第9話 自由な女

「……それは、真実なのか」

 秀子から緋色が知り得たものは、彼女に絶望の表情を貼り付けるのに十分なものだった。緋色にとって、協会は正義であり、自分の支えであったのだ。自分が拠り所にしていた柱を外されるという裏切り。信用の崩壊そのものだ。

「とにかく、協力してください。私はあの人を死なせたくないんです」

 あのまっすぐな瞳をした赤羽の顔が、秀子の脳内に現れる。秀子の行動はエゴかもしれない。だが、彼女を救わなければならない。それだけが、秀子が彼女のまっすぐな瞳に報いる唯一の方法だった。

「待て。私は『君の言うことが真実なのかどうか』をまず確かめたい。はっきり言うが、君のことを信用しているわけではないからな」

「証明ですか。……それなら、赤羽さんがしてくれるはずです」

「君がさっき、赤羽は魔物として狙われていて、私の目には魔物にしか見えないと言ったばかりじゃないか」

 そこが最大の問題であった。いくら協会のスカウト部門が暴走を起こしていて、幻覚装置によって特定の魔法少女が魔物に見えるといっても、秀子以外の人間にそれを分からせるのは至難の業だ。

「それに、もう一つ疑問がある」

「なんですか?」

「君はさっき、魔法銃術を使ったな。あれは、銃撃特化タイプの魔法少女の中でも、ほんの一部の魔法少女にしか体得できない技術だ。真似をしたとしても、一朝一夕で身につくものではない。我々は魔力を『管』を通して供給しているが、両手で同時に正確精密に魔力の放出を操る事自体、センスでは片付けられないほど経験を要するものだ」

 なるほど。確かに不思議だった。いざと言う時のために買ったエアガンがこんな形で役に立つとは思っていなかったし、秀子自身もうまくいくとも思っていなかった。ただ、熱湯に触れたら手を飛びのけてしまうように、反射に近いような感覚だった。それまで、一回もやっていないのにもかかわらずだ。

「それについてはわかりません。これを使った金剛地さんとは一度だけ戦いましたが、二丁拳銃を使うということしか知りませんでした」

「そうか……。もしかすると君は……」

 何かを言い含めた緋色は、突然顔を飛び上げ、誰もいないはずの森をキッと睨みつけた。どうやら、魔力の反応があったようだった。秀子もようやく魔力の反応を感じ取った。知っての通り、魔力は強力な魔物クラスでもないと、並の魔法少女が感知することは難しい。魔法少女同士でもそれは同じであるが、対人戦で魔力を放出することは殺気をばらまきながら歩いているのと同義である。歴戦の魔法少女ともなると、その僅かな魔力すら空気の中から感知することが可能となる。

「……なんだ、この魔力は。混ぜ物でもしているようだ……。出てこい! 私の攻撃範囲はゆうに十メートルは超える。隠れるだけ無駄だ」

 そこにいたのは、小柄な少女だった。秀子は百六十後半、緋色にいたっては百七十を超えているが、緋色の腰程しかない。だが、魔力の感知では緋色に劣るはずの秀子ですら、この少女に対して禍々しい何かを感じていた。

「……君は、原野奈々だな。一体どうしたんだ、こんな所に」

「どうしたのか、とは随分な物言いですね。簡単なことです。緋色さん、あなたを連れ戻しに来たのですよ」

 小柄な少女は、暗い闇でも分かるくらい美しい金髪をツインテールにまとめており、ダークグレイのドレスに身を包んでいた。手には革製グローブが嵌められており、手の甲には何かの紋章付きの部品がうめこまれている。更に特筆すべきは、指関節の一つ一つにリングが埋まっていることだろう。

「どういう意味だ」

「簡単なことです。魔法係長は嘘を付いている。あなたを仲間に引き込み、悪事の手助け……そう、協会への復讐でも企んでいるのでしょう」

 日本人離れした黄金の目を持つ原野は、そう言うと秀子を見下したような目で睨めつけた。自分より遥かに年下の少女にそのような事を言われて、思わず否定したくなってしまう。同時に、大人げないな、という卑下した気持ちも生まれてしまうのだった。

「くだらんことだな。……桜井秀子、一つ聞きたいことがある。君は、金剛地と握手をしたことはあるか?」

 あの日がフラッシュバックする。金剛地の手は暖かかった。彼女は肩で風を切るように歩いていった。結果的に、それが彼女の最後の姿になったが。

「……あります。それが何か?」

「……そうか。原野、聞いての通りだ。私は桜井秀子を信じる」

 余裕すら感じられる原野の表情に、憎悪が差し込んだ。

「何ですって?」

「私はお前の味方にはならない。協会が正義ではないと言うのなら、私は自分を信じる。自分の信じるエゴを何処までも信じる事こそ、私の考える正義だ。……組織に裏切られたのだ。これくらいは当然だろう? なあ、七人集のナンバー2よ」

 そういい放つと、緋色は鯉口を切り、刀をふるう。刀を振るうたびに、緋色の回りの空気が集まり、放出され、鎌鼬のように原野を襲った。先程秀子が受けたものより、数段は威力が上がっている。その証拠に、森の土が噴き上がり、木々はズタズタに引き裂かれ倒れた。土煙は上がったままだ。

