第10話 神罰計画

 二人は森を翔けた。堀田は命を賭けて来てくれた。秀子にはそれがたまらなく嬉しかった。自分の身勝手に付き合ってくれる彼女を愛おしくすら感じた。なんとしても、赤羽を救わなくてはならなかった。

「……ここまでくれば問題ないな」

 足の裏の宝玉で加速してきたため、回りの状況はよく分からない。秀子にはぼやっとした魔力が感じられるのみで、細かな探知はできないようだった。

「緋色さん、赤羽さんは?」

「……わからん。私も『これくらいの魔力を持った誰かがいる』くらいであれば正確に感知できるが、それが誰かまでは判別できないからな……」

 土と木の香りと湿気た空気が、秀子の鼻を刺激する。耳には、得体のしれない虫の鳴き声がするのみで、人は感じられなかった。

「……近いな。四人……いや三人か? かなり疲弊しているようだ」

 草がこすれる音が鳴る。反射的に秀子はグロッグを抜き、トカレフと同時に銃口を向ける。泥だらけになったコスチュームに身を包んだ二人の少女が倒れこんだ。

「江藤! まさか……しかもこいつは……魔物!? なぜ江藤が魔物を守っている!?」

「落ち着いてください」

 秀子は狼狽する緋色の肩を掴む。

「落ち着いていられるか! 恐らく、こいつが元凶なのだ、こいつが」

 緋色の眼は淀み、震える手を柄に置く。掴んだ肩を離せば、二秒かからずに赤羽はまっぷたつになることだろう。江藤と呼ばれた少女は赤羽以上に疲弊しているようだ。

「いいですか、緋色さん。貴女、魔力のコントロールはできますか?」

「当たり前だ」

「では、眼から自分の魔力を追い出してください。焦点をずらすようにするとやりやすいはずです」

 緋色は視線をぐりぐりと動かす。力強く柄を握ろうとしていたはずの手からは徐々に力が抜ける。幻視装置の解除方法は意外にあっけないものだった。この装置は自分の魔力をエネルギーにしており、特定の人物を見るとスイッチが入る。つまり、眼に到達している魔力の供給管を切ってしまえばいいのである。

「ん、おお。赤羽……バカな、魔物だったはずなのに……」

「私の話は信じて頂けましたか?」

「……疑って悪かった。君を信じると言ったばかりなのにな」

 赤羽は包帯だらけで血も滲んでいる。彼女を守りながらなんとかここまできたのだろう江藤も、それは同じだった。ここまで動けたのが不思議なくらいの怪我だ。

「桜井秀子、君は医療魔法は使えるか?」

「そんなのあるんですか?」

「ある。だが私は使えない。七人集は攻撃に特化した特殊能力を持つが、治療能力を持つ者はいないからな。医療特化型の魔法少女が都合よく私たちに手を貸してくれるとも思えん」

 秀子はコスチュームの腰についたポケットをまさぐると、新しい包帯と消毒液を取り出す。元来用意周到な所がある秀子は、今回の戦いに赴くにあたって最低限の準備はしてきた。大学でラクロス部に所属していたときは、生傷が耐えなかったのである。ラクロスはお嬢様のスポーツとしてイメージが先行しているが、実際はラグビー並の小競り合いが頻発することもある激しいスポーツだ。男子の場合それが顕著であるが、女子ラクロスも男子ほどでは無いにしろ、怪我の頻度は高い。応急処置はお手の物である。

「とりあえず、傷の治療だけしましょう。魔法に頼らずともこれくらいは問題ないはずです」

 泥だらけとなった赤羽の包帯を外し、消毒液をかけた後手際良く新たな包帯を巻き直す。しないよりはマシ程度ではある。

「ところで、そっちの……江藤さん、でしたか? 彼女は大丈夫なんでしょうか」

「この様子だと、赤羽の味方をしてここまで来たようだな。息はあるようだ」

 四カ所目の包帯を外し、消毒液をかけた時、赤羽は跳ね上がるように起きた。どうやら消毒液がしみたようだ。

「じ、自分は……」

「赤羽、気がついたか」

 緋色は胸をなで下ろした。秀子もそれは同じだった。ここで死なれては今までの戦いが無駄になってしまう。ガサガサと草木を擦りながら、赤羽は体を起こした。

「……桜井さん、それに緋色さんまで……。自分を助けに来てくれたッスか? いや……その前に、自分の姿が魔物に見えるはずじゃ……」

「桜井秀子のお陰だ。まさか協会に騙されていたとは考えもしなかった。君の姿が魔物に見えるからくりも解いた。……この森から出るぞ」

 江藤は赤羽が覚醒したのと同時に目を覚ました。まるで見計らっていたかのようなタイミングだった。

「……せっかく二人きりだったのに、邪魔しないでよ……」

 心底残念そうな顔をする江藤だったが、赤羽が起きているのを見て表情を変え、脇目もふらずに抱きついた。態度はともかくとして、必死にここまで赤羽を運んできたのは彼女に違いないのだ。それだけ嬉しいということなのだろう。

