第30話
斡旋所に寄っていたためすでに日が落ちていた。
家の玄関前で人らしき影が動いている。暗闇の中では誰だかわからない。二つの影がジュードとダグの姿と重なりサラの足は
「あれはカイです」
立ち止まったサラにレクスも歩みを止め、声を掛けた。
「見えるの?」
肯定するようにレクスは目を合わせ、そしてまた影を見た。
「もう一人も騎士の制服を着ています」
サラはその場で影の正体を見ようと目をこらす。けれど見慣れた兄の姿を重ねることが出来ない。躊躇しているサラの前をレクスはゆっくり歩き出した。広い背中は「大丈夫」と言っている気がした。見えない手に引っ張られるように、サラもその後を追った。
「サラ!」
その声は兄のものだった。
魔族と同じく夜目の利く獣人族は、妹の姿を見つけると駆け寄って来た。カイは目の前まで来るとサラの両肩をしっかり掴んだ。
魔族は体温が低いが獣人族は反対に高い。そのせいか大きな掌がサラの冷えた身体にはとても温かく感じた。
「報告があって――大丈夫か? 怪我ないか? 具合悪くないか?」
「お兄ちゃん――」
幼い頃から変わらない、慌てるカイを見てサラの表情は緩んだ。
大丈夫だよ。相変わらず心配性なんだから――。
いつものようにそう言おうとして出てきたものは、言葉ではなく大粒の涙だった。
カイは急に泣き出したサラを見て驚き、しばらくしてそっと抱き寄せた。
「大変だったな。もう大丈夫だから」
大きな掌がぎこちなく動き、慰めの言葉と同時に背中と頭を優しく擦る。
傷ついた心と冷たい身体が、その言葉と温もりに癒やされていくようだった。
涙が止まらない。どうしてこんなに涙が出るのかわからない。
心も身体も疲れ切っている今のサラにそれを考える余裕はなかった。いつもとは違う温かい胸に顔を埋めて、ただ泣いた。
******
自分の前で珍しく泣いたサラを見て思わず抱きしめた。
こうやって抱きしめるのはいつ以来だろう。
カイは自分の腕の中にすっぽりと収まっているサラを見下ろしながらふと思った。
ごく普通に、当たり前の兄妹のようにふれ合うことをどこかで遠慮していた。
きっと血の繋がりがないことを一番気にしているのは自分だ。父も義母もサラもそれほど気にしている様子はない。カイも血の繋がりに拘りや偏見はない。義母もカイにとっては大事な『家族』だし、年の離れた異母弟妹も大事な『弟』であり『妹』だ。けれどサラだけは、大事なのに『妹』として見ることに抵抗があった。
血が繋がらないという事実が、『妹』という言葉を言いにくくさせている。
それでも、今までは『兄』として接していると思っていた。
でも今日、サラが襲われそれを助けたのがあの魔族だと聞いて気が付いた。サラを失う恐怖心と助けられた安堵感と助けた男への嫉妬心で、気が変になりそうだったことに――。
『お前を妹とは思っていない』
言葉通りに受け取るか、それとも本当の意味に気が付くのか。
どちらにしてもサラを傷つけるだけだと知りながら、それでもいつかこの言葉を口にしてしまいそうで、カイは抱きしめる腕に力を込めた。
******
王国騎士のカイとジークヴァルトの訪問理由は事件の事情聴取だった。
被害者の中で唯一記憶を消されなかったサラの証言は重要視されていた。国内の事件事故は本来衛兵の担当だが、被害者が騎士団員の妹ということで、身内になら話し易いだろうとの配慮が含まれていた。ただし、身内が巻き込まれた事案は、冷静さを欠いたり被害者に肩入れしたりする場合があるため、単独行動ではなく必ず第三者を連れて行くように、との条件付きだった。
カイは事情聴取という大義名分のもと、仕事上がりのジークヴァルトを捕まえてサラの様子を見に来た、と言うほうが正しい。
落ち着きを取り戻したサラは、家の中で事件のあらましを話した。内容はアルトマン家で衛兵に話したこととほぼ同じだ。けれど時間が経って冷静になったせいか話す相手が見知った顔のせいか、少しだけ詳細に語れた。
******
「ギーゼンさん」
聞き役と補佐に徹していたジークヴァルトは、突然呼ばれた自分の名前に少し驚き顔を上げた。
「ん? 何?」
「あの、聞きたいことがあって」
じっと見つめる焦げ茶色の瞳にジークヴァルトは釘付けになる。代わりに隣でソファーに深く腰掛けていたカイが身を乗り出してきた。
「今回の事件と何か関係があるのか?」
「関係ないと思う」
「そういうことは後にしろ」
溜息と共にカイが身体を戻す。怒られて萎れるサラが少し可哀想に思えた。
「いいよ、気にしないで聞いて」
顔を上げたサラは目が合うとにこりと笑った。ジークヴァルトは自分だけに向けられた笑顔につい相好を崩した。
「シズメノミコって、聞いたことありませんか? 魔族に関係すると思うのですが――」
記憶を掘り出すため視線を落としたが、それらしきものは出てこない。
「覚えはないなぁ」
「そうですか」
サラは肩を落とした。けれどその顔にジークヴァルトに対する落胆の色はない。
「ごめんね、役に立てなくて」
「あ、いえ、すみませんでした。お仕事中に変なことを聞いて」
最後まで表情を曇らせない彼女に口が勝手に動いた。
「もし何かわかったら連絡するよ」
「ありがとうございます」
サラは嬉しそうな笑顔を見せた。
魔族譲りの端整な容姿のせいで異性同性問わず色目を使われるジークヴァルトは、年頃の相手に打算のない自然な笑顔を向けられるのは久しぶりだった。
彼女を見ていると何かしてあげたくなってしまう。
それが愛情ではなくただの好意だと知りつつも、シスコンすぎる兄と殺気立っている正体不明の魔族の前ではうっかり言えないな、とジークヴァルトは固く口を結んだ。
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