第65話
意識を失ったサラはレイに抱えられたまま王立医院へ連れて行かれた。
破魔の魔力を持つサラを連れて行くには転移術の重ね掛けが必要だが、それができるのは魔力が底を尽いたアスワドと魔力の戻ったレイだけだ。しかしこの二人は医院の印と場所がわからない。場所を大まかに聞いたアスワドがレイの道案内として付き、ジークヴァルトとカイは転移術で先回りをして、医院に事情とサラの怪我の具合を伝えた。いきなり古代種が重傷者を運んで空からやって来たら、現場が混乱するだろうと危惧したからだった。
二日後、病室でサラは意識を取り戻した。
静かな部屋の中に、ベッドの脇で座り祈るように俯いている母親の姿が見えた。思うように動かせない重たい身体で何とか口を開き、掠れた声で呼びかける。
微かなその声に気付いたエレナは泣き笑いの表情で抱きついた。解れた髪と窶れた顔の母にサラは涙が出そうになる。
しばらくして部屋には父親や兄や異父弟妹が顔を覗かせ、少し離れた場所で、壁を背に遠慮がちに立つ彼の姿も見つけた。
それがレクスだと認識しながらも、はっきりとした自信がない。今まではすぐ区別できていたのにその境界線があいまいに感じる。でも意識を取り戻した直後の頭では、それがどういうことを意味しているのか、わかっていなかった。
ベッドから起き上がれるようになると洞窟内で起こっていたことをカイとジークヴァルトに聞かれた。サラはなるべく客観的に、解術師誘拐事件との関連やアスワドとフロウの関係を話した。けれどアスワドの過去については話さなかった。
アスワド本人も取り調べを受けた。いくつか余罪も発覚したが、逃亡の恐れがないことと解術師を逃がしていたこと、その後の崩落した洞窟の調査に協力的だったこと、結果的にフロウ一族を壊滅させたことが考慮され、監視付きという条件で放免になった。
サラは行く当てのないアスワドに、良ければしばらく一緒に住まないかと提案した。レクスには顔を顰められ、当のアスワドにも「君は筋金入りの馬鹿だね」と呆れられたがサラは折れなかった。
騎士団員の家族である自分の家にいれば監視に付きまとわれなくて済む。『王』のことや、レイとレクスにわかれてしまった原因など、聞きたいことも沢山あった。
「それに、まだ謝ってもらっていないから」
サラがそう言うとアスワドは渋々といった雰囲気をつくり「そういうことなら仕方ないか」と、綻びそうな顔を必死に隠して頷いた。
アスワドを放っておけなかったサラは密かに胸をなで下ろす。けれどそれを知ったカイに「誰でも彼でも家に住まわせるな!」と怒られた。
エレナは自分だけでもしばらく残って看病したいと言い張った。けれどサラは村には治癒術師がエレナしかいないことと、三日後には退院することを理由に帰るよう伝えた。
それでもなかなか首を縦に振らない母親にサラはしばらくして口を開いた。
「この間、お母さんが言っていた言葉の意味がわかったの」
不思議そうな顔の母親を真正面から見つめる。
『あなたがその魔力を持って産まれたのには理由がある』
今ならその言葉を素直に受け入れられる。
きっと彼を助けるためにこの魔力がある。
「産んでくれてありがとう、お母さん」
自然に言葉が出た。
「もう大丈夫だよ」
エレナは一瞬目を瞠り、そして嬉しそうに涙を浮かべ、何度も、何度も小さく頷いた。
次の日、家族は笑顔で帰って行った。
多量の出血による貧血が落ち着いてきた頃、飲んだ薬の名前を聞いてサラは再び顔色をなくした。
エリクシールは万能薬とも言われるほど効果も価格も高い。小瓶一つでサラなら三ヶ月は暮らしていける。
貧血とは違う種類の目眩に襲われた。
カイがその様子から妹の考えを察知し、呆れたように付け加えた。
「騎士団使用分で報告書を書いたからお前には支払請求はいかない。安心しろ」
「――良かった」
わかりやすくほっとしたサラにカイが顔を顰めた。
「今心配することはそれじゃないだろ?」
「サラちゃんって苦労性っていうか貧乏性っていうか」