「痛い! 痛いッス!」

「江藤さん……と言いましたか? 貴女は怪我は大丈夫なんですか」

「誰だかしらないけど、私は大丈夫……。傷口は焼いたから消毒も済んでる」

 痛がる赤羽に抱きつきながら、江藤は血まみれの包帯を外すと、それをほうり投げた。なるほど、確かにひどい火傷になっているようだ。これを自らやったというのだから、常軌を逸している。秀子はその光景に思わず目を背けてしまった。月明かりしか無いこの森でよかった。

「江藤、すまない。私が気づいてさえいれば……」

「私は春ちゃんと一緒なら何だっていいわ……。むしろ、なんで助けになんかきたのか分からないくらいよ……」

 死にかけていたのがまるで嘘のように、江藤は愚痴を垂れ流し始めた。そんな彼女をみやりながら、いつものことだ、気にするなと緋色は秀子に耳打ちした。赤羽のこととなると、江藤は見境がなくなってしまうらしい。

「とにかく、ここでグズグズしている時間は無いぞ。ここから早く出るのが先決だ。原野がいつ追いついてくるかも分からない」

「原野……やはり奴は協会側の人間だったんスね」

 先ほど、鋼線が巻き付いた跡が秀子の体に赤く残っていた。それはほとんど恐怖と同じようなものとして、秀子の心身共に刻まれている。

「そうだ。恐らく、花井も来ているだろうな……。江藤、どうだ?」

「さあ……私は興味ないから」

 素っ気無い態度で、江藤はくるくると赤羽の包帯を巻き直し始めた。どうも秀子の巻き方が気に食わなかったらしい。赤羽はそれ自体を嫌がると同時に、傷に張り付いた包帯をはがされる地獄を味わっていた。江藤がそんなことを気にするとも思えなかった。同じように、自分の回りの魔力の変化にも興味はないらしい。

「……赤羽、桜井秀子。どうだ? 何か感じるか」

「プレッシャーのような、でっかい魔力を感じるッス。それに比べて、通常サイズの魔力が……もう近くまで来てるッスね」

 それを察していたのか、緋色は刀を構える。秀子も慌ててトカレフとグロッグに手をかける。江藤はともかくとして、赤羽は消耗しきっている。何人いるかは知らないが、戦わせるわけにはいかなかった。

「……通常であれば、魔法少女同士が戦うことは訓練くらいしか機会は無い。これだけの人数と戦うのは私は初めてだ……。油断するなよ、桜井秀子」

「無論です」

 一瞬だけ、水を打ったかのような静寂が訪れたかと思うと、草木の陰から女が飛び出してくる。一人ではない。五人、十人……いや、二十人はいる。

「ば、バカな……全員年棒一億超の魔法少女じゃないか⁉ もうやめるんだ、我々が戦う必要はない!」

 緋色の叫びにも、彼女たちは答えない。全員、各々が得意としているのであろう武器を持ち、今にもこちらにとびかからんとしているのが分かる。それが、緋色の言葉でさえ動かない強固な意思を持ってされようとしているのが、秀子には分かった。

「……緋色さん、何を言っても無駄なようです。ここは私に任せてもらえませんか」

「なんだと? ……いや、分かった。私は赤羽と江藤を守る。君に任せようじゃないか、桜井秀子」

 緋色はおとなしく引き下がると、刀を抜き空を裂いた。すると。周囲の空気が収束し、厚い壁となった。これが彼女の能力の一部なのだろう。

『愚かな……たったひとりで戦うと言うんですの?』

 高い声が響く。この場にいる人間の誰でもない声。

「花井か……やはりお前の仕業か!」

 緋色にはこの魔法少女たちをけしかけた者の正体が分かっているようだった。その誰かに向かって、緋色は怒りに満ちた眼で周囲を見回している。だがその正体は一向に見えない。

『この魔法少女達一人ひとりが、そう……七人集に匹敵しますの。私に操られていることで、恐怖心は皆無! もはや戦闘力には埋めがたい差が存在しますの。……この圧倒的戦力差を下敷きにした上で、貴女に一つ質問をさせて頂きますの』

「話が長いですね。質問とは一体なんですか?」

『簡単なことですの。私の仲間になりなさい』

「いいえ」

 花井の質問に被らんばかりに、その提案を秀子ははねのけてみせた。秀子はその傲慢が許せなかったのだ。自分の優位を確保し、肝心なことは人任せ、そして回りくどいその言動。秀子が気に食わない要素がこうも揃っているものなのか、と呆れ返るほどだった。

『バカな……悪い話では無いはずですの』

「貴女の質問に『はい』と答えることが馬鹿らしいですよ」

『では、質問を変えましょう。この二十人の魔法少女に貴女は勝てると言うんですの?』

「はい」

『はいと答えるのが馬鹿らしいといった途端にその言動……。こうなったら、自分がどれだけ愚かか、経験で分からせてあげますの!』

 二十人の魔法少女達が、一斉に秀子に飛びかかる。光弾が嵐のように飛び交う中を、秀子は駆ける。剣やら斧やら、近接武器を振るう魔法少女達をするりと避け、両手の銃のトリガーを引く。二十対一というこの圧倒的戦力差では、一撃で相手を沈める必要がある。これで二人減り、残りは十八人。

