第41話
「
相変わらず薄着で玄関先に現れたミシェルに、レイが最初に発した言葉だ。
真顔で何てことを!
サラは身体中から変な汗が噴き出すのを感じた。
淫魔は美しい容姿で異性を虜にし精気を糧にしている種族だが、魔族同様個体数が少なく、サラは実際に出会ったことがなかった。けれど同性のサラが見ても驚くほどの豊かな胸と無駄に色気を振りまく目の前の薄着美女は確かに人間というよりも淫魔族の方がしっくりしている気がしてきた。
「ち、違います、これでも人間です!」
少しの間の後、慌てて訂正する。その発言の中にかなり失礼な部分が含まれていることに焦るサラは気付いていない。当の本人も「あはは、それぇよく言われるぅ」と怒りもせず、あっけらかんと笑っていた。
「言われるんですか?!」
サラの驚きの質問に、ミシェルは目元を潤ませ艶やかに口角を上げた。
「正真正銘の人間だけど、そのおかげで困らないの」
何が困らないのかは恋愛に疎いサラでもわかってしまった。以前、花びらのような赤い痣が首筋に付いていたことを思い出した。
今月分の家賃をミシェルに渡すとサラは真っ赤な顔のまま家に帰った。
「お前は違うな」
家に帰るとレイは視線をサラの頭からつま先へ移動させ、最後に顔を見て呟いた。
「なさ過ぎるしな、うん、ないな」
レイはひとり納得したように安心している。その様子を怪訝に見ていたサラと視線が合うと爽やかな笑顔を向けた。
「俺はなくても大丈夫だ」
「それ以上ないって言ったら本気で怒ります」
******
「あいつも危ないがお前はもっと駄目だ!」
「何だと? 盛りのついた狼には言われたくねぇよ!」
突然やって来たカイは目の前の魔族がレクスじゃないことに最初は驚いていたが、どうやら口が達者ではっきりものを言うレイが気に入らないらしい。
一緒に来ていたジークヴァルトはレクスがいなくなったことを残念がっていたが、レイを見ると「こっちの方が魔族らしいな」と納得していた。
「サラ!」
「ひゃい!?」
油断していたサラは妙な声を発してしまった。
「さっさとこいつの呪いを解けよ。そうすれば一緒にいる必要はないだろ」
鎮めの巫女が見つかるまでは呪いを解くことはできない。暴走や巫女のことを話していないので勝手な言い分は仕方ないとしても、解術に関する文句にサラはむっとしてしまった。
「簡単に言わないで。順序や準備がちゃんとあるんだから」
冷静に言ったつもりだがカイの大きな耳は萎れてしまった。
「部外者は引っ込んでいろ」
レイの煽動にカイの尻尾と耳はぴんと立った。
「部外者はお前だろ! 俺とサラは兄妹だ」
「俺とサラは一心同体だ」
「その言い方は――」
「サラに手ぇ出してないだろうな!」
一向に収まらない応酬にサラは溜息を吐いた。
レクスとカイは水と油だったが、レイとカイは油と油のようで、要は似た者同士らしい。
身体の大きい魔族と獣人が些細なことで鼻先を付き合わせて言い合う姿は、大きな子供を見ているようだった。
******
「弱まったとはいえ、まだ封印されているからあの程度なら暴走はしない」
カイとジークヴァルトが帰った後にレイは言った。
もしかして暴走するのでは、と心配したことが顔に出ていたらしい。レイを信用していない自分を恥じた。レイは怒っている様子も落胆している様子もない。けれどその淡々とした雰囲気がかえってサラを落ち込ませた。
「ごめんなさい」
「ま、一度でもあれをみたら誰でもそう思うだろうな」
肩を落とすサラにレイは苦笑した。
「あいつも怖かったのかもな――」
呪術を掛けた男のことか、それとももう一人の自分のことか。
レイが何を思って呟いたのかサラにはわからない。でも不敵な笑みが寂しそうに見え、思わずレイの服の裾を握った。
レイは一瞬目を瞠り、その後真顔でサラを見つめた。
「怖くないのか?」
今度は誰のことを言っているのかわかる。サラは真っ直ぐに見つめ返した。
「全くないと言えば嘘になるけど」
僅かにレイの表情が強ばる。
「でもそれはレイが何も言わずにどこかに行ってしまいそうで――」
レクスが離れようとしたように、レイもいなくなってしまうのではないか。
そんな不安があれからずっと付きまとっている。
言葉に詰まり俯いたサラをレイは待っていてくれていた。
「だから傍にいると安心します」
恐る恐る顔を上げた。視線が合うとレイは表情を緩めた。
「あいつみたいに離れようとは思わない。俺は自分勝手だからな」
その言葉がサラを安心させた。
「来週、実家に戻るのか?」
「はい」
サラは気付かず深い息を吐いた。
兄の突然の訪問は「命日の墓参りは一緒に行けなくなった」とわざわざ言いに来たのだった。その日急な仕事が入ったため、終わり次第現場から直接実家に向かうらしい。
「お前は来んなよ!」
最後に悔しそうにレイに向かって言い放ち帰って行った。
それくらいなら魔道具でも済むのに、と思ったが、直接会うのはサラが襲われた日以来だった。理由をつくらなければ会いづらく、だから一人じゃなくジークヴァルトも一緒だったのかも知れない、とサラは不器用な兄の後ろ姿を思い出し苦笑した。
「俺が一緒だと嫌か?」
低い声に我に返る。振り仰ぐと不機嫌というより不安そうなレイがいた。
「違います」
サラは慌てて否定して「実は――」と意を決し胸の内を吐き出した。
「家族にレイのことを何て言って紹介すれば良いか、どこまで話せば良いか悩んでいて。一緒に住んでいるって言うと誤解を招きそうで――」
真剣に悩むサラにレイは眉を顰めた。
「お前の心配はそれか?」
呆れた口調にサラが珍しく顔を曇らせた。
「それ以外には何もありませんけど?」
「いや、もっと違うことがあるだろ」
「何です?」
レイの戸惑いにサラは首を傾げる。視線を落とした彼の瞳は、傷ひとつない首を見ている。
沈黙が続く中サラは口を開いた。
「一人暮らしするって言ったときもかなり心配されて。だから兄の近くに住むことを条件に了承を貰ったんです」
その当時を思い出しサラの表情は曇る。
「そのお兄ちゃんが余計にややこしくしそうだし」
話の流れで両親にバラしてしまいそうだ。父や母は何て言うだろう。でも解術できていない状態でレイと離れるわけにはいかない。
サラは頭を抱える。
急にレイが吹き出した。面白い要素が一つも思いつかないサラは眉を顰めた。
「何で笑うんですか! 真剣に困っているのに」
「好きに言えば良い。恋人でも彼氏でも」
挑発的なレイの笑顔にサラの顔が火の付いたように熱くなる。
「そ、それは違う意味で面倒になるし、それに、恋人も彼氏も同じだし!」
抗議しても裾を掴んだままのサラの手をそっと取り、レイはその甲に唇を落とした。
冷たく柔らかい感触にサラの思考が止まる。
レイは首元まで真っ赤になり固まったサラの頭を優しく撫でると部屋へ戻っていった。
茹で上がったサラは、掌で飛び出そうな胸の鼓動を押さえ「私、何した? 何かした?」と玄関でしばらく悩んでいた。
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