第66話
「例えばこの目玉焼きが『王』だとすると」
そう言ってアスワドは自分の前に置かれた皿の中を指さした。
ちょっと焼きすぎちゃったな。
サラは自分で聞いておきながら、例えられた物のせいなのか、集中できずにいる。
「これが王の中で発生した『種の呪い』の別人格」
アスワドはしっかり焼けた固めの黄身をフォークの先で突く。
「元の人格と別人格はこのようにきっちりと分かれている。だから別人格だけ呪術で封印しようとしたんだけど」
アスワドは器用に黄身だけを白身から取り出した。
「呪術は失敗して」
アスワドは皿の上に白身と黄身を分けて置くと、まるで恨みを晴らすかのようにそれらを豪快に混ぜだした。
説明するためだとわかってはいるが、混沌とした皿の上を見て思わず眉根が寄る。
そんなサラを気にも留めず、アスワドは細かく砕かれた白と黄色の混ざり物の山をつくると大まかに半分に分けた。
「元人格と別人格が混ざってしまって二つに分かれた。『レクス』と『レイ』に」
どっちがレクスさんでどっちがレイだろう。
真剣に聞けば聞くほど、どうでもいいことが気になってくる。
「レクスさんもレイもどちらも同じってことですか?」
目の前に分けられた元目玉焼きだったものはどちらも同じに見える。けれどアスワドははっきり否定した。
「同じようで同じじゃない。おそらく元人格の割合が多いのがレクス、別人格の割合が多いのがレイだと思う」
よく見れば白身が多いほうと黄身が多いほうと分けられている。
真面目というか拘るというか。
サラは妙に律儀なアスワドに感心した。
アスワドはその根拠として、『レクス』は不完全とはいえ呪術が三つ掛けられていた最初の状態で現れ、洞窟内で呪術を増幅した時にも現れたこと、反対に『レイ』は呪術を解いた後に現れ、力が『レクス』よりも強いことを上げていた。
「でも別人格の割合が少ないとはいえレクスも影響は受けている。話を聞いた限りだと、君の首を締めたのは彼だと思う」
アスワドには今まで経緯をでき来るだけ詳細に話していた。
ずっとレイだと思っていたサラはその言葉に驚いて顔を上げた。
「その時はまだ『封魔封力術』も掛かっていたし、元々別人格の影響が弱いから暴走まではしなかったんじゃないかな。だから『破魔』の魔力で我に返ったレクスは自分のしてしまったことに何となく気付いて引っ込んだ。きっとその前から違和感はあったと思うよ」
「でも、あの後にレイが謝っていたけど」
「まぁ分かれたとは言え元は同じだから、最初のうちは互いの存在の自覚はあやふやだったと思うよ。特にレイは別人格の影響が強いし表に出てきた直後だし、自分がやったと思ってしまったんじゃないかな」
確かにレイはまるで自分がしてしまったかのように話をしていた。
『悪かった』
傷を治してくれた後に謝った、あの表情が頭から離れない。
「何せ別人格は強すぎる魔力が産み出した副産物だからその分力も強い。弱くなっていたとはいえ呪術を強引に吹き飛ばすくらいだ。不安定な今のレイなら君に何かあればすぐに暴走する」
レイは暴走したせいでサラの怪我を治すのが遅れ危険な状態にしてしまった、と落ち込み引き籠もっている、とレクスが教えてくれた。
レイと話をしてちゃんとお礼を言いたい。
サラは改めて強く思った。
「けど暴走しても周囲を巻き込まなかったし巫女を殺すこともしなかったのは少ないながらも元人格の影響だろうね」
「だったら――」
「でも今度暴走した時もそうなってくれるとは限らない」
アスワドはサラの甘い考えを見抜いたように釘を刺した。
「契約した後は、どうなるかな」
怖くてはっきりと口に出せなかった。
でもアスワドはサラの言いたいことを理解したらしく表情を硬くした。
「本来であれば契約によって消えるのは別人格だけなんだけど、レクスとレイは元人格と別人格とが混ざりあって成り立っている」
暗い表情のまま口を開くアスワドに、サラは最悪の結末を予感した。
「混ざってしまったものから別人格だけ取り除こうとしても」
皿の中は白身と黄身が混ざり合っている。アスワドが器用に黄身の欠片だけど取ろうとするが、残された白身の部分もすでに黄色くなっている。
「すでにこれが『レクス』でありこれが『レイ』だ。彼らの中で元人格とか別人格という境界は存在しない」