「……い、一体どうなったんですか」

「油断するな! ……これで起きてこなければ走って逃げるところだが、どうもそうもいかないようだな」

 魔力の反応は弱まりもしない。原野はまだ気絶すらしていないのだろう。風切音が周囲を包む。秀子は緋色を見るが、脂汗を浮かべているだけだ。刀は比較的どこからでも対応ができる上段に構えて、周囲の様子を伺っている。彼女は何もしていない。

「……桜井秀子、動くな。私たちは囲まれている」

「魔力の反応は一つしかありませんが」

「ああ。だが囲まれている。動けば……首を飛ばすだろうな。あいつは私より遥かに協会への忠誠心が高い」

 月の光が、空間にキラリと反射する。反射するものなど何も無いはずだ。そこに何かがある。秀子が目を凝らすと、細い糸のようなものが空中に浮かんでいる。よく見れば、それが空間を覆うように無数に張り巡らされているのである。

「鋼線だ。それも、触れれば切れるレベルのえげつないものだな。恐らく、原野がちょっと動かせば……」

「どうなるかなんて簡単なことでしょう。あなたたちの体はポテトサラダの卵のように細切れになります」

 土煙が晴れ、ようやく原野の姿が現れた。よくよく見れば、原野の手の甲から鋼線は伸びているように見えた。それが各関節のリングを通って伸びているのだ。指を少し動かせば、恐らく原野の言うとおりになるのだろう。

「私たちを殺すか? 原野」

 原野は答えない。彼女の沈黙は恐らく肯定と同じなのだろう。

「ここまで……か。しかし、私はただでは死なん。せめて貴様に一太刀浴びせてやるぞ」

 緋色の刀を握る力が増したのが分かる。恐らく、斬撃でこの鋼線をなんとかするつもりなのだろう。秀子の銃撃より突破の可能性はある。だが、当たれば致命傷は免れない鋼線を、全て避けきることができようはずもない。

「……緋色さん」

「すまない。私の判断ミスだったようだ……。協会が敵だという以上、魔力反応が出た時点で戦闘は避けるべきだったんだ」

「……いいえ、緋色さんは間違ってなんかいません。ここで貴女と出会い、ここで敵に足止めを食らっている。これがいいんですよ」

 秀子はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。そして、天空に向かってトカレフを掲げ、トリガーを引いた。銀河に新たな星が加わるわけではない。ただ、その一発は、信号替わりなのだ。万が一のための緊急手段。

「何をしている!」

 原野が右手を少し上げる。秀子に一瞬で鋼線が巻き付き、体を締め上げる。恐らく切れるギリギリのところか、常人ならとっくに輪切りになっているのかどちらかなのか、秀子には分からなかった。だが、全身を焼けるような痛みが襲い、思わず歯を食いしばってしまっている。

「……仲間でも呼んだつもりですか? 考えれば簡単なことでしょう。無駄というものです。恐らく、赤羽は満身創痍。距離も遠い。とても私たちのいる場所にたどり着けるとも思えません。せっかくの信号弾もどきも、死ぬのが早まっただけですね」

「さあ、それはどうでしょうか。私が考える仲間は、もう一人残っています」

 その声に答えるように、森に雷が落ちたような轟音が響いた。もちろん、雨は降っていない。星空は変わらず瞬き、月も綺麗なものだ。では、さっきの音は何だというのだ?

「カリバァァァン!」

 巨大な塊が、秀子の視界を完全に塞いだ。原野と秀子たちの間に、巨大な剣が振り下ろされているのだ。それは、原野の創りだした魔鋼線をいとも簡単に斬ってしまった。

「今です! 私たちは逃げましょう!」

「まさか、切り札を残していたとは……。桜井秀子、君はなかなか食えないな! だが、大丈夫なのか?」

「話は後です! 今は逃げます!」

 振り向かずに、全力で秀子と緋色は森を翔けた。もはや、躊躇している場合ではない。助っ人の勝利を祈りながらも、赤羽が無事かどうかが気になって仕方が無いのである。

「……それに、私は彼女が負けるなんて考えていませんよ」




 原野はその巨大な剣に鋼線を巻きつかせると、容赦なく輪切りにしてしまった。向けば、本体は巨大な泥の騎士のようだった。こんなものを操るのは、この国ではただ一人しかいないだろう。

「『円卓の騎士』『召喚士』『フリーダム』『イレギュラー』……あなたを形容する二つ名は簡単ではない……。そのあなたがなぜ私の邪魔をするの?」

 原野と対照的な、くすんだ金髪。ド派手なピンク色のドレス。子供じみたステッキ。そしてその自信たっぷりの不敵な笑みが、彼女を彼女たらしめていた。

「堀田三津子! イレギュラー如きがこの私に……ナンバー2の私に敵うと思っているのか!」

「ミッチーよ」

「何?」

「魔法少女ミッチーよ。今度その名前を言ったら、コンビニおにぎりのビニールみたいにあんたのツインテールを横に引っ張って裂き殺してやるわ」

 泥人形こと、ロードナイトは森の腐葉土に手を突っ込むと、輪切りにされたカリバーンをあっという間に復元してしまった。媒介が土のため、土さえあれば魔力が続く限りはすぐに戻るのである。

「それに、あんたみたいな一桁台のお子ちゃまにバカにされるのは……全然自由じゃないわ。っつーわけで、あっという間に大人の階段登らせたげるわよ。そのまま天国の階段登っちゃうかもしれないけどね!」

 堀田の目は、どこまでも自分勝手で自信満々であった。

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