第6話

 サラは目の前のレクスをじっと見つめた。見る者を虜にする美しい容姿に浅黒い肌、金色の瞳、漆黒の髪の隙間から覗く少し尖った耳。全てが聞いていた魔族の特徴と一致している。

 綺麗な顔の右側、首や耳の辺りから額にかけては帯状になった古代文字の羅列がまだ刻まれていた。サラは自分の腰に宛がわれているレクスの左手に視線を移す。さっきまで見ることすらできなかった手の甲にも同じ呪いが刻まれていた。何度見ても見慣れぬ呪術の禍々しさに表情が曇る。

 顔を上げると真っ直ぐにこちらを見つめている金色の瞳と目が合う。魔族に対する恐怖感や身体が密着していることへの嫌悪感はなく、凜として気品のある美しさがまるで狼のようで、素直に綺麗だと思った。

 無意識にレクスの頬に掛かる黒髪を指で優しく払い、そこに刻まれている文字を指でそっと触れる。呪術は解けていないが痛みはなくなっていた。知らず笑顔になっていた。

「サラ」

 ひび割れていない低くて艶のある声だった。レクスから初めて自分の名前を呼ばれ、心臓が大きく跳ね上がり慌てて触れていた指を引っ込めた。レクスは消えてしまった温もりに僅かに視線を下げた。

「ど、どこか痛かったり、苦しかったりしませんか?」

 緊張と焦りで上ずってしまったが、レクスは優しく微笑み首を横に振るだけだった。

「違和感はないですか?」

レクスは頷く。

「あと――」「――大丈夫です」

 レクスはサラを落ち着かせるように優しく遮った。怖がらせないようになのか、ゆっくりと左手をサラの頬に近づけたが、それは触れる寸前で止まってしまった。サラはその理由に思い当たり、宙で惑う左手を両手で包むように触れた。

「呪術は消えていませんけどレクスさんに触れてももう痛みはないです」

 躊躇いのないサラにレクスは一瞬目を瞠り、すぐに嬉しそうな微笑みに変わったが、解術師として接している彼女はその僅かな変化に気付かなかった。

「今の状態なら呪術は進行しないはずです。あとは解術していくだけですから安心してください」

 レクスは安堵したように表情を和らげ掌をサラの頬に添えた。サラもつられて微笑み返したが、今頃になって自分の状態を思い出し再び身体が熱くなる。顔は燃えているのではないかと思うほど熱を帯び、ようやく落ち着いた心臓の鼓動もまた早く打ち始める。苦しくなった息を整えることも兼ねて、レクスに尋ねた。

「あ、あの、記憶は――何か思い出しましたか?」

 レクスはサラを見上げたまま頭を振った。

「そうですか」

 傍えの腕輪の契約方法を知っていたので僅かでも記憶が戻ったのでないかと期待したが、あれは魔族の本能だったのかも知れない。サラは落ち込むことなく前向きに考えることにした。

「少しでも何かを思い出したら教えてくださいね」

 レクスは素直に頷いたが、サラは彼の手を解くきっかけを見つけられずにいた。

「あ、あの、この」

 必死に声を絞り出したと同時にその腕が離れていく。ほっとしたのも束の間、レクスは流れる動作で長身を屈ませ、床に片膝を付いて頭を垂れた。まるで女王に傅く騎士のようだ。

「この命はあなたのために使います」

「え? えっ! はっ? えええっ!?」

 相変わらず突然すぎるレクスの行動に、サラは混乱しながらも自分の両膝を床に付けた。人を傅かせ自分が立っている構図は、生粋の平民であるサラの中にはない。

「だ、あ、あ、頭を上げてください!」

 両手を床に付き、土下座する勢いでサラはレクスに懇願した。レクスは素直に頭を上げて、いつのまにか自分よりも下の位置にあるサラの顔に驚いている。

「わ、私に命を使われても困ります!」

 消滅させたくなくて魔力を分けたのに、これで命を使われたら本末転倒だ。

「それでは私の気が済みません」

「そこは何とかおさめてください!」

 レクスは困ったように溜息を吐いた。サラは彼の言葉遣いや雰囲気が変わっていることに気付けないほど、混乱の極みにいた。

「命を救われ、住む場所まで与えてくれるあなたに何もするなと言うのはあまりに残酷です」

「仕事で護衛として付いてきてもらいますし――」

「その程度ではこの大恩に報いたことになりません」

「でも――」

「では――」

 レクスは視線を落とし、少し間をおいて口を開いた。

「あなたに付き従うことくらいは許してくれますか?」

 気高い狼の気品はどこへやら、まるで捨てられた子犬のような瞳で見つめてくる。サラは罪悪感に駆られ、頷くしかなかった。

「ま、まぁ、それくらいなら」

 言質げんちを取ったようにレクスの口の端がつり上がる。先ほどまで不安で揺れていた金色の瞳が嘘のように鋭い光を取り戻し、妖艶な微笑みを浮かべていた。

「あなたの命が消えるその時まで傍にいます」


 どこからこういう話になった?

 おかしな方向で決着したことにサラは首を傾げた。

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