第42話

「まだ乗るのか」

 遠くからのんびりとやって来る乗合馬車に視線を寄越してレイが呟いた。

 何もない道に立つ乗合馬車の待合所にはサラとレイの姿しかない。

「あれが最後です」

 慣れているサラでも一日三回の乗り換えはきついのに、普段こういう乗り物に乗らない魔族はもっと辛いだろう。

「――馬車はもういい。一生分乗った」

 レイが珍しく弱音を吐く。サラは申し訳なく思う反面、長命な魔族の『一生分』とはどの位なのだろうと、どうでもいいところが気になった。

「レイ」

 うんざりした顔のレイにサラは意を決し口を開いた。

「ごめんなさい。帰りもこれです」

「そうだよな。そうなるよな」

 レイは納得したような納得できないような複雑な表情で溜息を吐いた。


 乗合馬車の狭いほろの中にいることは魔族にとって色々な意味で窮屈なはずだ。田舎へ行けば行くほど馬車の大きさは狭くなり、人々の纏う雰囲気は重くなる。


 魔族が何故こんな田舎の乗合馬車に乗る? 


 乗り合わせた数人の乗客や御者のそんな疑問と緊張感と好奇心がひしひしと伝わる。当の本人は気にすることなくサラの隣に座ると「暇だから寝る」と言って目を瞑った。

 鋭く光る金の瞳が閉ざされると幌の中には安堵した空気が漂い始める。

 サラは持参した本を取り出しながら、眠ってはいないだろうレイに気付かれないようさり気なく座席を詰めて座り直した。左腕に感じる温もりにほんの少しだけ身体を預けると、いつもと同じように本を読み始めた。



******



 右腕にそっと寄り添った感触にレイは薄く目を開けた。

 先ほどより近くにある見慣れた栗毛色の頭がいつものように本を読んでいる。どうやら狸寝入りがばれている上に慰められているようだ。

 奇異の視線には慣れている。敵意や殺意がないこの程度のものはいつものことだ。それでも彼女は敏感に察し、さり気なく慰めてくれている。


 私が傍にいます。

 そう言われているみたいで嬉しいような恥ずかしいような複雑な心境だ。

 信頼されればされるほど手が出しにくい。落ち込む気持ちとは正反対に口元が綻ぶのを必死に抑え、レイの意識は温かく心地よい微睡みに沈んでいった。



******



 乗合馬車を乗り継ぎ揺られること四時間。ようやく目的地に着いた。

 馬車を降りると目の前に広がるのは青い空と緑の山に囲まれた田舎そのもので、一年前と何も変わらない風景が広がっている。

 馬車は二人を下ろすと空になった幌で去って行った。この先で休憩した後、今度は王都に向かう乗合馬車として同じ道を通る。

が鈍いのか領土が広いのか――」

 レイはもはや『馬車』という単語すら言いたくないのか、長い手足と大きな身体をめいっぱい伸ばしながら呟いた。


 グランネスト王国の端っこに位置するこの集落にサラの実家はある。

 澄んだ空気と緑鮮やかな景色とは裏腹にサラの胸の内は澱み、暗い。

 実父の命日は毎年実家に帰り、家族全員で墓前を参るのが恒例行事となっている。サラやサラの母エレナだけでなく、義父のアリストやカイや弟妹たちも一緒だ。

 家族に会えることは楽しいし嬉しい。けれど父の墓前に立つ度に後ろめたい気持ちになっていた。はっきりとわからないまでも父の死に関係しているのではないか、という漠然とした後悔は、蓄積され、心に澱となってたまっていた。そして思い出した今、それは「罪の意識」という形となってサラを押しつぶそうとしている。

 

 見殺しにした私がどんな顔をしてその墓前に立てばいいのか。

 この場に来てもまだ悩んでいた。

 

 道の先に実家はある。でも足が動かなくなっていた。のしかかる重さに耐えられず地面に埋まってしまいそうだった。

 このまま帰ろうか。

 視線を落としたサラの頭に重い衝撃が加えられた。

「!」

 何かを乗せたまま振り仰ぐと、レイが不機嫌なままサラを見下ろしている。頭の上に乗っているのは彼の右手だった。

「レイ?」

「ここまで来て帰るとか言わないよな?」

 その声がいつもより一段と低い。頭を鷲づかみにしている五本の指に力が込められる。とてもじゃないがこの状態で「思いましたし言いかけました」とは言えない。コルヴォの家の前で変形した猿男の頭を思い出した。

 自分でもはっきり分かるほど引き攣った顔に、レイは青筋を立てても歪みのない綺麗な顔を近づけてきた。

「休憩から戻って来る同じに乗って、今来たばかりの道をまた四時間かけて帰る、何て言わないよな?」

「い、言いません」

 ここでの正解はそれしかない。

「よし」

 レイは口の端をつり上げ、わしゃわしゃとサラの頭をなで回す。

 ぼさぼさになった髪で前が見えなくなったサラの耳のレイの声が届く。

「問題は後回しにすればするほど面倒になる。さっさと片付けた方が楽だぞ」

 真剣な声音でそう言うと、先ほどとは違いサラの頭を掌で優しく撫でた。

 視界が開けたサラはレイをまっすぐ見つめ返した。

「本当に馬車に乗るのが嫌なんですね」

「もう一生分乗ったって言っただろ?」

 しばらく顔を見合わせ、二人はどちらともなく笑い合う。

 おかげで軽くなった足は自然と前へ動き出していた。

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