第7話 星空の下で

 赤羽春子の手には、いつぞやの酒木原と同じように、遠野の印鑑が押され、会長の確認印も押してある命令書が握られていた。内容は、『対多人数戦闘訓練参加命令書』である。七人集といえども、協会の最高責任者である会長と、七人集を統括する立場である遠野の命令に逆らうことは出来ない。この訓練の事を、魔法少女達の間では『戦争』と呼ぶ。社会構造の複雑化によって、ますます強くなるであろう魔物に対抗するため、魔法少女同士で訓練を行うというのが建前だ。実際は、協会に仇なすような魔法少女を私刑にかけるのと同じ。その証拠に数回行われたこの訓練を生き残った魔法少女は居ない。赤羽自身も、この訓練に何度か参加したことがある。皆、異様に血走った目をして、まるでカラスが生ゴミに群がるように、その魔法少女を殺したのを覚えている。殺したのだ。魔法少女が、魔法少女を。それを容認している協会も協会だが、その時だけはそんな気分にならなかった自分にも、吐瀉物をぶちまけたくなるほど嫌悪感を催したものだった。集団で、訓練という大義名分があるなら、そんなことが許されるというのだろうか。あの時は、みんなおかしかったからいいのだ、という理由で。

「赤羽さん」

 小柄な影が、廊下をゆらめいた。

「……一体何の用ッスか。自分のことを笑うならまた今度にして欲しいッス」

 赤い小学校の制服を着こみ、日本人離れした金髪のツインテールをいじりながら、七人集の一人、原野奈々が赤羽を見つめていた。

「とんでもない、励ましに来たんですよ。今度の訓練は、簡単なものではありませんから」

「皮肉ッスか。お友達の『ホワイトデビル』はどこにいったんスか」

「……まだ金剛地さんの事を根に持っているのですか?」

「コンさんを殺さなくても済む方法は、いくらでもあったはずッス。仲が悪いからと言って、七人集筆頭だからと言って、殺しが容認されるはずが」

「彼女は華乃に喧嘩を売った。それを買った。ましてや、魔法少女同士の私闘は禁じられている。金剛地は魔法少女としては相当の実力を要している。……ならば、結果としてどちらかが命を落とすことは仕方がないことでは? それを華乃のみに責任転嫁するのは、あまりにも簡単ではありません」

 相変わらず、小学生離れした言い分だった。反撃の言葉すら、今の赤羽の頭では生み出せなかった。脳内が直接見えない手で揺さぶられているようだ。

「失礼するッス」

 赤羽が足早にその場を立ち去る。金剛地の幻影を、苦しみを、痛みを、全て振り払うかのように。それを自らが違った形で背負わなければならないことを知っているかのように。

「愚かですの」

 廊下の奥の自動販売機の駆動音が、夕日の差しこむ協会ビルの中を駆けまわった。そのそばに備え付けてあるベンチに、小さな人影がもうひとつあった。ぷらぷらと揺れる足が、影となって伸びる。それは七人集筆頭、花井華乃その人だった。

「彼女を呼び水にする作戦は、どうやら成功しそうね」

「ええ。七人集の一人ともなれば、仕留めた際の報酬額──失礼、優秀成績手当は莫大なものになりますの。愚劣な魔法少女達がそれに引き寄せられるのは必定」

「全ては協会、ひいてはこの世界のために……華乃、貴女の悲願達成は近いわね」

「そのとおり。全てはこの世界への『神罰』のために」

 橙色で染まった廊下は、徐々に黒く染まっていった。やがて、窓をぽつぽつと水滴が叩く。その音が激しく鳴った時、二人の姿はもうそこには無かった。





 魔法少女の活動時間には、一時間の制限がある。戦争はその時間内でのみ行われる。赤羽は昨日、それを生き残ったのだという。酒木原とは未だに連絡はとれない。秀子は週末をここまで陰気に過ごすのは初めてだった。それが、他人にかける心配が原因だというのだから、あまり人間に興味を持たない彼女にしてみれば、異常とも言うべき事態だった。

 秀子の週末は、と言えば、一人でカフェを巡り、コーヒーを飲みながらさして興味もない文庫本を読むくらいである。だが、いつものように文庫本は秀子の頭に入っていかなかった。正直悩んでいる。もしかしたら、自分にも何かできることはあるのかもしれない。だが、そんな不確かな覚悟で『戦争』に挑んで良いのか?

