本当に?
「おや」
会議室の扉を開けると、高月の姿があった。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
「ここ使ってますか?」
「いや。考え事をしていただけだから。もう出るよ」
そう言いながら、高月は机に無造作に広げられた書類をまとめている。
課長になって間もない彼ゆえに、忙しいこともあるのだろう。
「珍しい組み合わせだね。秘密の会議かな」
「そんなところです」
夜霧が受け答えをしている傍ら、音村は思案する。
――そういえば、課長達の中で不破を目に掛けているのは高月さんだったよな。
直属の上司ではないが、あくまで中原と対等の立ち位置の人の耳にも入れておいた方がいいのではないだろうか。
「あの――」
迷いは残るが、聞いてもらって損はないはず。
「差し支えなければ、高月さんにも聞いていただければと…思うのですが」
「え」
予想だにしていなかったであろう高月は、不思議そうな表情を浮かべている。
それもそのはずで、これまで高月に相談事をしたことなど一度もない。
遠慮していたわけではないが、そもそも高月が異動してから日も浅く、他課であるから話すことも少ない。もっといえば、その必要性がなかっただけなのだが、ここに来てなんとも言い表し難い気まずさがある。
「構わないけど…夜霧くんの方がいいんじゃないのかい?」
高月の問い掛けは尤もだ。
そのためにわざわざ別室まで来たのだ。
一方で何か思い至ったのか、夜霧は自分の方を見た。
「不破の事か?」
僅かな情報だけで、答えに至るのは流石としか言いようがない。
それに尽きる。
「察しが良くて助かります」
「不破さんになにかあったのかい?」
肯定すれば先程と打って変わって、高月は真剣な眼差しを向け始めた。
それを合図と感じた音村は、先刻の中原とのやり取りの一部始終を話した。
「そんなことが――」
「……」
「不破は普段通りでしたが、まだ多感な時期ではありますし……個人的に少々気になって」
少々どころじゃない。
贔屓目に見ても、事のきっかけは間違いなく自分だ。
気になるどころか、あの場で聞いてしまったことを悔やんでいる。
「高月さんはご存じでしたか?不破の事」
「いや。そういった事情があることは把握していない。恐らく朝霧くんや新城くんも」
「やはり中原さんの独断ですか…」
彼の仕事に対する姿勢は尊敬しているし、公正を質すために、素性を調べることは悪いことではない。
が、それを本人に言うのはどうかしてる。
「どうしてそんなことを…」
「試しているんでしょう」
「試す?」
「経緯はどうあれ、不破は体験生。適正があるか見極めることは、現場で指揮を執る課長達が判断するところです」
夜霧の視線はうつむきがちだが、その口調ははっきりしている。
「不破がこの部に必要な人材か否か。あの人はそれを最重視しているんでしょう。だからこそ人の内情でさえ、土足で踏み荒らすやり方も厭わない。むしろ答えが出ればそれで良し。あの人らしいやり方でしょう」
「――なるほど。真意はどうあれ、不破さんが気がかりだが」
「それは本人の言う通り問題はないかと思いますよ。不破は見かけによらず、豪胆なところがある。その程度で揺らぐようなヤツじゃない。アイツがそう言ったなら、過去の事ではあるんでしょう。ただ……」
「なんですか?」
音村は思わず追随してしまう。
「お前の懸念は、当たらずも遠からず」
「それは――」
「気に留めることでないにしろ、何も感じないほど淡泊でもないってことだ」
釈然としない物言いに不可解ままなのだが、夜霧はすでに答えを得ているのか、涼しい顔をしている。
「それよりも不破が気にしているとしたら、お前の方だろうな」
「え」
「不破の事を思うなら、あまり気にするな」
夜霧はさらに言葉を続ける。
「不破の事は、俺なりに気に掛けてはいる。少し様子は見ておく」
「ありがとうございます」
その言葉に一抹の安堵を覚える。
「夜霧くん」
「一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
「ええ」
話に一区切りついたと思う音村を他所に、夜霧と高月の会話が続いていく。
「朝霧くんが、不破さんを連れてきた理由を知っているかな」
「知ってるも何も、アイツの人違いで――」
「本当に?」
夜霧の言葉を遮りながら問い質す。
含まれた意図は分からないが、その言葉はやけに響いている。
「本当にそう?」
「……」
「過ぎた一件の掘り返すことは、個人的には好ましくない。でもやはり違和感は拭えなくてね。朝霧くんは若年ながら課長に選出された優秀な局員だ。将来を棒に振るような事をしてほしくない」
「何が言いたいんです?」
放たれた言葉は、不破の事を話していた時の抑揚と変わらないように聞こえる。
そう聞こえるはずなのだが、どこか鋭さを感じてしまうのは何故だろうか。
「彼には…何か目的があるのでは。決まり事を犯してまで彼女を連れてきてしまうほど、とても重大な…」
責めるような口ぶりでないが、何かしら模索しているようで、高月は夜霧を見据えて答えを待つ。
「仮に不破を連れてきた目的があるとして。朝霧は俺に、何も話さないと思いますよ」
「……」
「……」
夜霧の返答を最後に、沈黙が訪れる。
それはやけに長く感じたが、時間にしては1分にも満たないだろう。
両者の様子を伺いながら静観していると、やがて高月から息を吐く音が静かに聞こえた。
「…そうだね。親友を巻き込んだりはしないか。普通なら」
高月は一人でにそう呟き、困ったような笑みを浮かべた。
「変なこと聞いてすまないね。中原さんがやけに疑っていたものだから、念のため聞いておきたくて」
「いえ、そんなことだろうと思いました」
夜霧は軽く笑い返せば、先程までの緊迫した雰囲気は一体なんだったのかと言わんばかりに、一瞬にして消え去る。
「ひとまず区切りはついたかな」
「はい。お忙しい中、お時間いただきありがとうございます」
「問題ない。俺は仕事に戻る」
軽く会釈すると、夜霧はそう言って会議室を後にする。
颯爽とした振る舞いに、密やかに関心を抱きながら、音村もドアノブへと手を掛ける。
「それじゃあ、俺も――」
「あ、ちょっと待って」
会議室を後にしようとして、軽く呼び止められる。
「申し訳ないけれど、少し残って貰えるかな。明日、不破さんの事を中原さんに直接ヒアリングしたい。そのためにも、もう少し詳細を聞いておきたくて。もうすぐ定時なのに申し訳ない」
「いえ。問題ありません」
新人の時以外で、定時で帰れたことなんて数える程度しかない。
残業は平常運転だと、音村は内心思う。
「ありがとう。あまり時間は取らせないから」
それでも気遣う高月に促され、音村はドアノブから手を離し、向かい合わせにある椅子へ座って、再び今日の出来事を話し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます