unspell

久保田千景

本編

彼の呪いが解けるまで

第1話

 乗合馬車がグランネスト王国の首都ハングシャーに着く頃にはすでに夕闇があたりを支配していたが、人口二十万を超える大きな街は昼間と変わらない賑やかさと華やかさに溢れていた。街と街とを繋ぐ大きな街道では街灯の普及率は高い。衛兵も頻繁に巡回しており、夜間でも大通りや商店街などは成人ならそれほど警戒感なく出歩ける。

 決められた路線を決められた時刻に従って運行する乗合馬車が街の入り口手前で止まると乗客のほとんどが降りた。サラもその中の一人だった。

 乗務員に礼を言いながら乗車賃を渡し、二時間ぶりに動かない地面に足を着く。揺れている感覚の残る身体で背伸びをしている間に、馬車は定刻通り次の街へ出発していった。


 依頼の仕事は一時間程度で終わるような簡単なものだった。けれど依頼した村が山奥にあり往復だけで四時間かかる。馬車は一日二往復しかなく、それを逃せば行くことも帰ることもできなくなる。仕事自体は簡単なため報酬額も安く、交通費は村負担だが馬車の待ち時間も含めて丸一日を費やした形になり割は合わない。


 わかっていたけれど、これじゃあ誰も請けたがらないわけだ。


 一ヶ月もの間、斡旋所に張られたまま色褪せ破れかけていた依頼書を哀れに思いサラは請け負った。依頼主の村長はようやくやってきた解術師を見て落胆の色を隠さなかった。家宝である壷を預けるには若すぎる彼女に明らかな不信の眼差しを向けていた村長は、丁寧で手際良く且つその完璧な仕事ぶりに最後は大袈裟なほど感激していた。

 依頼人は仕事を依頼した時点で斡旋所に報酬を支払っている。請負人は斡旋所に依頼完了の報告を行ってから報酬を受け取る。斡旋所を通さずに報酬額以外の金品を授受すればサラは契約違反に問われる。だから村長は甘くて有名な村の銘菓と、耳障りな世辞を彼女に用意していた。

 サラは失礼に当たらぬ程度に世辞を聞き流し、甘いものが苦手なため懸命に土産を断ったのだが、面子があるのだろうかそれとも疑った事への後ろめたさなのだろうか、半ば強引に手渡されてしまった。

 人の好意を捨てるわけにもいかず、サラは手にした重くてかさばる土産袋に恨めしい視線を投げつけた。

 これを食べきる自信も予定もない。友人知人に配るには小分けになっていない。実家に送るには量も少なく賞味期限も短い。

 どうにもならないことが改めてわかったところで溜息を吐くと、疲れた足を引きずるように街へ向かった。


 ふとサラの視線がある人物を捉えた。ところどころ解れた古い外套を頭からすっぽりと被り、街の入り口脇で立っている長身の人影。街へ向かっているサラからは後姿しか見えないが、高い上背うわぜいと広い肩幅、編み上げの長靴の大きさからして、どうやら男性のようだ。誰かを探しているでも待ち合わせている雰囲気でもない。ただそこにいる、という気配だ。

 サラには何故かその存在が異質に思えた。姿や雰囲気にも違和感を覚えるが、彼女以外の往来する人々はその人物を気にする様子はなく、何事もないように通り過ぎていく。

 一日中晴天だったにも関わらず外套を頭から被り街の入り口で立ちすくむ人を、何故誰も、街道脇に立つ衛兵ですら気に留めないのだろう?


 気にしすぎ、かな。


 サラは違和感を無理矢理飲み込み気持ちを切り替えると、男のすぐ脇を通り抜けようとして、顔を上げてしまった。

 何故かはわからない。一番驚いたのは自分だ。気にしないでおこうと決めた矢先にまるで引き寄せられるように見上げてしまっていた。

 被っている外套のせいか太陽が沈んだせいか、隣り合う距離にもかかわらず男の顔は見えない。しかし相手も自分を見下ろしていることはフードの角度でわかり、サラは石像のように固まった。

 頭が真っ白になる。今から視線を逸らすことも何事もなかったように通り抜けることも不自然だし、何より人として失礼だ。考えあぐねた結果、思い切って声を掛けた。

「えーと、あの――大丈夫、ですか?」

 何が大丈夫なの? 大丈夫って何?  

