その認識で構いません

「………」


――気まずい。


会ったばかりで、会話すらしていない初対面の人と同じ空間にいることは、思っているより耐え難い。

加えて異能犯罪対策部という常に危険と隣り合わせの部署に所属している彼らを前に、咲耶はこれまでにない困惑と焦燥に駆られる。

異能犯罪対策部とは、調停局に構成されている部署の一つ。

異能者が一般人に対して、恫喝や殺傷害などの犯罪行為を行った場合、それを取り締まる部署である。

異能者と相対するゆえに、構成部員も役職者を除きその全員が異能者であるという。

咲耶はさり気なく視線をさ迷わせる。

この場にいるのは、道端で偶然にも出くわした黒猫のように鋭い視線を向けている男と、一言も話すことなく、それどころかまるでこちらを無いものと思わんばかりに無言を貫く眼鏡の男。


――黒猫さんと眼鏡さん。名前も分からない。


朝霧達がこの場を去り、足音さえも聞こえなくなったこの空間にあるのは重苦しい沈黙。

元々、人との関わりを進んで持たない咲耶にとって、話題を見つけることなど出来るはずもなく、どうしていいかも分からず俯くしかなかった。


「不破…と言ったか」


困り果てていた咲耶に、助け舟を出すように話しかけてきたのは黒猫だった。


「気難しいことは考えるな。俺達は勝手に動く。あんたはここにいて、これさえ外してくれればいい」


男が指差したは自らの首。

そこには黒いベルトのようなものが巻かれていた。


「チョーカー……ですか?」

「ああ。まぁ拘束具のようなものだ」


淡々と告げられた言葉に、咲耶は首を傾げる。


「どうして拘束されてるんですか?」

「講習で説明されなかったか?」

「講習?」

「…………いや、何でもない」


――その間は何でもないような。


気掛かりなものの、問い詰めることも出来ないため、人知れず咲耶は不安を零す。


「やっぱり総務のお仕事じゃない…」

「総務?………まさか」


黒猫が言いかけたその時――。






――――ドォオン!!



突如として大きな爆発音が響き渡る。


「佐野」


唖然としている咲耶をよそに、黒猫は素早く眼鏡の男へ視線を向ける。


「課長達は、二手に分かれた模様。ほどなくして黒川がターゲットと遭遇。直後異能で交戦。のちターゲット逃走中」

「説得も抜きにか?黒川は好戦的なタイプではないが」

「齋藤曰く、ターゲットは既に追い詰められ、精神的に疲弊していたとのこと」

「なるほど。二課は容赦ないな」

「容赦ないというか、煽るのが下手なだけかと」


佐野はさり気なく辛辣な言葉を並べている。


「爆発音に気付いた水沢さんと二課が追跡していますが、残念ながら――」


そこまで言ったところで、荒々しい足音が聞こえた。ほどなくして、服の乱れも気にせず息を切らしながら焦燥しきった男が現れる。


「…俺達が相手した方が、早いってとことか」

「課長達が到着するまで、おおよそ3分弱。頑張って下さい」

「やれやれだな」


呆れた物言いとは裏腹に、前に出る黒猫。

その視線はすでに目の前の標的へと向けられていた。

一方で肩を大きく上下に動かして、どこか錯乱している男は、咲耶達を視界に捉えては、自身の周囲に火の玉を浮かばせていた。


――この人、異能者だ。


「自然系か。厄介だな」


黒猫はそう吐き捨てる。


「佐野。不破を連れて離れろ。サポートは欠かすなよ」

「了解。厳しいようなら、あれ貸しますよ」

「あいにく、耐久勝負は慣れている」


そう答えたと同時に、黒猫は動き出す。

それを合図に男は自分の周囲にある火の玉を黒猫目掛けて放つが、驚くべき素早い身のこなしで次々と躱し、男との距離を詰め始める。


――すごい。


異能者同士が相対しているところを、見たことがないわけではない。

だがこの緊迫した状況下の中で、繰り広げられる異能者同士の攻防は初めてだった。

咲耶は少しばかり恐怖を抱いて驚きながらも、目が離せずにいた。


「不破さん」


そんな中、ふと声を掛けられる。

見上げれば、佐野と呼ばれた眼鏡の男が、いつの間にか隣にいた。


「朝霧課長の言う通り、体験生って認識で相違ない?」


その問い掛けに、言葉は出ない。


「あるならこの場を離れる。でもないなら、解除番号を送る」

「解除?」


疑問を呟いたと同時に、目に入ったのは佐野の首元。黒猫と同じように、黒いチョーカーが付いていた。


「外れないと、自分たちは異能を使うことが出来ない」

「!」


点と線が繋ぎ合わさるように、黒猫の言葉の意図を初めて理解する。


――だから拘束具なんだ。


異能者同士の攻防でありながら、異能が使えなければ当然不利である。

活路を見出すならば、拘束具の解除。それが最善だろう。

しかし自分は正式な体験生という立場ではない。

疑問が晴れていないこの現状でも、それだけは確かである。

だが目の前の光景に、そんなことを言っている状況ではないと、静かに突き付けられる。


「不破さん」


名前を呼ばれ、答えを促される。

迷いはある。どうなるかも分からない。

けれど――。


「――はい」


納得はしていない。

でもどうするべきかは、なんとなく理解していた。


「――その認識で構いません」


今ある事実から、最善を容認する。


「了解。少し痛むけど我慢して」

「――ッ」


疑問や言葉を口にする前に、頭部に走るような痛みを感じる。

頭を手で軽く抑えて痛みに耐えながら、脳裏に過るのは4桁の数字。


「ッ――黒猫さん!」


手傷は負っていないが、相手との距離を詰められないどころか異能を使えず、防戦一方を強いられる状況になりつつある黒猫に呼びかける。


「“0115”です!黒猫さん!!」

「!……了解」


黒猫は男からの攻撃を避けながら、首元のチョーカーに素早く手を当て、咲耶が言い放った数字を呟く。

すると黒猫の首元に付いていたチョーカーは静かに外れ、地面に落ちた。


「仕切り直しだ」


枷が外れた黒猫は、野生的な笑みを浮かべる。


「加減はしない。お前は俺の獲物。ただその事実だけを受け入れ、覚悟しろ」

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