第4話 気高き魂
のたくった蛇、と形容すべき魔物だった。秀子が三人いても周りを測りきれないであろう蛇の腹に、何発も魔銃トカレフのエネルギーをぶち込む。普段のキーボードを叩く作業の何倍もやりがいがある。秀子は堀田と戦ってから、ブーツのかかとに宝玉を仕込むことにした。協会としてもそれを見越しているようで、宝玉がちょうどぴったり嵌る穴があいていたため、さして難しいことでもなかった。酒木原が言うことには、これがほとんどの魔法少女が採用している使い方なのだそうだ。
魔力の管とでもいうものをイメージし、魔力を足へ供給、宝玉が推進力へと変換し、秀子は飛ぶ。建築現場の鉄骨に絡みつく魔物が秀子の視界一杯にひろがり、巨大な毒牙を見せつけるように口を開く。今度は、秀子の右腕へ魔力を供給、魔銃トカレフのマガジンにエネルギーが蓄積される。トリガーを引くと、最大エネルギーの巨大なビームが魔物の口へ放出され、蛇の体を蹂躙し、やがて爆散していく。秀子は再び足へ魔力を集中させて推進力をコントロールし、うまく着地した。魔物が爆散した衝撃で鉄骨がいくつか落下し、地面へ轟音を上げながら突き刺さった。
「お見事お見事、すげえ腕だ。とても新人にゃあ見えねえな」
魔法少女が活動する区間に、一般人は入れない。理由はさまざまであるが、大半は協会が現場を監視しているからである。こうして秀子以外の声がする以上、秀子の脳裏に浮かんだのはたった一つの可能性だった。
「あなたが七人集のひとり、ということですか?」
工事現場の組みあがった鉄骨の上で、小さな火が灯った。その火はすぐに消え、代わりに白い煙が漂うのがかすかに見えた。
「話が早くていいね。時間がないんで助かるよ。まあ、自己紹介でもさせてもらおう」
女は一瞬光に包まれると、瞬きが終わらない間に変身を完了させていた。秀子は橙色を基調としたコスチュームだが、この女のコスチュームはグレーをベースにしており、袖が長く広かった。特筆すべきは、白いマフラーが首にかかっていていることだった。まるでイタリア映画のマフィアだ、と秀子は頭の片隅で不意に思った。
「私の名前は金剛地。下の名前は……まあ必要ないな。あんたが桜井秀子?」
「ええ」
金剛地は秀子を上から下までじろじろ観察した後、たばこをふかした。まとわりつく煙を秀子はふりはらう。話している途中なのだから、たばこくらいやめればいいのに。秀子にとって喫煙者は例外なく忌諱の対象なのである。
「なんで私がここに来たのか、わかるか?」
「ええ」
「あんたには恨みはねえ」
「そうですか」
「あんた、私より十も年上なんだってな。だったらわかるだろう? くだらねえしがらみのせいで、やりたくないこともやらなくちゃならねえ。それが大人なんだってよ。私にとっては『クソくらえ』ってやつさ」
金剛地のタバコの煙は、口から勢いよく吹き出るとすぐに夜空に消えていった。あたりには、なんとも言えない臭いが漂う。秀子にとっては嫌いな臭いだった。
「だがよ、私は一流なんだ。誰が何と言おうとそれだけは譲らねえ。一流だから、あんたを始末しなくちゃならねえ。OK?」
金剛地が両手首を振る。袖から秀子が見たことがない銃が滑り出て、両手に収まった。クロスされた両手の先に、漆黒の銃口がぽっかりとこちらを狙っている。
「奇遇ですね。私も銃を使うんです」
ようやく慣れてきた魔銃トカレフを向けると、金剛地はそれを鼻で笑った。それが何を意味したのか、秀子にはわからなかった。自信の表れか、自らの情けなさを感じたのか、それとも別の何かか。
「なんでそんなに余裕なんだ? 自信でもあんのかい」
「……私には、『自信』なんてものがなんなのかわかりません。でも、私は何も成さないまま死にたくないんです。それだけです」
秀子はトリガーを引く。光弾が射出されるが、金剛地はそれを両手の銃で弾き、後ろへ飛ぶ。おそらく宝玉の力なのだろう、地面を蹴り、鉄骨を吹き飛ばしてまるでヒョウのように動く。目で追えないほどの速さだった。秀子の放つ光弾はかすりもせずに後ろへ逸れ、地面に突き刺さっていた鉄骨へ命中してへし折れる。
「まだまだだな、ルーキー! 今度はこっちの番だぜ、死んでくれるなよ!」
金剛地がそう叫ぶと、夜の空へと飛び出し、そこから雨のように青い光弾が降り注ぐ。全くよけられない。秀子が苦し紛れに取った手段は、紫外線を防ぐように腕を目の前に出すことだった。痛い。昔、ラクロスの試合中にこけて骨折をしたことがあったが、その時とはまるで違う。体中で骨がひび割れているような衝撃だ。トリガーを引き、光弾を光弾で薙ぎ払い、雨に一筋の道を作り出す。が、いない。今の秀子ではとらえることも難しいのかもしれない。そう思った次の瞬間、急に光弾の雨がやんだ。あたりをきょろきょろ見回す。骨がきしんでいるような気がする。だが、周りには誰もいない。金剛地はどこにいったのか?
