第18話
レクスの見た記憶は断片的な上に現実離れしていて、サラにはよくわからなかったが、『シズメノミコ』がいないから呪術を掛けた、ということだけは理解できた。
「残りの二つの呪術はすぐには解けそうもないので――」
サラは慎重に口を開いた。
「とりあえず、その間に『シズメノミコ』に関して調べてみましょうか」
今解けた『留置封印術』は不完全だった。
『留置封印術』は対象をその場所や物に留め置く呪術で、術を掛けられている対象はそこから動くことはできないはずだ。けれど、わざとなのか単に間違ったのか、完璧ではなかったためレクスは魔法陣を離れることができた。
けれど残り二つは不完全でも術の
術式自体も複雑な上に二つの術が絡まっている。本当は、命の危険がある『呪殺術』を先に解きたいが、失敗すれば却って解きにくくしてしまう。
同時に二つを解術することはできないので、しばらくは『破魔』の魔力で呪術が弱まるのを待つしかない。
「――解くのですか?」
その声にサラは思考を止めた。顔を上げるとレクスが少し驚いたような表情で見下ろしている。サラはそんなレクスに驚きながら「――解きますけど?」と答えた。しばらく無言で見つめ合う二人だがその視線は艶めいたものではなく、互いに『何故?』と言っていた。
沈黙を破ったのはサラだった。
「殺すとか発作とか物騒だし、よくわからないから不安になるとは思いますけど」
言いながら何度か頷く。
「でもその人が言ったとおり、レクスさんの呪いが解けるときにその『シズメノミコ』がいれば良いってことでしょ?」
「簡単に言いますけど――」
レクスは呆れように息を吐く。
「呪いは解きます」
サラは断言した。
「どんな理由があっても、呪術を掛ける人は嫌いです」
サラはレクスの視線に気付くと、険しくなっていた表情を緩めた。
「でもレクスさんを助けたいっていう、その思いだけはちゃんと受け取りたいから」
間違っているとわかっていても、恨まれるとわかっていても、どうしても救いたかった。
必死に託した思いは、誰かが受け取らなければ全て無駄になる。
その人の決断も、レクスの命も。
「出会いは偶然じゃない――か」
サラは目を伏せ独り言を呟いたが、何か言いたげな金色の瞳に気付き、誤魔化すように机の上の本を手に取った。
「だめだったら、またその時に考えましょう。――あ、そうだ。明日は斡旋所に行くので一緒に来てください」
そう言って微笑み、いつものように本を読み始めた。
しばらくして背後から包み込むように両腕が回ってきた。
読書中はいつも背後から抱きつかれているが、こればかりは慣れることができない。サラはいつもと同じように身体を縮込ませた。
いつもならこれで終わる――はずだった。
「サラ」
「み、耳元で囁かないでください! また熱が出ます」
普段とは違うレクスの行動に心臓が早打ち始める。正直本を読むどころじゃない。
「それは困ります」
耳元で囁くレクスに離れる素振りはない。このまま読書を続けるしかないようだ。
「レクスさんはよくわかりません」
諦めたサラは大きく息を吐いて呼吸を整える。そして平常心を取り戻すべく、目の前の文字に集中した。
******
彼女と出会っていなければ、今頃は消滅していたかもしれない。 あの時はいつ消えてもいいと思っていた。
けれど今は違う。
見えた記憶に愕然とした。
呪術は解けた時、自分はどうなるのか。
レクスとして今を覚えていられるのだろうか。
彼女を傷付けたりしないだろうか。
でも――。
「だめだったら、またその時に考えましょう」
今考えても無駄だ、と励ましてくれた。
「あ、そうだ。明日は斡旋所行くので一緒に来てください」
いつもと変わらぬ笑顔を見せた。
昨日と同じ、無防備な背中を包み込むように抱きしめた。
サラは驚いたように身体を縮める。読書中は毎回抱き付くのに、彼女にはこの手の行動に慣れるということがない。
嬉しくて、愛おしくて、彼女の名を呼んだ。
「サラ」
「み、耳元で囁かないでください! また熱が出ます」
栗毛色の柔らかな髪の隙間からのぞく耳は真っ赤になっている。
「それは困りますね」
「レクスさんはよくわかりません」
呆れたようにそう言うと、巻き付く腕を振り払うことはなく読書を再開した。
この幸せな時はいつまでも続かない。
サラを失ってしまうのか自分が壊れてしまうのか、それともこの想いがレクスという存在と共に消えてしまうのかはわからない。
彼女を誰にも渡したくはないし、消える前に全てを手に入れたい。でも彼女の悲しむ顔や、傷つく姿は見たくはない。
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