気付かされたことがある

職員室



「瀬々くんね。バイトが忙しいのはわかるよ。でもね」

「バイトじゃなくて仕事ッス」

「ここはバイトってことにしときなさい。バレたら大変でしょ」

「へーい」


職員室へ足を踏み入れると、何か言い合っている直江の姿が目に入る。

背を向けているため顔は見えないが、先程呼び出された生徒なのだろうか。

様子を眺めるものの束の間。


「ああ、不破さん。新城先生なら奥の会議室にいるよ」

「ありがとうございます」


近くにいた教員に声を掛けられ、軽く頭を下げて、会議室へと足を進める。


「ほー…あれが学校一の美少女ッスか」

「先生の話聞いてる?」

「あの信乃っちも言ってたんスよ。めっちゃ美人って」

「聞いてないようだから反省文追加しようか」

「さーせん!ちゃんと聞いてやす!」


賑やかな会話を後にして、ドアノブに手をかける。


「先刻は部下がご迷惑をお掛けしまったようで、大変申し訳ありません」

「お気遣いなく。ただこちらとしては、やはり同意しかねます」


手にしたドアノブを回しかけたところで、ふと会話が聞こえて、動きを止める。


「先生のお気持ちはごもっともかと思います。ですが、こちらとしては――」

「それは不破が来てからお話されるべきかと。もうすぐ来ると思いますので」


自分を待っていることは明白のようで、咲耶は決意するように左手に力を込めた。


「失礼します」


視線を合わさぬように、うつむき加減で

会議室へと足を踏み入れる。


「不破さん」


聞き覚えのある声に顔を上げると、優しい笑みを浮かべる高月の姿。そしてその隣に――。


「あ…」

「!」


先程廊下で出くわした少の姿があった。

彼もわずかではあるが、少し驚いた面持ちでこちらを見ている。


――この子、異犯部の子だったんだ。


「こんにちは。昨日ぶりだね」

「こんにちは。昨日は大変お世話になりました」


そう言って頭を下げると、高月は担任に向き直る。


「新城先生。少し彼女と話をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「ええ。手短にお願いします」


短くそう言って担任は立ち上がると会議室を後にする。

その姿を見送ると、咲耶は高月の向かいの席に座った。


「良い先生だね。生徒である君のことをちゃんと考えてる」

「…そうですね」

「早速で申し訳ないけど、本題に入らせてもらってもいいかな」

「体験生のこと……ですよね」

「理解が早くて助かるよ。昨日、君が帰った後部長と話をしてね。君のことを聞かれたんだ」

「…部長さんが?」


何故だか一抹の不安が過る。


「昨日の一件。率直に聞くけど、朝霧くんから教えてもらったわけではないね」


思わず息を呑みそうになるが、咲耶はなんとか堪えて沈黙を貫く。


「ああ、安心して。昨日の件は、朝霧君の独断ってことで処理されたから。ただ腑に落ちないところはあって、聞いただけなんだ」


咲夜の様子から高月は言葉を付け足す。

その言葉に安堵しながらも、自分の言動によって、それが覆ることはないのかと咲耶は思案する。


「……やっぱり部長の言った通りかな」

「?」

「部長には、自分に責任がある言っていたね」

「はい。その…解除したのは、私なので」


解除番号の提供先がどこであれ、それを用いて枷を外したのは自分なのだ。

その責任の一端を担っていることには相違ない。


「実は部長もね、朝霧くんが出処ではないと判断していて。言質を取るために君に聴取したわけなんだけど、予想外の答えが返ってきてしまったようでね」


軽く笑う高月をよそに、咲耶はあの対面の意味を知り、顔が引きつるのを感じた。


「君の思慮深さに感心していたよ。僅かな時間と情報から、互いに最善の答えを導き出していたって」

「お、大袈裟です」

「そんなことはないよ。君は素直に答えてしまえば、朝霧くん達に非があると判断されることを理解していた。だから彼らが極力責められることのないよう、手違いで連れてこられた無知の体験生である自分に非があることを強調することにした。その方が、責任を取らされるにしても最悪体験生の辞退くらいだろうからね」

「……」

「とはいえ、朝霧くんが僕達に何て伝えているのかは分からなかった。意見が食い違っている可能性もある。だから君は答えに迷っていた。あの沈黙はそういう意味ではないのかと」


ほぼ言い当てられ、思わず頷きそうになるが、ここで肯定するわけにもいかないと思案しながら口を開く。


「まぁ、これはあくまで俺の予想なんだけど。どうかな?」

「え……えっと……昨日はい、色々なことがありすぎて、その……あまり、よく覚えてない……です」


しどろもどろな物言いに思わず顔を隠したくなる。

その様子を見て高月は、先程とは違う楽しげな笑みを浮かべていた。


「…ははっ。君は素直な子だね。そういうことにしておくよ」

「……っ」


見透かされていることに、恥ずかしさを感じて目を背ける。


「話は戻るけど、部長はその時の様子を見て、体験生にしたいと考えたとのことだったよ。状況を客観的に分析して、相手を思いやることを忘れず、公正な判断が下すことができるだろうと」


