第17話

 二日後、熱の引いたサラはレクスの『留置封印術』を解く準備を始めた。

 ソファーの隣に座り、不機嫌さを隠さないレクスにサラは口を開いた。

「レクスさんがもう少し大人しくしていた方がいいと思っているのはわかりますけど」

「わかっているのならそうして貰えると助かりますが」

 レクスは今日の解術に乗り気ではないようだ。兄と同じ、もしくはそれ以上の過保護ぶりに思わず苦笑する。

 この前の解術は集中力が切れただけで術式の解読自体は成功していた。忘れないうちにもう一度行えば、文字の並び替えにかかる時間は短くなる。

 相手の同意なしに解術はできない。

「まだ術式を覚えている内に行えば早く済みますし、それに一つでも解ければ今よりも少しは楽になりますよ」

 早くレクスを楽にしてあげたい。それがサラの本心だ。

「お願いします。無理はしませんから」

 レクスはしばらくサラを見つめていたが、小さく息を吐くと「わかりました」と了承の言葉を口にした。

 

 予想通り、半日かからず術式の並び替えは終わった。

 前回はここでカイが窓から飛び込んできて終了した。嫌な記憶が蘇り、小さな溜息と一緒に吐き出す。

 今日は事前にレクスに「誰か来たら声を掛けて下さい」とお願いしてある。そのレクスは前回同様、ソファーの背もたれとサラの背中の間で器用に横になっていた。

「レクスさん、終わりますよ」

 声を掛けるとレクスは瞑っていた瞼をぱちりと開けた。やはり寝ていた訳ではなかったようだ。

 あっさり上体を起こすと、ごく自然な動作でサラの額に掌を当てた。

「そっ、だ――な、何?!」

 突然のことにサラは慌てる。

 魔法陣が消えていないことを確認すると首だけでレクスを見上げた。レクスはじっと見下ろしている

「具合はどうですか?」

 レクスはサラの戸惑いを一切気にすることなく、労るような優しい声で尋ねる。

「だ、大丈夫、です! それは、何とか」

 サラは全身から汗が噴き出すのを感じた。

 レクスはその返事に安心したのか熱がないことに安心したのか、柔らかく微笑むと掌を離した。


 お願いだから無闇に色気を出さないで! 集中力が切れる!


 サラは心の中で必死に祈った。


 深呼吸で自分を何とか落ち着かせるとレクスと向かい合った。

「レクスさんはそのままで」

レクスが頷いたことを確認すると、宙に浮いている組み直した術式に人差し指を向けた。

 組み直した術式の文字を言い間違わないよう、頭の中で復唱する。

 しばらくして大きく息を吸い込んだ。


「解放者は知る。魔名まなは『ルドガーレヌビエ』」

 術式は恐怖に震えるように小さく揺れ始め、やがて魔法陣へと姿を変えた。

「解放の楔で消滅せよ」

 サラは人差し指の先でその中心に触れる。魔法陣はまばゆい光を放ち、音もなく四散した。飛び散った文字は光が消えるのと同時に消滅した。


 全てを見届けるとすぐにレクスを見上げた。

「どうですか?」

「特に――」

 何も。

 レクスがそう言おうとした直前、強烈な頭痛に襲われた。声を漏らすことは何とか堪えた。頭がぐらぐら揺れ、まるで激流に飲み込まれているみたいに自分の身体のどちらが上でどちらが下かわからない。

 頭の中には記憶がまるで静止画のように現れては消えていく。

 

 カイと向かい合った時の記憶。

 一人で彷徨っている時の記憶。

 サラと初めて出会った時の記憶。

 

 浮かぶ記憶は前後の繋がりがない。


「レクスさん!」

 サラの掌がレクスの腕を掴んだ。その瞬間、痛みが和らぐ。

 そして思い出せなかった記憶が現れた。





 神殿の中は暗く、仄かな松明に照らされる白い大理石の足下には魔法陣が描かれている。

「ラー・シャイ」

 聞き覚えのある声に顔を上げると、暗がりの中に四人が立っている。

「この封印を今すぐ解け!」

「それはできない。『鎮めの巫女』がいない以上、次に発作が起きればお前は壊れるだろう」

「ならば今ここで俺を殺せば良い」

「それはしたくないんだ」

「中途半端な善意ほど最悪なものはないな」

「すまない。恨みたければ恨んでくれ」

 男が右手を挙げると、それを合図に周囲の人影が一斉に呪文を唱え始めた。

 光る魔法陣から黒い蔦のような何かが現れ、身体に巻き付くと魔法陣へと引きずり込んでいく。

 地面へ沈んでいく身体に最後の力を振り絞り、男の――親友の名を呼んだ。

「アスワドッ!」

「封印が解けるとき『鎮めの巫女』が傍にいることを願っているよ」

 引きずり込まれる直前にアスワドの苦しげな声が聞こえたが、確認できぬまま目の前は真っ暗になった。





「――さん――クスさん」

 どれくらい経ったのか。必死に呼びかける声が徐々に大きくなっていく。

「レクスさん!」

 サラが今にも泣きそうな顔で見上げていた。視線が合うと彼女は少し安心したように表情を緩める。

「大丈夫ですか?」

 酷かった頭痛はいつの間にか消えていた。

「大丈夫です」

「何か思い出しましたか?」

 不安そうなサラに何と言えばいいのか、レクスは悩んだ。

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