「ここだよ、ルーキー」
秀子は何か言う前に両手をゆっくりあげていた。金剛地はいつの間にか後ろへ回り込み、後頭部に銃を突き付けていた。
「チェックメイトだ。あんたの頭は今トマトとおんなじだぜ。私がトリガーを引いたら、当分ミートソースは食えないな」
秀子はゆっくりと両手を挙げ、トカレフをその場に落とした。昔見た映画のシーンにどことなく似ているような気がした。このまま頭を打ち抜かれてしまうのだろうか。酒木原は『死ぬことはない』とは言っていたが、とても信じられなかった。あっけなく死ぬ。不思議なことに、特に何も感じない。焦りも恐怖もどこかに置き忘れてしまって、思い出せない。もしも秀子の首がもっと下に向けることができたなら、情けないくらいに足が震えているに違いなかった。
「怖いかい、ルーキー」
金剛地のそんな言葉が、ハンマーのように秀子の鼓膜を叩いた。頭のなかで思考がピンボールをはじめ、決してひとつにまとまることなくそこらじゅうを跳ね回った。
「ただ、もう時間なんだ。残念なことにな」
金剛地が銃を降ろす。秀子の腰に手を回すと、口の広い左袖をまくった。秀子の知らないブランドの腕時計が、魔法少女協会の規定時間が過ぎてしまったことを示していた。魔法少女は労働基準法に縛られない。その代わり、魔物を退治できなかった時、もしくは協会の指定する例外を除き、その活動時間は戦闘開始から一時間と決まっているのだ。
「ちょっと聞きたいんだが」
「……なんでしょう」
変身を解いた金剛地は、なんとなく解放されたような、そんな顔をしていた。
「あんた、酒は大丈夫かい」
雰囲気のいいバーだった。あまり知名度がないのか客は入っていなかったが、照明も実にちょうどよく、明るくもなく暗すぎない。カウンターも小奇麗だが、どこか歴史を感じる作りだった。もしも恋人がいるのであれば、こういうところに連れて行ってもらいたいものだ、と自虐のように秀子は思った。金剛地はマスターに手慣れた様子でマティーニを注文すると、秀子をカウンターへ座らせた。
「何かカクテルにしてもらうかい」
「ええ。あんまり強いのは苦手なんです」
秀子はあまり酒が強くない。接待や飲み会では下戸で通してごまかしている。最近はハンドルキーパーの役を買って出ることでよりスムーズにごまかせるようになったが、新入社員のころはどう断るか理由を考えるのに頭をひねり倒していたものだった。
「マスター、実は仕事の話なんだ」
金剛地がしわを刻み付けた笑みを浮かべるマスターにそういうと、マスターの顔が一瞬でまじめなものに変わり、表へ出て行った。看板がOPENからCLOSEへとひっくり返った。
「私はここの常連でね。マスターには世話になってる。こうして貸切も自由自在さ。おまけにどんな突拍子もない話も、マスターは聞き流してくれる」
マスターは秀子にカシス系のカクテルを作ると、そそくさと店の奥まで引っ込んで行ってしまった。金剛地は秀子の想像以上にこの店に世話になっているようだった。
「……いったいあなたは何者なんです?」
「あんたと同じ魔法少女さ。……同時に、今はあんたと同じ、なんでもない一般人でもあるわけだ。タバコ、いいかい?」
金剛地はコートの内ポケットから真新しいタバコの箱をのぞかせると、秀子の返事も聞かずに一本取出し、火をつけた。暗くもなく明るくもないバーの中に、小さなイルミネーションが灯り、好みではない臭いが漂った。
「いったい何の用なんです。私を殺すんじゃなかったんですか」
「さっきも言ったろ。大人は嫌なこともやらなくちゃいけねえ。私はもうこの商売を始めて十二年も経つ。私がやらなくちゃいけないんだ。そうじゃなけりゃ、下のやつらに尻拭いをやらせる羽目になる。理由をつけてやらなくてもいいってんなら、それに甘えるだけさ」
金剛地の顔は暗かった。それは照明のせいではなく、彼女の抱える感情のせいなのは間違いなかった。
「優しい人なんですね」
「よせやい。殺される側の人間が言うことじゃないぜ」
