第5話 頂上決戦

 それから三日ほどは協会からの連絡はなく、金剛地以外の七人集とやらも一向に現れる気配はなかった。平和であることは間違いなかったが、秀子にとっては苦痛だった。一度人に必要とされると、人間は何度も必要とされたいと願うものなのだ。それは秀子にも確実に当てはまった。職業人としての秀子は、いわゆる中間管理職だ。頼られることなどごまんとある。だがそれは、大半が秀子という人間そのものに期待されていることではなく、上司という役割に依存するものだ。秀子は自分という人間そのものに頼られたいという欲に押しつぶされていた。

「桜井君」

 企画部統括の大川が見とがめたのか、呆れ顔で秀子を呼んだ。できるだけしゃきっとした顔にしようと努めるが、そうもいかないようだった。

「最近、勤務中にぼーっとしていることが多いようだが」

「はい。申し訳ありません」

「君は係長だ。下からの目もある。仕事に身が入らないのは困るな」

 大川は話が分かる男性だった。秀子が係長になったばかりの時も、常に的確なフォローを入れてくれた。あまり人付き合いが得意でない秀子にとって、大川のように気遣いのできる上司の存在は心強い。

「悩み事があるなら遠慮なく言ってくれ。現在進めているプロジェクトのことであれば、なおさらだよ」

「大丈夫です。その、最近寝不足なもので」

 嘘だった。むしろ魔物と戦うようになってからというもの、軽い運動になっているのか寝付きがよくなっている。大川は気持ち眉毛を上下させると、まあ何かあればきちんと言うようにね、と繰り返した。



 酒木原と初めて会った喫茶店には、いつもどおりよぼよぼのマスターがひやひやする手つきでコップを磨いていた。最近は、酒木原とも会っていない。メールで事務的な連絡が来るくらいだ。秀子としては別にそれでも問題はなかった。むしろ、煩わしくなくていい。マスターに、コーヒーとフレンチトーストを注文する。平和だが、退屈な昼休みだ。その時、ドアベルが鳴った。客が入ってきたのだ。路地裏のひんやりとした風が吹き込んだ。秀子は、なんとなくそれが気に入らなかった。入ってくる人間まで、冷たいような気がしたのだった。

「いらっしゃい」

 マスターがしゃがれた声であいさつをする。入ってきたのは、秀子より一回り以上年下の少女だった。顔つきはどちらかと言えば精悍なイメージだ。それなのになぜ年下と判断したかというと、セーラー服を着ているからだった。それだけならまだ良かったのだが、おかしなことにその上にフライトジャケットを羽織っているのだ。変わった趣味だ。

「ここ、いいッスか」

 少女は秀子の座っている目の前の席を指を差した。嫌な予感がした。席ならいくらでも余っている。客は秀子以外いない。それなのに、秀子の目の前に座るというのは、何か用があるに間違いなかった。

「……どなたです?」

 少女は、ムスッとした顔をしている。YESとは言っていないのに、勝手に席に座ってきた。テーブルに置いた携帯電話には、可愛らしいクマのマスコットがついていた。

「桜井秀子。間違いないッスか」

「……私の名前です」

「自分の名前は赤羽ッス。察しの通り、七人集の一人ッス」

 赤羽はよく通る声でオレンジジュースを注文すると、改めてこちらに向き直った。若い故にまっすぐな瞳だった。何が悪いわけでもないのに、秀子は視線をそらしてしまいそうになる。

「なんの御用ですか。魔法少女協会の規定時間はまだのはず。攻撃しに来たというわけではないでしょう?」

「その通りッス。自分はあんたを攻撃しに来たわけではないっス。かと言って敵意を持っていないというのも嘘になるッス」

「以前、金剛地さんという方にお会いしました」

 一瞬、彼女のまっすぐな瞳が曇ったのを、秀子は見逃さなかった。別に観察力がずば抜けているわけではない。自分にないものを持つ少女に対する嫉妬のような物だ。憎んでいるものほどよく観察できる。

「彼女は、協会からの命令が不服なようでした。……あなたはそうではないようですが」

「……コンさん、いや金剛地さんはそんなことを言っていたッスか」

「ええ」

 熱いコーヒーが喉を焼き尽くす。冷えた精神の秀子にとっては、それが生きている確認に感じられた。赤羽はどうだろうか。彼女の若い精神は、オレンジジュースが満たしてくれるのだろうか。