「桜井先輩!」

 よく通る鳥のさえずりのような声が、秀子の思考をかき乱した。オープンカフェの小さな柵の向こう側からお腹の大きな女性と、その夫と思われる男性が立っていた。

「桜井先輩、お久しぶりです!」

「あ、ああ、お久しぶり……」

 誰だろう。先輩と言うからには、秀子の後輩という事になる。だが、彼女のことは思い出せない。得てして秀子にはこういうことが多い。もとより、他人にあまり興味がないのである。もしかしたら、忘れてしまったのかもしれない。

「本当に久しぶりですね。私、三年前に退職して以来ですよ! 元気にしてましたか?」

「え、あ。そうね。元気よ。……貴女、子供が生まれるの? そちらの方はご主人ってことかしら」

 どうやら正解だったようで、夫は秀子に頭を下げた。背の高い、好感の持てる青年だった。彼女は、そんな夫を見てくすくす笑う。

「もう六ヶ月目です。もうすぐお母さんになるんだなあ、っていつも考えてるんですけど、なかなか実感沸かないんですよ」

「そう。ご主人も大変なんでしょうけど、元気なお子さんが生まれるといいわね」

 眩しい姿だった。秀子の人生も、順調に推移することがあればこのような幸せが訪れたのだろうか。だが、彼女と自分には恐らく何かが決定的に違うのだ。この年齢まできて、今更何を願うと言うのだろう。

「じゃあ、桜井先輩。子どもが生まれたら連絡させていただきますね」

 そう言うと、彼女の代わりに夫が頭を下げた。いい夫婦だ。仲も悪くない。彼女たちは、恐らく幸せな家庭を築くだろう。だが、自分はどうだ。 自分はこのまま何もせずに終わるのだろうか。堀田の言葉が不意に蘇る。

『なにもしないのは、死んでるのとおんなじじゃない』

「あの」

「はい?」

「失礼だけど、その。なんていうか……お名前、なんだったかしら。すっかりど忘れしてしまって、その」

 彼女は屈託の無い笑顔をこちらに向けた。

「益本ですよ。益本ゆかり。先輩ったら、やっぱり名前覚えるの苦手なままなんですね」




 秀子はアパートに帰ると、殺風景な部屋に備え付けてあるベッドに体を投げ出した。昨日今日で、二件も増えた携帯電話のアドレス帳を検索し、堀田の名前を呼び出す。コール音六回目で堀田は電話に出た。心なしか、イライラしているようだった。

『うっさいわね。なんなの?』

「昨日の話ですが」

『昨日……戦争の話? 言っとくけど、私はこれ以上関わるのはごめんよ。確かに、秘密は全部知ったわ。だからって奥まで突っ込むのはバカのやることよ。猿以下よ』

 確かにそうだろう。秀子も実際今日まではそう思っていた。なぜなら、秀子にはもうほとんど何かを成す可能性など残ってはいない。ならば、何もしないほうが良い。後ろ向きの考えであったが、秀子にとっては現実的であった。

「別に、貴女に最後まで何かしてもらおうなんて考えてませんよ。ただ、私が変身できるようにして欲しいんです」

『なんでそれを私に頼むのよ』

「協会に睨まれているという状況は同じなのに、貴女は何故か変身できますよね。誰かに頼るのを異常に嫌う貴女なら、変身も何かしたからこそ出来るようになったのでは?」

『鋭いわね。ついでに、どこで戦争をしているかも知りたいってとこでしょ』

「鋭いですね。訂正も必要ないくらいその通りですよ」

 そこには、確かな意思があった。似たもの同士の女が考えることなど、どうしようもないくらい似通う。恐らく、堀田も似たようなことを考えているに違いない。

『あんた、分かってんの? 戦争に参加して、ターゲットに味方するなんて。すべてを失うわ。それこそ、命ですら。私は何も持ってないからいいけど、あんたはそうじゃない。その覚悟はあるの?』

「貴女が言ってくれたことでしょう。私は何もしないまま死ぬのはごめんです。だからと言って、本当に死ぬのも嫌です。でも、私の知っている人が死ぬのはもっと嫌なんですよ」

 決意は固まった。可能性など知ったことか。自分のことに身勝手になるのはもう遅すぎる。なら、他人の可能性のために自分をすり減らして何が悪い。

 秀子は生まれて初めて自分を縛る枷を外したような気がした。それは自由そのものであり、果てしない暗闇を進むようなものだ。だが、その運命を選んだのはまさしく自分だ。後悔はない。

 秀子は、ベッドのそばに忍ばせた魔銃トカレフを手に取る。トリガーガードに指を入れ、引き金を引く。変身をしていなければ、魔銃トカレフは単なる玩具に過ぎない。だが、不思議と気持ちが高鳴る気がした。



 泥にまみれた包帯を取り、新たな包帯を巻き直す。体を起こすのも辛い。ごつごつした木の床、そしてぼろ屋のシミだらけの天井。赤羽春子は、終わりなき戦いに絶望していた。いつもなら、魔法少女協会の専属病院で大抵の怪我は一晩で回復してしまう。それが無いだけでこんなに辛いものなのか。

 ふと、このまま倒れてしまえばと思う。そうすれば苦しむことはないのだ。そうすれば、普段の自分には戻れないにしても、この永遠にも思える苦しみから開放される。自分らしくもない考えだ、と赤羽は頭を振る。

「……誰っスか」

 魔法少女となって、赤羽は五年が過ぎていた。勉強と部活動の間をぬって魔物を退治していくうちに、赤羽はいつしか七人集の一人、「ブラステッド」と呼ばれるようになっていた。何度か修羅場をくぐると、人間は特に反射神経と周囲の気配を読む力に長けてくる。それは、夜に戦わなくてはならない魔法少女に無くてはならない力だ。その卓越した気配を読む能力で、赤羽はそこに誰かがいることに気づいた。敵ではない事を祈った。

