第67話

 家へ上がるよう勧めたサラの言葉に嬉しそうに足を一歩踏み出したコルヴォは、ちらりとレクスを見やると途端に身体を元の位置に戻した。

「あ――いや、これを渡すだけだから」

 明らかに落胆した表情で腰のベルトに付けていた袋ごと差し出した。サラは一瞬躊躇したが、レクスの前に歩み出て差し出された袋を両手でしっかり受けった。

 手にした重さと感触と金属音に驚いて視線を向けると、コルヴォは袋を開けるよう促すように頷いた。

「――え?」

 思わず声が漏れる。袋の中にはサラが持っているものと似たような意匠の二つの腕輪が入っていた。

 確認するように顔を上げた。

「これ、もしかして――」

「傍えの腕輪だよ」

 コルヴォは少し寂しそうな笑みを浮かべた。 

 その言葉に驚いたのはサラだけではなかった。隣に立っていたアスワドは背伸びをしてサラの手にしている袋の中身を覗き込んだ。

「本物だ!」

 アスワドは甲高い声で叫びサラを見上げた。明るい表情のアスワドに、手にしている物が探し求めていた腕輪だと実感して自然と笑みが浮かぶ。


 これでやっと呪術が解ける。

 サラは笑顔でレクスを振り返った。けれど彼は険しい表情のまま、サラの手にした袋を見つめていた。


「これはどこで?」

 興奮を抑えらないアスワドの声にサラは我に返りコルヴォに向き直った。

「知り合いの古代種から、もし必要なら巫女に渡してやって欲しいって託されたんだ」



******



「お前がそれを聞きに来たということは、巫女がいるのだな?」

 ガナフはひと通り話を終えると、確信した声でコルヴォを見た。

「たぶん、そうだと思う」

 コルヴォが頷くとガナフは手元の腕輪に視線を落とした。

「きっと最後の巫女だろう」

 ガナフは会ったことのない巫女へ慈愛とも同情ともとれる声で呟くと、そのまま沈黙した。

「コルヴォ、頼みがある」

 顔を上げたガナフの真剣な表情と、初めて頼られた事への驚きでコルヴォは思わず息を呑んだ。

「何だよ、改まって」

 戸惑いを誤魔化すように視線を外したコルヴォにガナフは表情を緩めると自身の腕に嵌めていた腕輪を外した。

「この傍えの腕輪をその巫女に渡してくれないか?」

 ガナフは二つまとめてコルヴォに差し出した。

「じきこの世から消えるには俺にはもう不要だ」

 自分の死をあっさりと受け入れているようなガナフに、コルヴォは苛立ちを覚えた。

「寿命なんてわかんないだろ! あんたならまだ――」

 死なない――そう言おうとして、その続きは声に出せなかった。自分でも目の前の男の命が消えかけていることに気付いている。

 大声で叫んでも強く願っても、変えられない結末はある。


 言葉に詰まったコルヴォは、代わりに腕輪を受け取らず古代種を睨んだ。

 まだ若い友人の必死の抵抗を、ガナフは大らかな苦笑で受け止めた。

「何でもそうだが、自分がその立場になってみて初めてわかることは多い。お前もそのうちわかる」


 そんなの、俺にはわかんねーよ。

 心の中で毒吐きながらも、冷静で重みのあるガナフの言葉がコルヴォの心に深く刻まれていく。


「対で現存する腕輪はもうほとんどないはずだ。巫女が必要ないと言うのであればお前にやろう。好きにするがいい」


 どうせ古代種と巫女以外には単なる魔道具でしかないからな。そう言って薄く笑い、二つの腕輪を改めてコルヴォへ差し出した。

 コルヴォはゆっくりと両手で受け取った。手にした腕輪は重たかった。先ほどまでガナフの腕に嵌まっていた腕輪の温もりが、冷たい風に晒され急速に冷えていく。それが消えゆく命や失われてしまう体温のようで、コルヴォは胸の内を口にした。


「俺は――あんたのおかげで情報屋として一人前になれた」


 長く生きたガナフの深い知識は記録として残っていないものも多く貴重だった。豊かな経験とそれに基づく知恵が、まだ若く未熟だったコルヴォを一筋縄ではいかない曲者達と対等に、強かに交渉できるようにしてくれた。直接ではないけれど、年嵩の友人が、自分をこの国で一番の情報屋に育ててくれたと思っている。


「その恩を一つも返していないのに――」

 後悔で項垂れるコルヴォにガナフは目を細めた。

「俺は話をしただけだ。お前への評価はお前自身が成した結果への正当な評価だ」

 それは初めて聞くコルヴォへの褒め言葉だった。

 あまりに突然の事で顔を上げたコルヴォにガナフは微笑むと、僅かに視線を落とした。

「俺たちは子を成すことができなかった」


 人間と他種族の間で子供はつくれるが、産まれる確率は極端に低い。

 古代種のガナフと人間のユエは仲睦まじく長い時を過ごしたが、結局子供は産まれなかった。


「けれどお前の伝えた俺の話が誰かの役に立ったのなら、俺たちの生きた証はこの世に残る」

 驚き見つめるコルヴォをガナフは真っ直ぐ見つめた。昔から何一つ変わらない端整な顔だった。

「感謝する。息災に過ごせ」

 淡々とした短い言葉の中に色々な思いを感じ取り、コルヴォは目頭が熱くなった。溢れそうになる気持ちや涙をぐっと堪え、明るく声を振り絞る。

「向こうで会えたら、ユエさんによろしく伝えて」

「ユエにお前の言葉は伝えない」

 別れの常套句ですら真剣に警戒するガナフにコルヴォは涙を浮かべて笑った。


 飛び立とうとするコルヴォへの最後の言葉は「したたかなのは良いが、恨みはあまり買うなよ」だった。まるで出来の悪い我が子を諫めるような心配するようなその声に、コルヴォは滲んだ視界でガナフの顔を見ることができななかった。


 ガナフはコルヴォが会いに来た日の夜に永い命を終えた。

 古代種の亡骸も愛したつがいと同じくのこらない。まるで魂の抜けた身体ですら一人だけでこの世に留まることをいとうように。

 だから、その古代種がこの世を去ったことを知っているのは、ただ一人だけだった。

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