――部長さん、過大評価し過ぎなのでは。


「……他の方は、どう思われていますか?」

「課員の多くは君に興味を持ってるし、朝霧くんは大賛成だったよ。新城課長は微妙なところだけど」


部長の独断というわけでないようで、ひとまず安堵する。


「ちなみに俺は賛成だよ。部長の言ってたこともそうだけど、何より」


高月はそこで一旦言葉を切る。


「……初めて話したとき、言ってただろう。そんなに違うものなのかって」

「!……あれは…私個人の考えで」

「そうだね。でも俺は、気付かされたことがある。それに君という存在が、この部の在り方を変えてくれるんじゃないかって気がしてね」

「?…それはどういう」


問いかけた矢先、携帯が鳴り響く。


「すまない。すぐ戻るよ」


高月は携帯を片手に会議室を後にした。




「ふーん。あなたが、話題の不破咲耶さんだったんだ」


高月が会議室を後にして間も無く、癖のある柔らかなの髪を揺らしながら、少年はそう呟いた。


「わ、話題?」

「そう。うちの部でね。夜霧さんを黒猫呼びして飼い慣らして、ターゲット確保に貢献した女子高生って」

「あ、あれはそうするしかなかったというか。名前も知らなかったし…」

「そっか。どんな人かと思ったけど、名前通りの可愛い人で驚いちゃった」


そう答えながら笑みを浮かべる少年。


――どんな風に思われてたんだろう。

――触れない方が良いかな。


咲耶は話題を変えようと、思考を巡らす。


「……あなたの方こそ。若いのに異犯部にいて、ビックリしちゃった」

「よく言われる」

「そうだよね。えっと…」

九条綾くじょう りょう。二課所属。さっきため息吐いてたのって、体験生のことで悩んでたから?」


軽い自己紹介のあと再び問われ、咲耶は素直に頷く。


「うん……そうだね。そんな感じかな」

「やっぱり犯罪者と関わるのが怖い?それとも俺たちの方?」

「え?」


その問い掛けに咲耶は思わず九条を見る。

答えを待っている様子ではあるが、表情から何かを訴えているわけではなかった。

だが何故か試されているような感じもして、咲耶は十分思案した後、静かに口を開いた。


「…私が悩んでたのは、半端なままでいいのかなって思ったから」

「半端なまま?」

「うん。もちろん、犯罪者と関わるお仕事だから、怖いとも思ってる。でもそれ以前に、自分の気持ちが定まってなくて。もともと体験生の話だって、先生に薦められて渋々受けたようなものだったし」


与えられたものに従順に取り組もうとしただけ。


「それに昨日の事で断られると思ったから……この現状は予想外で。授業さぼって考えたけど、自分がどうしたいのか分からなくて。そんな有耶無耶なままで受けても……きっと意味はないと思うし、真剣に向き合ってるあなた達にも失礼だから」


普段の生活の中で特に深く考えず、何気なく選んでしまうことはただある。

しかし今回ばかりは、軽い気持ちで受けて良いものではないはずだ。


「……別にいいんじゃないの」

「え?」

「分からないまま進んだって。というか、それを知るために進むんじゃないの」

「そうなの?」

「さぁ。進んだ先に答えがあるかも知れないし、もしかしたら無いかもしれない」


あやふやな物言いに、随分と無責任だと内心ごちる。


「でも一つ確かなことは、進まなかったらずっと分からないままってこと。今は分からないことが、この先でも答えが出せなくても。それを見つけようと前に進むのは、悪くないと俺は思うよ」


紡がれた九条の言葉に、咲耶は目を見開く。


――そっか。今の状況は進むことも戻ることもできてない。


悩んだところで、何かを示さなければ、何も考えていないことと同義なのだと結論付ける。


――だったら。


「……何?変なこと言った?」


沈黙が気になったのか、九条は声をかけながら様子を伺う。


「ううん。さっきもそうだけど、九条くんって大人だね。しっかりしてる。私と同い年くらいかと思ってたのに」

「不破さんより年下だけど」

「うそ…いくつ?」

「秘密」


九条の言葉と同時に、会議室のドアが開く。


「すまない。待たせたね」

「いえ…大丈夫です。九条くんと話してたので」

「そうなのかい?」

「別に…」


目を瞬かせる高月に、気恥ずかしさなのか目を逸らす九条。


「それはよかった。彼は同年の子と接することがあまりなくてね。僕の直属の部下ではないけど、良い機会だから同行させたんだ」


――異犯部にいるってことは、働いてるんだよね。学校行ってないのかな。


咲耶はそう思いながら、九条を見やる。

その視線に耐えかねたのか、彼は咳払いをして口を開いた。


「僕の話はもういいですよ。それよりも今は不破さんかと」

「そうだね。と言っても、僕たちの総意は伝えたよ。今すぐでなくていいから――」

「――いいえ」


言葉を遮り、静かに言い放つ。


「私には明確な答えはありません。だからどんなに考えても、それは…同じことなんだと思います」

「……」

「正直言って、私には荷が重いです。あなた達のことよく知らないし、何をしているのかも調べても分からなくて。そんな不安なところに飛び込むなんて出来ないです」

「不破さん……」


自分の呼ぶ、高月のやや低めの穏やかな声を聞きながら、咲耶は静かに言葉を紡ぐ。


「でも……ある人はチャンスだと言いました。またある人は、前に進むことは悪くないと言いました。その言葉に、私はただ考えるだけで、まだ自分の意志で答えを出していないのだと気付きました」


咲耶は顔を上げ、目の前の相手を見据える。



「だからこそ、今ここで言わせてください」



それは本当に自身で導き出したものなのかは分からない。

ただこの時ならば――。

まるで熱に浮かされたように、普段の自分では至らないものを選ぶことが出来る気がして。

意を決して答えを口にする。

その瞳は揺らぐことなく、ただ静かに佇んでいた。

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