とても悲しい事ですね
養成所の女生徒と別れ、俺は不破と共に教室に戻っていた。
「……」
話下手な自分から話すことなど出来るはずもなく、沈黙が続いている。
不破もそれとなく理解はしてくれているのか、言葉を発することはない。
だが気掛かりなことがあった。
図書室での会話だ。不破が女生徒に話していた例え話。
自分が図書室へ着いたときには、不破が女生徒に語り始めていてタイミングが付かなかった。
ようは話し掛けることができないまま、不可抗力とはいえ盗み聞きのような形となってしまった。
――あれは。
一体誰の話だったのか。
例え話とは言え、あまりに具体的で。
それはまるで、自分のことを語っていたようだった。
「……」
歩みを止めることなく後ろを振り返る。
僅かばかりあどけなさが残る佳麗な顔立ちは、俯きがちではあるが普段と変わりないように見える。
もしくはそう見せてるだけなのか。
「なぁ」
気になって足を止めて声をかける。不破は俯きがちの顔を少し上げる。
その瞳は確かにこちらを見つめているはずなのだが、どうしてだろうか。
まるでこちらを見ていないような虚ろな眼差しに感じるのは。
「――音村さん?」
静寂を保った廊下に、不破の透き通った声が響く。
呼び掛けたままだったことに気付き、内心慌てながら口を開く。
「答えたくないことならいい」
もしかしたら彼女にとって触れてほしくないことかも知れない。
その可能性があるなら聞かなければいいはずだ。
口下手な自分なら間違いなくそうした方が賢明だ。
仮に傷心していたとしても、慰めることすら出来ないのだから。
「嫌だったらはっきり言ってほしい」
自分で聞いておいて、相手に拒否させることで踏ん切りをつけるなんて情けないことだが、その方が確かに諦めがつく。
「?…はい。わかりました」
了承しつつも、不思議そうに見つめるいたいけな瞳に、罪悪感を覚える。
決意が鈍らないうちに早く言葉を紡いでしまおう。
「さっきの話は―――っ」
そこまで言って視界の端に見慣れた姿が入ってくる。そこで俺の中で何かが冷めていくのを感じた。
「中原さん……どこにいたんですか」
「んー、電話?」
先程から探していた上司の姿。
相も変わらず何を考えてるか分からない、至極愉快そうな表情を浮かべている。
「話の途中みたいだったけどいいの?」
「…はい。大したことではないので」
不破のことを考えれば問うべきことではない。
加えてこの上司の前で問い掛けるなんて、どう考えても厄介なことにしかならないだろう。
「そう?なら…俺が話してもいい?」
そう言いながら中原は不破の顔を覗き込む。
「コハナちゃんの話だよね」
まるで後頭部を鈍器で殴られて、心臓を鷲掴みにされたような感覚が走る。
「そろそろ教室に行こうと思って、たまたま近くを通ってたら、俺も偶然聞いちゃってね。総一朗と同じく」
いつもと変わらぬ平坦な口ぶりで詰め寄る上司に、溜息を溢したくなる。
そしてしっかり俺を巻き込んでいるあたり、余計にたち悪い。
「コハナちゃんは不破咲季子の娘ってことになってるけど、この人は父方の祖母。つまり君のおばあちゃんなわけだ」
中原は誰が許可したわけでもないのに、勝手に話し始める。
「だから厳密には養女。父親は不慮の事故で死亡し、母親は失踪。まぁこの失踪に事件性はないらしいけどね」
話しを聞くに、不破が体験生になる際に事前に調べていたのだろう。
急遽決まったとはいえ、たかが体験生にそこまで調べるどころか個人情報をバラすのはいかがとは思うが。
「可哀そうなコハナちゃん。総一朗もびっくりじゃない?」
「それより個人情報を、勝手に話す方がどうかと」
「そうは言うけど、総一朗だって気になってたでしょ」
「……」
痛いところを突かれ、思わず口をつぐむ。
「音村さん、大丈夫です。気にしてませんから」
俺の気まずさに気付いたのか、不破は俺にそう告げた。
「優しいね。ああ、そっか――」
中原はその様子を見ながら言葉を続ける。
「コハナちゃんの場合は、異能者の血を引きながら異能を受け継がず、実の母親に捨てられた方が可哀そうだった?」
「中原さん!」
咄嗟に上司の名前を叫ぶ。
「おや。随分と今日は元気だね」
「ふざけないでください。その言い方は――」
「――いいえ」
反論しようとした瞬間、鈴のような声が響く。
「可哀そうという言葉は……きっと、不適切です」
抑揚に乏しい声色と共に綴られる言葉がやけに響く。
「確かにさっきの例え話は私の事で、母に捨てられたのも本当の事ですが。可哀想ではないです」
当の不破は表情を一切の歪みを見せず、淡々と答えていた。
「随分とあっさりしてるねぇ」
「昔の事ですから」
まるで他人事のように話す彼女の心情は分からない。
「昔の事、ねぇ……身近の人間に裏切られることなんてよくあることだよ?ちゃんと考えた方がいいんじゃない」
「――。本当に…そう思っているんですか?」
「どういう意味?」
「もしそうなら――」
一瞬俯いたものの、咲耶は顔を上げて中原を見据える。
「とても悲しい事ですね」
半ば一方的に答えて、彼女はそれ以降口を閉ざした。
中原はそんな不破から視線を動かさないまま。
「総一朗」
その声は先程と打って変わって、どこか無機質に聞こえた。
「コハナちゃん連れて、先に帰るように」
「……」
中原の指示で不破と共に先に部署へ戻り、引き続き業務を行う傍ら、さりげなく不破の様子を窺う。
あれから必要最低限の言葉は交わさなかったが、変わった様子はない。
少なくとも自分にはそう見える。
「不破さん、今日は大丈夫だった?」
「うん。今日は養成所に行って、同い年の子とも話せたし、楽しかったよ」
年が近い九条と話す光景はよく見掛ける。
これも普段通りだ。
「咲耶ちゃん、この書類まとめておいてくれる?」
「分かりました」
「咲耶ー。あとで先輩がくれたプリン食べようぜ」
「はい。後ほど」
他の部員とのコミュニケーションも捗っている。
問題ない。考えすぎだろうか。
だが中原が触れた話題は少なくとも平静を保っていられることではない。むしろ……。
自分が不破の立場なら正直耐え難い。
「音村、ちょっといいか」
「――はい」
夜霧に声を掛けられ、不破から視線を外す。
「この前言ってた件だが………どうした?」
「え」
「浮かない顔をしている。お前にしては珍しい。何かあったか」
唐突な声掛けに、驚きと混乱がせめぎ合う。
「俺で良ければ、話を聞くが」
気遣う夜霧の言動に、思ったより動揺しているのか言葉が出て来ない。
別に自分の事で悩んでいるわけではないし、そもそも夜霧には関係ないことだ。けれど。
――夜霧さんは不破の事を気に掛けていたはず。
理由は知らないが、部員の誰よりも不破を見ているだろう。
自分の些細な反応も見逃さないこの人ならば、何か気付いてくれるかも知れない。
「…場所を変えてもいいですか」
「周りに聞かれたくない話か?」
「できれば」
「分かった」
音村は一縷の望みに賭けて席を立った。
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