「コンさんは」

 オレンジジュースの氷が揺れる。それは、何かが砕ける音に似ていた。もしかしたらそれは、秀子の運命が壊れた音だったのかもしれない。

「死にました」



「連絡を頂いたときは、何を考えているのかと思いましたの」

「考えてることは結構簡単だぜ。『お前をぶっ殺す』それだけさ」

 使われていない夜の採掘場を、星と月のみが青白く照らしていた。そこに立つ二人の女。一人は魔法少女『ダブルトリガー』の金剛地。もう一人は、同じく魔法少女『ホワイトデビル』花井。お互いすでに変身は完了しており、準備は万全だった。

「貴女、イカレていますの」

 花井は侮蔑の視線を金剛地に送ってきていた。当然のことだ。花井は組織に忠誠を誓っている。自分のような乱暴なはみ出し者は一生理解されないだろう。別にそれでも構わないのだ。どうせ、金剛地自身も花井のような忠犬は理解し得ない。お互い分かり合うことなど、出来はしないのだ。

「褒め言葉だぜ、お嬢さん」

 両手を顔の前に持ってくると、勢い良く振る。袖から魔銃ベレッタF92と魔銃グロッグが飛び出し、疾風の如く花井に光弾が飛び出していく。花井はと言えば、魔砲エクセリオンを自分の前方で回転させた。魔砲エクセリオンは本来はステッキであり、先に砲塔がくっついているというシンプルなデザインである。魔法少女のもつ武器は、その多くが魔力を放出するための媒介に過ぎないが、花井の場合それは顕著である。おそらく、彼女ほどの膨大な魔力の持ち主であれば、たとえ手で円を作るだけでも魔力を物理エネルギーに変換可能だろう。しかし、すべての魔法少女は、その変身後のコスチュームに組み込まれた魔力変換システムを通して、物理エネルギーへの変換を行なっている。花井の場合、自身の才能とともに、このシステムを通すことで、単純計算で二乗のエネルギーを放出することも可能なのだ。一方金剛地は、年齢的にベテランであるとはいえ、彼女ほどの才能はない。おそらく、先日戦ったあのルーキーよりも才能はないだろう。敵うわけがない。放った光弾が回転させたエクセリオンに弾かれながらそれを痛感する。

「どうしたんですの、一流。私に勝つのではありませんの?」

「言われなくても!」

 金剛地が大地を蹴る。同時に、ブーツに仕込んだ宝玉にありったけの魔力をチャージし、一気に放出。加速。接近。魔銃グロッグの銃身を持ち、モードを接近戦モードに変える。銃底からスパイクが飛び出し、殴る。エクセリオンが止める。弾く。

「くそったれ!」

 花井がエクセリオンを振るう。だが、もともと接近戦に特化しているわけでもないので、守勢に回るほかない。魔銃グロッグを手の中で回転させ、トリガーを引くが、光弾は花井を逸れていった。エクセリオンが手首に打ち込まれていたのだった。激痛が走る。魔銃ベレッタが転がっているのが見えたが、次の瞬間再び激痛とともに見えなくなった。今度はエクセリオンが金剛地の顎を打ったのだ。金剛地は倒れる。視界に星が広がった。星空だけが金剛地の視界を支配していた。

「終わりですの」

 エクセリオンの砲身が、またも金剛地を捉えていた。

「私もヤキが回ったもんだ。後輩に二回も油断を取るようじゃおしまいだぜ」

「私もそう思いますの。……貴女、分かっていますの? 度重なる協会への裏切り行為。そして私に大しての私的な戦闘行為。……七人集の一人でベテランだからといって、もはや擁護は出来ませんの。それに」

「それに?」

「貴女はなぜ笑っていますの?」

 金剛地は笑っていた。ふてぶてしく笑っていたのだ。今から、死ぬというのに、そのことを分かっているはずなのに、笑っていたのである。

「さあね。だが、少しおはなしをしようじゃないか。どうせ死ぬんだ」

「長くは待ちませんの」

「何、大したことはないさ。……遠野の野郎は何をしようとしてる?」

 一瞬、花井の瞳が泳いだ。いくら大人ぶっていても、中身は九歳の子供だ。大人に隠し事などできない。

「教える義理はありませんの」

「そうかい。……だがな。私は全部知ってる。おそらく協会は、お前を使い潰すだろう。……それでもいいのか、お嬢ちゃん」

「無論ですの。私は協会のために生きて、協会のために死ぬ。そのことに誇りを持っていますの。私から見れば、あなたのほうがわがままな『お嬢ちゃん』ですの」

「そうかい。なら話は終わりだ」

 花井の指が、トリガーに近づく。嫌に時間がかかるような気がした。それは金剛地の脳が勘違いした結果か、花井のせいかは分からない。ようやくトリガーに指がかかるのを見て、金剛地は目を閉じた。

「……タバコ、吸い忘れた。くそったれ」



 何でもない風を装うのがこんなにも難しいものか、と秀子は思った。コーヒーを口に運ぶ。ソーサーがかちかちと音を立てる。

「前代未聞ッス」

 赤羽の言葉が詰まるのが秀子には良くわかった。

「コンさんが死ななきゃならないなんて、自分は、自分は信じられないッス」

 赤羽はそのまっすぐな瞳から発する視線をテーブルに落とした。彼女と金剛地は、おそらく秀子以上の仲だったのだろう。こうして、きちんと感情を制御できているのが不思議なくらいだった。泣き叫んでいてもおかしくない。一晩酒を飲んだだけの秀子ですら、この世に金剛地がもう存在しないなどと、とても信じることができない。

「でも、事実なんス」

 赤羽はバックから黒い塊を取り出す。それは、金剛地が使っていたものと思われる銃だった。彼女からこの銃で撃たれたのだから、よく覚えている。

「これを受け取って欲しいッス」

「これは?」

「魔銃ベレッタ……ここのマスター、大丈夫ッスか? 聞き耳たててるわけないッスよね」

「大丈夫ですよ」

「話を戻すと、コイツはコンさんが使っていたモノッス。アンタは、銃を使うと聞いているッス。だから、アンタに持っていてもらいたいんス」

 金剛地は死んだ。つい何日か前に、彼女からこの銃で撃たれ、応戦し、一緒に酒を飲んだというのに。あの日握手した時の暖かく力強い手を持つ彼女は、もうこの世に存在しないのだ。

「……受け取れません」

「なんスって?」

「私には、恐らくそれを受け取る資格も、価値もありません」

「何を言ってるんスか」

「怖いんですよ。……死ぬのが怖いんです」

 そういうと、秀子は自分の手のひらをテーブルの上に差し出した。手のひらは汗でぐっしょりと濡れていた。

「だいたい、その魔銃を受け取ったとして、私に何をしろというんです? 貴女達が私にしたように、誰かに報復をしろとでも?」

 赤羽はバツが悪そうに再び視線を落とした。分かっていた。秀子は今、余計な事を言い放っているということを。それが、赤羽を困らせているということを。そして、それが彼女に失望すら与えているということを。

「自分は……自分は別にそんなつもりじゃなかったッス。でも、アンタの言い分も最もスね」

 赤羽はまっすぐな瞳に失望の色を浮かべながら、立ち上がった。彼女がしたい話は、どうやら全て終わってしまったようだった。

「……今日した話は、協会にはオフレコにしてほしいッス。で、あんたはもうこの世界に関わらないほうがいい」

「……どうしてです」

「戦争が始まるんス。……今言えるのはそれだけッス」

 カフェには暑いはずなのに冷たい空気が再び吹きこみ、秀子のもとにはコーヒーだけが残された。


 仕事が終わると、秀子の足はいつか金剛地と共に酒を飲んだ、あのバーに向かっていた。相変わらず店には人が少なかった。平日の火曜日だったので、そのせいもあるのかもしれない。

「いらっしゃい」

 マスターは笑顔であいさつをする。秀子は、あいさつをうまく返すことができず、もごもごと口を動かした。彼は、金剛地の死を知っているのだろうか。それとも、客の死には興味など無いのだろうか。

「今日は金剛地さんはご一緒でないのですね」

 あまりにもタイミングが良かったので、秀子は少し面食らってしまった。それに、注文したはずのないあの時のカクテルが、すでにカウンターに置かれていた。

「最近、いらっしゃらないのですよ。いつもなら、仕事帰りに必ずといっていいほどこちらに寄られて飲んでいかれるのですがね」

 名前も知らない落ち着いたジャズが、店の沈黙をかろうじて防いでいた。言葉が出てこない。涙も出てこない。それは、秀子が大人であることの証と共に、失ったものの多さを物語っていた。

「……いつか、また来ますよ、彼女」

「そうですか」

 マスターは再び笑顔を浮かべ、グラスを拭き始めた。秀子にはそれがとてもありがたく思えた。かろうじてせき止めている感情が、一気に吹き出してしまいそうだったからだった。

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