第2話
サラと男は街道から少し離れた静かな河岸にやってきた。
人通りの中で「呪術」といった物騒な話をするのは気が引けたし、何より衛兵に怪しまれたくなかった。自身も現状を把握できていないのに、素人を納得させられる説明をする自信はない。男が他人に見えていないのであればサラは不審者として勾留されるかもしれない。騎士団に所属している兄に迷惑はかけられない。
川のせせらぎが心を少し落ち着かせてくれた。街から離れているため普段は真っ暗だが、森の木立の上から覗く大きな月と穏やかな水面に映る月の二つから発せられる青白い光で歩くには困らない。サラは足元に転がる不揃いの石に注意しながら大きな岩に腰を掛け、男の方を向いた。男はすぐそばに立っていたが気配や匂いを感じさせなかった。
サラは改めて男を見た。呪われた状態で身体の一部が消失しながらも普通に歩いている。術が不完全なのかそれともこの男が規格外なのか、のどちらかだ。
この大陸には人間とほぼ変わらない姿の魔族や、動物と人間の中間のような姿の獣人族、翼を持つ有翼族など数多くの種族が存在する。目の前の男は首から上が判別出来ない上に外套を羽織っているためよくはわからない。けれど触れた彼の手は、ひんやりとしながらも命の温もりを持っていた。
呪術は掛けられたものの時間を止める。呪われた品が自然風化せずに残るのはそのせいだと言われている。そしてそれは生物にも当てはまる。だから目の前の男がいくつなのか、どの位の年月をこの姿で過ごしているのかはわからない。
知りたいことがたくさんあるのに一向にまとまらない思考に嫌気が差す。溜息を吐いたサラは、肝心なことを聞いていないと気付いた。
「そういえば、お名前伺っていませんでした。私はサラ=アシュリー。ハングシャーで解術師をしています」
「わからない」
言葉に意味がわからずサラは男を見つめ返した。男はその視線に押されるように言葉を足した。
「名前も年齢も、どうしてこうなったかもわからない」
衝撃的な告白だが、口調は淡々としている。
「そうでしたか。すみません」
記憶まで失っているという事実に、サラは事態の深刻さを改めて思い知らされた。
肩を落とし見上げると黒一色の夜空に数多の星と、大きな月が浮かんでいた。
「レクス」
頭に浮かんだ言葉を呟くと男の見えない顔を見上げた。
「古代語で『夜』という意味です。響きが綺麗で好きなんです」
男はサラをじっと見下ろしている、ようだがこちらからは見えないので視線や表情はわからない。
「とりあえずレクスさん、とお呼びしてもいいですか?」
サラは恐る恐る尋ねた。たとえ仮名でも名前は必要になる。
男は石像のように動かない。
嫌だったかな?
サラが不安に押し潰される寸前に、男はこくんと頭を縦に振った。
安堵して視線を落とすと、男の腰の革ベルトに下がっている長剣が目に入る。サラは立ちあがり吸い込まれるように剣に近づいた。
頭二つ分ほど高い位置にある、男の見えない顔を見上げる。
「見てもいいですか?」
男はサラを見下ろしたまま、器用に右手一本で鞘をベルトから外し剣を差し出した。
「ありがとうございます――ってお、重い」
両手でしっかり受け取ったが、見た目よりも重量感があり少し前のめりになった。
触れている両手には何の痛みもない。この剣に呪いに掛けられているのでは、と思ったのだが違ったようだ。
古いがかなり立派なものだ。剣を鞘から少し抜いてみたが、刀身が月明かりに反射しただけわかる鋭さに慌てて元に戻した。
深紅の鞘には時間の経った傷が数本付いており、これが飾りものではないことを物語っている。蛇のような細長い竜が剣に巻き付く紋章が施されていた。
年代物で高価なものだとわかったが、制作時期やその年代までは特定できない。
「剣士だったのかな?」
ふと漏れた独り言に、抱きかかえられた時に感じた、引き締まった胸板や腕の感触を思い出し顔が熱くなった。サラは赤くなっているだろう頬と耳をレクスに気付かれないよう、慌てて頭を下げながら剣を両手で返した。
重いと感じたその剣をレクスは軽々と右手で受け取り、馴れた手つきで革ベルトに装着した。
周囲が静寂に包まれる。サラの耳に聞こえるのは川のせせらぎと風の音だけだ。
目の前のレクスの顔を見上げる。その表情はその呪術によって判別できない。纏う雰囲気にも怒りや憎しみ、絶望や焦りは感じられない。
空っぽだ。
それがかえって哀れに思えた。ふと、物騒な発想が頭をよぎる。
ものすごく恨まれていて、殺すだけじゃ飽き足らなくて呪術を掛けられたとか、ものすごく危ない人で、封印しようとしたけど失敗したという理由だったらどうしよう。
封印も呪術の一種になるため、封印の解くのも解術師の仕事になる。目の前のレクスから悪人とか危険人物という雰囲気は全くないが、知り合ったばかりのサラに彼の本性がわかるはずもない。
悪い人ではなさそうだけど。
サラは自分の直感を信じ、思い切って尋ねてみた。
「呪術が解けたら何かするつもりですか?」
しばらくしてレクスは首を傾げた。
質問の意図が飲み込めないのか考え込んでいるのか、どちらにしても大きな身体で考え込むその仕草に頬が緩む。
「特にないが、しかし何かあった気もする」
「呪いが解けたらその後の生活のあてはありますか?」
レクスはサラを凝視している、ように見える。もちろん顔が見えないのだから勘違いかもしれないが。
「先ほどから妙なことを聞く」
レクスが初めてサラに対して関心を示した。
「そうですか?」
そう言われても自分ではわからない。
「今までの解術師には聞かれなかった」
仕事を請け負うには必ず責任が発生する、とサラは思っている。だから仕事の前に依頼人に色々話を聞くことは当然なのだが、中には仕事だからと割り切り、その後のことまで気にしない解術師も多くいる。
でもサラにはそれがどうしてもできない。友人からは「もう少し気楽に考えたら?」と呆れられるが、こればかりは性分なので仕方ない。
「他の解術師にも会ったのですか?」
解術師はこの世界で一番少ない術師だ。地味で目立たず面倒な割に儲けがないせいか人気は低く、この国でも登録されている専門の解術師は百人程度しかいない。
呪術は禁術指定されている。使う人がいなければ解術師の仕事は減る一方だ。ちなみにサラの名前は登録した四年前から今日まで解術師リストの一番下にあり、後輩が現れる気配はない。
レクスは頷いた。
どうしてこうなったのかの記憶もなく、徐々に失われていく身体を抱え、唯一自分を認識できる解術師を求めてこの人は一体どの位の歳月をこの姿で彷徨っていたのだろう?
胸が締め付けられ言葉が出ない。
「解術は無理だと言われた」
淡々とした口調で告げられた、想像していた中での最悪の答えにサラは唇を噛んだ。
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