 藤杜さん」

 息せく玲花に気づいた夏月は驚いたような声を上げた。

「おは、よう」

 玲花はせわしい息遣いきづかいのまま挨拶を返して、教室中央の後ろの席に座る夏月の後ろを通って窓際の机に着く。

「どうしたの? 何かあった?」

 後を追って玲花の席の横に来た夏月が尋ねる。

「ううん、大丈夫。何でもないの」

 玲花は呼吸を整えながら答える。

「そう?! でも、火納くんと一緒にいたって、目撃情報があるんだけど……」

「え、嘘――」

 深呼吸をしていた玲花は、取り沙汰ざたされた予期しない内容に息が止まった。

「ホント」

 二の句がげなくなった玲花に代わって、夏月が言葉を発する。

「……それは」

 気を取り直して、訂正しようと玲花が口を開いた時。

 バタバタと廊下を走る音が近づいてきたと思った直後、クラスの後ろの戸が勢いよく開く。

「藤杜玲花! まだ話は終ってないぞ!!」

 室内をざっと見渡し、玲花を見つけた隆弥は声を張り上げながら、大股おおまたで歩み寄ってきた。

 教室内がどよめき、すぐさま静まり返る。


 ……全然、大丈夫じゃない。


 一斉に室内の視線が玲花に集まったのを感じ、その鋭さに心中で嘆息たんそくした。

「どうしたの? 彼は」

「よく、わからなくて……」

 夏月のドライな質問に口ごもりながら、玲花は初めて聞く単調な語り口に違和感を持つ。明るく抑揚よくようのあるイメージだった夏月の違う一面を見た気がした。

「藤杜玲花。話の途中で逃げるな」

 夏月の真隣まとなりに立って声高こえだかに食ってかかる隆弥に、玲花は「目立ちたくないのに」と困惑こんわくして押し黙る。

「火納くん。予鈴が鳴ったんだから、教室に来ているのが正しい判断ではないかしら?」

「そうよ、隆弥。楠原さんの言う通りよ。それに、あんな風に問いつめては駄目だめよ」

 非難めいた夏月の言葉に隆弥が反論するより先に、楓の同意する声が隆弥の背後から聞こえた。

「楓」

 隆弥が後ろを振り返って不服そうに楓の名を呼ぶのと同じタイミングで、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り響いた。

「九条さん、どうかしましたか?」

 教室の前ドアから入ってきた男性教諭は、室内でたたずむ楓に気づき、慇懃いんぎんに問いかける。

「いえ。何でもありません」

 楓はZ組担任の御先みさき光司こうじ泰然たいぜんと答えると、自分の席――夏月の席のひとつ前――にしずしずと移動した。

「火納さんと楠原さんも席に座って下さい。ホームルームを始めます」

 楓が椅子に腰かけたのを見届けた御先は、今度は隆弥たちに目を向ける。

 昨日は緊張きんちょうして見れなかった担任教師の顔を、玲花は初めて正面から見た。

 ワイシャツ越しでもわかるがっしりとした格闘家のような体格。いかつい風貌ふうぼうに不釣り合いな、物腰ものごしやわらかい話し方をする。

「はい」

 御先の言葉に、夏月は頷いて、隆弥は無言で、自分の席に向かった。

「それでは、ホームルームを始めます」

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