マティーニを金剛地があおる。中のオリーブがころころ揺れた。
「ふつう、殺す側の人間はそんなこと言いませんよ、たぶん」
名前も知らない赤いカクテルは、光を反射しながらゆらゆら揺れていた。覗き込んだ秀子の顔はぐにゃぐにゃに歪んでいた。
「大人になるってのは嫌だねえ」
金剛地は灰皿にたばこを這いつくばらせると、またマティーニをあおった。たばこの火はまだしぶとくくすぶっていた。しばらく、レコードをかけたままのジャズと一緒に炎が吸殻を焦がす音まで鮮明に聞こえたような気がした。何を話していいか分からないといった、変な焦りが秀子の中では渦巻いていた。ただ、金剛地は静かにマティーニのグラスを揺らしていた。
「……私は、探偵になりたかったんだ」
「シャーロック・ホームズとかですか」
「バカ言え」
新しいタバコに火が灯る。
「あんなクソインテリの何がいいんだか。マイク・ハマーとか、フィリップ・マーロウとかしらねえか? ああいうタフな探偵に憧れてたんだ。ま、一応探偵社に勤めちゃいるんだが、なかなか調査にゃ出してもらえない」
「夢があるんですね」
「あんたにはないのかい」
ふと考えてみたが、これだと思うものは秀子の中に存在しなかった。反射的に夢を持つ金剛地と持たない自分を比べてしまい、なんだか情けなく思えてしまった。自分のこれまでの人生がからっぽであることを認め、そのからっぽな暗い暗い穴を覗くのはとても勇気がいることなのだ。
「金剛地さんは、人生が充実してるんでしょうね」
皮肉めいた言い方だった。もしくは、嫉妬を含んだともいってもいいかもしれない。それほど、秀子は惨めだった。金剛地がどう思ったのか、などとは考えなかった。嫉妬の押し付けと言われても仕方がなかった。
「人生が充実ね……。さあな。あんたならわかると思うが、大人になるほど隣の芝は青く見えるもんさ」
たばこの煙が漂い、マスターが残したジャズのレコードの落ち着いたBGMがしばらく続いていたが、マスターがいなくなったカウンターにやがて音楽は消えていった。
「逆に言わせてもらえば、私はあんたがうらやましいのさ。魔法少女として、すげえ才能を持ってる」
「どうだかわかりません。現に、あなたに手も足も出なかったですし」
金剛地はにやりと口をゆがめて笑った。
「そうだな。才能は結果に直結しねえ。だが、ステージがなきゃあ、役者は踊れない」
「舞台、ですか」
「そうさ。今は舞台はねえ。だがアンタはいつか、舞台に立たなくちゃならない。誰かがお膳立てしなくちゃな」
「どういうことです?」
カクテルが喉を通ると、秀子の精神は高揚を始めた。ガソリンが入っていったら、車はこんな気分になるのだろう、と秀子は頭のどこかで思った。
「くだらねえことは考えるな。あんたは強いし、これからいくらでも強くなる。……私こそ、くだらねえプライドにしがみついてるだけなのかもな」
金剛地はたばこを灰皿に押し付けると、席を立った。どうやら、用事は済んでしまったようだった。
「……おっと」
金剛地は入り口を開く前に、こちらに向き直った。
「なあ、ちょっと頼みがあるんだ」
「なんです」
「何、別に大したことじゃねえさ。握手しようってだけだ」
秀子が振り向くと、金剛地は右手を差し出していた。ここまでされて断るほど、秀子は人が悪くなかった。応じない理由もまた思いつかない。金剛地の手は暖かかった。手が暖かい人は心が冷たい、などと聞いたことがあったが、金剛地はなんとなくそれには当てはまらないのではないか、と秀子は思った。ただ、自分のことは考えたくなかった。
「ありがとうよ。じゃあな、さようならだ」
扉は音を立てながら夜の風を運んできた。金剛地はそれにひるみもせず、力強く去って行った。秀子は彼女が羨ましかった。心が温かくて強い人間に、初めて会ったような気がしたのだった。
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