 混乱している今の自分の顔は、笑うことも泣くこともできない複雑な表情になっているだろう。

「解術師か?」

「わっ!」

 突然発せられたひび割れた男の声に驚き、サラは色気のない叫び声を上げて反射的に身を引いた。けれど踵で石を踏んだらしくバランスを崩し、視界一面に真っ暗な夜空が広がる。

 倒れる身体に感じるはずの衝撃は訪れなかった。代わりに背中に回された逞しい腕と大きな掌の感触があった。

 男の腕と掌が触れている背中に、小さな針が刺さるような、仕事柄慣れた痛みを感じる。

 

 もしかして。

 

 けれどサラがある考えに至る前に、息が掛かるくらいの距離でも見えない男の顔が目の前にあることに気付いた。

 初対面の男性に抱きかかえられている自分の状態を知り、慌てて体勢を戻す。

「あ、あわわっ、すす、す、すすみません!」

 自分から声を掛けておいてその返事に驚いて転ぶ、というお粗末さに全身から汗が噴き出てくる。

「あ、ありがとうございました」

 火照った顔を見られないよう深々と頭を下げた。

「解術師か?」

 男は何事もなかったかのように先ほどと同じ調子で同じ言葉を口にした。サラはその異様さに恥ずかしさも忘れ顔を上げた。

 やはり顔は見えない。低音で抑揚のないその声に一切の感情はなく、ただの確認にしか聞こえなかった。

 サラは真顔で首を縦に振った。

 隠れていた満月が雲の隙間から顔を覗かせた。柔らかな銀の光が照明のように二人を照らす。それでも顔に見えない男にサラは目が離せなくなっていた。

「あなたは――」

 冷静になった彼女の頭の中で霧が晴れる。

 周囲を見渡すとサラに不審な目を向けている人はいるが、相対する目の前の男は視界に入っていないようだ。

 何故誰も彼に気付かなかったのか。何故違和感を覚えたのか。何故引き寄せられるように視線が合ったのか。何故先ほどの痛みが走ったのか。何故彼が自分を解術師だと知っているのか。そして何故、こんなに月明かりに照らされても顔が見えないのか。

「こちらへ」

 小声で男を促す。男は無言のまま素直に従った。

 

 道から少し離れた場所でサラは男を振り返った。

「手を」

 男はその短い単語の意図を汲み、外套の隙間から両手を出した。

 サラは息を呑んだ。

 右手は指先まで存在を確認できたが左手は手首から先がなかった。物理的にという意味ではなく、手首から先は黒い霧のようなものがかかっており目視できない。おそらく顔もこれと同じ状態だ。

 サラは自分の右手の上に男の右の掌を乗せ、その上に自分の左手を優しく被せ小声で呪文を呟いた。左手をずらすと、今まで何もなかった男の浅黒い肌に古代文字の羅列が帯状に浮かび上がっていた。まるで絡まった黒い鎖のように男の手に巻き付いている。視線で辿ると禍々しい鎖は逞しい腕や太い首を締め付け、顔の方へと登っている。

 黒い霧の正体はおびただしい数の文字だった。

「酷い」

 思わず言葉が零れる。サラは無意識に男の手を両手で握っていた。

「呪術ですね?」

「そうだ」

 初めて肯定した男の声が少しだけ柔らかく聞こえる。

「この呪いを解いてもらいたい」

 

 解術師は魔術や呪術や封印などの、他者の掛けた術を解くことができる魔術師だ。仕事柄、彼女の元には、ありとあらゆる曰く付きのものが集まってくる。しかもサラは自身の特殊な魔力がそれらを引き寄せるらしく、本人に拒否権はない。


 でも人は初めてかも。


 サラは本日何度目かの深い溜息を吐いた。

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