「誰でしょう……ふふふ」

 分からないわけがなかった。同じ魔法少女。聞きあきた声。ゴスロリルック。江藤祥子がいつものように、闇夜に溶けてしまいそうな黒い格好でそこに立っていた。

「……自分を殺しに来たッスか、江藤さん」

 不本意ながら、彼女の思考は赤羽にとって理解しやすい。なぜなら、江藤の全ては赤羽のために存在しうる(と、少なくとも江藤はそう考えている)。この場合、あの世で一緒になろうとするか、この世で添い遂げようとするかの二択だ。

「……私のこと、やっぱり嫌いなの……? 祥子姉さま、でしょ?」

「今話すべきはそういうことじゃないッスよ、江藤さん。あんたが敵か? 味方か? 今の自分にとってはそれが最優先ッス」

 間合いは、二人にとってあまり意味の無いものだ。それだけ二人の持つ攻撃範囲は広い。ただ、速さとなればどうなるか分からない。それこそこの瞬間から、赤羽より早く江藤は攻撃を始めることができるだろう。だからこそ、江藤がどちらであるかを確認しておきたかった。当然の欲求だ。

「ね、春ちゃん。私のこと祥子姉さまって呼んでくれる……? そしたら私、あなたのためならなんでもするわ」

「言うかどうかは自分が決めるッス」

 別段困ってもなさそうに首をかしげると、江藤はにやりと笑みを浮かべる。彼女なりのお茶目だったのだろう。相変わらず、状況を考えないマイペースぶりだったが、赤羽はそれに救われた気がした。

「しかし、変身せずによくここまでこれたッスね。他の魔法少女とか、スタッフとかには会わなかったッスか?」

 彼女たちがいる場所は、都市郊外にある魔法少女協会が管理する森林である。表向きは国立保護公園となっているが、夜には魔法少女の訓練、今は戦争が行われている。三日前からここはまさしく戦場になったのだ。当然、協会によって厳しい管理体制が敷かれており、入ることはもちろん出ることも非常に難しい。

「簡単じゃない。出会った人は全員くびり殺してきたの。ちょっと疲れちゃったけど、春ちゃんのためだもの。仕方ないわ」

 冗談だと思いたかったが、この状況では信じざるを得ない。赤羽は古ぼけたランプに魔力を飛ばし、炎を炸裂させた。暗い小屋に明かりが灯り、暗闇から江藤の姿が浮かび上がる。いつも持っているクマのぬいぐるみは、普段より血まみれだ。冗談ではないようだった。

「なんて事を……。自分が何をしたのか分かって……」

「分かっているわ」

 江藤の瞳はいつもより光っているような気がしていた。言い換えるならば、いつもより生きているようだった。江藤はクマを投げ出すと、赤羽を抱きしめた。いつものこと、といえばそれで一蹴できるが、こんな異常な状況では赤羽は困惑するしかなかった。

「なっ、ななっ……何をしてるッスか!?」

「私、すごくすごく心配したのよ……?」

「はな、離れて欲しいッス……。じじ、自分はシャワーも浴びてないッス。臭いし汚いッスよ……」

「いや。私は春ちゃんの匂いならなんでも好き」

 そういう殊勝な彼女からは、血煙の臭いがした。自分の為に、人間としての最低ラインすら放り捨ててきたというのか。それが、自分のため、ひいては赤羽のためだと信じて。彼女のしたことが真実であれば、許されるものではないだろう。だが、赤羽はそんな許されざる彼女を拒絶する気にはなれなかった。むしろその僅かな人の暖かさを振り払うことができなかったのだ。赤羽は彼女の肩を抱き返す。それは、彼女と同じ地獄に堕ちることを意味していた。




「本当に行くのね」

「無論です」

 レンタカーのハンドルを握る堀田は、秀子に問う。

「私は何度も止めたわ」

「言うまでもない事です」

 風が痛いほど吹いている。高い崖の眼下には、深く暗い森林が広がっている。戦場が、死の森がそこに広がっている。

「なんだか、今のアンタは結構好きよ」

「そうですか」

「じゃあ、いってらっしゃい」

 変身。

 そう呟くと、秀子の体は光に包まれ、およそ二秒で変身は完了する。オレンジ色のスカート。レース。手には魔銃トカレフ。魔法係長桜井秀子が崖の上に立つ。砕いたダイヤモンドをありったけの力でばらまいたような、雄大で広いこの星空の下では、今日も一時間限定の愚かな戦いが始まろうとしている。無論、自分のこの戦いが愚かでないなどという保証など何も無い。だが、秀子はこれから起こるであろうすべてに後悔をしたくないと願った。なら、やるしかない。

「いってきます」

 何もしないまま、人生を終えるなどごめんだ。

 秀子は宙に身を投げ出し、戦場へ落ちていった。

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