ジークヴァルトが兄妹のやりとりに笑いをかみ殺していた。
安心したサラは思ったことを何気なく口にした。
「エリクシールってどんな味なんだろ? もう飲む機会がないだろうからちょっと味わいたかったなぁ」
途端にカイとレクスが苦虫を噛みつぶしたような顔になる。唯一、ジークヴァルトだけは苦笑している。
「味わなくていい!」
カイの不機嫌な理由がわからないサラは首を傾げる。
「どうしたの?」
カイはサラを見て口ごもると、勢いよく立ち上がった。
「――とにかく、大人しくしてろよ!」
そう言い放ち、部屋を出て行った。
「何で?」
意味がわからずサラが扉を見つめていると、ジークヴァルトも立ち上がった。
「ま、カイの気持ちもわからないでもないけれど、あの時はあれで仕方なかったと思うよ」
複雑な言葉を呟いたジークヴァルトにサラは視線を移した。
「どういうことですか?」
ジークヴァルトはサラの真っ直ぐな視線に少し表情を緩めた。
「サラちゃんはあの時意識がなかったから薬を上手く飲んでくれなくて」
「――な、なくて?」
どうも嫌な予感がする。
サラは固唾を呑んで次の言葉を待つ。けれどジークヴァルトの口から出た言葉はサラの期待を裏切った。
「うーん、まぁ後は当人――じゃないけど彼から聞いてよ」
そう言って壁を背に立つレクスを指した。
「え、ここで終わり?」
驚くサラにジークヴァルトは意味深な笑顔を残し、魔族語で少しレクスと話すと部屋を出て行った。
サラは部屋に残ったレクスを見た。彼も何故か不機嫌になっている。
「レ、レクスさんは知っていますよね?」
レクスは視線どころか顔ごと逸らした。
「嫌です。言いたくありません」
あまり見ない行動にサラはショックを受ける。
「わ、私、そんなに恥ずかしいことをしでかしたのでしょうか?」
大勢の騎士や学者や同業者の前でどんな醜態を晒したのか。不安で泣いてしまいそうになる。
項垂れるサラにレクスは渋々言葉を発した。
「あなたではありません」
「じゃあ、レイに何かあったの?」
レイを案じる声音にレクスは端整な顔を僅かに顰めた。そして溜息を吐くとようやく壁から離れ、ベッドに腰掛けた。
「あなたの弟妹たちに泣かれてしまいました」
「え? は?」
脈絡のない話に頭がついて行かない。けれどレクスはお構いなしに言葉を続ける。
「レイに会いたい、と」
事情を知らない子供の言ったこととはいえ、レクスにとってそれは残酷な言葉だ。
レイに会うことを楽しみにしていた弟妹たちと、その言葉を投げつけられたレクスの心情を思うとサラの胸は酷く痛んだ。
「ごめんなさい」
サラは項垂れるように頭を下げた。
「仕方ないことです」
相変わらず淡々とした口調のレクスだが、そこに微かな揺らぎをサラは感じた。
「でも、あなたにだけはそう思って欲しくない」
意外な言葉に顔を上げるとすぐ目の前にレクスの顔がある。驚くサラの頬に手を添えると、躊躇わずに唇を重ねてきた。
サラはレクスの腕を掴んだ。
確かにそこにある感触に安心して目を閉じた。
唇が離れるとサラはゆっくり目を開けた。熱を帯びた金色の瞳がサラを見ていた。
「私もこうして薬を飲ませましょうか?」
艶のある声と視線に、サラはのぼせそうな頭を冷やすように激しく首を横に振った。
「薬は自分で飲めま――」
その瞬間に、サラはレイがどうやって薬を飲ませたのかわかってしまった。
し、知らなきゃ良かったかも――。
大勢の、兄や知り合いの目の前で、口移しで薬を飲まされたようだ。
サラは色々な意味で火照りが一向に引かない顔を両手で覆った。
※レクスとジークヴァルトの魔族語での会話※
「いくら無口でも、それくらい説明できるよね?」
「余計なことを――」
「自分じゃない自分に嫉妬して押し倒さないでよ。彼女まだ体力戻ってないし、ここ防音じゃないから声がまる聞こえ――」
「さっさと帰れ」
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