それでも黄身の欠片を取り除き続けていく。すると山はどんどん小さくなり、崩れた。
「別人格だけが消滅すれば、それはもう『レクス』でも『レイ』でもない」
その先は聞きたくない。
本当は聞く前からわかっていた。考えたくなくて、聞きたくなくて、余計なことばかりを考えていた。
だからアスワドが何を言おうとしているのか、それが何を意味しているのかわかっている。
だから、言わないで。
けれど、アスワドの言葉は避けようのない現実となってサラの胸に突き刺さった。
「二人は消える」
サラの視線は自然と居間に向く。レクスがソファーの上で眠っている。
あの日以来、レクスは眠ることが多くなった。
暴走は落ちついたものの呪殺術は発動してしまった。もはや破魔だけでは抑えきれず、自分の魔力も使っているのだろうとアスワドは言っていた。
忌々しい呪術を早く解いてあげたいが、サラの体力はまだ戻っていない。呪殺術はかなり強力で、失敗すればレクスも死んでしまうかも知れない。
けれど解術できない一番の理由は、レクスが契約前の解術を頑なに拒んだからだ。
「もうあなたを傷つけたくない。それはあいつも同じです」
サラがどんなに説得しても頼んでも、レクスは首を縦に振らなかった。
契約前に呪術を解き、また暴走することを恐れていた。今の状態なら暴走してもその前に術で自分の命が尽きるから、と彼の表情が物語っていた。
「契約したら自分たちが消えることを何となく知っているのかもね。傷つけたくはないし苦しいけれど、もう少し君の傍にいたいって思っているのかも」
呟いたアスワドの言葉がいつまでも耳から離れなかった。
契約するには対になっている傍えの腕輪が必要だ。
カイや斡旋所にも頼んで探しているが、見つかってもサラが持っていた物のように一つだけで対になっているものはない。
種の呪いを回避するために傍えの腕輪と契約を必要としていた古代種は、今ではほとんどいない。古代種でなくなった魔族は種の呪いから解放され、腕輪や契約は伴侶と共に生きるためのものへと変化した。
魔人は魔族の血も執着心も薄く、寿命も人間と同じくらいなので契約すら意味がない。
傍えの腕輪と契約は、古代種と共に消えつつあった。
洞窟の中でフロウが使おうとしていた腕輪はアスワドが持っていたものだった。
「呪いのせいで彼女と契約できなかったのにどうしても捨てらなくてさ。本当は君たちに渡せば良かったんだろうけど、それも嫌だった。悔しいというか、嫉みというか。そんな自分が一番嫌だったけど、王に腕輪を壊された時、楽になったんだ」
ごめんね、とアスワドは謝った。
そんなアスワドにサラは掛ける言葉が見つからなかった。
解術を拒まれれば解術師としては何もできない。傍えの腕輪も見つからない。
解術も契約も、何もできない。
どうすればいいのか、どうしていいのか。まるで迷路に迷い込んでしまったようでサラは途方に暮れた。
窓の外は朝日が眩しいくらいに輝いている。けれど家の中はどこか暗く、重苦しい静けさが漂っている。
聞こえるのはアスワドが混沌とした皿の上の元目玉焼きを後始末するように口に運ぶ音だけだった。
静寂を不意に破ったのは、遠慮がちに鳴らされた玄関扉の叩き金だった。
立ち上がろうとしたサラをアスワドが制して小走りに部屋を出た。
アスワドを視線で追う。その視界にソファーから前触れも無く起き上がったレクスが入った。
寝起きには見えない精悍な顔は険しい表情で玄関の方を睨んでいる。
驚き戸惑うサラの視線に気が付くとレクスは安心させるように微笑む。けれどすぐに表情に戻して居間を出て行った。
玄関からアスワドと聞き覚えのある男の人の声が聞こえてくる。
取り残される形となったサラもレクスの後を追った。
レクスの広い背中から顔を出すと、盛大な溜息と共に項垂れる男性が立っている。少し長い黒髪と黒い翼、そして何気ない仕草にも無駄に色気を発する鴉のキメラの知り合いは、今のところ一人しかいない。
「コルヴォさん?」
「サラちゃん!」
開口一番に抱きつこうとしてきたコルヴォに、サラは彼に対する苦手意識を再確認した。
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