第5話

 街の中心地から離れた場所にサラの住む平屋はある。レクスは家をひとしきり眺めるとそのままサラを見た。何が言いたいのか理解したサラは苦笑した。

「実はこれも呪われていたんです」

 ハングシャーで仕事をするため斡旋所に初めて行った時、申込書を見た美人の受付嬢に「解術師さんですか!」とカウンター越しに両手を握られたことは、四年経った今でも忘れられない。


 大家に恨みを持った店子が、家を出て行く際に誰も入れないように呪術を掛けたらしい。困った大家から依頼を請けた斡旋所は登録されている解術師に連絡したが、元々人数が少ないためなかなか受け手が見つからず頭を抱えていた。そこへサラが解術師の登録に現れたというわけだ。受付嬢は後に「あの時のサラさんは女神様に見えたわ」と語っていたという。

 快諾したサラは開かずの扉をあっさりと開けた。感謝した大家はサラが部屋を探していると聞くと「キズモノ物件は借り手がつかないからぁ」と破格の家賃で契約してくれた。郊外とはいえ首都の家賃は安くない。おかげで慎ましい生活の彼女は、こうして立派な一軒家に住めている。


 サラはレクスを居間に待たせ、物置と化した部屋から銀の腕輪を持ってきた。アラベスク模様の透かし彫りが綺麗でサラは気に入っている。しかしこれも呪われた品で、去年依頼があって解除したものだった。


 身につけたら外れなくなり具合が悪い、と依頼人の女性は少し派手なつくりの顔をやつれさせて訴えた。差出人不明で贈られてきたもので、気味が悪いから捨てようと思ったのにいつの間にか腕に嵌めていたという。

 身に着けたら死ぬまで命を吸い取られ続けるという恐ろしい呪術だとわかりすぐに解術した。女性は無害になった腕輪を「見るのも嫌」と睨み、処分をサラに任せてそそくさと帰っていった。

 一方的に振られた昔の恋人の仕業だったと聞いたのは、しばらく経ってからだ。元恋人がどれくらいいるのかわからないが、彼女は捕まったその男のことを思い出せなかったらしい。

 元はかたえの腕輪と呼ばれる、主に魔族が使う魔道具だ。

 不老長寿の魔族が他種族を伴侶とした場合、そのほとんどは彼らより寿命が短い。

魔族は強い力と強靱な肉体と好戦的な性格から恐れられる一方、心に決めた相手と一生を添い遂げる愛情深い一面を持ち、愛する伴侶を亡くすとすぐに死んでしまうと言われるほどだ。傍えの腕輪は魔族が自分の魔力を分け与えることで、相手と少しでも同じ時を共に生きるようとするために必要なものらしい。

 魔道具は高額で売買されるものが多い。最初は生活に困ったら売り払おうと思っていた。けれど魔族にとって大切なものだと知ってからは、機会があれば渡そうと思い取っておいていた。まさかこんな形で自分が使うとは夢にも思わなかったが。

 傍えの腕輪をレクスに嵌めて契約を交わせば、サラから魔力をわけることができるはずだ。

 ただし契約か。サラは感じる一抹の不安を無理矢理押し込めた。


「は、伴侶とか、そういうのは気にしないでください。これは魔力を分けるための道具として使用するだけで、そういう意味の契約じゃないです! 無理矢理恋人にしようとか、ずっと一緒にいてもらおうとか、そういう下心はこれっぽっちもありません!」

 腕輪をじっと見つめるレクスに、サラは耳まで赤くしながら繰り返し説明した。傍えの腕輪を渡そうとした瞬間、もしレクスがこの腕輪の意味を知っていたとしたらどういう風に思うだろうと考えてしまい今に至っている。ソファーに姿勢良く腰掛けているレクスは、そんなサラを嫌がることも笑うこともせずじっと見上げていた。

 何回目かの説明の後、サラは肩の力をようやく抜いた。

「嫌だったら別の方法を考えますし、魔力を分ける方法はこれだけじゃないので心配しないでください」

 レクスはその言葉に押されたかのように腕輪をあっさりと左腕に嵌めた。顔を上げた彼にサラは気付かないうちに笑顔を返していた。

 

 サラの唱えた契約の呪文に腕輪は反応し青白い光を放つ。が、輝きはすぐに消えてしまった。もう一度唱えてみたが結果は同じだった。

「やっぱりだめか」

 不安は的中した。おそらく『破魔』の影響で契約の呪文が消されているのだろう。

傍えの腕輪には呪文を唱える以外に別の契約方法もあったが、自分には関係ないと思っていたせいか、忘却の彼方へ消え去ってしまったようだ。

「契約をしていいのか?」

 サラが頭を抱え、うんうんと唸っている間もおとなしく座っていたレクスが口を開いた。記憶の掘り出しに集中していたサラはあまり深く考えず、それが契約了承の返事だと思い笑顔で答えた。

「はい」

 前触れもなく腕を掴まれた。突然のことに痛みを感じる暇はなく、少し俯いた目の前にレクスの見えない顔があった。身体も視線もレクスに引き寄せられていた。

 こんなに近くにいても見えないのかと悲しい気持ちになり、僅かに視線を下げた瞬間、唇に少し冷たくて柔らかい何かが触れた。


 そうだ。契約方法って口づけだった!

 

 これが自分の人生で初めての口づけだという衝撃よりも忘れていた契約方法を思い出した晴れやかさが勝っていたが、そのうち現状を理解すると全身が燃えるように熱くなった。

 何でこんなことになっているのか、と冷静に混乱する。

 口づけは正しい契約方法だ。一応承諾した手前、怒ることも振り払うこともできない。座っているレクスの両のてのひらが、立っているサラの後頭部と腰に優しくしっかりと宛がわれているのは、二人の体勢を考えれば仕方ないことなのだろう、と何とか自分を納得させる。けれど出会ったばかりの顔も知らない相手との口づけに嫌悪感や拒絶反応のない自分が不思議で仕方ない。色々なことがありすぎて理解の許容範囲を越えたサラは、瞼をぎゅっと閉ざし身体を岩のように固くしているだけで精一杯だった。

 どのくらい時間が経ったのだろう。唇がゆっくりと離れていく。

 契約が成立していればレクスの顔が見えるはずだ。サラは恐る恐る目を開けた。

 浅黒い肌に漆黒の髪。金色に輝く瞳が真っ直ぐにこちらを見上げている。目が合うだけで緊張してしまうほど端整な顔だ。ただ今のサラは次々に起こる思いがけない出来事に緊張を感じている余裕はなかった。

「え? あ、えっとあの、レクスさん――ですか?」

 目の前の魔族は嬉しそうに微笑んだ。

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