伍 ‐ゴ‐

 担任の男性教師の後について、玲花は一年Z組の教室に向かう。

 歩を進めるたびに、鼓動が早くなる。

 先月まで通っていた学校とは違い、建物は大きくて豪奢ごうしゃつくりで、玲花は自分がここにいることを不釣り合いに感じ出していた。

 ローファーのまま校舎の中を歩くのにも、しっくりしない感じをいだく。


 ……この環境に慣れるだろうか。


 一抹いちまつの不安を覚える玲花の瞳に、一年Z組のプレートが飛び込む。

 男性教員は教室の前で立ち止まりドアを開けると、緊張から身体が小さく震える玲花に気づかないままクラスの中に入っていった。

 意を決して玲花が教室に入ると、クラスの生徒たちがざわめき出す。

「……転入生?!」

「この時期に?」

 ひそひそとしゃべる生徒たちの声が、硬い面持ちで教壇に立つ玲花の耳にも届いた。ざわつく生徒の視線が突き刺さるようで、玲花は逃げ出したい衝動しょうどうを必死に押さえ込む。


 ……部外者なんだ。


 遠慮えんりょのない、値踏みするような感じを強くいだく中、一人の生徒が親しみやすい表情で小さく手を振っていた。気づいた玲花が目線を向けると、正門の前で会った女子――楠原夏月がそこに座っていた。

「今日からZ組に転入することになった、藤杜玲花さんです」

 担任教師の事務的な紹介の後、玲花は「よろしくお願いします」と頭を下げた。

「藤杜さんは、窓際の一番後ろの席に座って下さい」

「はい」

 教師の言葉に返事をして、玲花は生徒の視線が集まる中、指示された教室の後ろへ震える足で歩を進める。


 ……視線が刺さる。痛い。


 人の目も凶器になるんだ、と玲花は心の奥深くで思った。

 ピリピリと緊張した空気の中、窓辺のいている席に腰かける。

 室内の雰囲気に息苦しさを感じて、玲花は左横の窓をそっと開ける。細い隙間すきまから入り込み、ふんわりと優しい風が玲花の周りを漂う。

「ありがとう」

 そっと小声でお礼を伝えると、心地よい風がいたわるように玲花の頬をなでる。

 気持ちが少し楽になった玲花が、ゆっくりと呼吸をしている時。

 ガラッ、と大きな音を立ててクラスの前扉が開き、生徒が姿をあらわす。

 入ってきたのは、男子と女子。

 刺々しかった室内の空気が色めく。

「九条さんと火納さん。今朝はどうしました?」

「すみません、先生。会長との打ち合わせが長引いてしまいました」

 花のように笑んで、九条楓は謝罪する。

「わかりました。ホームルームを始めるので、席に着いて下さい」

「はい」

 教師に頷くと、楓は自分の席へ移動する。

 玲花は悟られないように教壇の方を盗み見て、「あっ」と心の中で呟く。

 楓の後ろに立つ男子、火納隆弥。

 意思の強い双眸。彼の周りの焼けつきそうな空気に、正門前で会った男子生徒だと、玲花は直感した。

 ホームルームに遅れてきて、悠然ゆうぜんと歩く二人。クラスメイトたちの羨望せんぼうの眼差しを当たり前みたいに受け止めている。


 ざわり……と、心の奥で何かがうごめく。


 隆弥と目を合わせたくなくて、玲花は目線を机に落とす。

 気づかれないように。

 それだけを祈る。

 ふっと風が変わる。

 玲花の心をなだめるように、肌の上をすべる。

 ウェーブかかった綺麗な髪は胸までの長さ。ややつり目がちな美少女。

 赤みの強い茶色の髪と目力の強い少年。

 自信に満ちた立ち振る舞い。自分と違う、存在。

 あんな風に目立たなくてよい。ひっそりと静かに、誰の邪魔にも迷惑にもならないで、そこにいられればよい。


 だから、お願い。

 気づかないで。……悟らないで。

 あばかないで。

 じゃないと――

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