「あれは……魔法銃術じゃないスか! あれはコンさんしか使えなかったはず。そのコンさんも亡くなっているのに、何故……」

「……君が一番よく分かっているのだろう、赤羽」

 後ろから錫杖のような長いステッキで殴りかかろうとする魔法少女に見向きもせず、脇からトカレフを向け発砲。一撃。例え近接格闘であろうとも、魔法銃術においては間合いによる不利はほぼ存在しない。通常、銃は点の攻撃であるため、当たらなければそれで終わりである。刀もまた同じと言えるが、刀は間合いに入れば、面の攻撃を喰らわせることができる。一撃でも当てることが出来れば、という前提は、当然後者のほうが有利ということになるのだ。では、銃を二丁に増やし、面の攻撃に昇華した場合どうなるか? 答えは、間合いによる不利を三百六十度完璧にカバーすることが可能になるのである。

「金剛地は強かった。彼女は、本来なら花井と互角のはず。それほど一流の魔法少女だったのだ。相打ちはあっても、敗北はありえない」

 両手の銃のマズルフラッシュが、暗い森をカメラのフラッシュを焚いたように照らし始める。緋色はそれを見て、美しい光景だと感じた。昔、同じように美しいマズルフラッシュを描いた金剛地に聞いたことがある。

『魔法銃術を極めたらどうなるのかって? 簡単なこった。マズルフラッシュが、星空を描き始めるのさ。私の師匠は天の川みたいになるなんてロマンチックなことを言ってたが、私に言わせれば──』

 銀河。魔法銃術を極めしものは、マズルフラッシュで銀河を描く。最小限の動きとエネルギーで、最大級の戦果を挙げる。魔法銃術の極意を、明らかに秀子は体得していた。

「魔法少女は、握手をした際、相手に自分の魔力を譲渡することができる。彼女は、桜井秀子に賭けたのだ。花井を、狂ってしまった協会を、討ち果たす者として……」

 流れるような動きで、両手の銃のトリガーを引く。秀子は、何故自分がこのように、先ほどまで名前すら知らなかった魔法銃術をうまく使えるのか理解していなかった。だが、感じていた。脳そのものでの理解と、精神上の認識は大きく異なるのだ。

 恐らく、金剛地さんだ。

 精神の奥底のどこかで、秀子は金剛地を感じていた。この力も、金剛地の助けがあるのだと感じていた。それで十分だった。たった一度、一緒に酒を飲んだ仲だ。それ以上を求めてなんになろう。彼女が飲んでいたマティーニのように、僅かだが確かに存在する友情の証。それが、今の秀子の力の全てなのだから。

「だから、私は──」

 この友情に感謝しよう。報いよう。それを示すことは簡単だ。勝つことだ。トリガーを引く指が、光弾が出るたびに揺れるバレルが、秀子を勇気づけた。二百六十三回目のトリガーを引き、魔銃トカレフとグロッグをくるくると回転させ、ハンマー同士でキスをさせた時、まるで暴風雨が去った跡のように、魔法少女達は倒れ伏していた。



『……それでは、この事件は遠野が犯人ではないと?』

 電話口の相手は、霞が関に出張していた会長だった。協会ビルは、何者かによって操られている協会職員によって占拠されてしまっている。もはや、職員でこの事態に対応できるのは酒木原と会長くらいしか残っていないようだった。

「もうお分かりでしょうが、彼の神罰計画とやらには不審な点が多いのです」

『不審な点ね』

「まず、彼の言う魔法少女の兵器化ですが……わざわざ魔法少女を集めて、殺し合いをさせる必要などありません。もっと効率の良い方法がいくらでもあるはず。彼ほど頭の良い人間が、こんな非効率な作戦を取るとは考えづらいのです」

「第二に、普段の彼は穏やかでもっと思慮深い人間です。さっき会った時、彼はあまりにも傲慢で無鉄砲で何も考えていませんでした。一言でいうならバカです。まるで別人でした」

『別人だったのか』

「まるきり別人というわけではないでしょうね。本人です。だが、恐らく操られている。どのような操り方かはわかりませんが、幻影でも見ているのかもしれませんね。確かなことは、この幼稚な作戦には、遠野ではない誰かが何かのために動いている。私にはそうとしか思えません」

『君の言うことはよく分かった。すぐに協会ビルにSATを送るように要請をかける。遠野君は最悪のことがあっても大丈夫、そういうことなのだろう?』

「そういうことです。ああ、私の事はお気になさらず。私はここから向かう場所がありますので」

 酒木原は携帯を切ると、協会の駐車場にある公用車に乗り込み、エンジンをかけた。全ての真相は、魔法少女協会所管の国立公園にある。酒木原には、どんな非情な結末が待っているとしてもそれを見届ける義務があるからだった。

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