第31話

「サラを助けてくれてありがとう」

 会話が途切れた所で、カイは窓際の壁に背もたれて立っているレクスに頭を下げた。けれど上げた顔は険しかった。鋭い視線でレクスを射貫いたまま言葉を続けた。

「でも次からは俺が守るから」

 レクスは腕組みをしたまま彫像のように微動だにしない。過保護な兄がそう言うだろうと予測していたかのような表情だった。


「サラ。しばらく宿舎にいろ」

 突然すぎる提案にサラは「急に――何で?」と戸惑いを声に出していた。

同僚のジークヴァルトも驚いて隣を見ている。だからこれは兄の独断だ、とサラは気が付いた。

 若い騎士の多くは城の中に建てられている宿舎で生活している。カイやジークヴァルトも入隊してからずっと宿舎暮らしだ。

 宿舎の中には部外者が泊まれる客室もある。国王の住む城の中、しかも騎士達の住む宿舎の中ほど安全な場所はない。


「ここよりは安全だ」

 言い出した本人は様々な思惑の視線を受け止める。部屋の各人を見回し、最後に紫の瞳が行き着いた先はサラだった。

「でも――」

 サラの視線は自然と壁際のレクスに向いたが、目を合わせる前にカイの言葉が強引に引き戻す。

「来るのはお前だけだ」


 今までのレクスなら強引について来るか、行かせまいとしていたはずだ。

 でも今は違う。

 宿舎の方が安全だと判断すればこのままサラが家を出ても、レクスは引き留めない気がしていた。そして今離れてしまえばもう二度と会えなくなる。そんな予感がしていた。

 それだけは嫌だ。サラは掌を固く握った。

「私は行かない。ここにいる」

「――また襲われたらどうするつもりだ」

 カイは精一杯の抵抗を容赦なく突き崩す。

「自分の身を守れるのか?」


 レクスが助けてくれた時の姿を思い出した。

 感情を抜きにして、彼は躊躇なくサラを守ろうとするだろう。

 もうレクスが傷付くところを見たくない。だからといって何もできない。

 自分が嫌になる。

 サラは何も言い返せず俯いた。


「客室使用には許可が必要だろう?」

 重い沈黙を破ったのはジークヴァルトだった。その声に先ほどの柔らかさはなく僅かなけんが含まれている。

 宿舎の中に設けられている客室を使用するにはそれだけの理由と上司の許可が必要になる。明らかに命を狙われていて自宅で警護が困難な場合は別だが、事件の被害者だからという理由だけで許可が下りることはない。

 騎士であるカイがそれを知らないはずはない。

「何とかする」

 それでも揺るがない頑固な相棒に、ジークヴァルトは顔を曇らせた。

「ダメなら俺の部屋に泊める」 

 それまで微動だにしなかったレクスが腕組みを解いた。気配を察知したカイがそちらに視線をよこした隙に、隣から伸びてきた腕が胸倉を掴んだ。

「それはそれで問題だろーが! 少し冷静になれ、この単細胞!」

 ジークヴァルトが吠えるように叫んだ。綺麗な顔の眉間には深い皺が刻まれている。

 サラは自己嫌悪や兄に対する困惑を吹き飛ばされるくらいの衝撃を受けた。


 カイは鋭い犬歯を剥き出して、目の前の魔人を睨む。

「俺は守りたいだけだ!」

 魔人は狼の咆哮にも怯まず、あざけりの笑みを浮かべた。

「違うね。それは浅ましい独占欲だ」

 カイは表情を強ばらせた。けれどすぐに怒りに変わる。

「俺の妹だ! 大切に思って何が悪い!」

「そのに、守るとか大切とか御託ごたくを並べて何しても良い訳じゃあねぇだろ! てめぇの都合で振り回すな!」

 正論に諭されたからかそれとも語気を強めたという言葉に反応したのか、カイは僅かに視線を泳がせた。

「――お前には関係ない」

 その声に先ほどまでの勢いはなく、動揺しているのは明らかだった。

 ジークヴァルトは胸倉を掴む手に力を込めて大柄な獣人を片手であっさり引き寄せた。人間離れしたその力と迫力は、薄いとはいえ確かに魔族の血を引いていた。

「関係あるとかないとか、それこそ関係ねぇ! 本当に大切に思うんだったら彼女の気持ちを一番に考えろ!」

 カイははっとした表情になり、そのまま口を噤んでしまった。

 ジークヴァルトは冷静さを取り戻した相棒を投げ捨てるように手離す。項垂れたカイに大きく息を吐くと、ジークヴァルトはサラを見た。

 先ほどまでの鬼の形相から幾分柔らかくなっているものの、急に向けられた視線にサラの身体は反射的に小さく跳ねる。先ほどまでの穏やかな雰囲気から想像もできなかった口の悪さには驚いたが、言っている内容はまともだとサラは気付いていた。


 ジークヴァルトは立ち上がりながらサラに頭を下げた。

「そろそろ帰るね。お兄さんを馬鹿呼ばわりしてごめん」

「いえ、こちらこそご迷惑をお掛けしました」

 サラも慌てて頭を下げた。

 ジークヴァルトには感謝していた。騎士という立場上、無茶な事をすれば処罰は免れない。けれどあそこまで言われなかったらカイは止められなかっただろう。これがレクスだったら、二人とも無傷では済まなかったはずだ。


 ジークヴァルトはいつの間にかサラのすぐ後ろに立っていたレクスに視線を向けた。

「彼女を頼むよ」

「わかっている」

 間髪入れず返された言葉に、そうだよね、と苦笑して身をひるがえした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る